OISR.ORG へようこそ 法政大学大原社会問題研究所
 

牛島千尋著
『ジェンダーと社会階級』

評者:伊藤 正純




 「ジェンダーと社会階級」という魅力的な表題に惹かれて書評を引き受けた。というのは,日本の階級関係および階級構造における性による違いや,男女別の階級意識の違いを展開した書物がほとんどないからである。そもそも階級論で性の問題が成り立つのかどうかという大問題すらある。したがって,この難問に挑んだ著者の問題意識と勇気は高く評価する。
 このことは,次に示す本書の構成からも見てとれる。
 はじめに,第1章 ゴールドソープの階級論とライトの階級論,第2章 「女性の階級」研究,第3章 職業移動と労働市場移動,第4章 労働市場分断,職業分断と女性就労者,第5章 階級構造と女性就労者の階級状況,第6章 階級と意識,第7章 家族と階級,まとめと展望。

 しかし正直に言って,本書が解決した点は,この離間のうちわずかであろう。私は,むしろ多くの課題が残されたという印象を持った。
 経済学(それも従来の用語法で言うと,マルクス経済学)専攻の私にとって,社会学でいう階級論の本を読むのは,難儀だ。そもそも,本書で使用しているネオ・ウェーバー派(ゴールドソープ)の階級論やネオ・マルクス派(ライト)の階級論が,どこまで現実の社会階級の関係と構造を掴んでいるのかという根本的な疑問すらある。私の社会階級の把握の仕方と,根本的に違うということをまず指摘しておく(拙稿 「現代の社会階級」平田清明他編『現代市民社会の旋回』昭和堂,1987年)。そのうえで,つまり本書での両派の階級論の使用を前提と認めたうえで,本書を読み進めていくと,本書があまりにも著者も参加された国際調査の調査データに制約されすぎていることに気づく。言い換えれば,本書の展開は,その大半がこの調査データの統計的処理に終始しているということだ。しかも著者は極めてまじめに,この枠内での主張に自己を禁欲している。
 本書成立の経緯は,「はじめに」のところの説明から推測するに,ネオ・マルクス派のライトが提唱し,世界20ヶ国のチームが参加した『社会構造と社会意識に関する国際比較研究プロジェクト』の一環としての「首都圏調査」に著者が関わり,そのなかで行なった「女性の階級に関するテーマ」を,全体の調査結果から独立させ,独自に取り出したということであろう。「女性の階級に関するテーマ」は,1970年代後半から展開されるようになったもので,斬新なだけにそうしたのであろう(m頁,参照)。
 そのためか,第3章以下第7章までの全5章の具体的な階級分析の展開は,すべてこの「首都圏調査」の調査分析に終始している。ところが,第3章冒頭での調査概要の説明によると,この調査は,東京駅から30キロ圏内に含まれる区市町に在住する20歳以上65歳以下の男女2000名を対象として,1987年2月に実施したァンケートによる面接調査である。そして有効票は823サンプル(回収率4L1%)で,このうち女性は463名,男性は360名で,本書がもっとも重視する有職者は女性291名,男性352名で,それぞれ対象者の62.9%,97.8%である。
 著者は,あらかじめ学生を対象からはずしたため,男女とも『労働力調査』や『国勢調査』の労働力率よりも高くなった点と,調査母集団が首都圏住民であることを反映して,職業構成が全国平均と異なっている点を指摘している。つまり,男性では専門・技術職,管理職,事務職が多く,技能・製造・建設作業者および労務作業者が全国平均より大幅に下回っており,女性では事務職,販売職,サービス職は大幅に上回っているが,専門・技術職はやや下回り,技能・製造・建設作業者および労務作業者は男性同様,平均を大幅に下回っている(51−52頁),と。
 したがってこの調査データでは,初めからブルーカラー労働者は全国平均より大幅に下回っており,階級構成が全国平均とは大きくズレているという問題点がある。だがこの点は措くとして,それ以上の疑問は,そもそもこんな少ない数の母集団(有職女性は291名)で,はたして「女性の階級」構成や階級意識が析出できるのかということだ。これは本書にとって決定的な点だが,私はこの種の調査の専門家ではないので,これ以上は触れない。

