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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



庄谷怜子著
『現代の貧困の諸相と公的扶助
            −−要保護層と被保護層』




評者:川上 昌子


 本書は,庄谷怜子氏が1965年以来,実に地道に積み重ねてこられた27個の社会調査に基づく研究を一冊の本に纏められたものである。研究の基とされている調査は,生活に関する社会調査であるのだが,氏の調査は,本のタイトルに示されるように調査対象が「現代の貧困」,つまり具体的には低所得・不安定層であるということもだが,調査の大方が庄谷ゼミ履修生による小規模な調査であったことから,主として訪問調査の方法によりながら時に1時間から3時間もかけて聞き取りをして,直接的に個々の世帯なり個々人の生活の実態を制度による支援状況も含めて詳しくとらえるケーススタディの手法が用いられていること。加えて,シビルミニマムやナショナルミニマム保障の視点と関わらしめて,政策批判なり,必要な施策のあり方を考察されていることから,「社会福祉調査」の特徴を持つということができるだろう。それぞれの調査は,その分析結果により明らかにされている事実の発見がそれ自体として貴重であるとともに,「社会福祉調査」として,一つの分析の形というか,方向を示されたという点でも,貧困調査を専門としている評者にとっては大変興味深い書物である。
 本書の構成は,三部構成で組み立てられている。「第1部 世帯類型からみた要保護層の生活実態」,「第2部 農山村における要保護層」,「第3部 大都市縁辺グループの生活と社会保障の機能」からなる。以上のタイトルからわかるように,「要保護層」の今日的特徴を追求されている。つまり,本書の主題は庄谷氏によれば,第1に「戦後から今日にいたる貧困,低所得・要保護世帯の生活実態」を明らかにすること,第2に「地域社会における社会階層の中で被保護層のしめる位置を実証的に明らかにする」こと,第3に「近代的扶助法が施行されてからの公的扶助行政運用上の問題と特色を批判的に明らかにすること」である。
 本書に収録されている調査研究は,1973年の第一回農村調査を除くと,1980年以降の調査によるものである。「経済の高度成長期を境に,いわゆるワーキング・プア=稼働能力ある被保護層が急激に労働市場に排出された。1960年に55.2%をしめていた稼働能力ある被保護者は,生活保護の監査主眼事項が稼働能力者に対する就労指導にねらいを定めて以後の「適正実施」の結果,急減し,現在では稼働能力のない要看護世帯が8割をしめるに至っている。しかし,稼働能力のある被保護者の滅少によつて,保護から排出された人々がすべて動労によって安定した生活をしていることを必ずしも意味するものではない。それどころか被保護層の周辺に,否,その水準以下に被保護世帯といり交じって多数の要保護層が存在していることが調査によって明らかになっている」(2頁)と記述されているように,本書は,まさに高度成長期を境に「豊かな社会」といわれる中で,1981年の123号通知以降,被保護層が保護行政により意識的に切り捨てられ,その結果としても「要保護層」を大量に存在させたという問題意識をもって調査研究されてきたものである。
 「要保護層」とは,通常の社会科学の用語法の「低所得層」と同義語であろう。庄谷氏は,当然承知の上で,あえて,1950年代後半に多用された「ボーダーライン層」と同じ意味を持つところの「要保護層」という言葉を用いられていると思われる。それは,上記されている被保護層との関係を強く意識されてのことであり,政策批判を含む用語として用いられたのであろう。さらに,これまで,日本で用いられてきた低所得層の概念は,ワーキング・プアを中心に置くものであったことにもよるだろう。本書の冒頭の章は,「在宅重度障害者の生活困難と福祉」である。重度障害者は,一般に就労の困難を抱え,「ワーキング」とは最も隔たったところに位置している。庄谷氏は,「要保護層は資本主義制度の構造的矛盾から必然的に発生する社会的諸問題を担っている労働者の形態」(1頁)という定義を示されている。ワーキング・プアを低所得層とする通常のとらえかたから区別する意味でも「要保護層」という言葉を用いられていると思われる。
