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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



伊藤 周平 著
『社会保障史恩恵から権利ヘ――イギリスと日本の比較研究


評者:樫原 朗




 社会保障や福祉の研究は,現在,個々の国の制度運営や歴史の研究の上にたって比較する時代に入っている。こうしてこそ,それぞれの国の特徴や問題をしることができる。著者もこれまでの業績をみるとともに,その上に,権利形成の観点にたって,イギリスと日本の展開をみ,比較しながら,恩恵から権利へ移り行く過程がどのように異なり,その推進がいかに現代の両国の社会保障のあり方考え方にみちびいたかをみようとする。そこで著者は制度や政策よりも権利に関する法律的な考え方,あるいは社会保障についての比較社会学的な把握につとめたいといっている。

 著者は,「西欧諸国では市民革命の遂行と,市民社会の形成を通じて,権利観念がある程度確立しており,福祉国家の理念も国民的合意を得てきたという経緯がある。そしてそれが社会保障の削減という文脈で,権利観念を転換しようとする志向が読み取れる。……これに対して日本の場合には,生存権のみならず,市民的権利も本質的なところで未定着なままであるため,社会保障の削減は余り大きな論争もひき起こさず,なし崩し的に推進されてきた感がある。」という。日本の社会では,「人間らしく生きていく権利」が十分に実現,保障されていない。そして「生存権の理念と現実とのこうしたギャップは現代社会において社会保障が置かれている問題状況を端的に象徴している」とみる。こうした問題意識の上に,研究されている。
 全体の構成はつぎのとおりである。
  序 章 問題の所在
  第1章 権利,人権,生存権
  第2章 社会保障の概念と社会保障の権利
  第3章 イギリスにおける社会保障の歴史的展開
  第4章 日本における社会保障の歴史的展開
  第5章 結論
 まず,第1章では,日本の憲法で生存権が規定されているが,その上位概念としての権利の意味をさぐり,法律学者の考え方が紹介されている。そして生存権や社会保障の権利を権利であるという場合には,請求権的性格を有した法的権利であるとし,「個々人の生活保障の要求が,こうした請求権的性格を有した法的権利として認められていくことを『社会保障の権利化』と呼ぶ」。さらに基本的人権の類型として自由権と社会権がある。「生存権は,他の教育権や労働基本権に比べて,国家に対して一定の措置を請求するという社会権の本質的属性を最も強く有している人権である。」生存権は今日では「生存又は生活のために必要な諸条件を要求する権利」と観念されている。社会保障の形成は資本主義社会における個々人の生活保障の権利化という歴史的沿革をもつ。そして生存権確保のために多くの社会立法が形成されるとして,その過程をみる。
 第2章において,「社会保障の概念と社会保障の権利」について論じられる。法律的にみると,社会保障法は生存権保障のための法体系であるとみるのが今日の通説的見解であるとする。その上でイギリス社会保障制度の概要と日本の社会保障制度の概要をみる。そしてそれを基礎に社会保障の受給権をみる。日本の憲法では生存権規定が存在し,生存権の承認という言葉がよく使われるが,社会保障の権利化という観点から社会保障発展のモデルを提示している。そして現在,国家が個人の生活の保護者として再登場するが,こうみると社会保障の権利化は「国家と個人の関係という軸で提示することも可能である」とする。それは資本主義の進展にもとづく「国家と個人との関係の構造的転換」であるとする。
 以上の関係の展開を詳しくみようとしたのが第3章と4章である。第3章ではエリザベス救貧法の出現・運営をみ,救貧政策の展開の過程でどのように変貌したかをみ,「貧民の有利な雇用論」などとの関係をみ,その上で,当時の人権思想や生存権思想の展開をもみる。
 産業革命期の新救貧法においては,「劣等処遇の原則」が採用されたこと,そして救済を受けるために労役場に拘束されることによる個人的自由の喪失などにより,社会権は市民権の構成要素から完全にはずされてしまった観があった。「劣等処遇」という制裁は被救恤窮民に「屈辱とステイグマという苦痛」を課した。その一方で,救貧法は「救済を受ける権利」(right to relief)を規定していたが,それは著者のいうとおり,現代的意味での公的扶助の権利の直接の起源とはなりえなかった。それへの転回にはまだ多くの介在する要素が必要であった。著者はその後の様々な動きをみる。その結果,1834年体制(新救貧法体制)の解体へむけて動き出す。その間に資本主義の深化と政治的権利の拡大,労働運動の展開があった。
