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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



濱野一郎・遠藤興一編著
『社会福祉の原理と思想 ――主体性・普遍性をとらえ直すために

評者:岩崎晋也

1 はじめに

 社会福祉の領域で,学生向けの概説書は多数出版されている。しかし社会福祉の原理や思想をテーマとした本は少ないといえよう。その点で,「入門書ないしは概説書として標準的なもの」を出版意図とした本書の試みは評価されなければならない。だが,現在の社会福祉学の状況は,現実の制度改革の跡付けにエネルギーを割かれ,本質的な思想や原理の議論がいささか低調であることは否めない。

 戦後の我が国の社会福祉研究には,社会福祉の本質論争といわれる「政策論」と「技術論」の対立の時代があった。その論争は,確かに「不毛な論争」と呼ばれても仕方がないほど論争自体の生産性は低かったが,それぞれの立場から社会福祉の体系的理解を図ろうとし,社会福祉の本質探求への関心が高かった。しかし1970年代半ばの高度経済成長の終焉と同時に起きた「福祉見直し」以降は,社会福祉の本質論争の棚上げ化が起き,政策解釈と援助技術に二分化された状況が続いているのである。近年,こうした閉塞状況を打開すべく「パラダイム転換」が社会福祉学会でもキーワード化されている。しかし新たな「パラダイム」は未だその姿を見せていない。

 本書は,こうした社会福祉の状況にあって,これまでの議論を整理するとともに,それぞれの分担執筆者の視点から今後の課題と展望を明らかにしようとしている。その結果,編者自身があとがきで述べているように,「それが思想内容にかかわるだけに,各執筆者間の調整が難しく,形式的なこと以外は一切行わず,当初の意図からは若干ずれるような結果」となっているが,致し方ない選択であったのではないだろうか。本書評では,各章の内容を紹介するのはもとより,各分担執筆者が記した課題と展望を整理することで,近年の「パラダイム転換」の議論が目指している方向性を探ってみたい。

2 本書の概要

 本書は10章構成となっている。第1章「福祉国家と福祉社会」(濱野一郎)は序説として位置付けられている。本章では,社会福祉を広く社会保障ととらえナショナルミニマムの現代的意義を述べている。さらに,福祉国家を超えるものとして位置付けられた福祉社会へ向けた展望とその課題を論じ,全体の課題の中での各章の位置付けを行なっている。その要点は,第一に,女性・児童・在日外国人・障害者・ホームレスなどが抱える現代の生活問題の再考である。第二に,そこから導き出される「人権」の視点であり「自己実現」の要請である。第三に,福祉とコミュニティの関係性の問題である。  第2章「思想史としての社会福祉」(遠藤興一)は,これまでの社会福祉の人物史研究が,顕彰的人物論に傾きがちであり,その人物が置かれた社会的状況とその思想との「アンビヴァレントなもの」の止揚としての実践の意義が見落とされていると指摘している。その上で石井十次,留岡幸助,賀川豊彦,小河滋次郎,志賀志那人,岡弘毅といった明治から昭和にかけて活躍した社会福祉の実践家を紹介している。最後に,思想史研究に必要な視点として,その人物が活躍した「場」という空間的な視点の重要性を述べている。

 第3章「戦後社会福祉理論の系譜」(田中治和)は,まず戦後社会福祉理論の類型化と系譜を大別し,その上で孝橋・岡村から三浦に至る10名の代表的理論の概要を述べている。最後に今後の課題として,先行理論の文献研究にとどまらず,蓄積された実践に対して,「社会福祉(学)独自の人間観に基づく対象論と『利用者から学ぶ』視点からの方法論の考察が不可避」であると述べている。

 第4章「社会福祉政策の動向と理論的視角」(松井二郎)は,「福祉見直し」以降の政策動向を,「経済的なるもの」「社会的なるもの」「政治的なるもの」の三つの視点から分析している。そして総合的な視点から近年の政策動向を分析すると,民営化や効率化といった「経済的なるもの」の新たな変化に合わせた社会福祉政策の再編を基本方向としつつも,その軌跡はジグザグな蛇行的軌跡をとっており,そこに「社会的なるもの」の政策への反映と「市民型福祉」の創出の可能性を見出している。

