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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



岡本 秀昭 編著
『国際化と労使関係――日本型モデルの含意



評者:亀山 直幸



(1)

 本書は,舟橋尚道教授の還暦を記念して,「舟橋教授の友人や知人である労使関係研究者や,舟橋ゼミおよび法社会学研究会の同窓で構成する『雑草会』が発議し,企画したものである」。従って,「この本の執筆者たちの多くは,舟橋教授の友人や後輩であり,そのなかで,この本のテーマと関連が深い研究に関与している人達であり,また,このテーマについての舟橋教授の従来からの議論に注目してきた人達である。このこともあってか,この本の全体的な基調には『日本型モデル』についてかなりな程度まで,統一的な認識が形成されているように思われる。それは,かつてのモデルとしてのイギリスやアメリカのシステムの場合がそうであったように,生産技術や経営技術などの技術的側面や,それに準じる組織などに比べて,より社会的,文化的に規定される個性的な諸特徴は,容易に移植され難いこと,しかし,それにもかかわらず,かつての各種のモデルの場合がそうであったように,そのような個性的諸特徴のなかにも,より普遍的なモデルたりうる側面と,そうでない側面とが共存していること,しかも,かつてのモデルの場合がそうであったように,より普遍的な側面のすべてが,経済的,社会的進歩にとってプラスであるとは限らないこと,など―すなわち,その光と影―を自他ともに十分に自覚する必要があるという認識である」。
 引用が長すぎるきらいがあるが,本書の編集者である故岡本秀昭教授が執筆された「まえがき」は,本書の編集意図を最もよく表現していると思われるので,もう一つ紹介しておきたい。「多国籍企業の主たる供給国は,たとえば,十九世紀後半のイギリス,第二次大戦後のアメリカのごとくに,歴史的に大きく変化してきたが,その時々の生産力の発展において指導的な国々であったのであり,それら諸国の労使関係など,生産力に関係が深い社会構造は,それら諸国の技術的システムとともに,程度の差はあれ,その時々の『モデル』として意識される傾向があり,『モデルとしてのそれら諸国の労使関係』は,それの受容を是とするにせよ,あるいは非とするにせよ,多くの国々で,その時々に,重要な『時代の問題』となった。そして,この『時代の問題』は,社会思想から作業方法の選択という実践に至るまでの,多くの場面に及んだのである。日本の多国籍企業が,かつての,イギリスやアメリカほどに拡大するのか,そして,日本の労使関係システムが,かつてのイギリスやアメリカの場合ほどに『時代の問題』となるかどうかは,まだ未知数なのであるが,今や,日本の多国籍企業化は加速化してきており,また,日本の労使関係システムは,世界の各地で,ある程度まで,『モデル』ないしは,『時代の問題』として意識されるようになった。この本の全体的な問題関心は,このような状況において,モデルとしての日本的労使関係の今日的意義―その可能性や限界―についての議論への貢献を意図したものである。」
 以上のような問題意識,編集意図が極めて的を射たものであり,時代の求めに応じたものであることに異論があるとは思われない。従って,書評の任務は,本書の中で,この課題がどの様にこなされているかを検証することにある。

(2)