 では,著者が使用する階級概念と「女性の階級」研究が成立することを展開した第1章と第2章から簡単にみていこう。
 「ゴールドソープの階級論とライトの階級論」と題された第1章で著者が言いたかったことは,おそらく次の一文だけであろう。つまり,「本書は,経験的アプローチを展開している2つの流れ,ネオ・ウェーバー派とネオ・マルクス派のうち,前者についてはゴールドソープの,後者についてはライトの階級論と階級分類に依拠した分析をおこなっている。……両者については続く節で紹介していくが,その際,彼らのよって立つ立場によって,ライトモデルを『階級』,ゴールドソープモデルを『階層』などと区別することはしない。こうした区別は混乱を招くぽかりである」(3頁),と。
 私がだけを強調したのは,本当に「続く節で紹介」されているのが,職業グループ,従業上の地位(自営業,被雇用者),事業体の規模(従業員数),職制上の管理・監督的地位の4変数から構築されたゴールドソープ階級と,支配や搾取から構築されたライトの旧階級および新階級だけだからである。だが本当に,両派の階級概念はどちらも有効で,両者を階層・階級と区別することは混乱を招くにすぎないことを,理論的に展開する必要はないのだろうか。日常意識においてほとんど「階級意識」など持たない国・日本で,階級論というテーマを議論しようというのであれば,第1章はこのような単なる両派の階級概念の紹介ではなく,もっと総論的な叙述があって然るべきだと私には思えるのだが。

 第2章は,「女性の階級」研究という問題構成が成立するかどうかを展開している部分だけに,ここでの議論は私にとって新鮮だった。特に「女性の階級」を考える場合,階級の分析単位を家族にとるか個人にとるかが,「女性の階級」研究の成否を決することを論証しようとした点がよかった。
 著者の紹介によると,ライトはこれまでの階級の分析単位の研究を,2次元〔第1次元は家族か個人か,第2次元は単一か複合か〕の組み合わせで整理する。つまり,1「単一・個人」でみる従来のマルクス派の立場,2「単一・家族」でみるネオ・ウェーバー派(ゴールドソープ)の立場,3「複合・家族」でみるヒース,ブリテンの立場,そして4「複合・個人」でみるネオ・マルクス派のライトの立場と。そしてライトは,家族の強い影響を複合において受けとめつつ,基本的に階級の分析単位を個人でみる第4の立場がもっとも妥当する証拠として,スウェーデンを挙げ,「スウェーデンにおける男性と女性の間の経済的平等や女性の労働組合への参加は,女性の仕事へのアイデンティテ』を形成し,女性の階級帰属意識にその階級的位置が意味を持っていることを示している」(44頁)という。この議論は説得力があると思った。ただし,スウェーデンの男女のほぼ公平な家庭生活を含めた仕事の共有=分担を知っているがゆえに(拙稿「なぜスウェーデンの女性は働き,働き続けるのか?」『労働調査』1994年11月,参照)。
 この問題は,当然,著者のいう新マルクス主義フェミニズムの問題意識と重なってくる。著者によると,新マルクス主義フェミニズムはこれまでの階級論では問われることがなかった女性の家庭における労働が,階級の基盤をなす資本制と連動していることを強調し,「女性が市場において行う労働と家庭において行う労働とが,ともに女性の搾取という物質的基礎を持っており,『家父長制』によるジェンダー不平等と『資本制』による階級関係の不平等とは,別のものではなく連動したメカニズムによって生成」すると捉える(46頁)。そして,著者も 「ジェンダー差別と階級差別が分けがたく結びついていることは疑いのない事実」(47頁)だと認める。
 ところが,この家庭内労働と市場労働との 「連動したメカニズム」は,本書では分析されない。著者は弁明して,次のように言う。「本書では,全体像の半分よりはるかに少ない部分しか見ないことになることは重々承知の上で,主として市場労働を対象に,階級社会が個人や家庭に対して持つ結果の分析を展開していく。その際,……ジェンダーによる不平等と階級による不平等を,分析上は別の不平等としてとりあげていく。……前者は,性別分業,職業の性別分化,労働市場の性別による分断として,後者は性別を貫いてみられる階級間の経済的不平等や労働における権利の不平等な分配として………」(47頁)。一
 どうして「重々承知の上で,主として市場労働を対象」にした分析しか行なわなかったのかの真意はわからない。推測するに,家庭における労働に関する調査データがとれていないということであろう。だがこれでは,「別の不平等」としてとりあげられた「ジェンダーによる不平等」は,単なる「性別分業,職業の性別分化,労働市場の性別による分断」でしかなくなる。しかも,支配や搾取から構築されたライト階級を用いると,有職女性の多くがプロレタリアートやアンクレデンシャルド・フーカーに分類されるためか〔168−169頁,この部分は第5章を著者が要約したところ〕,市場状況から構築されたネオ・ウエー”バー派のゴールドソープ階級を用いて,階級間のジェンダーの差をみようとする。そしてこの両者があいまった結果,本書での「ジェンダーと社会階級」の議論の多くは,従来階級論という名を冠してはいなかったが,男女の就労上の差異の特徴を明らかにしてきた労働経済学の議論とほとんど同じものになった。
 「ジェンダーと社会階級」という著者の問題意識の鋭さは認める。しかしこれでは非常にきつい言い方だが,“看板に偽りあり”だ。そしてその最たるものが,第3・4章の展開内容だろう。すでに我々が知っていることとほとんど違わない。 したがって,私はこの部分を批評しない。また第5章の展開内容も,調査対象者の職業構成から考えて予想できるものなので批評しない。

