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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




秋元 樹 著
『アメリカ労働運動の新潮流』



評者:風間 龍



 「今ほどアメリカの労働運動が面白いときはあるまい」。これは著者の秋元樹氏が本書のはしがきで述べた言葉であり,読者の興味をそそる。では,どこが,どのように面白いのか。それは本書を読んでいただくほかはないが,著者は,それは,たとえば,アメリカ労働組合の組織率が15%−16%にまで落ちこみ,やがて限りなくゼロに近づき労働組合が存在しない国になってしまうかもしれないとか,最近のアメリカ労働運動の衰退状況を面白いなどと書くことが中心課題ではなく,「今ほど面白いときはない」アメリカ労働運動とは,その衰退の背景と原因をあきらかにしながら,その現状の克服に努めつつ,アメリカ労働運動の再興への芽生えを見せはじめている新しい動向のことであり,それが本書の中心テーマであるという。
 本書の特色の一つは,この中心テーマを著者自身による職場の直接取材活動をはじめ,労働組合の上部機関から地方・末端機関にいたる各レベルにわたって数百人の協力者をつうじて広い領域で多面的で精力的な調査活動をおこなった豊富な生(なま)の材料にもとづいて書かれた成果であるといえる。本書はまた学問的で統合性をもった体系としてのアメリカ労働運動論とはいえないが,UAW(全米自動車労組)などアメリカを代表する労組を「先行指標として位置づけ」,現場で働く労働者の息吹きと,生活と権利を賭けてうちだす組合運動そのものの “動態”をとらえている点でユニークな労作であり,必読に値する。このことについては後述したい。
 第1章(80年代労働運動の衰退)は,まずアメリカ労働運動の全面的弱体化を政治戦略の一つとするレーガン政権が,PATCO(連邦航空管制組合)におこなった大量解雇と,これにはげしく反撃する労組との闘争経過とその意味するものが詳細に記述される。この大ストライキ闘争を転機として80年代以降のアメリカ労働運動が全般的に多くの既得権を相次いではぎとられていきながら,衰退の道をすすむことになる。その記述は,悲壮感さえただよう屈辱と敗北の記録としてなまなましい。
 ただ著者は,敗北に終わったとはいえ,生活と労働者の尊厳(ディグニティ)をかけてたたかったスト労働者のなかに,その戦闘性を誇ったアメリカ労働運動の歴史と伝統がまだ生きていることを確認する。
 次いでアメリカ労働運動の衰退は,けっして80年代からはじまったのではなく,すでに50年代からであり,その長期低落傾向が80年代につながっていることを多くの統計を示して論述している。そして衰退の原因を単に産業構造・雇用構造の変化というところに単純化しただけでは説明できないさまざまな実例を紹介し,アメリカ労使関係の特質にもふれ,その複雑で多様性をもち,複合化された諸原因を指摘する。ここで評者としての希望になるが,アメリカ資本主義の形成とその発達の歴史のなかでアメリカ労働運動がどのように発展し,どのような基本的特徴をもつにいたったかなど,その歴史的経過と特徴を概括していただきたかった。そうすれば,アメリカ労働運動衰退の姿がもっと鮮やかに映しだされたのではないかと思うからである。
 第2章(労働運動再興の努力)では,労働運動の衰退に歯止めをかけ,その再興をめざすものとして労働戦線の統一の実現とその強化への動きが紹介され,AFL・ClO という一大労組ナショナルセンターの誕生,さらにUAWやチームスターズの復帰の実現など組織労働者の80%が統一されてワン・ビッグ・ユニオン一本にまとまる夢が実現したことを示す。だが,統一はつねに善であり,数は力であるという公式見解を理解できないわけではないが,果たしてアメリカ労働運動の再興にどんな効果があったのか,またはなかったのか,と組織的統一のもつ意義について著者の評価はかなり批判的であるが,説得力がある。
 著者は,UAWやチームスターズの復帰をふくむAFL・ CIO という労組ナショナルセンターの強化は,労働運動の衰退を埋め合わせるための数的な操作にすぎず,こうした労働戦線の再編成をオルグしたのが,レーガン政権であったといういくつかの見解を紹介し,統一が,下からの労働者の連帯と団結に支えられず,下からのイニシャティブを欠いた再編であることを例証していく。
