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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




高梨 昌 著
『これからの雇用政策の基調』

評者: 嶺 学




          

1 著者とこの本

 この図書は,1993年3月の発行であるが,その紹介によると,著者は信州大学教授の現職のほか,中央職業安定審議会会長,4つの労働省関係の審議会等の委員,日本労働研究機構研究所長を兼ねておられる。審議会のなかでも,会長代理など,中心的メンバーであることがうかがわれる。著書も多く,東洋経済新報社などから雇用政策に関するものなどを出版されている。著者は,労働者派遣法の制定や,パートタイム労働関係政策の立案などで重要な役割を果たしてこられたことで知られており,適当な表現かどうか分からないが,いわば公的労働・雇用政策のブレーン的な存在である。
 この本は,1988年秋から1992年9月までに書かれた雇用政策に関する約10の論文などを編集したものである。はしがきによれば,これが信州大学教授としての最後の著作となるそうである。著者はその信州大学で経済学部の創設にあたり,また学部長をつとめられた。本文のいくつかの場所で経済学を心得ない者の俗説を,いたく批判されている。その著者は,はしがきで「経済学は,人間が健全で自立できる状態で生きつづけるための経済的“必要=ニーズ”を解明する科学であると考えてきた……」とされていることに注目しておきたい。「必要を解明する」のところは,必要を実現する条件を解明すると読むのであろうと評者は推定する。ついでながら,この本は小冊ながら通常と異なる用語法,思い切りよい現状評価,推測を要する文章も少なくないから,精読が必要である。
 はしがきによると,この本の課題はふたつあり,第1は,円高経済下の“労働力不足感”に触発されながら進展した日本の労働市場の構造変化の諸特徴を解明すること,第2は,1990年代後半以降労働力の供給制約が強まるなかでいかに雇用政策を再構築すべきか明らかにすることである。

          

2 労働市場の構造変化

 第1の課題に対応して重要と思われるものは,序論のなかの「円高経済下の労働力不足問題」の章や第2編中の「産業構造の変化と労働市場の諸問題」という章(もとは日本政府・OECD共催の国際シンポジウムでの報告)などの展開である。前者では,円高経済つまりバブル好況下で労働力不足が騒がれたが,これは,労働力不足感に過ぎなかったと論じている。その経済学的証拠は,賃金の上昇率があまり高くなかったことにあるとし,新規学卒労働力供給量が大きかったことなども指摘している。それにもかかわらず不足感が生じたのは,産業構造の急速な変化による労働力需給のミスマッチと労働者の職業選択行動の変化(賃金格差より,非経済条件を重視する傾向)によるもので,これに投機的活動による需要や移動が増大したことによる求人増が加わったと判断している。この際,誤った議論として,転職の勧めや外国人労働者への開国があったとする。一方,本格的な労働力不足は90年代後半から,新規学卒者の供給量の減少に伴って生じるとみなしている。
 前掲の二つめの論文では,初めに,簡潔に第一次石油危機以降の労働市場の経過を叙述しているが,そこでは構造変化にともなう構造的失業,終身雇用的な正規労働者以外の,非正規労働者の増加傾向に注目している。そのうえで中高年労働者,パートタイム労働者,派遣労働者について論じている。このうちで特に,パートタイム労働者に関連して,疑似パートは小零細工業に多く,内職が減少する過程で増大したこと,その後,第三次産業の本来的パートが増加していることを指摘するなど興味深い説明もみられる。著者は,終身雇用的,年功的な労働者は主として企業内での熟練形成の必要からなくならないし,政策上もこれを維持することが必要であるとする。そのうえで,非正規労働者について,良好な需給システムをつくる政策が必要とみなしている。

          