 転回には思想的転回をも必要とした。そのなかでベンサム思想などに基づく公衆衛生,教育などに思想改革があった。しかし,これのみで今世紀初頭のリベラル・リホームが到来したのではない。自由主義の変質は社会問題への対処と社会改良問題への関心と結びつけることが必要である。こうした思想の変質を促進し,新政策への根拠を与えたのが新自由主義(現在のそれではない)であった。それは人間観や社会観の変化を意味するものであった。それらの人がホブスンやホブハウス,マスターマンであった (拙稿「福祉国家思想の形成と変遷」『新社会政策を学ぶ』有斐閣,参照)。こうして自由主義的社会改良思想は失業問題を解明するキイを与えた。それは労働権思想の形成へもつながった。そしてフェビアン協会の活動があった。
 こうしてウェッブ夫妻のナショナル・ミニマムヘとつながった。自由党は左旋回し,20世紀初頭の幾つかの社会立法が成立し,社会保険の時代をむかえた。さらに両大戦間期の失業保険の運営の失敗は保険運営の教訓を与えた。しかし,必ずしも著者のいう「保険と扶助の交錯」現象から義務的救済制度が生まれたとまでいえるであろうか。それは世紀初頭からの救貧法自体の縮小と変質や1929年の改革などをもへている。
 こうした過程をへて,戦時中のベヴァリジ報告から戦後の社会保障へと結実する。そして350年続いた救貧法は廃止され,国民扶助となった。しかし,50年代末にはベヴァリジ原則はくずれ始め,1959年の改正で年金に比例部分がとり入れられた。 60年代には「貧困の再発見」があった。国民扶助は救貧法の連想が残ったため,あまり好まれなかった。そこで1966年に改正し国民扶助を補足給付とするとともに,失業及び疾病給付に所得比例部分を導入した。国民扶助の捕捉率の低さは常に問題であった。労働党政府はより権利性を重視した保証所得の案を出していたが遂に成功しなかった。年金は1975年に改正された。そうしている間にイギリス経済は悪化し,サッチャー政権の発足とともに給付費の抑制へと動いた。ほどなく失業保険を除く全制度の改変へむかった(失業保険も80年代初期に比例部分の廃止等がなされていた。……拙著『イギリス社会保障の史的研究III 増補版』)。そして国の年金の比例部分の削除を考えた。再検討からの結果は比例年金の圧縮,出産給付と寡婦給付の職域制度への施行等を通じて保険の役割を低くするものであった (1986年社会保障法)。それは国の援助が将来増加するであろう社会保険のウェイトを低め,本当の貧困者に対する資力調査による給付に切りかえる意図があった。その意味で「保険原則がマネタリー・ポリシーの苛酷な世界から給付を守ることができるという神話を暴露することとなった」(拙著III)。しかし,著者の「それは保険原理の信用性は完全に失墜した」とまでいえるのかどうか問題である。
 なお,社会学的な意味を知るために,余裕があれば,詳しく家族所得補足の問題,「貧困のワナ」(説明する必要がある),補足給付委員会の問題をみる必要があろう。ただ,権利についての考え方がイギリスではより明瞭であることは著者の考えるとおりであると思われる。
 次に「日本における社会保障の歴史的展開」をみる。日本の扶助関係の権利論についての議論は詳細であり,分析はすぐれている。
 明治初期の恤救規則の時期から,救貧法案の動きと,その失敗などをみた後,それに対応する生存権思想をみる。ただ,彼らの生存権思想は「慈善的救貧観に立脚し,日本独自の家族制度と精神主義を強調する政府の感化救済事業等に圧倒されて,十分浸透するに至らなかった」(157−8)。しかし,大正期には大正デモクラシーの風潮が高まり,労働者や農民の運動も活発になり,その過程で救貧制度も整備拡充されたとする。大正11年には健康保険法が成立,さらに14年には男子普通選挙制度が確立される。もっとも,選挙の欠格条項があり十分なものではなかった。そしてそうしたものに対応する大正期の生存権思想をみ,このなかで生存権理論や社会連帯論の考え方が出てきたが,それらは「個人の生存権保障の過程における個人と社会,国家との関係がきわめて不明瞭であり,個人の国家への統合と個人に対する国家の優位性を説く政府の感化救済事業的救貧政策に対抗する理論をつくりえなかった」。
 その後,昭和4年に救護法が成立し,はじめて公的扶助義務が認められたが,「被救済者の地位は,依然として,いわゆる法の反射的利益」にすぎないもの(保護請求権を認めていない)とされた。さらに昭和13年に国民健康保険法が,19年には厚生年金保険法ができたが,軍事扶助法などとともに戦時的色彩が強いものが多かった。
