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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



山田 徹 著
『東ドイツ・体制崩壊の政治過程』



評者:木戸 衛一




 「ドイツ統一」からまもなく5年が経過しようとしている。周知のとおり,この「統一」の実態は,西ドイツ(ドイツ連邦共和国)による東ドイツ(ドイツ民主共和国)の吸収合併であった。かつて「東欧の優等生」と呼ばれたはずの東ドイツが,なぜ,かくもあっけなく消滅するに至ったのか? 本書はおびただしい数の文献・資料を渉猟し,この問題を解明しようと試みた意欲作である。
 著者・山田徹氏は,これまでドイツの労働者運動史・社会民主党史・共産党史の研究に携わってきた政治学者である。 1981〜82年に当時西ドイツのマンハイム大学に留学し,受け入れ教官となったエーリヒ・マティアスの主要論文を安世舟氏と共訳している(『なぜヒトラーを阻止できなかったか』岩波書店,1984年)。従って,著者は,特に東独ウォッチャーというわけではないし,ご本人の弁では,東ドイツでの滞在経験も,ごく限られたものであるそうだ。
 しかし,評者は,その事実をもって,東ドイツを語る「資格」を云々しようというのではない。むしろ,この国との直接的な関わりが,ザハリッヒな議論の妨げとなることすら見受けられる。というのも,現在ドイツでは,東独史研究をめぐり,およそ不毛と思われる意見対立があるのである。まず,一方に,東ドイツの歴史家は,社会主義統一党(SED)の独裁体制に加担したのだから,今後一切東独史を執筆してはならないと断罪する陣営が存在する。それは,西独の反共歴史家と,見事なまでの「変身」を遂げた東独出身の歴史家から成り,概して全体主義理論に立脚する彼らの東独像は,党の暴力的抑圧が社会の隅々まで貫徹したという,果てしなく陰惨なものである。他方,そのような把握は一面的で,旧東独市民の生活感情や価値意識にそぐわないとして,実際に東ドイツで生活した人間しか,本物の東独史は描けないとする旧東独の歴史家がいる。「統一」後の新連邦州で,少なからぬ歴史学者が行政的に失職を余儀なくされている現実が,そうした反発に拍車をかけていることは言うまでもない。このような事態を目のあたりにすると,評者には,今日のドイツの複雑な学問状況から一歩距離を置いた外国人研究者の方が,むしろ冷静で客観的な東独論を展開するのに有利かもしれないとすら思われるのである。
 さて,本書『東ドイツ・体制崩壊の政治過程』の構成は,以下のとおりである。
 序章 前史−ホーネッカー体制の前期まで
第T部 構造
 第1章 党と国家の機構
 第2章 経済の構造と計画経済
 第3章 政治文化
第U部 展開―体制危機ヘ
 第4章 外交
 第5章 経済
 第6章 内政
 第7章 教会と反対派
第V部 崩壊
 第8章 1989年―「尖鋭な危機」の局面ヘ
 第9章 SED統治体制の崩壊
 第10章 モドロウ政権と円卓会議
 第11章 世論と政党
 第12章 3月選挙
 一見して明らかなとおり,本書は,東ドイツの政治のみならず,経済・社会の諸問題も取り上げている。著者は,必ずしも学際的研究を志向しているわけではないが,狭隘なディシプリンに閉じこもることなく,東独崩壊の全体像に迫ろうとする姿勢は高く評価されるべきであろう。
 第T部では,東ドイツの体制が「ポスト全体主義下の協議的権威主義体制」と規定されたうえで,党・国家機構の指導層の老齢化と兼職傾向,計画経済体制の腐食,青年層における体制イデオロギーの受容拒否と「私化」の進行が論じられる。著者は,東ドイツの短い歴史を捉える際,「世代」の問題を重視する。「政治的な経験の一つのサイクルを終えた『親』の世代は,この国の基本的な価値観を『子』の世代に伝えることができなかった」(「はじめに」@頁)という本書の基本命題は,東ドイツの統治機構を解説する第1章で早くも実証的に展開される。つまり,SED中央委員会委員・政治局員や人民議会議員の構成分析を通じて,「統治エリートの循環の停滞性」(24頁),すなわち「社会主義的価値観の世代間の伝達が指導者の間でも十分には行なわれていなかった」(37頁)ことが如実に示される。体制の外見的安定性は,支配層におけるジェロントクラシー(老人支配)の進行と同義だったのである。
 志操堅固なはずの統治エリートにしてこの状態であったから,一般国民においては,公式の社会主義的信条体系が,日常的な意識にまでは定着しなかった(第3章)。各種の意識調査は,「社会主義的人格」の形成を目的とした東ドイツの政治・イデオロギー教育が,「多くの青年に対し公式の信条体系に即した『政治的社会化』を施すことができなかった」(102頁)ことを物語っている。それどころか,公式・非公式の文化の「二重構造」が存在する社会では,成長期に「信条にかかわる一種のニヒリズム」(109頁)すら植え付けられた。公的な場と私的な場,外向きの世界と内向きの世界を棲み分けるいわゆる「壁がん社会」において,パターナリスティックな「温情」は,市民の「幼児化現象」とともに,「権力に対する『依存』と『甘え』の意識と,そして恒久的な不満とが共存する意識構造」を生み出したのである(112〜113頁)。第T部の小括では,東独「壁がん社会」を把握するうえで,公式の社会の組織原則の枠外にありながら,自身のパラダイムを発展させえない社会としての「第二社会」論の有効性が指摘されている。
