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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




熊沢 誠 著
『能力主義と企業社会』

評者:井上 雅雄




 1990年代に入り,平成不況からの脱却を直接の契機として日本企業の人事・労務政策の能力主義的再編が,さまざまに展開されてきた。それは日本企業自らがその一因をなす国際競争の激化―「大競争」などと俗称されるグローバルな企業間競争に促されて,今日一層拍車がかけられている。本書は,労働研究者としては数少ない啓蒙家としての相貌をもつ著者が,このような昨今の能力主義的管理の強化に対して厳しい批判を放った最近作であり,新書版という限られたスペースながら多彩な内容を盛り込んでいる。
 あらかじめ本書の内容構成をみておこう。著者によれば,本書の課題は6つある。1)日本の年功序列制といわれる人事・労務システムは能力主義といかなる関係にあるか,2)日本の能力主義管理の特徴は何か,3)その最近の強化の根拠は何か,4)それが労働者とその職場生活にいかなる影響を与えているか,5)それに対する労働者の対応とその背景要因は何か,6)労働者にとってありうべき「能力主義的管理とのつきあいかた」とはどのようなものか,をそれぞれ明らかにすることである。このうち1)から3)までの課題については,序章と1章において果たされ,4)が2章で,5)が3章,6)が4章においてそれぞれ取り扱われている。以下,各章毎に主要な論点について簡潔にコメントを加えてみよう。

 序章と1章は,本書の中で最も光彩を放つ部分であり,そこでは,まず賃金に代表させて日本企業の労働者に対する処遇の基本性格を,欧米のそれとの比較において「年の功」ではなく,「年と功」という査定による能力主義を組み込んだ年功序列制度であることが明らかにされている。日本の年功賃金が自動昇給だけではなく査定昇給を織り込んだ定期昇給制度によってなりたっており,その意味で能力主義的性格を内蔵させていたことは,日本の労働研究の「常識」に属する事柄であるが,著者の独自性はこれを欧米との比較においてやや強引ながらも類型化し,労働者の潜在能力に基礎を置く能力主義賃金の日本型をはうきりと析出したことである。
 次に1章においては,能力主義管理の史的展開を概観しつつ,とくに1970年代後半以降顕著となった「フレキシビリティヘの適応力」と生活全体を「仕事第一」で律する「生活態度としての能力」とを,人事考課を挺子として労働者に職位ないし職階レベル毎,長期継続的に競わせるシステムを能力主義管理の日本的特徴とした上で,その最近の強化を目標管理の本格的展開,年俸制の導入,賃金に占める賞与比率の拡大,あるいは定昇の停止など主にホワイトカラーを照準とした政策展開を跡づけることによって明らかにしている。
 この章は,自他の研究成果を吸収しながら日本の能力主義管理の特徴とその展開を手際よく整理した上で,今日のホット・イッシューにもふれるという点において,包括的かつ時宜に即した内容となっている。ただ,惜しむらくは,70年代後半以降の能力主義管理の導入根拠の説明が一般的にすぎて,経営サイドがこれに乗り出す意思の解明には充分及んでいないことである。能力主義管理が本格的に展開されるプロセスは,また日本の企業内労使関係が石油危機以降の環境条件の激変を背景に,経営側優位のもとに安定化し,いわゆる日本的労使関係として彫琢されていく過程でもあったから,経営側が能力主義管理に込めた意図と根拠をより立ち入って分析する必要があったように思われる。その作業をとおして能力主義管理を貫く経営側の思想にふれることができたならば,それは2章以下に明らかにされる労働者の対応とその意思とが,どの程度経営側の意思と異なっていたか,その乖離の内実と幅にふれることができたかもしれない。それはまたこの問題の解読にさらに奥行きを与えるものとなったであろうと思われる。