 戦後改革期に,旧生活保護法から新生活保護法(保護請求権を認める)への展開のなかで,生存権理論が展開される。この辺は圧巻である。さらに25年から30年にかけての後退期の問題,25年の社会保障制度審議会の勧告をとりあげる。さらに朝日訴訟の問題に関して権利論をみる。 30年代は身体障害者法の問題とともに,高度成長期で皆年金皆保険体制の確立の時期である。従来の生活保護中心の社会保障政策は大きく変更することとなる。しかし,全く新しくは国民年金を形成しただけで,あとは従前の性格の異なったものを組合せたため,後の一元化の問題を残すこととなった。そして社会運動の展開と環境権の台頭のもと,経済成長期の生存権理論が展開された。
 さらに1980年代の社会保障政策がとりあげられる。医療費問題では国保の問題が出ていたが,老人保健法が成立し,老健拠出金により財政調整がなされ, また退職者医療制度も出現して国保の危機を救う対策がとられた。そして昭和60年には21世紀の高齢化社会をみすえての,全国民共通の基礎年金制度が法改正により出来,一元化対策が始まった。しかし,同時にこの時期以前から台頭してきた福祉見直し論のなかで,国の補助金の整理や合理化の風潮のなかで,生活保護や児童扶養手当に関する国庫負担引下げの問題が生じた。 61年にはこれまで機関委任事務とされてきた大半の福祉事務を事務の整理及び合理化に関する法律により,その一部を団体委任事務とすることとなった。これは戦後の社会福祉行政の転機となる改革であったが,それは一方で「福祉見直し」論のなかで国の負担や責任を軽減しようとする点にもその目標があったことを示している。
 改革の多くは80年代の臨調・行革路線にもとづいたものであるが,それによる「社会保障の後退は,社会問題の解決が多様化した国民の福祉のニーズの充足ではなく,それらの一層の深化と不平等,格差の増大であったように思われる」と著者はいう。そして「1980年代以後の社会保障政策の展開は,国民の間に新たな権利意識を生み出し,生存権理念の意味内容を改めて問い直す契機となったともいえる」と。
 結論で,最初にあったように「イギリスでは……相対化が図られるという文脈で,新保守主義の論者を中心として,反権利論が主張された。」「これに対して,日本では,権利としての生存権が十分定着せず,それだけ『福祉見直し』路線による経済危機克服の課題遂行が容易であったといえる。」最後に福祉国家のなかでの今後の社会保障の将来を決定する「要因は生存権を闘いとる社会運動にかかわっているという単純なものではなく」,「個々人の要求を国家が権利化という形で処理していくメカニズムそのものに内在する問題点,それを克服する社会内部での要求処理のシステムの構築がとわれているのである。」「新たな権利要求は……国家を相対化した形で個々人の要求を処理していくシステムを構築する課題を背負っている」と。
 著者のいうことは的確でもあり理解できる。現在,福祉国家の考え方にもいくつかのものがある。しかし,これは具体的にはいかなることを意味するのか。困難な問題かもしれないが,いま少し具体的に示してほしかった。
 多くの文献を参照し,きわめて意欲的な著作である。ことに権利に関する法律的な説明はすぐれている。そして大きな目標のもとに進まれた。包括する範囲も非常に広く,学ぶべきことは非常に多い。ただ,社会保険についてもう少し多くふれてほしかった。社会保障という場合,医療,年金の一元化についてもり少しふれてもらえればなおよかったと思う。また日本の社会保険史については佐口卓氏などのすぐれた文献があり,これらも参考にしてほしかった。
 もう一つ何かの誤植でないかと思われるのが87頁の「慈善組織協会」(COS)についてである。これ自体,労働者の自助組織ではなく,むしろ,Voluntary Actionあるいは博愛運動にもとづく組織の一つとみてよく,慈善救済を目的とした。ある意味で近代的ケースワークに通ずるものがあり,社会事業の経験の全国的貯蔵庫となったものである。同様なことは153頁の 「私的な民間慈善団体の発達は……あくまでも労働者の自助組織として発達し……」についてもいえるのではないか。なお,日本の労災保険について言及してほしかった。
 大きな目標のもとに書かれた意欲的で有益な教えられるところが大きい作品である。ただ社会学的な面は小生は判断しえない。以上,私の誤解や誤りによるものがあればお許し願いたい。



青木書店,1994年3月刊,249+9頁,定価2,575円

かしはら・あきら 神戸学院大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第433号(1994年12月)



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