 第6章と続く第7章は,社会学ならではの展開で興味深かった。第6章では,まず階級意識を階級帰属意識〔上層(上流)階級,中産階級,労働者階級〕と階層帰属意識〔上,中の上,中の下,下の上,下の下〕との関連で調べ,男女とも両者に相関関係があることを明らかにする(118頁)。これはよくある議論だ。
 ところが本書に独自な議論は,男女差を析出すべく階級意識と不公平意識とジェンダー意識の関連を調べた点にある。その結果,多くのことがわかったという。主な点を挙げると,「男女ともに,ジェンダー意識と階級意識とが不公正意識〔著者は127頁では不公正意識と表現〕を媒介として結びついている」こと,また 「ジェンダー意識と階級意識とは別の意識と考えることができる」こと,そしてこの両意識は階級帰属意識に同じ程度の効果を与えるが,「とくに,女性に関しては,強いジェンダー意識が労働階級〔階級、と・のマニュアル労働者と農業労働者〕へのアイデンティテ』に効果を持っている」ことが,それである(127一129頁,なお〔 〕内は私の補足)。
 だが,この議論にも疑問がないわけではない。そもそも,ゴールドソープの階級構成のうえに,ライトの階級意識の調査項目を用いた結果と,各々簡単な3つの質問しかしていない 「不公平意識」と「ジェンダー意識」との調査結果をクロスしても,これで果たして階級差が調査できているのかという疑問である。 125頁の表6―10の数字をみればみるほど,この疑問は強くなる。なお,125頁の「不公平意識」の質問3は,本当に「肯定」なの?
 女性の場合,「サービス階級〔階級Iの上下の専門職,行政官・職員,技術者,監督者など〕で労働階級帰属意識が最も高い(48%)」 (129頁)という。だがこれも,首都圏調査の有職女性の職業構成から考えて容易に想像できる。つまり,有職女性は周辺労働市場に分断され,下位ノンマニュアル階級に位置する者が多いということだ。
 第7章「家族と階級」で著者にもっと展開してほしかった部分は,デュアル・キャリア家族 〔夫婦ともに高学歴が特徴〕とクロス・キャリァ家族〔妻が夫より高い階級的地位(階級順はサービス階級,中間階級,労働階級)にある家族〕の部分である。ところが,これらの家族はサンプル数が非常に少ないうえ,日本ではまだまだ本当のクロス・キャリア家族となるような結婚を,女性がしていないという〔男性がしていないのではないかとも言えそうだが〕。
 ところで,第7章で著者が展開している「既婚女性の就労とジェンダー意識」の箇所は,スウェーデンとの比較で日本の男女平等のあり方に興味をもっている私には,当り前のことだった。著者は,「妻が非就労の男性よりも妻が就労の男性の方が,また妻が就労の場合には,自営や局辺労働市場よりも中核労働市場にある方が,性別分業を否定するものが多い」(144頁)という。しかじ現在は,この事実を指摘してすむ段階ではないであろう。むしろ,なぜそうなるのかを明らかにしなければならない段階ではないのか。そのためには,やはりどんなにむずかしくとも,家庭での男女別の労働の分担を絡めた階級論を展開しなければならないだろう。




恒星社厚生閣,1995年5月,vii+178頁,定価2,781円

いとう・まさずみ 桃山学院大学教育研究所教授

『大原社会問題研究所雑誌』第446号(1996年1月)




先頭へ
書評一覧へ
電子図書館へ
研究所ホームページへ