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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




野原光・藤田栄史編
『自動車産業と労働者』




評者:上井 喜彦




 第一次石油危機以降の労働調査の一つの動きとして,地域という広がりに視点を据えた生活・労働事実の丹念な収集がある。いうまでもなく,布施鉄治編著『地域社会変動と階級・階層』(1982年)がその代表的文献である。本書も,その成り立ちを見れば,基本的にはこうした流れに属するといってよい。もともと本書は「東海地域の実証的分析」を課題として発足した地域構造研究会の研究成果の一部としてまとめられたのであり,そこで採用された調査手法は「住民生活」を捉えた方法として「労働力編成と生活史調査」を重視するというものであった。
 しかし,本書は「地域」の研究として上梓されたのではない。日本における「企業社会」の構造と「企業社会」化を転轍する力が形成される論理の析出という壮大な課題を自らに課して,調査結果の分析方向を愛知県西三河に集中所在するA自動車を頂点とした「A企業集団」に定め,そこにおける労務管理と労働者の生活・労働の実態を構造的に解明しようとしたものである。

 本書は,3部で構成される。「第I部『A企業集団』の労働力需要と労働市場」は分量的にもっとも多いが,分析の核心は,A自動車では現場職制の階梯を昇っていく中核的労働者と労働現場の現実に適応できずに退職していく流動的労働者への二極分化傾向があること,そして,しかるべき就業機会を提供する労働市場の存在がかかる不適応労働者の安定的な排出を可能としていること,しかも,そうした労働市場の一角に,賃金・福利厚生条件は上層ほど高く,単調労働化・労働密度・労働条件は逆に下層ほどゆるいという「A企業集団」の賃金・労働条件の格差構造が存在する点の指摘である(第3章)。
 次に「第II部『A企業集団』の労働者管理」では,かような二極分化を促すA自動車の労働者管理が,「経営者の専権」による「相対的高賃金(等)下での賃金・職務格差」=昇進・昇格のシステムと「経営者主導の大衆運動」とからなっていることが明らかにされ(第5章),他方,A自動車による関連下請企業の労働者管理については,あらゆる面で,同質化ではなく,「A企業集団」として賃金・労働条件の物的格差構造,労働者間の階層格差構造を維持・再生産するなかで「一体化」がはかられていることが指摘され(第6章),さらに他に比して別して特色あるA自動車の「地域管理」が説明される(第7章)。
 以上を総括して,本書全体を締めくくる位置にあるのが「第III部 A自動車における労働者生活と労働者像」である。ここでは,まずA自動車の直接部門労働者を主たる対象とし,厳しい労働実態と職場の時間的枠組みの中で強い疲労を感じながら,その仕事を「アイデアを生かせる」と考えてはりあいを感じているという,労働者の意識面のギャップに注意が喚起される。そして,その要因として「生活安定志向」が存在すること,およびその「生活安定志向」を生み出すものとしての「一代目労働者」という性格と入職後の「企業内における労働者の選別と排出の機構」による同質化とが指摘され,あわせて労働者世帯の面からその背景と「相対的安定の矛盾と限界」が説かれる(第8,第9章)。
 以上を踏まえて,A自動車の企業内価値規範に吸いよせられた自立した人間関係や市民生活の世界をつくりだしえていない,A自動車現場労働者の一般労働者像が描かれ,その上で大企業体制に対する対抗的要因の形成が模索される(第10章)。しかし,それは容易でないことが解る。ここでは少数派労働者の面接記録が分析の素材とされ,少数派活動家の存在が「企業会社」と異質の価値・規範を多数の労働者に与えるという意味で重要であることが析出されるが,しかしなお彼等の組織的力量の弱さは否定できないのであり,組織的力量の定着については本書は客観的可能性を提示するにとどまっている。

 本書は,日本の「企業社会」の実相を「企業集団」の構造として見事に描き出している。同じ対象を扱った近年の業績として,小山陽一編 『巨大企業体制と労働者』(1985年)があるが,視野の広がりと分析の深さという点で,本書はそれを確実に凌駕している。
 しかし,疑問ないし注文もないではない。三点に限って触れておきたい。第一は,本書の分析用具に関わる問題である。序章で示されるように,本書は高度な成長期を経て確立した民間大企業の「企業社会」を,経済効率という目標=価値と労働の細分化・柔軟化,能力主義競争の受容という行動様式の三範疇を核にして捉え,これを分析用具としている。それは労働者の「自発的」受容の契機を重視するものといってよかろうが,第6章では「企業ファシズム」という規定も提示されている。両者はどう整合するか。この二つはそれに対抗する主体形成の仕方が違ってくると考えられるだけに,説明が欲しいところである。
 第二は,A自動車の労働組合の位置付けについてである。第5章で「労働組合は経営者にとって労働者の同意を獲得する強力な装置ということができる」と記されているが,労働組合の組織と活動についての具体的検討はない。A自動車の労働組合が労働条件決定にその役割を果たせていないことを考えるならば,A自動車では労働組合を必要としないほど経営者主導で「企業社会」化が進んでいると見た方が実相に近いのではないか。評者は,日本の「企業社会」には,組合の存在をビルトインしたそれと,組合が実体的にはなくても済まされているそれとの,二類型があると考えるものである。
 第三は,著者達も熟知している点であるが「企業社会」の論理を「企業集団」という広がりで検討しながら,変革主体の形成についてはあまりに狭い範囲で論じられている,ということである。小集団活動の積極面からの発展を展望するには本書の研究対象は材料が乏しいと考える。しかし,本書が析出した,働きがいや「自由」を選んで下層下請企業に移動する労働者に,変革主体形成の可能性ありや否や。評者は「周辺革命論」を採るものではないが,少なくともその検討だけは行なってもらいたかったという想いを強くする。
 以上の注文に応えようとするならば,なお調査を重ねなければならないだろう。評者も重々承知しているつもりではある。しかし,本書を実に貴重な業績と考えるだけに,望蜀の想いを禁じえなかったのである




1988年11月,法律文化社,6,500円

かみい・よしひこ 埼玉大学助教授

『大原社会問題研究所雑誌』第373号(1989年12月)



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