 第U部では,「権力喪失」から体制崩壊に至る期間の瞬時性と,権力側の対抗の微弱さを特徴とする1989〜90年の東独崩壊に至る危機の進行が,多角的に検討される。まず,外交については,東西冷戦の落し子である東ドイツの存立を,対ソ連・対西独という二つの対外関係が規定した点が確認される。そのうえで,70年代には,国際的な地位の向上と西ドイツを含む諸外国との交流拡大に伴って,「遮断化」の政策が推進されたこと,80年代前半には,二つの体制の「共通の安全保障」論が台頭し,より自立的な「平和外交」が推進され,ヨーロッパの「ミニ・デタント」に東ドイツが貢献したことが論じられる。 1987年9月のホーネッカー西独訪問で頂点に達した感のある東ドイツの威信は,しかし,ソ連の改革路線に「自閉」の姿勢を取ることで,失墜の一途をたどる(第4章)。
 経済に関しては,第2章で,東独計画経済の構造とその非効率性が概観されたのを経て,第5章では,経済の行き詰まりの諸相,具体的には貿易赤字,エネルギーの供給困難と浪費,生産部門での不活発な投資,財政赤字,公害などが論じられている。
 内政をめぐる第6章では,まず,ホーネッカーSED書記長・東ドイツ国家評議会議長ヘの権力集中と,「体制と指導者の精神自体がもつ『矮小性』」(195頁)の問題が取り上げられる。体制崩壊後の証言を基に作成された図表「主要な指導者の相互関係」(198頁)は,東独指導者間の複雑な人間関係を手際よく整理している。他方,一般のSED党員の間では,体制ヘの危機感が一部で募ったものの,「党規律と集団原則に対する党員の側の帰依」や「功利的な理由」(209頁)から,明瞭な党内改革派は形成されなかった。その間,国民,特に青年の間では,体制に対する信頼感が急速に損なわれていった。人々の不満は,環境の悪化,消費財の不足,旅行の制限,言論の自由の欠如に向けられていた。体制末期の東ドイツで危機意識を抱いたのは,ごく一部のトップ・エリートと広範な青年層で,党員や成人市民は閉塞感を深めつつも曖昧な態度を保持していた。
 第7章では,「社会主義のなかの教会」の立場を取る東ドイツの福音主義教会が,反対派の行動を庇護したと同時に制約したという両者の微妙な関係が指摘されたのち,国家保安省(シュタージ)による監視・妨害活動が,教会・反対派それぞれの内部に深く食い込んでいた実態が述べられる。著者は,既に第1章の補論として,SEDの支配の道具としてのシュタージの機構や活動内容を概観している。シュタージに関する議論は,しばしば針小棒大になりがちである。しかし,著者は,東ドイツの変革そのものがシュタージの演出だったという一種のシュタージ全能論に対しては,冷静に距離を置いている。なお,第U部の小括では,ガ−らの「相対的価値剥奪」論を援用しながら,東ドイツにおける改革への期待の高揚から幻滅への落差の大きさが図示されている。
 第V部は,劇的な事態の展開が,力のこもった筆致で叙述されている。まず導入として,ドーゼの「潜在的な危機」・「明白な危機」・「強められた明白な危機」という政治システムの危機進行の段階論が紹介され,東ドイツで,自由化と民主化が,市民の街頭行動を通じて「ただちにいわばデ・ファクトに達成」(261頁)されたこと,体制側・反体制側双方のエリートの脆弱さが,「ただちに権力空間での真空の状態をもたらし」(262頁)たこと,「壁がん社会」に秘められていた東独市民のエネルギーが,西ドイツからの強力な経済的誘因を得て爆発したことなど,旧体制崩壊の「瞬時性」と「平和性」の特徴が大まかに呈示される。
 以下の各章は,おおむね時系列的に構成されている。すなわち,第8章では,東ドイツで「潜在的な危機」が「尖鋭な危機」へ移行する1989年5〜9月の状況,第9章では,ホーネッカー失脚から,「ベルリンの壁」開放を経て,ブロック政党の自立化と大衆団体の消滅でSED支配が終焉する12月初頭までの事態,さらに第10章では,11月13日に首班指名された改革派モドロウ政権の活動,12月7日に発足した円卓会議との関係,シュタージ解体問題を契機に1990年2月5日に「国民責任政府」が成立する推移が叙述される。
 第11章では,一転して,1989年秋から翌年3月初旬までの東ドイツ世論の追跡を通じて,その世代的・階層的な「二層の構造」(363頁)が確認されたうえで,3月18日の人民議会選挙に臨む諸政党への選好度が分析される。そして,最終章では,同選挙の投票分析が行なわれ,その「争点選挙」(381頁)としての性格,地域別・階層別の投票分布が指摘される。この人民議会選挙をもって叙述が終了するのは,「革命で生まれた国内の諸要因のダイナミズムが作動しえたのがこの時期まで」(「はじめに」B頁)だったと著者が考えるからである。この判断は,評者にも妥当と思われる。