 さて,そのように広い内容を含む「要保護層」を中心に据えた研究であるが,章ごとに内容を簡単に紹介したい。「第1部 世帯類型からみた要保護層の生活実態」は,「I在宅重度障害者の生活困難と福祉」,「II母子世帯の貧困」,「III児童養育世帯の生活問題と施設の社会化」からなり,障害者,母子,児童といったいわゆる社会福祉の独自の対象とされる領域に関する研究である。そして,共通しているのは,その人々または家族が「地域」で生活していく上での困難を明らかにし,現行の施策のあり方を問題にされている。
 重度障害者については,戦後の憲法下における権利と民主主義の教育の成果として障害者自身変化しており,「重度障害者であっても社会復帰をめざして努力を続け,社会資源を利用し,職業訓練を受ける構えをもち,生活態度は解放,積極的で社会へ向かって参加し発言しようという姿がみられるようになった」と。さらに続けて,「このことは障害者自身の外出が多くなり要求が多様化し,介護負担が増大することを一面において示している」。だが,現実には機能縮小してきている家族介護にほとんどが委ねられている結果として,自由な社会参加は制限される。「介護問題は障害者のすべての生活保障の基本条件をなしている」として,介護保障の重要性を提起されている。
 そこで,日本との対比の意味においてドイツの障害者に関連する制度を紹介されている。1976年の社会法典第10条においては社会適応,つまりリハビリテーションと社会参加の権利が規定してあるという。興味深いのは1975年の障害者のための社会保険(年金)に関する法改正である。それは扶助から保険への改正ということである。一般的には,社会保険と扶助の関係は保険給付額で生活できないとき,保護基準との不足額を事後的に扶助として給付されるものである。 ドイツの扶助から保険への改正とは,保険料拠出の段階で,保険料を負担し得ない者については連邦と州が負担するという。そうすると,障害者も一般の年金受給者と同じ年金を受給出来る。それは,社会保険と扶助の関係の発想の転換である。ドイツの紹介は,日本の目下の問題である介護保険を意識されてのことであろう。
 次の,「II母子世帯の貧困」は,現代的問題としての母子世帯問題が述べられている。「女子労働の二極分解」の進行の結果として「これまでにない危機的様相を呈」するようになったとの認識がのべられている。その要因は,離別母子世帯の増加,血縁,地縁関係の希薄化,都市では自力しかない。不安定雇用への就労しかないこと。落層して社会福祉相談現場や施設に現れるときには多問題世帯化していること。児童扶養手当の改悪,保育所の増設ストップなどがあげられている。母子世帯を底辺に落層せしめるファクターは,幾重にも作用していると指摘されている。
 1985年の国民生活基礎調査によれば,母子世帯の76%が第I4分位に含まれるという。1993年の調査では年収215万円という。家族の誰かが病気したり何らかの事故があれば,いつ保護受給になっても不思議はない。
 ついで,保護受給母子世帯の生活実態調査の結果から,教育や住宅等種々の生活問題が指摘されている。保護行政における「指導」は,昨今,金銭的「自立」=廃止にますます片寄ってきており,学卒後の子供の他出しての自立を認めないことさえある。「福祉事務所を訪れた母子世帯に対しては,精神の不安定や健康を一定の時間を掛けていやし,子どもの問題にも手当した上で,労働意欲に働きかけ,生活力を高める援助をしなければ真の自立にはつながらないだろう」(40頁)と述べられている。そして最後に,女性の「経済的地位の低位性を象徴する存在としての母子世帯は,女世帯主であることによって顕在化している差別の担い手として生きている」と喝破されている。
