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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




戸塚秀夫・徳永重良編著
『現代日本の労働問題――新しいパラダイムを求めて




評者:菊池 光造




 まず本書の構成を見ておこう。
序 章 目的と方法(戸塚秀夫・徳永重良)
第1章 日本の生産主義と労働者(野村正実)
第2章 民間大企業の労働問題(上井喜彦)
第3章 公企業の労使関係(田端博邦)
第4章 中小企業の労働者(中村真人)
第5章 女性労働者(柴山恵美子)
第6章 外国人労働者問題(小川浩一)
第7章 日本型福祉国家(大沢真理)<

 編者たちは,序章末尾で「本書は,もともと現代日本の労働問題についての概説書を意図して編まれたものである」と書いている。しかしその序章「目的と方法」は,日本労働問題研究のあゆみと編者達の研究方法の自己点検におよぶ広がりと深さをもつものである。本書の編著者,戸塚秀夫・徳永重良の両氏は,かつて共同で『現代労働問題』(有斐閣,1977年)を編んだ。旧著は「現代」を「国家独占資本主義」の時代としてとらえ,この時代の労働問題の特質を,発達した主要資本主義諸国の労使関係の歴史的動態を跡づけつつ明らかにするものであり,それら各国での労使関係と国家の対応の中で労使関係をめぐる法制的枠組みと実態的な制度・慣行面の展開をトレースしたものであった。
 新著は,「新しいパラダイムを求めて」という副題にも表されているように,旧著刊行以来十数年の世界資本主義および日本資本主義の展開をつぶさにみてきた編者たちが,自らの方法的視座にも反省を加えつつ,改めて現時点での日本労働問題の諸相を新たな視点から検討しようとするものである。では編者たちの方法的反省点はどのようなものだろうか。
 旧著では,資本の運動の中に包摂される賃労働者が必然的に持つ欲求・不満が資本の運動に対して根本的に対立する契機をなしている点を「労働問題の一般的法則性」として設定し,それが現実の歴史過程でいかなる形態で具体的に現れるかを「歴史的発現形態」の問題として分析してゆくものであった。編者たちは,この方法の基本的妥当性を主張しつつも,「歴史的発現形態」をとらえるための分析用具が「はなはだ抽象的であり不十分であった」と反省している。では,何が必要なのか,大きく分けて三つの点を挙げている。第1に,70年代から80年代にかけての国際的な研究動向を意識しつつ労働問題の発現の仕方を規定する「経営戦略」の重要性に注目する姿勢を強調している。第2は技術についてであり,旧著を公刊した時期にすでに進行していたME型技術の急速な普及を視野にいれていなかった点を「私たちの認識の立ちおくれ」として率直に反省を表明し,「新技術のもつ技術的ポテンシャリティ」やそれを利用する場合の「社会的選択の幅」などを意識して,「生産技術体系のあり方」を重視する構えを示す。他方で第3に,賃労働の存在形態をとらえる視点についても,旧著の抽象性を反省し,1)雇用形態の多様化やホワイトカラー増大などをも視野にいれた「就業構造・労働市場構造」の分析,2)女性労働をめぐる問題の重視,3)労働者組織の諸類型とそれを貫くリーダーシップの諸類型の分析,4)資本と労働力の国際移動や日本企業の海外直接投資・多国籍企業化などをも視野にいれる「労働問題の国際的連関」の重視,これらの諸要因を「現代日本の労働問題」分析の方法的視点として強調するのである。この序章は,編者たちの研究のあゆみに関する誠実な自己点検であるとともに,現代日本労働問題の理解への道しるべとして,また専門的研究者にとっても研究史の整理として,学ぶべき多くの示唆を含んでいるといえよう。先に掲げた本書の章別構成も,こうした方法意識に導かれているのである。