 さらに第2章では,アメリカ労働運動の衰退と危機を認識したAFL・CIO本部が二年半の年月をかけて発表した85年2月発表の『変貌する労働者と労働組合」という報告書について,アメリカ労働運動主流の注目すべき新しいアプローチとして評価し,その概略をつたえている。なかでも報告書にある「労働者の利益を守り増進するための新しい方法」という部分の特徴を次のように要約して紹介している。一つは,報告書がアメリカ労働運動の主流であるAFL・CIOから発表されたこと。その二つは,この主流が非主流である先進的少数派の経験や見解をAFL・CIO全体に共通するものとして汲みあげ,その量的飛躍の戦略に仕立てようとしていること。三つは,これまで国会ロビー活動を主とする政治活動や組合の縄張り争いの交通整理をおもな任務としてきたAFL・CIOが,その伝統的役割を越えた意義は大きいこと。四つには,アメリカ労働運動のシンボル的存在であった指導者ジョージ・ミーニー元AFL・CIO会長の時代に終わりを告げ,新しい時代にふさわしい新しい組合員を組織することを緊急事ととらえていること。最後に,アメリカ労働運動は,その挫折や苦悩をふくむきびしい歴史をもつにもかかわらず,地球上で最も生命力と可能性に富んだパワーをもっており,やがて陽が昇るように労働運動の歴史的使命は必ず実現されるという明るい展望で結んでいる。著者は,この報告書をめぐって多くの賛否両論の評価があるにしても,「アメリカ労働運動の起死回生の武器」(カークランドAFL・CIO会長)として提案された重要な第一歩として注目に値すると高く評価している。
 第2章のその終わりの部分で,衰退する労働運動のなかで経営側から求められる多くの譲歩 (コンセッション)にもかかわらず,組合がストライキをふくむさまざまな抵抗をつづけ,譲歩した分の取り返しに努めていることや経営側の意思決定の分野に労働者がどのように“参加”していくか,またその問題点についてUAW加盟のビッグ・スリーを中心に詳述されている。なかでもUE(電機・機械)の一地方支部が組合のワクをこえて全市的支持のもとに雇用と生活を守るたたかいを展開して勝利していく姿が生き生きと描かれて感動的である。
 第3章(日本的経営の浸入とその受容)は,アメリカ労働運動に近年めだってきた労働者の経営参加や労使協調路線の浸透が,果たして日本的労使関係・労務管理・生産システムなどからの大きな影響によるものかどうか,また,この路線がアメリカ労働運動の衰退や再興とどのような関係があるのかなどの課題がとりあげられる。とくに11ヵ国、9,589社(89年現在)におよぶ日系海外進出企業に関連して日本的経営が文化・モラールのちがう海外での適応性について問い,さらにこの問題を労働の現場におうじて検討し,QCサークルという日本的経営技法について国際的・社会的・歴史的などさまざまな側面から論じている。とりわけQCサークルがテーラーシステムやフォードシステムヘの批判から生じた“人間関係論”との関係で考察がなされており,QCサークル運動を単純に否定的立場で切り捨てるのではなく,多くの条件つきではあるが,肯定的・積極的に適応できる部分も存在しているとしてアメリカ自動車工場で目撃し,調査した結果を詳しく記述しており,第3章の核心部分となっている。
 著者が,アメリカの自動車工場で実際に見たQCサークル活動の調査結果を評者なりに要約すると次の5点になる。一つは,この活動の当面の目標は,生産性向上でなく,品質改善におき,労働者の意識の変化を品質改善に集中させ,労使間コミュニケーションの改善をはかること,二つは,この活動への参加が純粋な意味で全く自主的であり完全に自由な意思にもとづいていること,三つは,参加を,生産性や製品の品質を重点とする生産管理技術の立場からだけでなく,産業民主主義が求める“労働生活の質”(QWL)の向上という立場からもとらえ,この二つの立場の綱引き状況を考案すること,四つめとしてQCサークル活動プログラム実施の重要な成果は,第一に労働者のみずからつくる製品の品質改善への強い意欲と姿勢であり,第二に経営側もトップをふくめて直接生産現場で労働者に接触し,話し合う姿勢に変わったこと,第三に労働者からの“提案”が大きな役割を果たしていること,第四にこれらは職場の“民主化”を加速化し,経営側と職場との一体感を深めたこと,そして結びの五つめは,労働運動をどう展開していくかという視点のなかで見たばあい,「労働現場と生産管理についての権力構造のバランスを変える可能性もある」としている。この部分は単純な結論のだせない問題点の多いところであり,日本の数名の専門家の見解も紹介されている。