 以上の雑駁な紹介から推測されるように,本書は,国家崩壊に至る東ドイツの道程を多面的に追究した労作である。その実証的追跡の前後には,各種の政治学理論が駆使されている。もっとも,各理論の相互関係や理論と実証の関連の接合は,必ずしも明快でないように思われる。あるいはまた,経済・教会など個別問題の専門家であれば,当該章について一家言呈したくなる部分もあるやもしれない。
 しかし,評者としては,「統一」後洪水のように氾濫する東独関係の評論・証言・専門書の数々にたじろぐことなく,それらを渉猟して,東独崩壊のメカニズムとダイナミズムを総体として捉えようとする著者の意欲的な姿勢に敬意を表したい。著者自身も告白しているが,新しい情報を横目で睨みながらの執筆作業は,さぞ困難であったに違いない。とりわけシュタージ絡みの問題は,マスコミのセンセーショナリズムもあって,冷静な事実の把握でさえ容易でないが,著者自身の筆致はおおむね抑制的と言えよう。
 著者にとって,東独崩壊を考えるうえでのキー・ワードは「世代」である。先に引用した本書の基本命題に,評者も基本的に賛成する。評者は,1985〜86年にライプツィヒに研究滞在した経験をもつが,その頃既に東ドイツでもスキンヘッズなどの現象が確認されており,この国の国是の「反ファシズム」の内実に疑問を抱いたものである。そこで,ないものねだりになってしまうが,東ドイツにおける世代の問題が結果的に「ドイツ統一」をもたらした関係上,68年世代など,西ドイツでの同種の問題が東ドイツにどう投影したのかが解明されたなら,さらに立体感のある考察となったことであろう。
 他方,世代の交代が,自動的に「東ドイツの残像」(397頁)の消滅を促すのかどうかについては,評者は多少疑問を抱いている。「統一」後のドイツ文壇で論争の的になったクリスタ・ヴォルフの著作の表題を借りれば,東ドイツから「残るもの」は,本当に何もないのであろうか。一元的な旧体制の下では失敗した価値観の継受は,逆説的なことに,「統一」後,旧東独市民の集団的記憶のなかで,再び機能している面もある。その端的な例は,「統一」までは自分たちを「ドイツ人」と看做していたのに,半年後には「旧東独市民」と翻意した彼ら自身の自己認識である。これを後ろ向きな「東独ノスタルジ−」と唾棄するのは,不当であろう。「私たちは正義を求めたのに,与えられたのは〔外面的な−木戸〕法治国家だった」という,かつての東独民主化運動のリーダーの一人ベアベル・ボーライの苦渋に満ちた発言が示すように(もっともそこには,シュタージヘの遺恨を思うように晴らせないことに対する怨念が紛々と漂っているが),より高次の自由や公正を備えた「統一ドイツ」を旧東独市民が追求しても,西ドイツの既存の制度や規範の厚い壁に阻まれているのが実情である。
 この問題は,東ドイツ市民の主体的な変革能力の評価に連なると思われる。たしかに,著者が批判的に指摘する「市民の側の権威への依存,すなわち権力のパターナリズム受容のメンタリティの問題」(396頁)は重大である。1990年の人民議会選挙や「統一」後の各種選挙における投票行動でも,「市民の側の権威への依存」は明らかに看取できる。旧東側諸国における市民社会の成熟が強権支配を打破したのだと「東欧革命」を称揚する議論に対して,おそらく著者は一線を画すると思われるが,特に人民議会選挙の分析を通じて,「89年の革命を『ポスト物質革命』とみなすのが一面的」(390頁)であるとする主張は,実際に選挙戦を目撃した評者にとっても説得的である。
 しかしながら,一般に,精神構造の変容は,制度的変化よりもかなり遅れるものである。その制度について一例を挙げれば,新連邦州の州憲法は,社会的基本権の強調や直接民主制的要素の導入など,連邦共和国基本法や西独諸州の州憲法を凌駕する内容を備えている。これらの特色は,明らかに東独時代の歴史的経験を反映している。
 要するに評者は,東ドイツの体制崩壊過程を考察するうえで,崩壊時の視点とともに,数年後の吟味し直した視点が必要なのではないかと考える。それが,ある種の結果論ないし決定論的解釈を相対化するからである。もし,東ドイツについて「政治社会の〔中略〕内実は空虚」(393頁)という結論に終始してしまうならば,自ら研究の深化を阻害する恐れがあるのではないか。
 しかし,それを著者個人への注文として記すのは,安易であり不遜であろう。溢れかえる情報の数々を手際よく整理した本書を出発点として,さらに東ドイツ研究を発展させるのは,我々自身を含めた今後の課題に他ならない。





日本評論社,1994年10月刊,8+398頁,7,210円

きど・えいいち 大阪大学大学院国際公共政策研究科助教授

『大原社会問題研究所雑誌』第441号(1995年8月)



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