 先ず最初に,私には,「この本の全体的な基調には,『日本型モデル』についてかなりな程度まで,統一的な認識が形成されている」とは読み取れないのである。それは二つの論点をめぐる。第1に,「それの受容を是とするか,非とするか」という点に係わり,第2に,「移植可能性」に係わる。
 日本の労使関係,雇用慣行が他国にとって一つのモデルとなり得る,またはそこから「学ぶ」ことによって,他国も日本と同じ様な「良好な経済的パフォーマンス」を実現できるのではないか,といった理解は極めて最近になって生じたものであることを認識しておかなければならない。日本の社会科学者の多くは,日本の労使関係・雇用慣行を「遅れた」ものと考えていたのである。 K.E.サーレイは「日本の労使関係と在外日本企業の労使関係」の中で,「日本の観察者のイデオロギー的転換」として,次のように述べている。「少なくとも1950年代の終わりまでは,労使関係は,近代的エリートの関心領域であったのであり,さらにいえば,それは,外国の先進的なモデルとの比較における日本の労使関係の『後進性』を憂慮し,諸外国の最近の施策を移植しようとした人たちの関心領域であったのである。」「ところで最近の15年間に,経済的成功が,伝統主義者と国際主義者の双方を含めて,日本人に自信をもたせた。その重要な結果の一つは,労使関係の『原産化』ともいうべき傾向である。日本の労使関係の多くの側面は,今や『特殊的(ユニーク)』なものとして認識され,また,日本的モデルの成功的要素として受けとめられるようになった」。ここに,日本の労使関係・雇用慣行を以て,他国とは全く異なる独自の性格を有するもの,つまり一つのモデルとして理解しようとする傾向に対する懐疑が表明されている。
 これに対し舟橋教授は,「日本と諸外国の労使関係の共通性を強調する見解は,日本の労使関係がどこの国にも適用できる普遍性を持つとする独善的な考え方を導き出す可能性が大きい」として,その特殊性を重視する。
 もちろん,岡本教授が言うように,本書のテーマは「まだ,十分に成熟していない事実関係や考察の方法についての試論を述べる部分が少なくない性質のもので」あって,論者によって見解が異なること自身は否定的に評価されるべきではない。気になるのは,こうした違いが,事実認識の相違に立ち入る前の,「イデオロギー」なり,問題への接近姿勢といった領域で生じているように思われる点である。つまり,議論が「科学」のレベルに達していないのである。
 例えば,F.ヒュルステンベルク教授は日本における教育・訓練と熟練にふれて次のよう述べる。「日本では,大企業によって雇用された人達や,ごく少数の職業的過程を成功裡に終了した若年者中の一部だけが,体系的な訓練によって得られる水準の熟練を習得するにとどまっている。その結果は,特に中小企業分野において顕著にみられるところの,日常的に観察される問題状況である。すなわち,平均的な労働者の仕事は,西欧の同僚にくらべると,かなり遅く,また,熟練度は,しばしば,西欧の熟練工の水準に達しない,ことである。職場での個々の労働者の活動範囲をみるとかなり狭い。そして,何か例外的な事態が生じると,同僚や監督者との事前協議を必要としている。」
 なんらかの「予見」を想定せずに,こうした理解を事実認識の問題として読みとることは困難である。日本の労使関係・雇用慣行が他国にとっても有効であるか否か,あるいは移植することが可能であるか否かといった,実用主義的な議論の前に,議論・検討の枠組みの精緻化が求められているように思われるのである。本書が,分析を急ぎ結論を出すことにこだわるよりは,研究の方法を研ぎすませることにより多くの努力を傾けたなら,より多くの成果を生んだのではないかと考えるのである。

(3)

 もちろん,私の能力と限定された「書評」の紙幅では,そうした作業を行えるとは思えない。ここでは,「視点」をめぐって,気になった幾つかの点に触れるにとどめておきたい。
 先ず第1に,「移植」の可能性に係わる議論が必ずといってよいほど逢着する問題に「雇用慣行」と「文化・生活」の関係がある。つまり,文化的基盤を異にする国に雇用システムだけを移植しても,「文化・生活」との間で拒絶反応が起き,成功しないという理解である。ここで奇異に感じるのは,労使関係・雇用慣行は「社会的・文化的要素」の外部にあって,それとどう対立し,あるいは調和するかという認識の枠組みである。まさしく,雇用の世界は「文化・生活」の重要な一部を形成しているのであり,雇用における変化は「文化・生活」の変化を必然的に惹き起こすのである。日本における雇用慣行の変化が日本人の生活をいかに変えてきたかを考えるなら,変わらざる生活と外部から移植された雇用システムという理解の仕方に疑問を持ってもよいであろう。
 第2に,「日本的」なるものの安易な一般化にもう少し臆病になるべきではないだろうか。例えば,フュルステンベルク論文では日本の企業内訓練は人事管理的,集団主義的,同僚集団形成的であり,「西欧」ではより職業能力主義的,機能主義的とするが,とするなら日本では仲間意識が強く,企業への統合意識は強いが,職業能力においては劣る労働者が形成されるはずであるが,そして先に引用したように,そうした理解が示されているのではあるが,それでは日本企業の生産性を説明できないだろう。そもそも,それぞれ異なった性格を有する日本以外の諸国を一括して「西欧」と把握するような思考様式からは,何が共通しており,何が特殊的なのか,「日本的」とされるものが日本においてどの程度支配的であるかといった,実証的な議論は生まれてこないだろう。
 最後に,労使関係・雇用慣行を固定的で,独立的に形成されビルトインされたシステムと考える傾向に対する懐疑である。この点に関しては,島田晴雄論文の中での次の立言に注目したい。「ひとくちに日本的労使関係といっても,それは産業部門や企業によって多様であり,かつまた絶えず変化をしているから,固定的なモデルが存在しているわけではない」。まさしく,労使関係とは変化するものであり,企業や産業によって異なるものであり,不変の一般型など存在しないのである。さらに重要な点は,経営管理者,労働組合,労働者といった当事者たちの行動を通して実現されるものであり,そうした行動から独立したものとしてシステムがあり,それさえ移植すれば,何か起こったときにそのシステムが自動的に作動し,日本におけると同じ結果を生み出すというものではない。
 日本には,膨大で精緻な実態調査が集積されており,日本内部における多様性が明らかにされている。「紹介」のための安易な一般化・要約に堕さず,現実の姿をそのまま伝えて行くことが,今,必要になっているように思われる。




総合労働研究所,1988年4月,573頁,9,000円

かめやま・なおゆき 日本労働研究機構研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第379/380号(1990年6/7月)



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