 だが,著者は第3章の終わりの部分で,日本企業と日系進出企業がアメリカの労働者や労働組合にあたえた多くの否定的影響について詳しく論じ,“すばらしい日本的経営”の正体をマイナス面であますところなく描いている。この部分は本書の重要な部分といえよう。とくに日米両国の労働者の友好や連帯を傷つけていく“すばらしい日本的経営”を「組合がない」労使協調主義モデルとしてのニッサンと,「組合があって,ものわかりよい」マツダとを実例としてとりあげ,アメリカの労働者がどのように非情な労働のあり方に従順に飼い慣らされているかを描いている。もちろん,こうしてアメリカの労働者を「ストレス病に追いこむ日本企業の管理」(MBS)の非人間性にたいする著者の告発はニッサンやマツダだけでなく,ホンダ,住友,資生堂,伊藤忠,松下その他へとつづく。そしてMBSこそは,テーラーシステムの延長であり,強化そのものであると鋭く指摘したうえ,日本的経営が追求している労働のあり方の本質について示唆深い発言をおこなって第3章を結んでいる。
 第4章(第三の波はくるか)では,数多くの課題をかかえているアメリカの労働組合・運動を一つの流れのなかの「ユニオニズム」(労働組合主義)の変化としてとらえ,それが今どこにあり,これからどこへ向かいつつあるのかと問い,その答えとしていくつかの論点を紹介している。
 たとえば,一つにはアメリカの労使関係はこれまでの敵対的関係から統合的・相互的アプローチヘと修正されつつあるという見解,二つには約20年間退行をつづけてきた労使関係の大きな流れはもはや労働組合を必要としない方向へすすんでいるという見解,もう一つはやがてアメリカ経済の活性化が戻れば,近年の“一時的後退”から脱出して敵対的かつ戦闘的な本来の姿がよみがえってくるという見解など。
 だが著者はこれらいずれの見解もアメリカ労働運動再興への道としてはほど遠いものとし,近年の衰退をまぎれもない現実とする共通認識のうえで,これからどのようにして量的・質的衰退から抜けだすかについて具体的提案をおこなっている。その詳細は紙面の制約もあり本書にゆずるほかないが,評者なりに要約すれば,50年代以降,伝統的基幹産業・大企業中心であった労働運動のワクを越えて非伝統的労働者集団(技術・事務系・ホワイトカラー・女性・黒人はじめマイノリティ・専門職・中小零細企業・サービス産業労働者等)に組織化をひろげる一方,「保険代理店」とか「中流階級化」とかいわれるようになった組合に巣喰う官僚主義や反民主主義的言行の一掃,「ルーサーイズム」ともいわれる組合の権利と引き換えに経営側から一定の経済的利得をトレードオフする慣行の根絶などをつうじて組合本来の姿を取り戻していく努力を,「新しい社会運動」というひろいワク組みのなかで育てていくこと,すなわち,ここに新しい波の発生があり,第三のユニオニズムの誕生を期待したいという。もちろん,この期待は著者の勝手な発想ではない。現実にUAW系列の多くのローカル組織を中心に発展しつつある「新しい方向をめざす」(ニュー・デイレクション)運動が再興の基盤の一つであるとし,新しい社会運動としての非公式労働運動の展開がもつ重要性とそのゆたかな可能性を強調する。もっとも著者は,ニュー・デイレクション運動は組織上,もう一つの別な組合の誕生を考えるのではなく,従来の労組とその運動に新しい質をつけ加えることで転換をはかり,より大きな労働組合・運動に再生・強化していくべきものととらえ,著者はここに“新潮流”をみている。
 第4章は,“すばらしい日本の経営”,“すばらしい日本の労使関係”として喧伝されている「日本に学べ」の声が,どんなにアメリカの労働者・組合・運動を傷つけているかに言及し,“日本型モデル”の犠牲者は,アメリカの労働者だけでなく日本の,また各国の労働者でもあると結んでいる。
 「労働組合・運動のエッセンスは,労働者の尊厳をまもること」にあるとする著者は,その精力的な多面的取材活動をつうじてアメリカには実に多くの尊厳を傷つけられている労働者が存在していると指摘し,これらの労働者への著者の深い愛情が行間に伝わっている。
 アメリカ労働運動を全般的にみれば,著者が言及していない多くの課題はあるが,著者のユニークなアプローチによってアメリカ労働運動が「今ほど面白いときはあるまい」との読後感を多くの読者もいだくにちがいない。
 〔付記〕アメリカの組合名称の日本語訳のばあい,わずかの例外をのぞいて一般的にunitedまたはamalgamated は「合同」の意味でなくunion(組合)に相当し,united……workers=unionであり,international union(国際組合)は,カナダ,メキシコにまたがった組合を意味することを付記しておきたい。




日本経済評論社,1992年7月,x+259頁,定価2,884円
かざま・りゅう 国際労働問題評論家
『大原社会問題研究所雑誌』第414号(1993年5月)



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