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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




杉村 芳美 著
『脱近代の労働観
     ──人間にとって労働とは何か




評者:嶺 学



 この書は,はしがきによれば,「近代産業社会の労働の意味構造とその変容」,より一般的には「労働の意味の考察」にあり,その方法は「きわめて人間学的なもの」である。巻末には185の図書文献が掲げられ,その包括する学問分野は,哲学,労働・余暇などにかかわる思想,社会学,人類学,現在未来の社会論,経済学などにおよび広範である。 1970年代末から80年代にわたり,大学紀要や『経済セミナー』などに発表された論文などを中心にまとめられ,多年の研究の成果を世に問う著作である。
 今日,日本においては特に,労働のありかたに根本的な問題を感じている者は少なくないと思われ,そのような時期に,副題の示すような,体系的考察をされたことは,意義のあることである。もっとも,著者は,現代日本の労働を直接に分析に重点をおくよりは,参考文献の示すように,歴史とともに古くからある労働に関する省察を踏まえて,思想的に論じている。評者のような,狭い,現実的な問題意識から労働そのものに関心をもってきた者にとっては,的外れな紹介,批評になるのをおそれる次第である。
 まず,著者の「人間学」といわれているものは,思想,社会学などに重点がある総合的な観点であるようである。また,著者は,労働自体のありかたと無関係ではないが,労働の,価値,意味の面に特に関心がある。あらかじめ,著者がどのように積極的に労働の意味づけをしているのか,とらえておけば全体が分かりやすいであろう。著者はいくつかの異なったとらえかたのいずれかに立つのではなく,むしろ,複数かつ二重の意味付けをもつ労働のバランスに意義を認め,それに責任をもつことを考えている。著者は,9時5時労働という,近代の基準的な雇用労働に関して,最近,労働に関する意味付けのバランスが崩れたことを指摘するとともに,その回復を脱近代の労働観として垣間見せようとする。
 本書は全9章と一つの補章からなり,3部に編成されている。第2部は分業に関する考察である。分業の発展により,労働の意味が問題となってくるが,分業に関する古典的な諸解釈を紹介するとともに自らの考察を行っている。第1部は現代日本の労働の意味状況を対象としつつ,「ポスト産業社会」の労働のありかたについて考察している。第3部は,第1部の抽象的な展開とも言うべき章からなる。各章を紹介する余裕がないので第3部第9章「生としての労働―労働と自由」の要点を述べる。
 この章は,本書のため新たに書かれたもので著者の現在の見解を提示していると考えられる。「生としての労働」は著者の労働観であるようであるし,労働と自由という著書の核心にふれているので,この著書の特徴を代表するとみてよかろう。
 この章によれば,生産する労働とくに自営の場合は,自然を自らの手で変革する「自由の実現としての労働」あるいは「製作」として,「労働による自由」の意味がある。工場制労働,雇用労働では,服従を強いられる側面,「労働は自由を奪う」側面があり,ひとは「労苦」としての「労働からの自由」を求める。しかしこれにより,安定と所得をうる利益がある。さらに,脱工業社会にいたると,ロバートソン,アップルガスなどによって自律,自己表現する「自由な労働」「労働における自由」が重要になるという。この労働は自分のやりたい仕事を好きなやり方でおこなうもので,「遊戯」の性格がある。しかしこれは自制心を伴わないものとなる危険がある。これを克服するには,自己を超える価値に対する献身,使命,奉仕といった契機が必要である。これは「奉仕への自由」「使命としての自由」であるという。著者はさらに,現象学のR. C. クワント(Kwant)により,労働には自由と拘束が並存すること,労働が生の一部であることを主張する。著者は,制約のなかで責任をもつ主体として,欠如している側面を充足してゆく,バランスが必要であると説いていると,理解される。
 著者は労働の価値,意味を多面的にとらえていることが特徴である。とくに西欧中世に支配的であった労働が,超個人の価値への「奉仕」の意味をももつことを指摘していることは興味深い。著者は,これが,ソシアルワーク,シャドウワークなどにみられるのみでなく,市場の中の労働も事実上サービスの労働と化しつつあるという(207ページ)。日本の働きすぎは,神聖なる会社へ奉仕する労働として,第1部で扱われている。第1部では,労働の意味構造をとらえるにあたり,目的−手段,個人−集団の2軸の組合わせにより,貢献,自己実現,苦痛,役割の4つの意味側面があり,現代の労働をめぐるいくつかの現象は,これが拡散することにより生じていると説いている。この4象限による意味構造が雇用労働に投影されたものが,第9章の労働の4つの意味であると最後に注釈されている。
 まず,古代中世から未来論までの労働の意味について考察する大きな作業をされた点を評価したい。奉仕,サービスの意味側面があることを指摘されたことも注目される。価値観の多様化などといわれる現実に関心をもたれ,大きな展望の中でとらえる意欲的試みでもある。
 ところで,評者の感想の第1は,労働は労苦と所得の交換以上の意味をもつことには同感であるが,大多数の仕事が市場メカニズムのなかにあるとき,「奉仕」のような価値がいかにして広く受け入れられうるのか,経済学部教授であられる著者に伺いたい。
 問題の第2は,労働の意味構造はいかなる要因により動き,選択されるのかという点である。現在,労働の意味構造が拡散しているのは,技術的,社会経済的背景があってのことであろう。バランスした構造が再生,新生するのはいかにしてか。総じて,いかにあるべきかといかになってゆくのかの区分を読取り難い印象があったこととも関連して伺いたいところである。



ミネルヴァ書房,1990年12月,270ページ

みね・まなぶ 法政大学社会学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第402号(1992年5月)



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