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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




嶺 学 著
『労働の人間化を求めて』



評者:菊野 一雄



(一)

 「労働の人間化」(QWL : Quality of Working Life)は,マクロ的には「労働の細分化」と「機械化」を旨とする「工業化」の過程の中で失われた「労働の意味と全体像」を「労働生活」 (Working Life)の場で如何にして取り戻すかという意図のもとに,1970年代以降,主として先進工業国において顕在化した運動である。著者の嶺学氏は,早くからこの「労働の人間化」運動に注目されておられたが,1983年には,国際機関(OECD,EC,ILO,等),欧州先進諸国,日本,等における「労働の人間化」に関して膨大な資料を駆使されながら,『労働の人間化と労使関係』(日本労働協会)を世に問われた。
 しかし,「労働の人間化」を具体的に何に求めるかは,時代により,国によって異なり得る。我が国において,1970年代の「労働の人間化に関する主な関心事」は,オートメーション下の単調労働,装置産業における「自分が作ったものが見えない=生産の喜び喪失」,日本的経営参加,等であった。 1980年代,わけても80年代後半に至ると,労働者の「人間尊重」,労働生活の「ゆとり」等の問題がクローズ・アップされてきている。

(二)

 今般の嶺氏の著書『労働の人間化を求めて』においては,こうした新しい時代の変容過程を踏まえながら,前著(1983年)ではごく僅かしか触れていなかった「我が国の労働の人間化の現状と将来」の問題に真正面から取り組まれている。
 各章のタイトルと主な内容は以下の通りである。
 第一章,課題と背景(労働の人間化をどうとらえるか,問題の背景,労働の人間化に関連する動き)。
 第二章,自己実現的管理とその問題点(人間尊重の概念,CDP,職能資格制度と人事考課,自己実現的管理と労働組合の対応)。
 第三章,電機労連の労働の人間化関連政策。
 第四章,全逓の労働の人間化政策とその背景。
 第五章,大企業における配置と仕事の配分の柔軟性(製紙,電力,製鉄,機器)
 第六章,結び。
 本稿では紙面の都合もあり,個々の章に関する詳細な紹介や検討は割愛する。以下,重要と思われる点のみの紹介に留めると共に,本書が持つ時代的な意味と位置を評者なりに明らかにしてみたい。

(三)

 嶺氏は「まえがき」と第一章において,「労働の人間化とは,個々の労働者が,その必要・欲求を職場において,特に仕事に関して直接実現できるようにすることである」と定義されたうえで,「労働の人間化問題を“帰納的”に究明する」と明言されている。ついで,1960年代以降の欧米において生産・発展してきた「労働の人間化の試み」と「日本が労働の人間化を必要とする背景」等について触れられた後,企業,労働組合,公的政策,等々における「労働の人間化に関連する動き」を概観されている。
 第二章においては,「企業が人間尊重の理念により,従業員の自己実現を目指す管理」について検討を加えているが,中でもとりわけ印象深いのは次のような含蓄に富んだ指摘である。
「日本の企業はしばしば,人間尊重などの理念を掲げて従業員の参加的管理を行ってきた。(中略)著者は目標管理やCDPが,本来の趣旨からすれば,労働の人間化の手段たり得ると考えるが,これらの制度を日本へ適用する場合,制度内容に関わり,あるいは,経営組織の実態に関しても困難があるし,また,特に,経営目的に制約され,従業員の自己実現という表向きの目標を達成しているとはいえそうにないことが多い。最近では,能力主義的職能制度を軸とする人事トータル・システムの導入も盛んであるが,これも人間尊重の政策であると,当事者は説明する。しかし,ここでも事情は同じである。企業の施策であれば,その目的からして,このような偏りは避けられないとみるべきであろう。さしあたり,労働組合がこの偏りを是正できるかもしれない。」(69〜70頁)多少引用が長くなったが,以上の点は「我が国における労働の人間化のキーポイント」であり,傾聴すべき論旨である。(但し,「労働組合がこの偏りを是正できるかもしれない」という部分については疑問が残る。)以上の点について,より具体的には嶺氏は次のように指摘されている。「我が国のQCサークル活動は労働者の必要・欲求それ自体として尊重されているとはいえず,目標管理も経営効率が優越し従業員にノルマを押しつける運用になったり,賃金管理の一環で業種評価の一過程にとどめられる傾向がある。また,CDPも現実には,明確なCDPシステムではなく,CDP的な配慮(従業員の必要・期待等の実現が第二次的なものにすぎない)にとどまらざるを得ない傾向にある。」
 誠に正鵠を得た指摘である。
 第三章と四章においては,「労働組合の労働の人間化政策」を検討している。嶺氏の主要な関心は,「企業が,仕事における従業員の必要・欲求の実現(労働の人間化の核心)に十分応えられなかったが,労働組合がこれを是正できるかどうか」という点にあり,具体的な事例(電機労連と全逓)に基づき検討を加えている。しかし,現実には以下のような二つの疑問があり,「是正」はスムーズに行かないと述べられている。すなわち,第一の疑問は,「労働の人間化が個人の必要・欲求の実現であるため,労働組合の伝統的立場である個人間の競争制限,集団の団結の維持,共通の利益の確保と異なる面がある」という点である。第二の疑問は,「労働の人間化が労働組合の官僚制と矛盾する(主要な交渉の行われるレベルに権限が集中するため,職場の末端における個人の必要・欲求の実現が希薄となる)」という点である。
 第五章では,企業における労働の人間化施策に関して,欧米と日本の相違点を指摘された後,我が国の4つの大企業のケースを分析されている。
 最後の第六章(結び)では,上述の諸点を要約した後,我が国における労働の人間化に関する労使の課題として,以下の2点を指摘されている。
 第一に,労働の人間化の核心を,個人の仕事における必要・欲求の実現におくこと。
 第二に,職場集団が個人の必要・欲求の実現に積極的役割を果たすことを期待すること。
 嶺氏は,最後に次のようにも言われる。「現実には,労使双方の施策が噛み合っていないとはいえ,労使には各々関心があるといえる。(中略)社会には今日,労働の非人間化の極みとして過労死の増大さえみられる。仕事のあり方は社会的にも重要である。(中略)労使関係を政府を含み三者間の関係と見なすとき,労働の人間化の実現には,政府の果たすべき役割が大きい。労働の人間化の実現にはこれらを可能とするような制度上の枠組みや,公的な情報,教育活動も必要であろう。」(202〜3頁)誠に格調高い「結び」の言葉である。

