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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版





杉本 貴代栄著

『女性化する福祉社会』





評者: 久場 嬉子




 本書は,アメリカの社会福祉をフェミニズムの視点で分析した論文を主に収録した著者の前書,『社会福祉とフェミニズム』の続編として書かれたものであり,ここでは日本の社会福祉が対象とされている。
 著者によれば,目下日本の社会福祉は大きな変化をとげつつあり,とくに80年代後半からは,「社会福祉の女性化」と名づけることのできる現象によって特徴づけられると言う。「社会福祉の女性化」とは,社会福祉の対象となる人も,社会福祉を担う人も,また担うべきだと期待されている人も,女性が大勢をしめる社会,すなわち「女性化する福祉社会」のことと規定されているが,この認識が,本書の分析を貫く基礎視点となっている。
 もっとも本書でも,専ら日本の社会福祉だけを論じるのではなく,基本的にはアメリカのそれと比較しつつ論じている。社会福祉の内容も,学問としての社会福祉から社会福祉の制度や政策,さらに実践にわたるものととらえるなど,著者の視点と関心はまことに広く,その結果,本書の取り上げている問題領域はかなり多岐にわたるものとなっている。ともあれ,中心的テ−マは,日本の社会福祉こそ,ジェンダ−・センシティブな視点からの検討が必要となっていることを明らかにすることにおかれている。近年再燃している内外の福祉国家論議をみても明らかなように,今やジェンダ−視点を欠落させては福祉国家についての有効な分析も行い得なくなっている。このようななか,ジェンダ−の視点から社会福祉総体を捉え直すという本書の基本認識のもつ意義は大きい。まず簡単に本書の内容を概観しよう。

 本書は,現在の展望,方法を探る,福祉国家を考えるという3部から構成されている。
 第1部は4章から成るが,第1章では,アメリカと比較して日本では,学問としての社会福祉も福祉労働の現場においても,より強固なセクシズムが内包されていることを示す。また社会福祉研究にジェンダ−視点を入れるということは,婦人問題という形で女性の問題を扱うことではなく,新しい分析枠組みとしてのジェンダ−の視点からの新しい社会福祉学の構築であるとして,本書の課題をまとめている。
 第2章は,近年日本の社会福祉の領域でも,国連を初めとする国際的な動きに触発されて,伝統的な家族観や女性観と結びついた従来の婦人保護とは異なった,「女性の人権」をめぐる取り組みが,セクシュアリティ,母子世帯の問題,そして介護問題として出現していることを示している。日本は今,社会福祉の拠って立つ社会的基盤の「ゆらぎ」のなかにあり,それは「女性の人権」,ひろく人権を社会福祉のなかで問うことを必要としていると説く。
 第3章,第4章では,日本の社会変動が,一つは80年代後半以降の女性雇用労働者をめぐる変化,すなわち「労働力の女性化」として,二つに高齢社会の進展を背景として起きていることを論じる。働く女性の増加は社会福祉の再検討を迫っていくが,しかしそこにみる特徴は,「男は仕事,女は家事」の性別役割分業の再編成であり,家族つまるところ女性に家庭内介護を担わせる従来の「日本型福祉社会」の継承であり,シルバ−ビジネスやボランティア活動で安価な福祉労働力として女性を位置づける「新・日本型福祉社会」の形成であったとみる(第3章)。第4章では,80年代以降のアメリカの女性学が人種問題,貧困問題とともに積極的に高齢者問題に取りくみはじめたことを紹介しつつ,高齢者問題はすぐれて女性問題であること,したがってフェミニズムが取り組むべき今日的課題となっていることを指摘する。

 第2部「方法を探る」は4つの章から構成され,各章のタイトルは,「貧困研究とジェンダ−」,「アメリカの女性世帯と“貧困の女性化”」,「フェミニスト・リサ−チの冒険」,そして「社会福祉のフェミニスト実践」となっているが,いずれもアメリカについての分析が中心となっている。もっとも第5章では,現在の日本について,アメリカで顕在化し,社会福祉改革の議論の焦点となるような「貧困の女性化」現象は顕在化していないものの,しかし女性世帯や母子世帯の貧困問題は同様に存在すること,ただこれらの問題の本質を捉えるには貧困研究がジェンダ−視点をもたねばならないことを論じている。