 3 雇用政策の経過と再構築

 本書の核心は,高度成長が終わってからの雇用政策の推移の把握と,近い将来における雇用政策の再構築について論じた第1編の諸章であろう。これをまとめれば以下のようになろう。まず,第1次石油危機以降の雇用政策について,著者は失業保険から雇用保険への展開が政策転換の出発点になったとして,極めて重要視する。特に雇用調整給付金(助成金)により,解雇の抑制という,事後対策から予防へ発想の転換がなされたとみる。これは,その後,職業能力開発,地域開発の金銭給付による促進策として展開した。第2の雇用政策における発想の転換として,著者も深く関与した,労働者派遣事業の公認と規制に代表される非正規労働者の需給調整システムの公式化をあげる。著者は社会政策学者,労働法学者の自称進歩派が「不安定雇用」としてきた派遣労働者やパートタイム労働者を正常な雇用形態とみなし,その労働市場の「健全かつ適切なルール」(38ページ)をつくるよう政策発想の転換をいちはやく説き,派遣労働者についてまず実現したとしている。
 地域雇用政策は,複雑な経過を経て発展しているが,著者はこれを明快に整理している。第1は失業対策事業などの「政府直営事業方式」。第2に「広域職業紹介政策方式」が採用され,労働力の需要地へ離職者,就業希望者を移動させた。しかしそれも,移動に応じる者の減少などで限界に達し,第3の「民間企業活動活用方式」が70年代後半から展開した。これは,雇用保険による雇用の促進の政策の発展であるという。
 つぎに,著者は1990年代後半以降について,新規学卒供給量の減少による労働供給制約に加え,経済成長上の他の制約(輸出等における国際的摩擦,内需中心の成長の場合の環境悪化など)が生じると考える。そこでの対策として,著者は,これまでの政策の継承発展とともに,新しい政策展開として,労働力供給制約に合わせた働き方などの条件の設定,国内産業の高付加価値分野への特化と経済発展の援助という処方箋を示している。
 本書の第3編は看護,介護労働に関する政策である。ここでは,著者の一般論が応用されているが,読者にとって極めて挑戦的である。後に取上げる。

          

 4 貢献,特色,疑点

 読者は,労働・雇用政策の立案に大きな影響力を及ぼしたとみられる著者から,これまでの政策立案の,専門研究者としての著者の背景説明,発想を知り,また1990年代後半以降の雇用政策の構想を窺うことができる。これはこの図書独自の貢献である。
 全体の印象として,著者は構造的失業ないしミスマッチを重視していることが目立ち,この著書の労働市場の理解とそれに関する政策の特徴の一つであると評者は考える。構造的失業として,産業・職業の構造が変化し,需要に供給が対応できない状態を著者は考えており,これは,地域的な局面ももつ。それ自体に異論はない。が,この構造的失業は円高以降,また将来に向かってもかなり重要とみなされている。
 つぎに著者は,終身雇用的,年功的な大企業正規従業員層の雇用慣行は持続するものとみなし,また,これに依存して,解雇の抑制などを図るべきであるとの見解である。他方,これと補完関係にあるとも言える多様な雇用形態について,正常な需給システムを築こうとしてこられた。これは第2の特徴と言えよう。
 第3に失業保険から雇用保険への展開とくに企業への金銭的支援による雇用の維持や誘導政策の重視をあげることができよう。これは,評者などが,雇用対策法(1966年)がフレイムワークとなり積極的労働力政策が展開されてゆくと理解していたのとは異なる。もっとも,これは著者はこの本の対象外と言われるかもしれない。ともかく,上記は,第1の現実認識に対応する政策手段である。なお著者は将来に向かっては,雇用政策が経済政策などと一体的な総合政策であるべきであるとの立場である。
 以上が,評者の感じたこの本の特徴である。つぎに,疑点について述べよう。まず,第1の特徴と関連するが,著者も言及しておられる失業のいま一つの形態は需要不足によるものである。著者は,新規学卒の供給量から,90年代後半に本格的労働力不足を予想しておられる。これは経済学的というより人口の見通しによるものであるが,そのような時期まで,今日のヨーロッパのように需要不足失業が及ぶことはないのであろうか。また,著者は,この時期について労働力供給の減少に対応した経済成長率の低下を提唱しておられるが,その場合,失業が増大せず,同時に,適切に指摘しておられる前述の内外の摩擦が生じないと保障できるであろうか。むしろ,三者の調和が困難な事態も大いに考えられる。
 つぎに,需要不足失業により,終身雇用的,年功序列的慣行も大きく揺らいでいる。後者については,すでに久しく,企業は能力主義と不可分の運用をしている。特徴の第2で述べた政策を今後も軸にし,あるいはそれを発展させることができるであろうか。またそれが望ましいであろうか。雇用調整助成金の場合,短期的に景気が回復する見込みがあってはじめて機能しうるのではなかろうか。また,著者が高く評価される金銭的支援は,著者の経済学ではどのような意義をもっているのであろうか。長期に継続する場合,調整を遅らせ,企業を一時的に救済するにとどまらないであろうか。助成金をうけた企業と対象労働者は政策の想定どおり好ましい経過をたどっているであろうか。この点,政府関係研究所ではどのような調査をし結果はどうであったのか。
 特徴の第2と関わって同じような問題がある。多様な雇用形態の労働者を一括して,不安定雇用ときめつけることは,問題であろうが,これらの雇用形態の雇用にやむをえずついている者がいることもまた否定できない。派遣労働者やパートタイム労働者について政策が講じられた場合,著者の経済学の狙いであるように,このひとびとが健全で自立でき,そのニ―ズをみたしているのか,立案した政策を誇る(113ページ)のであれば,検証が必要であろう。
 つぎに,これもないものねだりの一種となるが,著者の説の内容に関わるので,述べたい。著者は非正規労働者を不可欠な雇用形態と認識しているわけであるが,正規労働者との賃金などの処遇の均等,希望がある場合の正規雇用への優先などについてふれることがない。これでこの労働者のニーズを適切に満たしていることになるのかどうか。
 このうちパートタイム労働者と正規労働者の均等待遇は,現実には困難であっても先進国では,ひろく受入れられている原則である。公的な需給システムを築くのであれば,この原則を欠かすことは出来ないのではないか。高齢者雇用についても同じ問題がある。高齢者はただ年齢のみのゆえ,賃金,雇用などについて不均等な処遇をうけてもやむをえず,雇用されてさえいればよい位置づけにある。
 もちろん,現状では,種々困難はあろうが,90年代後半も展望する著者自身はどのような見解なのであろう。終身雇用と年功的慣行を支持し,これにより解雇を予防しようとする立場からは,雇用形態間,年齢間などの差別をなくす政策――これは健全という著者の経済学の基準に適合すると思うが――はでてこないのではなかろうか。

