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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




社会政策学会編
『日本の労務管理』




評者:栗田 健



 本書は昨年の共通論題『現代日本の労務管理』を中心に編集された社会政策学会の年報であるが,大会から一年後の発行という,いくぶん間のびした発行のシステムにあるにもかかわらず,新鮮な印象で読むことができるのは,この大会の共通論題が現在の基本的問題に正面から取り組んでいるからであろう。この共通論題を提案し,当日の総括討論座長を勤めた兵藤サ(つとむ)氏らとともにプログラミングを担当した筆者としては,まず最初にこの困難な論題に真面目に取り組んでくれた報告者ならびに編集委員会の努力に感謝しなければならない。この共通論題の設定には,日本の労働者の現状を認識する方法として,労使の取引を律する社会的なルールの網の目を研究する労使関係分析は,事態の表層を捉えることしかできず,より実態に接近するためには,企業内の労務管理の態様に分け入る必要があるという思いがあった。これは,自由論題論文にも収録されている過労死問題をはじめとして不条理な問題を数多く抱えながら,対外進出を通して世界的な展開を見せはじめた日本の経営方式への懐疑と,連合の結成という労働組合運動の大規模な再編成にもかかわらず,労働者のこの経営方式への意志表明がいかなる形においても不鮮明であるといういらだちを反映していた。雇用,賃金,労働時間,生産および職場をめぐる管理のあり方を通じて,日本の労使が産業内で取り結んでいる関係を解明しようとする意図から,雇用,賃金,労働時間,生産工程,集団の分野での管理についての報告者を選んで共通論題が構成された。本書には共通論題の5氏の論文と座長兵藤つとむ氏の論点整理の文章の他,自由論題論文3編,10点の書評および会員業績目録が収録されているが,ここでは,共通論題のみを(座長論文については屋上屋を架すことになるのでコメントを省略し)取り上げて紹介したい。
 「『雇用確保』の規範化と雇用慣行の変容」というタイトルで雇用管理の問題を分析した橋元秀一氏は,構造不況や高齢化という労働市場条件の圧力の下で,日本の雇用管理の骨格を形成していたいわゆる終身雇用制度が見直しの対象になっている現況の中で,それがどのような形で進行しているかを出向・転籍の実態や専門職制度の普及状況を通じて分析している。そして,「管理職担当となる従業員の10人に2人程度は関係会社に出向・転籍し,そして2人か3人は専門職となり,半分はラインの役職者にはならないという状況」を紹介しながら,雇用慣行の修正が着実に広がっていることを確認している。しかし同時に,この修正過程は,「雇用確保」と「定昇完全実施」についての労使の了解の結果として進められたものであり,雇用確保の規範性の再確認がその前提であったことに注意を喚起し,政府の雇用政策もそれに対応するものであったことを指摘している。したがって,雇用確保や定昇完全実施のために雇用慣行の変更が進められながらも,規範としての雇用確保は依然として規範的価値を保ち続けており,団塊の世代の高齢化にともなって,この規範の維持が困難になるとともに,職務と配置の柔軟化を可能としてきたこれまでの日本の雇用管理の基本構造のあり方が,今後本格的に問われることになる可能性を展望している。雇用慣行の流動化が研究者の理論的枠組みまで流動化し,その時どきの状況を都合よく解釈するような論説が多い中で,現実に生起している現象の意義と限界を考察し,その限界の領域に堆積しつつある矛盾を指摘していることは優れた分析視角であるが,難を言えばその指摘はやや理念的に過ぎ,裏付けに乏しい。紙数の不足が理由であろうが,せっかくの分析がいま一つ説得力を欠く結果になっている。