 「貧困の女性化」現象は,今日なおアメリカにおける最大の社会問題となっている。 第6章は,アメリカのシングルマザ−問題について,全米規模の最大の公的扶助であるAFDC(要扶養児童家族扶助)とその引き締めをはかる福祉改革論議の登場とを関わらせて論じている。「貧困の女性化」には女性に対する社会の差別構造が深く関わっており,AFDCの功罪をめぐる議論はつまるところ,男性中心家族をどう変革するかという問題と結びついていることを明らかにしている。
 第7章は,現在内外において展開しているフェミニスト・リサ−チの可能性について論じている。女性に関する統計(ジェンダ−統計)や当事者論・当事者調査論,またフェミニスト・エスノグラフィの主張についてである。ジェンダ−統計に関しては日本の現状はかなり遅れていること,一方アメリカでは着実に,フェミニスト・リサ−チがその裾野を広げていることを紹介する。
 第8章でも,日本の社会福祉がフェミニズムの影響を受けることが少ない分野であるのに対し,アメリカでは早く60年代後半から,女性ソ−シャルワ−カーと女性解放運動との連携が進んでいたこと,さらに80年代後半からはフェミニスト・ソ−シャルワ−ク理論の確立という新しい試みがみられたことを指摘している。

 第3部は福祉国家論にあてられている。第9章では,80年代から登場した福祉国家批判の潮流と,目下多くの関心を集めている福祉国家の類型論について,それぞれの論点が簡潔に論じられている。わけても注目しているのはフェミニズムによる福祉国家(批判)論であり,それによって福祉国家がジェンダ−不平等な構造を内包していることが問われたこと,またジェンダ−を考慮した指標による福祉国家の類型化の必要性や,つまるところ女性にとっての福祉国家の意義の問い直しが進んでいることを明らかにしている。
 第10章と第11章は,アメリカと日本の福祉国家について考察する。10章では,90年代アメリカにおける社会福祉改革見直しの動きを,再度AFDCとシングルマザ−問題を中心にフォロ−し,そこには家族倫理の遂行という新しいパタ−ナリズムが登場しつつあると指摘する。11章では,90年代に日本においても,「新・日本型福祉社会」が今一度の転換点を迎えつつあることを論じる。そして他ならぬこの転換が,固定的な「女性役割−家族イデオロギ−」に基礎づけられた「女性化する福祉社会」と一定の矛盾を形成し始めていること,しかし,その転換が,今後「女性化する福祉社会」を克服しえるかどうかはフェミニズムの力量に掛かっていると結論している。

 さて,以上,本書の概要をみてきた。ジェンダ−視点から社会福祉総体を捉え直すという基本認識にたって,日本のそれがアメリカとの比較のもとに,学問としての社会福祉から福祉国家論,さらに現状分析に至るまで取り上げられていた。何よりも,社会福祉をフェミニズムにより再検討する研究の必要性を明らかにしようという本書の意図は,かなり効果的に果たされている。が同時に一層検討すべき論点やまたいくつかの残された問題も明らかになっている。ここでは,評者が関心をもっている福祉国家論や介護・子育てをめぐって存在する無償労働という視角から,大きく次の3点を指摘しておきたい。
 第一に,フェミニズムからの社会福祉の再検討の必要を強調する著者は,もちろん,今までにおいても社会福祉が,女性の問題を取り上げなかったわけではないことを繰り返し指摘している。むしろ婦人福祉,婦人保護,あるいは母子福祉と,すでに社会福祉は女性と密接な関わりをもっていた。ただ,従来の取り扱い方は,女性の問題を「特定な」分野,「周辺」の研究に位置づけることになっており,そこでは決定的に,「女性問題」の視点,「ジェンダ−の視点」が欠如していたと言う。例えば,福祉労働は実態において女性労働に依存していながら,それを「女性問題」として認識されることがなかった。したがって,福祉労働をめぐるジェンダ−・バイアス(男女間の偏り)をきちんととらえようという統計さえ,全く整備されないままになっているのである。
 言うまでもなくこれらの指摘は重要であり,さらにさまざまに分析可能であろう。何よりも,福祉労働が女性労働に依存していながらインヴィジブルであることは,女性がその大半を担っている家族や地域内での人間の再生産労働が,インヴィジブルであり,無償であることと密接に結びついている。もとより本書においても,フェミニズムによる社会福祉の再検討は家族問題をキイとすべきとし,これと関連しての議論が無いわけではない。ただ,著者がときどき使用しており,かつその内的構成が今一つ不明な「構造的性差別社会」については,有償労働と無償労働との間に緊張関係をもった特定の政治的経済的レジ−ムとして押さえた上で,その構造の変容過程を,ジェンダ−視点にたちつつ,有償労働と無償労働との代替関係を問いつつ明らかにしていく必要があると思われる。著者はオ−ロフの見解として,ジェンダ−視点からの福祉国家類型化の指標として,「有償労働と無償労働との取り扱い」が挙げられていることを紹介している。しかし,単なる「取り扱い」では内容が不明確であろう。

