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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




徳永重良/杉本典之編
『FAからCIMへ』




評者:熊沢 誠



 現代日本の大企業において,いわゆるME革命はどのような経営管理上の要請によって進められ,どのような労使関係のなかで摩擦なく受容され,職場の労働をどのように変容させているだろうか。東北大学のスタッフを中心とする「ME研究会」の人びとは,それら現時点に枢要の問いに答えるべく,総合電機メーカー日立製作所の3職場(日立工場のタービンブレード工程,栃木工場の冷蔵庫コンプレッサー工程,東海工場のVTR工程),系列企業ソフトウェアエンジニアリング社などの調査研究に携わった。本書はおよそ3年にわたるその探求のみごとな成果である。現代日本の企業・職場レベルの労働を凝視しようと志す者にとって,これは必読文献のひとつと評価することができる。
 この書の意義はなによりもまず,大企業内部のFA化,CIM化をめぐる動態が多面的に,具体的な情報として示されていること,そして意外に大切なことには,それが公刊されていることであろう。それゆえ,ここで本書から知りうる事実を順序を追って「縮小再生産」する必要はない。また,企業経営というものに関する評者の知見も限られている。以下,書評として試みたいことはただ,数ある企業レベルの労働問題研究のなかでの本書の特徴,私にとって新たに,あるいは改めて興味ぶかかった情報,私の関心からみていま少しふれてほしかった領域などを,端的に列挙することにすぎない。
 さて,この共同研究の特徴として,一読まずつよく印象づけられることは,3職場のFA化,CIM化の経営管理的側面を扱う奇数章,労働への影響を扱う偶数章ともに,問題意識と考察対象が驚くほど統一されて,それが3工場に共通する傾向と微妙な差異を明瞭にする効果をあげていることである。編者のすぐれた組織能力や執筆者間の相互討論の積み重ねがうかがわれる。ここに「東北大シューレ」の形成とさえいってよい。
 いまひとつ。偶数章では,FA化された職場で要請される単位作業のくわしい内容と,各人がそのどこまでを,あるいはNC機,MC,ロボットなどのどれだけをカヴァーするかを指標とする従業員の技能ランクの層化が聞き取られている。現代の労働分析への,それは本書の大きな貢献であるように思われる。私たちはここに,個人の仕事範囲の弾力性,「多能工化」への「挑戦」の余地,その「挑戦」の実在を前提としたチーム単位の職務遂行といった,日本の職場の特質について,はっきりとしたイメージとしてもつことができよう。
 読者としての私がこの調査研究から新たに知りえた事実も数多い。例えば私は,奇数章の分析する日立製作所に特徴的なプロジェクト遂行上の問題点については批評能力を欠くけれども,この独占大企業が経営目標上の諸数値を与件的に(かならず達成しなければならぬものとして)設定するプロセスには興味を惹かれた。また,関連企業との取引き(7章)やソフトウエァの生産管理(9章)の内容を具体的に教えられたのも,本書によってである。
 他方,この読書によって私が改めて確認した日本的経営の諸要素も,最小限,紹介したい。例えば,随所で指摘されている,職務給原理の徹底化よりは年功プラス人事考課(それにもとづく昇格の遅速管理)を重視する賃金制度が,技術革新を容易にし労働者の「多能工化」への意欲を刺激する関係がある。それから,関心を正社員の雇用と賃金水準に限ってしまっている企業別組合が,多分に企業専制的なFA化をも確執なく受け入れてゆくプロセス。その組合の役員構成が重く職制クラスに偏り,仕事そのもののあり方に関する組合機能も不十分というほかはない状況。さらに,東海工場の事例にみるように,女性はやはり多能化やキャリア展開を期待されない階層と位置づけられていること,雇用調整に際してはしわよせはやはり「構内(パート)外注労働者」や再下請企業の従業員に課せられることなども,控えめな表現ながら見逃さず書きそえられている。
 このように内容豊富な本書にも,むろん望蜀の注文はある。第一に,ME化に伴う労働密度や労働時間の変化に対する関心が,この本ではやや稀薄である。例えば,依然として残業は多く年休の取得率は低いのでないか,多台持ちとか守備範囲の拡大とかは,印象とは逆に,熟練というものの本質である<作業条件の判断・工法の選択>を可能にするゆとりを「多能工」から奪いつつあるのではないか? そんな「偏見」の正否も知りたい。
 第二に,いっそうの「ないものねだり」ながら,調査は,職制と一般労働者の関係,「多能工」化をめぐる従業員間の競争または助け合いの関係,職場の風土になじまない異端者への処遇など,総じて職場集団の日常のありようにも及んでほしかった。それというのも,現代日本の大企業では,状況変化に対する労働者の真の適用のようすを,フォーマルな労使関係の「争点」を通して把握することには,大きな限界があるように思われるからである。
 この拙い書評の最後にあたって,本書最終章の意義ぶかい総括にふれておこう。執筆者の徳永,野村両氏はそこで,ひとつの方法論を用意して,ME化を先端とする技術革新が労働の質を低下させるか,二極分解させるか,向上させるかというグローバルな論争テーマに関して見解を述べている。
 労働の質を,1)職務レベル,2)分担レベル,3)キャリアレベルの3段階を踏んで考察する。すると確かに1)では,一方ではプログラミングや段取りという複雑な作業,他方ではワークの着脱や監視という単純な作業が析出されて,二極分解の傾向が現れるけれども,2)では,守備範囲の広い職務編成や輪番担務(ローテーション)によってこの傾向は緩和され,さらに3)にいたっては,難しさの異なる諸職務がキャリアパスでつながれて,日本の長期雇用者については二極分解が防がれる,ただし,女性と高齢者を除いては――。それが執筆者たちの判断である。
 この領域の問題については私も70年代のはじめから深い関心を寄せ,およそ次のような認識を表明してきた(拙者『労働者管理の草の根』参照)。すなわちオートメーション化はやはり多数者の労働を単純化させるけれども,日本の大企業はそれらを,短勤続の女性と,やがて上位職務に脱出してゆく男性正社員とに,いずれも経過的に担わせることによって,労働疎外問題を潜在化させてきた,というものである。
 今,徳永氏らの分析を読む。そして私は,私見ではME革命下の労働分析が不十分だったこと,80年代の日本的経営が「少数精鋭」化の必然的要請としても従業員の「多能工」化を辞さなかったことを顧みて,本書の説得性を認めるものである。とはいえ,労働の質的分布を国民経済の規模で探るならば,下方に比重をもつ二極分解は,なお崩れぬ分業の形であるかにみえる。





同文館,1990年2月,370頁,定価3,800円

くまざわ・まこと 甲南大学教授

『大原社会問題研究所雑誌』第390号(1991年5月)



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