 賃金と昇進の管理を分析した高橋祐吉氏は,「現代日本の企業社会と賃金・昇進管理」という報告書の中で,日経連の「人事トータルシステム」を中心に,職能資格制度に基づく人事・賃金制度を検討している。鉄鋼大手の賃金体系改訂に示されている最近の動向などを素材に,現在の賃金管理が職務遂行能力の評価を基準とする職能給化であることを示しつつ,この能力主義管理の支柱としての職能給が,果たして体系として完全に自立するところまで徹底し得るか否かを問うている。氏の仮説はそれがあくまでも年功賃金の修正の域を脱することがないであろうというものであり,わが国の労使関係における賃金管理の限界を指摘する意図が示されている。 60年代に始まった職能給化は,職務遂行能力を基準とする個別管理を追求しながら,その一方で「日本的」な小集団管理に補完され,労働者の自発性に依存したために,日本の労働者の公平感との妥協として年功的に運用されざるをえなかったことによって,その限界に到達したとして今日までの経過を説明し,その理由を,職務遂行能力の客観的評価に基づいて処遇・配置・訓練などを確立することを目的としながら,その一方で,人件費抑制のための定員枠の限定や中高年者への一括的な負の評価など,さしあたっての経営の目的を優先したため,絶対考課としての人事考課を確立することができなかったことに求めている。経済合理性の追求が労働者の企業帰属意識に依存しながら行われるという,日本的経営のディレンマを衝いた興味ある分析であるが,分析の対象が政策文書的な資料であり,その批判的な読解として論理が構成されているため,実態の把握という観点からは不満が残る。
 浪江巌氏の「労働時間管理の今日的特徴と背景」は,情報化を中心とする技術革新や国際化の影響の下で,経営戦略の多角化によって労働時間制度の弾力化が進行しており,他方,国際経済摩擦にともなう労働時間短縮への圧力を背景に,法規の変更が行われ,これも労働時間制度の多様化のための条件整備となっている現状について,経営から打ち出される新たな労働時間制度を紹介し,その問題点の指摘を行っている。複雑な展開を示している労働形態を視野に収めて,今日の労働時間問題の多様なあり方を整理しているという点で評価できる好論文である。しかしながら,その問題のあり方についての把握は,搾取強化という視点を基準とするもので,総体として否定的である。労働時間制度の多様化は,確かに現在経営による合理化に利用されている傾向が強いとしても,その多様化を否定すれば足りる問題ではないだろう。浪江氏の論旨が否定的側面の指摘に終始している理由は,労働時間制度を変化させる労働者側からの要因が考察から外されていることにあり,そのため労働と生活の態様についての現代的な問題に踏み込めていない。労働時間管理の現状整理としては納得できても,『資本論』に回帰する論理だけでは,現在の管理体制を止揚する展望についての示唆に乏しいうらみがある。野村正實氏の「日本の生産システムとテイラー主義」と野原光氏の「日本の『フレキシブル』生産システムの再検討」は,企業内および企業間分業の実態から日本の労務管理の特性を分析したもので,大会の総括討論でも討論が最も集中したように,いずれも労働者の多能工化や主体性によって特徴づけられる日本の製造業の労働組織を取り上げながら,その評価についてはシャープな対立を示すという,問題の核心に迫る議論を展開している。野村氏の論点は,分析対象となったテレビ工場での生産工程が,作業によって内製・構内外注・構外外注に仕分けされ,それぞれ雇用形態や性別で区分された労働者類型に対応しており,この社会的分業と工場内分業の結び付きこそがフレキシブルな作業工程を支える条件となっていることを強調している。重層的な下請構造を含む外注依存は,作業工程の自動化の程度によって決定され,工場内分業は,正規従業員と縁辺労働力の区別に対応する男子と女子の間での明確な分業で編成されており,しばしば強調される多能工化や労働者の創意性は,技術者と一部の選抜された現場労働者の作業にとどまることが示されている。これらの分業関係は,それを利用し得る社会的条件があるか否かにしたがって成立しているのであり,その徹底した利用こそ日本の生産システムの優位を生む根拠として指摘されている。