 第二に,先にみたように著者は,70年代以降の福祉国家批判(メインストリ−ムの福祉国家批判)の論議やそこにみられる福祉国家類型論を論じ,とりわけ80年代後半から活発化したフェミニズムによる福祉国家批判に注目をしている。後者は,前者とは「内容」と「方法」を異にしているとみる。そして未だその議論が始まったばかりではあるが日本においてこそ,フェミニズムによる福祉国家論議が必要な筈だと言う。
 確かに,福祉国家の制度的構造がジェンダ−関係を基礎としていることを明らかにしたフェミニズムの福祉国家批判は,メインストリームの福祉国家論の欠点を衝くものであり,したがって現代の福祉国家論において,もはや無視できない位置を占めている。とりわけ福祉供給者としての家族やインフォ−マルな存在に注目し,福祉国家の類型を,市場と国家の関係だけではなく家族をも入れて考察するフェミニズムの福祉国家論は,目下の高齢社会の建設に,今なお女性の無償な介護労働に期待し,いわゆる「家族だのみ」を払拭しえない日本についてこそ,不可欠な議論だといえよう。

 ところで本書における日本とアメリカの福祉国家の比較は,いわばジェンダ−視点にたってのそれらの類型化を意図するものとみることができる(第10章と第11章)。そして,アメリカについては,90年代の社会福祉改革にみられるように,「依然家族による責任を重視」し,また「アメリカによる“家族観”に添わないシングルマザ−たち」を罰するパタ−ナリズムの登場を示すものと特徴づけ,一方日本についても,90年代に入って「新・日本型福祉社会」の「ゆらぎ」はみられるものの,それが今までずっと基礎としてきた「女性役割−家族イデオロギ−」を克服しうるかは,依然今後の課題となっているとみている。すなわち,本書では,「アメリカによる”家族観”」とは何か,それは日本のそれとどう異なるか,つまるところ日本とアメリカの福祉国家の制度的構造について,両者は相違するのか共通するのか,相違するとすればどこが異なるのか,これらの枢要な論点については,残念ながらあまり十分に明らかにされていない。

 家族・市場・国家の制度的な関連構造を考えると,日本においては,かたや依然として伝統的な性別役割分業を基礎とする「機能的平等」を払拭しえていない家族と,かたや強固な市場至上主義とが相互補完の関係にあり,これを国家(の諸政策)が媒介しているという構造の形成が考えられる。そしてもしそう言えるならば,それは,アメリカにおける家族・市場・国家の関連構造とは恐らくかなりの隔たりをもつものと言えよう。いずれにしても,ジェンダ−視点からする,そしてよりきめ細かな日本の福祉国家の類型化の作業は,アメリカはもとより北欧の国々との比較研究をも含め,多くが今後の作業として残されている。

 最後に,もう一つ,本書の取り上げている問題領域が多岐にわたっており,そのためであろうか,例えば「性的人権」や「社会的家父長制国家」など,その内容を正しく理解するには今少し丁寧な説明の欲しい用語や言い方がいくつかみられたことを述べておきたい。また,福祉労働における女性比率が高まる傾向について,いきおいそれを「セクシズム」と捉えるよりも,まずは福祉労働をめぐる「ジェンダ−・セグリゲ−ション」の問題とみた方がよいと思われる(13ぺ−ジ)。

 ともあれ,社会福祉総体に目配りしつつ,ジェンダ−・センシティブな視点から日本の社会福祉の再検討を試みるという本書の価値は大きい。高齢社会の到来を前に,いよいよ重要性を増しつつある日本の社会福祉研究とその実践領域に対してはもとより,広く日本のフェミニズム研究に対しても,新しい問題を投げかける意欲的な問題提起の書となっている。





杉本貴代栄著『女性化する福祉社会』勁草書房,1997年9月刊,xii+267+xxiv頁,本体3,000円+税

くば・よしこ 東京学芸大学教育学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第477号(1998年8月)



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