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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



梅田俊英著
『社会運動と出版文化 ――近代日本における知的共同体の形成

評者:伊藤晃

(一)

 「近代日本の諸社会運動と出版ジャーナリズムとは密接に結合している。社会運動とは,あたかも定期刊行物を出し続けることにありと考えられてきたようである」と本書の冒頭にある。著者の言う「社会運動出版」は商業的に成り立ちさえした。その理由を本書は問おうとする。この問いへの答えの見通しを述べた序論では,著者は出版取締り体制が社会運動出版を抑圧しきれなかった事情を中心に述べているが,全体としての本書の主題はそこにはない。社会運動のなかでの出版活動の機能と役割,その面から社会運動を見るとどう見えるか,出版活動集団(発行・執筆集団)のあり方のちがいでその運動内の機能がどう変わるか,などの問題に著者の関心は向けられている。出版活動をつうじて運動のなかに生み出される知的協力関係を解明することで,1920−30年代日本社会運動の本質に迫りたい,というのである。著者は,これは従来の運動史研究にあまり見られなかった視角である,と自ら言う。

 実際,本書のこの視角は重要なものである。社会運動と出版活動はたしかに密接な関係にあった。1910年代までの社会主義運動は出版活動そのものだったと言ってよい。20年代に大衆運動の時代が来ても,出版活動はますます規模を拡げた。30年代運動の衰退期にも,ある段階まで出版活動はかつての規模を保つ。社会運動の盛期にはどこの国でも大きな出版活動が伴うのだが,日本が運動の規模にくらべて出版活動の大きな国であったことは事実である。これは,日本の社会主義運動の思想的影響圏が組織的影響圏にくらべて大きいといわれることにも関係がある。

 本書の視角が大切なのは出版活動の量の大きさからだけではない。

 大衆的運動はそれ自身なんらかの思想を生み出さずにはいない。運動の目標,行動様式,組織のあり方などにそれは表現される。しかもそれは無自覚的にではなく,どの運動もそれを内に対して確かめあい,外に対して積極的に主張しようとする。このことはもちろんことばという手段なしにはありえない。

 さまざまな運動は,どんな社会集団のどんな社会的立場から発生し,何をどのように解決しようとするかで,ことなった,ときには対立しあう考えを生み出す。それらが社会的に広く接触しあうなかで,それぞれの考えを批判的に突き合わせ,自己の独自な主体性を保ちながらも他を理解し,自己を変革していくならば,そこには一つの大きな運動のつながりが作り出されていくことになろう。この過程は,あれこれのことばに各運動主体がさまざまな意味をこめている状況から,それらのことばの概念的内容が深まり,社会の現実的関係のふくらみのなかでの多様性を包括しうる普遍性をもつようになる過程である。これはどの程度うまく行くかは別として,私たちが運動間の討論に期待することである。

 著者は総括の章で,丸山真男のことばを借りて運動内の「知的共同体」ということを言い,それを「共通の言語,共通の論理的枠組みで論争が展開できる知的基盤」のことだと説明している。私がいま述べたことを著者も言っているのだと思う。ただ私の主張は,「共通の言語」や「知的基盤」というものがどこかにあって,あるいはどこかから与えられて,運動思想がその上に展開するというのでなく,それらはそもそも運動の社会的ひろがり,歴史的な過程のなかで作られるものだということである。そうした運動の主体的なつながりを見ようとするのと,はじめから普遍性を独占するなにかの存在を認めるのとでは,運動史の方法自体がちがってくる。そして私の見るところでは,著者の立場もまた前者でしかありえないのである。

 「知的共同体」の媒介物としてのことばはいろいろな場でいろいろな形でかわされるが,著者はそれを商業出版までを含む出版活動という場にしぼって考察するのである。ことばが特定の相手に発せられ,さしあたってその時かぎりで消えていく場ではなく,広く社会的に不特定の多数に向けて,しかもそのことばが社会のあるひろがりのなかに位置を占めるべく計画的に,持続的系統的になされる活動である。そこでは,自己を表現し他との関係を求める意志がなんらかの主体的集団をなさねばならず,彼らは,相手が不特定とはいっても,自分の思想を理解してそれによって変わってもらいたいような,なんらかの社会集団や運動集団を想定するであろう。著者の方法的立場からして,これは納得できる研究対象の選び方である。

(二)

 そこで,著者の提出した問題の意義が認められるとして,ではその問題は本書でどう追求されているであろうか。第1章以下の各章で著者はいくつかの出版活動を研究する。私たちも各章ごとに著者の述べるところを検討してみよう。私たちがここで著者と共にする視角は,対象となる出版活動は,運動のなかに知的な協力を作り出す上でどう働いたのか,ということである。

 第1章は東京帝大新人会の地方支部を扱い,第2章は島根県にあった小思想集団を取り上げているが,この2つの章は本書の問題からすれば一番おもしろい。地方に生まれる小さな運動・思想集団が主たるエネルギーを出版活動に注ぐグループであったこと,この活動をつうじてこういう小グループが,地方社会に生じてくる批判的空気を変革的運動に媒介する役割を演ずる,この過程が興味深い。つまり,地方社会をゆさぶる上で,これらのグループの運動がことに出版活動であったために,その他の形態をとるのとはちがったどんな役割を果たすことになったのか,ということが追跡されているのである。