 さて,順序は逆になるが,ここではまず後半の諸章についてふれておこう。第5章,第6章は,編者たちが序章で強く意識していたホットな現代的問題を扱っている。女性労働者と外国人労働者に一章ずつを割り当てたこと自体が,本書の大きな特徴であったといえる。
 第5章についていえば,21世紀に向けての日本の選択が,すでに1980年代初頭以来国際法理のうちに明示されているように,「性別役割分業」から「家族的責任の両性平等参画」と「女性の労働権確保」の方向をめざすべきであることは柴山氏のいうとおりであり,まったく異論がない。またこの方向性を推し進めるためには,クォータ・システムや同一価値労働同一報酬原則を積極的に採用すべきことにも賛成である。しかし氏が整理する女子労働の事実関係をどのように評価するかをめぐって,もう少しキメの細かい分析を望みたいと思う点がないわけではない。たとえば,女子雇用者中の短時間雇用者比率が上昇したことを「女子労働の不安定化を深めた」と言い切るのはやや単純にすぎないだろうか。むろん評者は女性が好んでパート労働を選好しているのだというような無思慮な現状肯定論にくみするものではない。いいたいのは,柴山氏自身が分析する「雇用・人事管理上の差別構造」および「家族生活の実態」をふまえて,女性たちのリアルな選択が短時間労働を増加させているという一面もあり,こうした点を,より立ち入って分析してほしかったということである。女性の労働権が保障されればすべての女性がフルタイム労働を望み,それが「女子労働の安定化」した姿だというのであれば,それはいささか独自の規範で現実の多様さを割り切りすぎるように思われる。とはいえ,女子労働をめぐっては,今後とも当分の間は男女差別告発型の(それもとりわけこの章のように女性の研究者の手になる)分析こそが迫力をもち,社会的にも必要であり続けるだろうというのが評者の感想であった。
 こうした点は第7章についてもいえる。この章は日本型福祉の現状と動向を「企業中心社会」と「男性本位社会」との二重のくびきを背負ったものとして分析する。ある意味では戦後一貫して「家族だのみ」の上に構成されてきた日本の社会保障・福祉のシステムが,今また女性の役割をカナメとする「あるはずの家族」=「性別役割分担家族」の強化と正当化の上に再編されようとしている姿をえぐる大沢氏の視点は,時として男性研究者が見過ごしてしまいがちな家族像・家族政策の問題点を鋭く突いているといえよう。
 外国人労働者をあつかう第6章は,この問題について,人種差別の排除,人権保障というきわめて規範的意識の強い視点からの検討である。「外国人労働者を将来帰国する一時的な出稼ぎ労働者としてのみ受け入れようとすることは誤りである。外国人労働者を,多民族共生社会の一翼を担う隣人として,長期的な社会的・文化的な影響を視野にいれた計画的な移民として受け入れることが求められている」という小川氏の結論には,評者も基本的に異論がない。ただ評者は正式な「移民」が実現しにくい今,過渡的・現実的な方策として,現行の政府制度の抜本的修正を主張しつつ,2国間政府協定による研修・就労システムを積極的に考える立場にある。小川氏が,改正入国管理法の「不法就労者」という用語法を批判して「資格外就労者」というカテゴリーのもとで外国人労働の実態と問題点を指摘するスタンスにも共感できる。しかし,この章で日本における外国人労働者問題をめぐる経済メカニズムの分析が適切になされているとは思えない。詳論する余裕はないが,国際的労働力移動にふれた部分もいささか単純であり,なによりも日本経済の現状について「労働力不足は構造的な労働力不足である」「日本の産業が(単純)技能労働者を必要とし,彼ら(外国人労働者)が日本の産業を底辺で支える必要不可欠な労働者となっている」「日本経済も欧米と同様,外国人労働者の受け入れが不可避な局面に入った」という認識に,評者はただちには賛成できない。おそらくこうした表現は,この章の原稿が書かれた時期(おそらくバブルの余熱の中)によると思われるが,理論的なレベルでいえば,小川氏も指摘する「低賃金」「3K労働」の担い手しとしての外国人労働者増大は,決して単純な必然論などではなく,まさに本書序章が提示する方法に即して日本企業の資本蓄積のあり方,日本企業の経営戦略・選択の結果もたらされたものとして分析されるべきであり,大量の中・高年国内労働者の失業と並存していることを知っておくべきだといえよう。