 5 看護と介護

 本書の第3編「高齢社会問題と医療・福祉サービス」では,著者は,評者を含め一般的な常識に,挑戦されている。挑戦箇所のおもなものを整理して示すことにする。スペースの関係で論旨の要約はできない。
 常識への挑戦の第1は,事実認識に関するものである。著者は「『高齢社会』問題への視点」という章で,現状における日本の高齢社会では,欧米でも羨むほどの良好な状態であるという(たとえば,医療,福祉の横断的比較がどうなのであろう)。
 その理由はいくつかあげられているが,関連期間不明であるが医療制度が急速に発展したこと(!)もその原因のうちにあげられている。その良好さも将来に向けて問題をはらむと著者は論じ,それは,常識との差はあまりない。しかし対策となると,違う。これが常識への第2の挑戦である。この章では,たえず増大する社会保障費は目的税としての消費税――食料などを中心に税率を高める――でまかなうことや,複合家族を構えることのできる大きな住宅の建設などを提唱している。
 挑戦の第3はこれらの対策と一体であるが,社会保険,社会保障のありかたを根本的に問い直すものである。重病になれば,病院でも付添い婦をつけねばならず,その負担は大きい。これだけでも,社会保険の機能の有効性を疑わせるというのが素人の感覚である。著者の介護の有料化゙の提案はそれをさらにすすめるものである。
 著者はまた,医療と福祉サービスを一般民間産業なみの産業に転換することを求めている。介護の分野の公的サービスがニーズにマッチできない傾向はあるが,他方,民間事業を利用出来る者は経済的にも限定されてしまうのではないか。社会の構成員が介護を必要とするとき,必ず受けられるようにすることが社会保障の目標であろう。著者は,看護・介護需要抑制のため,医療費償還制度への転換さえ言及しており,驚くばかりである。これでは,低所得者層は,医療から見離されかねない。
 なお,看護婦等の確保の政策に関連し,著者は正規看護婦の新規採用と定着を促進できる条件の整備をあげている。この際,正規看護婦を専門的業務に専念させるため,補助者,委託,パートの利用などをあげている。これは,病院等における分業のありかたとして,重要な問題であるが,著者のような行きかたに批判もある。
 第3編は,特に常識に挑戦的であるが,それは多分,医療や福祉を民間産業なみにすることに意義を認めていることに由来する。しかし,自分や家族の生死がかかわるサービスが,現状でさえ,営利により歪められ,また社会保険,社会保障が本来の機能を有効に発揮しないなかで,これを産業化し,費用を利用者に負担させようとするとき,著者の経済学にいう人間が健全で自立できる状態が実現できるのか,問いたい。市民の常識的なニーズを実現する条件を探ることが市民社会の課題ではあるまいか。



日本労働研究機構,1993年3月,vi+197頁,定価2,000円

みね・まなぶ 法政大学社会学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第425号(1994年4月)



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