 第5章「ノーマライゼーション・共生と社会福祉」(中野敏子)は,社会福祉の「パラダイム転換」のキー概念として「ノーマライゼーション」と「共生」を位置付けている。しかし「ノーマライゼーション」は,一つの外圧として我が国に提起されてきたのであり,糸賀一雄の思想に見られる土着の「共生」という思想との関係性が問題であると論じている。まず「ノーマライゼーション」を,優生学思想に代表される「近代のひずみ」を乗り越えようとして発生した側面を強調し,単に「マジョリティへの適応」を促す「同化」ではなく,「異化」を容認する「多元主義的」側面に,「パラダイム転換」の要素を見出している。その上で,我が国のこれまでの「共生」思想が,「同化」の側面を強調する実践思想であった点を指摘し,そのギャップを埋めるためには,外来の思想を「当然の思想」として「専門職主導」で位置付けるのではなく,「異化」としての文化の生活意識化を方向づける原理・実践が不可欠であると述べている。

 第6章「自由・平等・人権主体としての社会福祉」(北川清一)は,まず社会福祉における援助活動の概念の変化を追いながら,援助を働きかける側とその働きを受けとめる側との関係は,いつの時代にあっても,働きかける側の意図や立場が重視されてきたと分析している。しかし近年重視されてきた「参加」の概念に見られるように,被援助者を社会福祉の客体としてではなく,新しい制度を創出する主体に転換する動きがある。そうした動きに呼応する援助とは,「援助する」といった一方的な関係ではなく,双方の対等な信頼関係に基づいて,結果的に利用者にとって利用するだけの意味があった「援助となる」活動に変化しなければならないと述べている。

 第7章「自立・自己実現の主体としての社会福祉」(谷口政隆)は,社会福祉がマスローやロジャースの「自己実現」概念から影響を受けながらも,その思想の具体化に立ち遅れている面を指摘し,エンパワーリング・プロフェッションとしての社会福祉の方向性を描き出している。まず「自己決定」「参加」「市民権」「消費者(主義)」という原則が,経済的・政治的に無力(パワーレス)な人々にとっては効果がないか,または成立し得ない状況がある点を指摘して,社会福祉実践が単なる「相談」を超えて,エンパワーメントに向わざるを得ないと述べている。その上で,エンパワーメントの実践には,制度の変革やコミュニティの創生といった政治的エンパワーリングが欠かせないと述べ,コミュニティワークの手法としても,従来の住民すべての合意形成を促す「小地域合意形成モデル」から,特定のクライエント・グループの限定的な利益を促進することを追求する「集団アドボカシー・モデル」,さらにはよりラディカルに権力の再分配を目指す「対立・葛藤モデル」の必要性を述べている。

 第8章「地域福祉の思想としての『住民主体』」(柴田謙治)は,まず「1962年社会福祉協議会基本要綱」で組織原則とされた「住民主体」が,「アメリカのコミュニティ・オーガニゼーションの直輸入」ではなく,戦前の「公私の関係者主体」の社会事業が国民に定着しきれずに戦時厚生事業へと屈折したことの反省に立つものと位置付けている。その上で,半官半民的な性格を有する社会福祉協議会が,「住民主体」の組織原則と,行政,社会福祉協議会の組織構造がもたらすジレンマの中で,イデオロギーを超えた地域組織化実践を行なった点に着目する。最後に昨今のケアマネージメント論が,社会福祉協議会を位置付け直すという風潮に対して,これまでの地域組織化実践の理論的検討が不充分なままでは,安易に「理論」の接ぎ木になるのではないかとの懸念を表明している。

 第9章「ボランタリズムと社会福祉」(土志田祐子)は,社会福祉においてボランタリズムの議論の曖昧性が有する問題点を以下の3点に分けて指摘している。第一に,ボランタリズムの理論上の問題として,西洋のボランタリズム研究が宗教的思想に偏っていたとし社会学の行為論による分析を紹介し,その本質を権力からの自律性に基づく社会性・連帯性であるとしている(義務や義理の強制的な相互扶助や有給の仕事は除外される)。第二に,こうしたボランタリズムの本質に照らして,現状のボランタリー・アクションが異質な要素(職業組織化・運営の官僚化・営利化など)を取り込んできており,ボランタリズムの同志的集団の要素が薄められている。第三に,地域におけるボランタリズムの役割を,「住民参加」や「主体性」の観点から捉え,「公」と「私」の間にある「公共」の問題として位置付け,「自治型地域福祉論」を紹介している。