 両章からは,地方社会の変革的要素(青年たち)が大きな大衆運動に自己を表現することのできないところでは,出版活動という形が彼らの最初の自己表現の場として適していたことがわかる。出版物に文学的要素が強かったことも,彼らに自分のことばを語らせる上で意味があった。各地の小運動グループがのちに政治研究会や労働農民党支部に発展していくことは,これまでにもいくつもの例が知られているが,本書の事例は,まだ中央からの働きかけが強くない段階での自主的な発生過程を扱っているところが興味深い。そこでは,中央の思想の指導力はやはり強いとしても,それを地方にただ媒介するだけでなく,自分たちなりに消化し,その形で地方社会に伝えるのに彼らの出版物が働いている。

 こうした事例を,長野の伊那地方,秋田,群馬などのよく知られた例と比較研究してみるならば,20年代初期の日本社会主義思想の実態,中央社会主義グループの思想がリードしながらも,それが地方にひろがっていくなかで多少の変容を経た多様さ(雑然さといってもよいが)によってふくらまされた幅が知られるであろう。中央の思想の権威とあちこちで青年たちが自分で何かやってみようとして新聞や雑誌を出す意欲との,各地各段階でのバランスは,興味を引く研究課題であると思う。

 第1,第2両章の意義はこういうわけではっきりしている。ところが,ここでちょっと苦情を言っておきたいが,著者はこうした意義を最初から最後まで明確にみずから押し出すことにおいていささか不徹底である。たとえば79ページで,地域ジャーナリズムについてまとめたところで,著者は“「地域」ジャーナリズム”と,地域にカギカッコをつけて強調する書き方をしている。だが,中央に対する地方の独自性ということだけなら,それに着目する人はこれまでにいくらもいた。本書は,ジャーナリズム活動であることにおいて地方の独自な運動が開拓される局面を,特殊的に扱っているのであるから,ここは“地域「ジャーナリズム」”とジャーナリズムにカギカッコをつけて強調するのでなければなるまい。

 また73ページで,島根の『平民新聞』がかかげた標語,「全県下無産階級の政治新聞たらんことを期す,地方無産階級戦士の結合促進の任務の遂行を期す」を,このグループが地域に根づこうとする意欲のあらわれだという。だがどのように根づこうとするのかが大切なのだ。この標語は『無産者新聞』の「全国無産階級の政治新聞たらんことを期す……無産階級前衛の結合促進の任務の遂行を期す」の焼き直しにすぎない。だが,それを認めた上で,なおかつこの新聞は地方の独自な運動だったのではないか。そう言える根拠を著者は明快に言うべきである。この新聞が島根地方の青年の自己主張,社会批判意識を表現する場になることで,中央からの思想の流れが画一的なひろがりでなく,地方の運動がそこにふくらみと深さを与えるようなひろがりになった。著者が論証したのはこういうことであろう。「地方」ということばを使えば「中央」偏重の研究にたいして独自性を言えたように思うような,よくある考えから著者は自己を区別すべきである。

(三)

 第3章は『社会思想』グループを取り上げている。このグループは,東大新人会から1922年に卒業生グループが分離して生まれたが,学生団体として残った新人会の方が左派への方向をとったのに対して,『社会思想』は,中間派政党と言われた日本労農党と近い関係に入っていった。しかし本書は,こうした党派的基準よりは,このグループの理論・出版活動が社会運動全体のなかでどういう位置にあったかを考えようとする。

 このグループと『我等』グループ,さらに大原社会問題研究所関係者が一体となって,日本マルクス主義にある深さを与えた理論集団が形成された,と著者は考える。これは従来の研究では見すごされてきたことであった。近代日本の知的世界にマルクス主義が与えた影響はけっして小さくない。ことに社会科学・人間科学の諸分野には,マルクス主義を経由した人の活動ではじめて科学的方法論の意識を与えられたものはいくらもある。ところがこうしたばあい,マルクス主義といっても,のちに正統とされるに至った「マルクス・レーニン主義」からは大きくはみ出すことがある。その理論の分析自体は,本書の目的がそこにあるわけではないからなされていないが,研究すべき対象を指し示した功績を著者に認めるべきであろう。ことに改造社版『マルクス・エンゲルス全集』とやはり改造社から出た『社会科学大辞典』を特筆しているが,前者はもちろん,後者も,これまで注目する人がいなかったが,それがふしぎなほど重要な出版物なのである。

 著者は,この理論集団がどのようにして形成されたかを追って,内部に存在した中間派党派との関係を強める志向が後退し,社会思想・社会問題をテーマとする知的協力の場を作る傾向が支配するようになったことを重視している。この点での記述もだいたい納得できるもので,私たちに大きな示唆を与える。ただ田中九一の役割を特筆しているのは,このグループが政治党派としての中間派の枠では理解できないことを言うためであろうが,この人をグループのキー・パーソンだとまで言えるのかどうか,これには疑問も残る。