 これに対して野原氏は,分析対象の自動車企業がめざす「自動化」と「品質は工程でつくり込む」という方針が実現される条件として,どのような労働のあり方が必要となるかを分析しながら,その実施によってフォーデイズムとは異なる労務管理が作り出されていることを実証しようとしている。サイクルタイム的に作業を進行させるために労働者の作業担当にもたらされる変化,ジャスト・イン・タイムの工程管理を実現するために部品供給業者や作業者に必要となる対応,ムダの排除のために標準作業に及ぼされる影響など,この生産システムにともなって労働者や下請企業に要請される新たな条件を考察し,フレキシブルな生産システムがどのような労働の集積として可能になるかを解明している。小集団活動もその中で重要な位置を占め,工程と職務の再設計が集団討議を通じて実現されることによって,「構想」の分野にまで現場作業者が参画するにいたることが示され,野村氏とは全く対照的な論旨が展開されている。しかし同時に,そのような生産システムを実施するために生ずる外部社会への負担の転嫁や労働負荷の増大の危険性も指摘されており,それを除去・予防するためには社会的規制や労働組合の活動など,別の因子の働きが必要であるという認識になっている。
 野村氏と野原氏の論旨の違いは,対象となった企業の労務管理の実態の違いもさることながら,野村氏が労働の実態から説き起こしているのに対して,野原氏が経営がその意図を実現する道筋を跡づけるという方法をとっていることの結果でもあろう。野原氏がその所在だけを指摘したこの生産方式の問題点は,野村氏が指摘している日本の経営をとりまく社会的条件が抱える,労働者の基本的権利と抵触する根本的な問題点と通じあっている可能性がある。この境界領域に生み出される問題にこそ,日本の労務管理の最も核心的な部分があるように思われる。この境界領域に接近する道は,野村氏の分析がやや粗い枠組みの中での直截な論旨で進められているため,さしあたって野原氏の多角的な分析の延長線上に求めるしかないが,両氏が互いにその視点を交換し,それぞれの理論を補強したとき,どのような認識がでてくるかに興味がある。
 このように,この論文集は日本の労務管理の問題点をかなり深いレベルで再構成するものとして,この時点での研究を総括する意義を充分に果たしていると評価できる。しかし,各論者が共通して紙数の不足に悩み,それぞれ概念図を描くことに終始していることは,具体的な分析の必要性が強い労務管理という分野においては,相当大きな弱点となっていることも否定できない。学会が構想の交換の場であり,業績の内容は会員が別途に知ることができるから,年報としてはこの程度の紙数で充分であるという見方もあろうが,学会での論議を広く紹介しようという意図から,年報を学会内部の文書にとどめず,市販される図書として編集・発行している現在の方式では,もう少し書き込まれた論文でないと,読者に失望あるいは誤解を与えるおそれがあるのではないかという危惧が,かつてこの方式の確立に参画したことのある筆者には湧いてくる。それはともかく,ここに示されたものは日本の労務管理の鳥瞰図であり,その細部にきしみ音を立てながら営まれている労使対抗までは看取ることができない。多くの論者がそれぞれの分野での問題の今後の展開について,公的規制や労働組合の役割の重要性を指摘していることは,労使関係の機能が不充分である日本では,労使の社会的均衡を作り出す実際の要因は労務管理の中に発見されるだろうという,この共通論題の設定時の問題提起が,報告者によってそのままプログラム作成者に突き返されたことを意味するように思われる。日本の労務管理がすでに人間存在の真髄を吸収するまでにソフィストケイトされているという通説に違和感を持つ筆者としては,この鳥瞰図から浮かび上がる日本の労務管理の構造が,何を支えとして成り立ち,その支えがどこまで深く人間社会という基盤に通じているかを,自分自身で考えて行かなければなるまいと思っているところである。




御茶の水書房,社会政策学会年報第36集,1992年6月,viii+234+55頁,定価4,326円

くりた・けん 明治大学商学部教授,法政大学大原社会問題研究所客員研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第410号(1993年1月



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