 「III児童養育世帯の生活問題と施設の社会化」は,S乳児院相談活動の相談内容についての分析と一時預かり事業利用者の訪問調査の結果である。調査研究の目的は,乳児院の定員割れの傾向は,児童数の減少によるといわれることにたいして,調査により検討することである。1982年の相談内容の分析によると,就労に関して子どもの保育に困るものが4割,家族の病気や出産に関連しての相談が3割で,あわせて
7割をしめる。子供の育て方の相談は2割といったところである。一時預かりないし保育ニードが相談の多くを占めていたのである。
 保育ニードと児童福祉施策がうまく結び付かない理由を探る目的で,一時預かり事業利用者の調査は実施されたが,その結果,母が常雇で共稼ぎの世帯では勤労者の平均的消費水準を越えるものもあるが,多くはそれ以下であり,高料金ベビーホテルは利用出来ない。また,サービス業等の不規則,長時間の労働者が多いことが明らかにされた。そのように保育ニードは少なくなく,したがって施策とのミスマッチが問題なのである。
 第2部は,農山村の「要保護層」の問題である。Iで1965年以来の農村調査によりながら農家生活変貌と生活問題の多様化を概観され,IIIIIで京都府南山城村についての1973年調査とその同じ対象世帯の追跡調査としてなされた1985年調査を比較しながら,「農村における生存権破壊の本質と発生原因は都市問題と共通でありながら,問題現象は対照的に異なるため問題解決の方法も異なる」(65頁)との考えのもとに,農山村において現れた問題の特徴を明らかにされている。農家生活は,経済の高度成長の影響のもとに大きな変化を余儀なくされた。南山城村は,京都市まで52キロ,奈良市まで25キ口の距離にあり,古くからの茶の生産地である。日本の農村の中では,都会地に近いことと米以外の有利な主生産物がある点で,恵まれた条件をもつ上中農層の厚い農村といえるが,1973年と1985年とでは大きく変貌したようである。一方で,一戸当たり茶の作付け面積が拡大し,中規模農家までふくめた経営の拡大がみられ,農家所得は上昇している。しかし他方で分解基軸が1haから1.5ha に上昇し,兼業化も進んだ。農家戸数の減少もすすんでいる。
 その中での生活問題は,一つは地域環境と地域・家族共同体の悪化,脆弱化の問題である。
個々の世帯の所得の上昇だけでは,生活は守られず,むしろ,悪化する側面を生み出している状況がとらえられている。氏が農村における上下水道や保育所などのシビルミニマムの重要性を説かれるゆえんである。二つは,農村における落層化の特異性があるという。 0.5ha以下の農家で通勤による兼業が不可能な地域に住んでいる者の場合,悪条件の中で身を粉にして働き農業に望みを掛ける者もいるが,病気や事故,借金があると苦しい生活になる。また,家族員数の点でもゆとりがなく,高齢者障害者の介護が行き届かない状況にあるという。農業に希望をもてなければ,子どもは家を出ていき,老人だけが残されることになりがちである。
 貧困研究において,農村の問題は,さほど注目されず,実証研究としても理論研究としても少ないのが現状であろう。この第2部は,頁数からいうと本の半分以上をしめる量である。経済の高度成長の影響を受けた農業の変化による地域の変貌,そして農家生活の変化とその問題点を丁寧に実証研究としてとらえている点において,読みごたえがある。
 最後の第3部は,「大都市縁辺グループの生活と社会保障の機能」である。縁辺グループの研究は,氏が1987年以来,毎年のように実施されていた釜が崎調査の延長線上になされた横浜市のドヤ街である寿町の日雇い労働者の調査と在日外国人調査に基づく最近の研究である。「I寿町における日雇労働者の高齢化と老後保障」は,寿町の老人会の会員からの詳しい生活史の聞き取りに基づく考察である。寿町のドヤ街の住人は,最盛期の一万人余から四千人余に滅少し高齢化が進んでいるという。平均年齢は,1990年には49.5歳であり,寿町の60歳以上人口は817人であるという。生活歴調査は,職業歴と生活上に生じた変化を中心に聞き取りがなされている。生活歴からは,最長職を失うことになった契機として,第1に戦中の徴兵,徴用。第2に炭坑の閉山,出稼ぎといった日本経済の高度成長の結果として。第3にオイルショック以降の合理化による失業が指摘されている。つぎの職が,直ちに日雇いというのではない者もあるが,もっとも基本的なところで,時代の影響をうけているという。