(四)

 さて,嶺氏は第一章の冒頭において次のような根本問題を指摘されていた。「労働の人間化をどうとらえるか,その概念,課題に取り組む理論的・実際的方法は多様である。多様な考え方の紹介は他に譲ることとして(注−菊野に譲るという意味−),著者は,労働の人間化として一般に受け入れられ,積み重ねられてきた具体的な試み,運動,公的施策などから帰納的に把握することが望ましいと考える。独自の概念を展開してみても,現実離れしていては意味がないからである。」(1頁)ここで,嶺氏は評者(菊野)の研究に対し「独自の概念を展開してみても,現実離れしていては意味がない」と批判されている。しかし,評者(菊野)の見るところ,「現実離れ」しているのはむしろ筆者(嶺氏)自身である。嶺氏は「労働の人間化を帰納的に分析する」と繰り返し述べていながら,現実に生起している「労働の非人間的状況」ないし「労働における疎外」の内包と外延,及びその発生の究極的背景,等の究明は脆弱である。あるいは,嶺氏自ら第一章の冒頭で 「労働の人間化から浮かぶイメージは非人間的な労働の廃止,労働における疎外の解決,働きがい,人間らしい生活のできる仕事のあり方ではなかろうか」と述べられながらも,外国人,パート,派遣等の非正規従業員の非人間的状況や,障害者,高齢者の非人間的状況については何も述べられていない。本来,帰納分析は「現実の非人間的状況をどう人間化するか」にある。しかし,自ら「現実を帰納的に把握した」と称される嶺氏が,実はこの点については何も語っておらず,まさに,嶺氏自身が「現実離れ」されているのである。
 さらに言えば,今田高俊氏が『自己組織性』(創文社,1986年,17頁)の中でいみじくも述べているように,現実の社会現象は「帰納」のみから解明し得ない。「帰納」(物証)の他に,「解釈」(動機の解明)と「演繹」(アリバイの推定)が必須である。「帰納」に固執される嶺氏は,この点においても自ら「現実離れ」されているといって過言ではない。

(五)

 以上において,誠に僭越な疑問点を書いたが,この点は評者の望蜀の念を独白したにすぎず,本書の価値は何ら損われるものではない。また,誌面の都合で総括的な論評が中心となり,各論の論評は充分果たし得なかったが,嶺氏の本領は各論にある。そこでは,大企業の正規従業員に的を絞られた鳥瞰図であるとはいえ,数々の実態が鋭く浮彫りにされている。これらは,学界のみならず,広く実業界や官界において,あるいは国際的なレベルにおいても高い評価を受ける貴重な研究といえよう。





法政大学出版局,1991年5月,12+204+6頁,定価2,266円

きくの・かずお 立教大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第400/401号(1992年3/4月)



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