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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



田坂 敏雄 編著
『東南アジアの開発と労働者形成』


評者:小林 英夫



 ニーズ(NIES=Newly lndustrializing Economies)に象徴されるアジアの急速な工業化が注目されるにいたってからすでに久しい。工業化が都市を肥大化させ,農村から人口を吸引することを考えれば,都市と農村を結ぶ紐帯としての労働者問題は一層注目されてしかるべきだろう。こうしたアジアの開発に焦点をあて,そこでの労働者形成の具体的像に迫った著書がここで紹介する『東南アジアの開発と労働者形成』なのである。本書では,東南アジアの二つの国,インドネシアとタイが考察の対象となる。

 まず最初にごく簡単に本書の内容を紹介しておこう。序章(田坂敏雄執筆)は,「東南アジア研究の課題と方法」というタイトルが示すように,本書の理論的枠組みとそのなかでの本書の課題が提示される。「農民層分解と労働市場」論から導き出される課題とは,一つに近代的労働者群=「主導階層」の析出であり,二つに危機の時代の雇用不安であり,そして三つに労働力移動と「給源」問題であり,四つに農民層分解と土地なし層の析出であるとし,本書ではインドネシアとタイに焦点を絞りこの課題に接近することをうたうのである。特にここでは,「東南アジア経済の危機分析は,たんに『社会的緊張と不安定性の大きな源泉』=『都市貧困層』の分析だけに焦点を絞るような理論構成であってはならず,むしろ危機止揚の担い手=近代的労働者群の検出に重点がおかれねばならない。資本主義的生産を代表する機械制大工場に集積された近代的労働者群は,共同で労働することにより労働の分散性が否定され,労働の規則性・組織性・連続性によって陶冶され,資本と直接対決する変革主体として自己形成するからである」(2頁)という指摘は本書を貫く基本的分析視角として重視する必要があろう。
 上記の課題設定をうけて第I部現代インドネシアの「開発」と不安定就業では,西部ジャワに焦点をあてた農村の構造変化と農外労働市場が分析される。農業技術革新と農民層分解(第I章 宮本謙介執筆)は,農業技術革新が農村階層構成と農業雑業層に与えた影響を検討し,SAE(農業経済調査所)が実施した実態調査をベースに西部ジャワ4カ村の農民層分解のあり様を追跡し,つづく工業化と農民諸階層の流出(第II章 宮本謙介執筆)は,インドネシアのスハルト軍政下でおし進められる工業化を軍=官僚資本主義と把握し,労働市場の階層構成や農外流出の実態を前述したSAE調査をもとに検討し,当該地域の農村・都市間の労働力の構造に迫るのである。そして,ここでの労働力移動を「『開発』=従属的工業化の中に位置づけてみると,流出者の圧倒的多数が不安定就業を余儀なくされる今日の農村流出は,やはりその深部において工業化の進度とその内部編成,つまり都市労働力需要の構造によって規定されている」(93頁)と結論づけている。
 第II部タイ資本主義と労働者階級は,第I部で展開された「農村分析は禁欲され,もっぱら首都圏における工業集積の構造と労働者形成(第III章),首都圏労働市場の構造(第IV章),80年代の債務危機下の雇用不安(第V章)が対象とされている」(12〜13頁)。
 工業化と労働者形成(第III章 田坂敏雄執筆)は,タイの工業構成,その部門別・業種別構成と不均等発展,バンコク首都圏への工業集積の姿を追い,それにともなう労働者形成の特徴を就業構成,首都圏への労働力移動の側面から分析し,さらに首都圏に絞って「労働者階級の中核を構成する近代的労働者群=『主導階層』」(143頁)の検出を試みる。ここで著者がいう「主導階層」とは,いうまでもなく「都市の大工場労働者のことを指している」(同上)。そして,この分析の結果,「タイにおける資本主義的発展は,たとえそれが従属的発展コースであったにせよ,その対極に『資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される」近代的労働力群を創出し,さらにテクノクラートやビューロクラート,ホワイト・カラー層などの新中間層をも成長させ,労働者階級の内部構成を『高度化』して新しい変革の主体的条件を形成する」(158頁)と結論づける。本書の白眉をなす一章といえよう。
 首都圏労働市場の構造──自動車産業の事例分析をつうじて──(第IV章 田坂敏雄執筆)は,バンコク郊外の工業団地に位置する自動車組立メーカーと鋳造部品メーカーをとりあげ,そこでの「熟練」の階層性と企業内昇進システムの特質を検討しつつ労働需要の質的特質を解明し,さらにそれを「給源」サイドから迫りながら「企業は,チーフ・クラスの,将来のキー・パースンたるべき人材は首都圏から調達しながら,ラインを担当する半熟練労働力については,大企業になればなるほど,また80年代以降にますます広域的な範囲から調達するようになってきている」(196頁)と述べている。
 債務危機と雇用不安の増大(第V章 田坂敏雄執筆)は,1980年代のタイの「債務経済」化,つまりは金融的従属の深化を指摘し,その結果生まれた対外債務の累積の原因として,貿易赤字の巨額化,直接投資と蓄積源泉の国外流出,従属的工業化と開発資金の海外依存をあげ,さらにはこれが財政収支の赤字を構造化させたことを指摘する。こうした債務危機の進行と「緊縮経済」体制が労働者の失業と不安定就業の増加を生むことは必然で,最底辺のスラム住民の貧困化が深まってきている実情を分析している。

 本書の特徴を一言でいえば,「地域研究者の立場から,変革主体形成の検出を軸に『危機』論への接近を企図したもの」(268頁)といえようか。その意味では,大変スケールの大きな見通しを込めた力作だといえよう。それも単なる「理論的枠組み」の提示だけでなく「熱帯の陽射のなかを泥と汗にまみれて這いずり回」った成果をふまえてのそれであるだけに読者に強く迫る内容をふんだんにもっている。評者も現在マレーシア,フィリピン等を対象に輸出加工区の日系企業の実態分析をおこなっているが,労働者状態の分析において実に学ぶところが多かった。その意味で今後東南アジアの労働者形成を研究する者は,本書を検討することなくして研究を進めることはできないのではないか,と思う。
 ただ,強いて問題を出すとすれば,東南アジアにおいて「工場労働者を労働者階級の中核とみ」(159頁)でよいか否かであろう。しかし,この点で筆者達は,単に工場労働者だけでなく,テクノクラート,,ビューロクラート,ホワイト・カラー層を含めた「中核」を考えているように思う。その意味では,工場労働者とこうしたテクノクラートなどの「新中間層」がどのような関連をもつか,こそが今後残された課題のように思う。



勁草書房,1989年3月,3,500円

こばやし・ひでお 駒沢大学教授

『大原社会問題研究所雑誌』第375号(1990年2月)



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