 さて,残された紙数の範囲で本書前半の諸章について若干の点にふれておこう。第1章は 1)戦後日本経済の急成長を支えてきた経済的・社会的条件は何か,2)対外的関係の中で日本経済の何が国際的に問われているのか,この2点の検討を課題として現代日本の労働問題のマクロ的背景を分析する。その際この章の表題にも示されるように「生産主義」をキー・ワードにして日本の特徴を把握し,「日本は……工業生産に向けて経済構造・社会構造,イデオロギー動員を徹底的に組織化してきた。〈モノづくり〉に徹底してきた日本は生産主義とよばれるにふさわしいものであった」と総括する。しかし,評者にとっては,この場合日本がなぜ生産主義になったのかという点が必ずしも説得的に説明されているとは思えなかった。見いだされるのは,労働イデオロギーを論じた項で「戦後改革」を前提として「懸命な労働―企業成長―日本の発展―個人生活の改善」という論理が説得力をもち「国民的コンセンサス」にまで高められた,という指摘である。だが評者に言わせれば,生産主義の定義は,イデオロギーのレベルだけではなく,それが国民的コンセンサスといわれるまでに定着する客観的事情をも説明する必要があるのではなかろうか。その点では,むしろ戸塚・徳永両氏の旧著から資本主義の発展段階概念を継承し,これと世界資本主義論の視点を結合して,後発資本主義国としての日本の置かれた客観的位置にふれておく必要があったのではなかろうか。日本は明治の工業化以来,国際経済の連関のなかで「モノづくりと輸出」に集中せざるを得ない位置に置かれていたのではなかったろうか。
 第2章は「日本的経営」への国際的関心の高まりを整理した上で,1章が示した生産主義の直接的にない手であり,経済成長のエンジンをなしてきた民間大企業の労働問題をあつかう。内容的には,日本的経営・日本的労使関係の諸側面についてバランスのとれた整理がなされているが,結論部分をめぐってひとつ気になったことがある。上井氏は,「トヨタ生産方式」をモデルとする「フレキシブルな生産・労働のシステム」や「労働者の自発性を調達」する能力・人事管理方式を分析した上で,結論部分で「近年の動向は,従来のトヨタ生産方式の単なる修正ではなく,転換と理解すべきであろう」という。しかし,氏の示す「福岡,北海道,宮城に新工場を分散させる計画」や「直接部門に重点をおいた生産関連部門の3部門制の一本化」をもって,トヨタ生産方式そのものの「転換」とまで評価することには,評者としては疑問を持たざるを得ない。
 第4章は国際的な第三世界論の中で開発されてきた「中心と周辺」という構造概念を日本の国内分析に類推適用して,中小企業の労働者を「企業社会の周辺部」として分析する。こうした中小企業労働問題分析は,第1章および第2章を補完する性格のものであり,階層的生産構造のもとでの「支配従属と自立性」の度合いによって中小企業の類型化を試みる点は興味深い。中小企業労働の具体相を描く部分では電気機械部品の製造子会社を素材にして,中村氏がこれまでに実施してきた調査研究の成果を盛り込んでいる。ただ,かなりのヴォリュームを予想させる数本のモノグラフを限られた紙数で要約しているので,せっかくのリアリティーが少し希薄になってしまったことが惜しまれる。
 また,地方生産子会社での労使関係を総括する視点としては,「ライン労働を農村女性が経験することによってつくりだされる近代的権利意識が果たす役割は軽視すべきでない」「フォード・システムのもとで組織的に訓練された女性労働者は,現地管理者の前近代的発想に市民社会的権利の要求を対置していく」といった文章を,いささか図式的にすぎると感じるのは評者だけであろうか。
 なお,この短文では「公企業の労使関係」をあつかった第3章についてふれることができなかったが,こうした分野の分析も含めて,本書はあらためてわれわれに「現代日本の労働問題」の全体像について考える機会を与えてくれるといえよう。付言すれば,各章の末尾に付された参考文献リストも有意義である。





ミネルヴァ書房,1993年12月,14+264頁,定価3,200円

きくち・こうぞう 京都大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第430号(1994年9月)



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