 第4章は,共産党の27年ころ,いわゆる福本主義時代の政治雑誌『政治批判』を取り扱っているが,私にはあまりおもしろくない章であった。それは,この章が(第5−第7章もそうだが)もともと雑誌復刻版の解題として書かれた(著者は法政大学大原社会問題研究所が続けている社会運動機関紙誌復刻に長らくたずさわってきた人である)せいでもあろう。一書にまとめるに当って著者の視角から書き直した方がよかったと思う。もっとも『政治批判』という雑誌と当時の共産党とが密着関係にあって,出版活動としての独自性がほとんど働いていないから,著者の問題意識はあまり生きないかもしれない。

 ただ,このころの社会主義思想には,大衆の意識の表層をかすめるにすぎないという傾向も強まるのであって,『政治批判』の研究には,このことを解明する糸口をつける意味はあろう。著者の視角からは,どうしてある出版物が運動における知的協力の場にならないのか,という問題も出てくるはずである。

(四)

 第5−第8章では,プロレタリア科学研究所とその出版物『プロレタリア科学』などを研究している。プロレタリア科学研究所は,はじめ左翼的立場に立つ少壮社会科学研究者による研究所であった。ここでの恒常的な研究会活動がさまざまな科学分野での緊密な知的協力を生み出し,それが,20年代とは比較にならないほどの権力の重圧のなかで雑誌の発行を続け,学生・知識人の関心を引きつけることができた理由である,と著者は言う。プロ科は共産党の外廓団体であるという常識だけでは理解できない面がある,というのである。この主張は納得できる。  ただし,このスペシャリスト集団としてのプロ科にたいしては,早いうちから「大衆団体化」を求める声があり,31年ころ共産党の指導が強まることとも関連してこの声が大きくなる。そして科学者同盟=マルクス主義的研究者の全国的同盟,つまりは左翼の科学運動団体化の構想を経て,結局,大衆的な科学サークルを主体とした「科学に関心をもつ大衆の団体」として,一般的な政治的大衆団体と実質上区別できないものになっていく。このこと,またこれによってプロ科がセクト化し,大衆的支持も衰えていくことは,従来も言われていた。本書の貢献は,この過程が必ずしも一直線に進むのではなく,プロ科内部の,独自な領域としての研究活動の面を残そうとする考えとのあいだに論争過程があったことをこまかく追跡した点である。

 プロ科の研究会活動を詳細に記述したところを読むと,プロ科初期の大衆的な支持の大きさは研究的な水準の高さを求める情熱あってのことではなかったか,と感じられる。1930年代は,20年代革命運動の政治的戦線における敗北を理論の戦線で取り返そうという時期であった。そのばあい,20年代の運動における変革性の水準を引きつぐ高さが理論戦線に求められよう。実践的変革を観念における変革で置きかえるという,日本の運動の伝統的傾向に陥りたくないなら,理論は,大衆運動が変革的運動に高まろうとするときに遭遇するさまざまな問題を,自分たちが理論的に研究すべき課題として意識し,そのための集団的研究活動を作り出さなければならない。

 本書のプロ科論は,こうしたことについて失敗した過程を追跡しているのであるが,それが私たちにはっきりと問題のありかを示唆する。つまりここには,知的共同体は大衆までを含んでいかに形成されうるか,という問題が浮かび上がってくるのである。私がこの文章の最初の方で述べたことから考えるなら,これはプロ科論のみならず,本書全体を貫くテーマなのだ,と言ってもよいであろう。

 それは,その後のマルクス主義者の科学研究を考えるときの基準でもある。253ページで著者は,プロ科「大衆化」コースが挫折したあと,プロ科の研究者たちはまた研究の道に戻っていくが,個別科学におけるマルクス主義的方法の追求はここで形をとりはじめるのだと言う。これも重要な指摘である。ここでの研究の道への復帰は,社会諸運動が提出する問題を理論的に研究しようという意欲への復帰であるのか。戦後,大衆運動との結合が全面的に可能になったとき,それらの個別科学研究が辿った道はどんなものであったか。これは本書の対象範囲外のことであるが,著者には言いたいことがありそうである(253,298頁)。いずれその見解が示されるのを待ちたいと思う。

 著者は,各章で扱った出版物について,出版の背景,出版状況,執筆者など実に多くの基礎的事実を明らかにした。これはだれもが認める本書の功績であろう。けれどもそれだけではないことを私は述べてきた。社会運動史と思想史との統一的研究について著者は方法的試みを行ったのだと思う。そしてこの点で著者は,本書をもって研究を完結させたとは考えていないであろう。時期,対象を変えてなされるであろう著者の研究は,私たちにさらに大きな示唆を与えるはずである。それを期待したいと思う。


梅田俊英著『社会運動と出版文化−近代日本における知的共同体の形成−』御茶の水書房,1998年12月刊,vi+361頁,5000円

いとう・あきら 千葉工業大学人文系教授

『大原社会問題研究所雑誌』第488号(1999年7月)


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