 つぎに,生活の実態に目が向けられている。まず,住宅である。 ドヤは,2一3畳が8割を占め,風呂は6.5%,洗濯機36.2%,クーラー23.4%である。テレビでさえ36.2%しかその建物にない。個室にないということではない。
 「必要な道具を持てない広さは,生存的居住のミニマムを欠いている状態である」(186頁)と断じられている。健康(医療),食事,家計が検討されているが,いずれも,劣悪としかいいようがない。調査対象者の9割が生活保護の受給者であるが,生活保護を受けながらの生活水準がそのように低いということである。保護開始に当たり,寿では釜が崎とちがって,現住のドヤがそのまま住所とされている。被保護者になって「住所」をもつ地域住民になったと皮肉をこめて指摘されている。
 「II公的扶助と外国人の生存権」は,1992年不定住外国人であったスリランカ人のゴドウィンさんの生活保護による救急医療費の負担をめぐつて,国が負担しないため神戸市が負担したことにたいして有志による住民審査請求が行われたことに関連して,庄谷氏がドイツ社会扶助法の法理を援用しつつ,原理的にも国際化の時代に柔軟な政策対応が必要なことを述べられたものである。
 さて,以上の研究の結論として,要保護者は,資本主義の構造的必然として明らかにつくられていること。そして,近年の被保護層は,差別を強化され異質化への傾向が強められていること。保護行政が普遍主義と必要即応の原則を放棄し,稼働能力者や外国人を排除する結果としてホームレスを増加させていることを指摘されている。また,生活保護法改正の方向として,保護基準は拡大豊富化した「生活必需」の充足を可能とするミニマムであるべきこと。生存権の内容は,金銭の`ミニマム,サービスのミニマム,資産のミニマムから構成し権利として保障することを提言されている。これらの結論および提言は,本書の論述内容から実証的に導かれているものであり,十分な説得力を持つといえる。
 以上,簡単に内容について説明したのであるが,書かれている内容は本のタイトルにあるとおり,「現代の貧困の諸相と公的扶助」についてである。1965年から1994年まで30年間にわたり一貫してこのテーマを追求されてきたのである。読み終わって,追求されたものの一貫性にただ圧倒される思いである。
 氏は,学問のためにする研究をされてきたのではない。たとえば,「現代的貧困とは」といった論争はどうでもよいことと考えられているようである。「どうでもよい」ということすら本書には書かれていない。氏にとって重要なことは,要保護状態にある生活困窮者の実態を,社会保障,社会福祉の空洞化の結果として明らかにすること,なぜなら,その明らかに現存する貧困の事実は,「ケースワーカーのミスや一部地域における専門性の低さによるものでもなく,財政難によるわけでさえない。公的扶助は国の貧困政策を担わされており,社会保障全体系の中で,さらに,労働,住宅,教育などの一般政策との関係で,貧困をどこまで救済するのか,冷酷にもどの程度で放置するのか,厚生行政によって代表される国家の貧困政策の構造的な選択の結果であると思わざるを得ない」(219頁)からである。
 本書は,著者のライフワークが盛り込まれており,初出論文に手を加えられたものとはいえ多くの実証研究の積み上げの上に最終的に纏められたものと思われるのであるが,いわゆる研究書風ではない。おそらく,広く読まれることを主眼として纏められたのではなかろうか。非常に読みやすい本に出来あがっており,その意図は成功しているといえよう。あえて少し注文をいうとすれば,第1部や第3部の実態分析の部分がもうすこし詳しくてもよかったのではないかと思う。





啓文社,1996年3月,221頁,2500円

かわかみ・まさこ 淑徳大学社会学部教授

大原社会問題研究所雑誌』第465号(1997年8月)



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