 第10章「宗教における社会福祉」(豊福義彦)は,社会福祉実践の思想的基盤をヒューマニズムととらえ,特に明治以降わが国においても大きな影響力を与えたキリスト教的ヒューマニズムに焦点をあてて,明治・大正期の実践とその思想的基盤を紹介している。

3 社会福祉のパラダイム転換の方向性

 以上,本書の内容を紹介してきたが,内容は多岐に渡っており,すべての分担執筆者の問題意識に論及することはできないが,いくつか共通する課題を取り上げ,本書が示唆するパラダイム転換の方向性を検討してみたい。

 第一に,社会福祉の人間観の転換である。本書の主に6・7章に関わるこの問題は,近代が創り出した「自立・自己決定できる主体」という人間観,そしてその裏返しとしての自立・自己決定できない主体としての被援助者という人間観を転換することを志向している。福祉国家の弊害の一つは,専門職主義である。そしてこの弊害を生み出した一つの要因は,社会福祉の援助者がこうした近代の人間観から脱却できなかったことにあろう。本書では,そこから脱却する方向性を,「参加」や「エンパワーメント」に求めている。しかし谷口が指摘している様に,政治的エンパワーリングが伴わなければ,単なる社会福祉の援助関係上の問題に矮小化されてしまうであろう。そしてこの政治的エンパワーリングに向かうには,社会福祉の社会観の転換が問題となるのである。

 第二は,社会福祉の社会観の転換である。本書の主に4・5・7・9章に関わる問題は,合意形成の基盤となる社会をどうとらえるのかという問題である。福祉国家は,19世紀末の集合主義の時代に,その基盤が創り出された。国民という等質性を仮定された単位を基盤に,生活の質の平等を図ろうとしたのであり,「あるべき状態」に関する合意なしには成立しえなかった。しかし現代においては,等質性の仮定,国民という単位の取り方,「あるべき状態」に関する合意のいずれもが,疑問視されているのである。本書で述べられている「市民型福祉」,「異化」としての文化の生活意識化,「対立・葛藤モデル」,「自治型地域福祉論」はいずれもこの問題に関する新たな方向性を模索するものと言えよう。だがこれらの方向性は,問題性の捉え方の力点の違いによって,相互に対立点を有していると言えよう(例えばグループ間での合意形成の可能性の有無など)。そしてこの論点は,中野や柴田が指摘するように,外来の思想が我が国の実践の中で検証されていく過程なしには深めることはできないのである。

 第三は,社会福祉の原理への探求である。本書の主に2・3・5・8章に関わる問題は,社会的な問題の解釈から解決への過程を理論化する際に常に付きまとう問題である。原理や思想という形而上の問題と,風土や文化,歴史性,さらには実践との乖離を,どう乗り越えて実践理論を形成するのか。この点を考えれば,社会福祉のパラダイム転換は,外来の思想の輸入だけではなされず,それを支持する新しい社会運動や実践なしには起こり得ないと言えよう。

 実際,イギリスのSocial Policy Associationが監修したモThe Studentユs Companion to Social Policyモ(1)では,新しい社会運動として,フェミニズム,反人種主義,障害者運動,環境保護主義などが,社会(福祉)政策に与えた理論的問題が紹介されている。現在の我が国の社会福祉が抱える理論的閉塞状況を打ち破るためには,運動・実践への研究者のさらなるコミットメントが求められている,というのが本書を読んだ評者の最も印象に残った感想である。

a Alcock, P. , Erskine, A. & May, M.(eds.), 1998, The Studentユs Companion to Social Policy,Blackwell.



濱野一郎・遠藤興一編著『社会福祉の原理と思想―主体性・普遍性をとらえ直すために』
岩崎学術出版,1998年3月,iii+195頁,定価本体2800円+税

いわさき・しんや 法政大学大原社会問題研究所助教授

『大原社会問題研究所雑誌』第497号(2000年4月)



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