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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




小林 謙一 編著
『病院ケース・スタディ−−看護マンパワーの雇用管理と公共政策




評者:井上 信宏



(1)

 本書は,近年とみに問題となっている看護マンパワーの不足について,「産業と労働・福祉の経済学と社会学を専攻する」著者たちが,いろいろなタイプの病院のケース・スタディを行ない,「病院での看護職員の職務や動きとの対応で,不足現象やそれへの対策を調べ,その意味を考察」し,需要と供給の両要因とその調整メカニズムを解明するために書いたものである。加えて結論では,分析の結果をもとに公共政策に対する提案が試みられている。
 本書の構成は,簡単な「まえがき」に続いて以下のとおりである。
第1章 [プロローグ]課題と方法
 1 なにが問題か
 2 医療マンパワーの給与構造と労働時間
 3 ケース・スタディの方法と概要
第2章 [ケース・スタディ]10病院の検証[ケースA]〜[ケースJ]
第3章 [エピローグ]総括と展望
 1 プロフィールと経営状況
 2 ナース不足の実情
 3 不足・定着対策の多様化
 4 今後の課題
 5 公共政策への総合的提案
 なお,第1章の3,第3章の1〜4には,各ケース・スタディの概要,経営状況,看護職員の不足状況,ナース不足・定着対策,今後の課題が一覧表でそれぞれまとめられていて,読者への配慮が感じられる。
 執筆の分担は,ケースA,Bが下山昭夫,ケースC,Dが上林千恵子,ケースFが工藤正,ケースG,H,Jおよびエピローグ1〜3が町田隆男,ケースE,Iおよびプロローグとエピローグ4,5が編者である小林謙一の各氏である

(2)

 本書の課題は,1.看護マンパワーの不足とはどういうことか(第1章および第2章),2.それに対してどのような対策がいろいろなタイプの病院で行われているか(第2章および第3章の1〜3),3.今後の課題はなにか(第3章の4),4.それを支援するための公共政策の課題は何か(第3章の5)という問いに答えることである。まずは,これらの具体的な課題に沿って内容を紹介し,問いに対する著者たちの答えがこれまでの研究に何を加えることになったのか,積極的な貢献を述べておきたい。
 1.看護マンパワーの不足問題は以前からいわれていた問題であるが,本書が労働経済学の基本モデルを利用しつつ,生きた患者をあつかう看護職員自身が生きた人間であることから生じる自然的な制約に注目して,労働市場をとりまく法や制度を分析することで,看護マンパワーの需給の量的な不足問題だけではなく,質的ミスマッチの問題にも言及し,需給ギャップを需給双方の調整で解決する必要を説く点は,従来の研究にはない,本書の新しい視点である。その上で,看護マンパワーの質・量両面での需給均衡を図るために,看護職の専門職としての独自性を確立し,看護職への労働者の定着を促進する重要性が述べられている。
 2.看護マンパワーの不足問題とそれに対する現場の認識や具体的な対策という情報は,これまで断片的にしか一般に紹介されていなかったが,本書では,統一的な視点で今の不足問題とその対策方法,その限界に関して,現場の看護職員や事務職員の責任者にヒヤリングを行なうというケース・スタディによって事実の収集につとめている。ケース・スタディでは,経営主体の比較に注目するために,国公立,私立の200床以上の大病院が選定されている。ここから,公的規制が多く,自主的な経営合理化が行ないにくい国立病院,公的規定が多いものの経営改善委員会によって独自の経営合理化に取り組んでいる都立病院,事務部長の主導で収支両面からのリストラを断行し,赤字から黒字経営に転換した健保組合病院,経営条件に恵まれ,患者本位の医療を発展させることが可能な環境にある私立大学病院などの実態が明らかになる。経営環境を含め,医療現場を取り巻くあらゆる環境条件の相違は,そのまま問題の発生のしかたや解決方法に大きな影響を与えることになる。この事実を明らかにした本書のケース・スタディ(第2章)は,重要な基礎研究として評価される。
 3.今後の課題では,「看護職員の不足とはいったいどういうことか」という素朴であるが重要な疑問をケースにあたって徹底的に分析することで,看護職全体が不足ぎみなのではなく,夜勤要員や質的にレベルの高い中堅ナースが不足し,それが本来の看護業務を超える業務量をこなさなければならない現実のナース不足に拍車をかけている実態がまずは明らかにされる。そのうえで,看護職を専門職として確立させ,ナース不足を質量共に満たすためには,看護職務を見直し,他職種との職務分担を徹底的に行ない,看護職員の不足をきめる要員数を正しく算定すること,看護職に対して専門職に見合った雇用管理と処遇を行なうことといった雇用管理面での提言が行なわれる。その際,看護職員の賃金問題にふれ,「職能等級資格制度」による中堅層の処遇の改善が述べられるが,この指摘は著者たちの専門分野の研究蓄積が生かされたものであろう。
 4.公共政策の課題では,労働力の自然的な制約に注目して,政策の視点を短期的な数合せから質的均衡を考えることに転換する必要性を説いたプロローグ(第1章)を受けて,養成機関の高度化,再就職希望者に対する教育訓練の必要性を強調,看護業務の見直しを含む処遇改善の指針を立て,公共政策によって病院全体の改革の社会的調整をおこなう必要性が提言される。とかく医療にかかわる政策が,国の財政問題としてのみ語られることが多かった従来の政策論とは異なる本書の提言には,同意点が多い。
 病院という具体的事例にまでおりて,医療関係者以外の研究者が政策提言を述べた例は少ないであろう。このような議論が,医療の現場と幾度もやりとりされながら,具体的な問題解決への道を探ることは,医療の現場に携わる者にとっても非常に有益であると考えられる。

(3)

 評者は,高度な専門職務によって組織編成された場として医療組織(病院)を考えている。そこでは,最終的な組織目的を達成するために,各専門職務の組織における機能と役割がきめられ,それを遂行できる人材に対して法律で定められた資格が与えられることになる。そのうえで,当初の組織目的を具体的に達成するために高度専門職集団が組織されるのである。
 病院の組織目的は,ほかでもない患者に対する医療サービスの提供であるが,この目的を達成するためには病院が組織として存続しなければならない。それゆえ,病院を構成する高度専門職集団(=労働者)のニーズを満たすこと,そして,これまで強調されてこなかったことであるが,組織存続のために黒字経営をめざすことも重要な目的となるのではないか。
 本書において,著者たちが「経営」の概念を一つの切り口に病院のケース・スタディを行なったことは,評者の医療組織に対する認識と一致するところである。また,病院の組織編成の原理が他の企業組織の場合と大きく異なる点のひとつである,組織を構成する人材の大部分が法律で定められた資格を持っているということに着目して,病院が抱える問題点を導出し,その解決の提言を行なっているところも評者と一致するところが多い。
 しかし,ケース・スタディの分析と政策提案で若干気になったことがあった。
 まず,第一の論点は,職務分析についてである。本書のケース・スタディで明らかとなった問題の一つである,勤続5年から10年前後の中堅ナース不足に対処する場合,長期勤続のインセンティブを与える意味から「専門職制度」と「職能等級資格制度」の導入を著者たちは提言する。これは,役職ポストが限られたなかで看護職の専門性を高めても,それを適切に評価してくれる制度ができていないことの改善として,専門職制度の導入をケースGが考えていること,そして,中堅ナース不足に頭を抱える複数のケースで賃金の中だるみの問題がナースの定着を妨げているとのことから提言されたものである。
 そのために,著者たちは,本来看護職に含まれない職務をナースが抱え込んでいることからナースの需要が増大しているところに注目し,看護職の職務内容の検討(職務分析の重要性を説く。職務分析によって,他職種との分業と共に,看護職は専門職として認められるようになるのである。そこからは,当然,昨今問題となっている専門看護制度(医者と同様に,ナースが病気や患者の重度による専門分野を持つこと)も導入が促進されるであろう。さすれば,ここに「専門職制度」と「職能等級資格制度」を導入すればよいことになる。つまり,中堅ナースは,管理職を選ばない場合は「専門看護」を選ぶことで,能力の開発とそれに見合った処遇が確保されるというわけである。
 しかし,看護職を専門職として確立するためにどのような職務分析が必要なのか,ケース・スタディでも著者たちの提案の部分でも十分に述べられていない。著者たちが提案するように,専門職制度を職能等級資格制度と結びつけるのであれば,そのためにどのような職務分析が必要であるか,その職務分析の方法にまで立ち返って十分に議論を詰める必要があるように思われる。
 従来の労務管理論で議論されてきた職務分析の多くは,細かく細分化された作業や課業を寄せ集めたもの,“構想と実行の分離”の思想に基づく分析にすぎなかった。そこでは,硬直化した職務分断が生じ,各専門家どうしのデマーケーションが発生することは,これまでの研究で明らかとなっている。しかし,著者たちが看護職を専門職として確立するという場合,その具体的内容は,現場の労働者が高度な専門知識に基づいて独自に判断して実行する権限を備えたものを意味している。そうであれば,そこでは,これまでの職務分析とは異なる手法がとられなければならないはずである。また,全体は部分の集合ではない。看護職務は単なる作業・課業の寄せ集めではなく,その組織のされ方が重要な意味を持つはずであり,職務内容よりもむしろ職務の組織編成や職務のされ方が重視されるべきであろう。著者たちが職務分析の必要性を提言する場合,ここまで踏み込んだ議論をして欲しかった。
 第二の論点は,長期雇用に関わる問題である。著者たちは,看護職を専門職として確立し,定着促進のために労働条件や福利厚生の整備を行なうことで,従来の女性労働者の就業パターンであったM字型就業から専門職としての就業パターンヘ転換する必要性を強調している。これまで,看護マンパワーに関しては,不足が重要な問題であって,需給の一致も,もっぱらその観点からのみ議論されることが多かった。
 しかし,需給ギャップを需給双方の調整で解決することで看護マンパワーの定着促進を行なうならば,今度は長期雇用の問題が浮かび上がってくるにちがいない。それは,具体的には人件費問題として顕在化してくるであろう。人件費の高騰を埋め合わせるに足る収入があれば問題はないが,病院の収入が診療報酬を中心とする限られた範囲でしがないことを考えると,専門職として看護マンパワーの処遇を改善し,定着促進が行われれば,必ずこの問題が発生するはずである。そうすれば,病院の組織目的の一つである“組織存続のための黒字経営”が危うくなる。現在はむしろ,ナースの供給不足の状態が続いているので問題はないであろうが、長期雇用がもたらす功罪の「罪」の分析とその対策は,本書でも十分考慮に入れられるべきではなかったか。
 病院は,公的に認められた複数の高度な専門職によって編成され,サービスが提供される組織として,これまでの労働問題研究になかったケースである。その意味で,本書は労働問題研究にも新たなフィールドを開拓したものである。





経営書院〔産業労働調査所グループ〕,1994年5月,312ページ,定価3,500円

いのうえ・のぶひろ 東京大学大学院経済学研究科博士課程

『大原社会問題研究所雑誌』第434号(1995年1月)



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