 2章では,ここ数年の能力主義管理の強化が(1)個人間賃金格差の拡大(2)職務範囲の拡がりやノルマの過重など労働負荷の増大(3)配転・出向・転籍・退職勧奨などによる雇用の不安定化(4)パートなど雇用形態の多様化と性別職務分離の拡大など,労働者とその職場生活に与えたマイナスの影響が,主に新聞報道に依拠してさまざまに描かれている。そしてそれらの現象の背面で査定を通ずる労働条件の個別的決定=「個人処遇化」が強まり,逆に組合規制の後退と労働者間競争の激化が進行していると指摘される。
 ここで執拗に描かれている労働者の受難の構図に,確かに読む者は胸をふさがれる思いがする。だが,この受難を描くのに著者がほとんど専ら新聞報道という間接的な資料に依拠したがために,叙述が一面的かつ平板になっていることは否めない。このなかの一つのケースでも取り上げてより立ち入った調査をしてみたならば,あるいは新聞報道では明らかにされなかった事実が浮かびあがってきたかもしれない。当該企業が属する業界の競争構造,経営管理と企業業績の実態,経営側の対応,組合の対応と職場の反応,そして当該個人の対応等がケーススタディによって具体的に明らかにされたならば,ここでの議論ははるかに立体的・説得的になったにちがいないと思われる。

 3章では,能力主義管理に対する労働者の態度が労働者類型別に描かれるとともに,能力主義への完全な脱皮を説く経営学者らへの批判をとおして「能力主義管理のチェックポイント」が指摘されている。そのなかで大企業大卒男性ホワイトカラーとユニオンリーダーが,能力主義に対してポジティヴな対応をとっていることが既存の調査データをもとに明らかにされ,そのゆえんが「能力や努力によって賃金や昇進に差のつく」「広い意味での能力主義」に「もともと親和的であった」日本の労働者の伝統的な態度に求められていることは重要である。そしてそれが戦後一時期年齢と勤続を基準とする平等主義に道を譲ったが,高度成長の過程で再び能力主義に取って代わられた,と指摘されていることは一層重要である。日本の労働者に抗いがたい能力主義志向のメンタリティを,著者がはつきりと認定しているからである。
 これに対して女性や若年労働者および中高年者の対応については,データに拠るのではなく著者の多分に希望の混在した推測が語られ,率直にいえば叙述は粗い。また彼らが,日本の労働者に伝統的な能力主義志向といかなる関係をもつのかも不明である。
 他方,「能力主義管理のチェックポイント」は,次の4章の「能力主義管理とのつきあいかた」と基本的には同一のスタンスに立つものであるから,これらを一括して扱ってよいであろう。すなわち4章では,著者は能力主義管理を,労働者タイプ別に著者年来の主張である「ゆとり・仲間・決定権」という基準をもって,その「程度」をチェックし制約すべきだとして具体的な指針を提案している。それは,単産による職種別労働条件の確立,法的規制,作業量・要員規制,昇給・昇格の最低保障,ノルマと賃金体系の規制,ワークシェアリングの導入,査定幅の規制,仕事の手順やペースのコントロール等きわめて多岐にわたっており,それを貫く著者の主張の基調は,労働者の連帯の復権である。
 これらの労働者に対する提言には,傾聴に値するものも少なくはないが,しかしそれが可能となる条件ないし根拠は語られていない。むろんそれは実践の領域に属する事柄ではある。が,可能性を抜きにしてはこのメッセージが現実性を持たないことも確かであろう。また,日本の労働者に伝統的な能力主義志向の心性がその管理の受容を支えているという3章の指摘と,それを制約し阻めとするこの章との関係性についても著者は論理整合的に明らかにする必要があった。とりわけこれらのチェックの基盤となる労働者の連帯の復活の根拠が明らかにされなければならない。というのも著者は,高度成長期,労働組合が賃上げだけに専心したために「職場レベルの連帯のほうは,能力とやる気の個人間競争がならいとなったことを通じて,その後はあらゆる経営施策への規制がむつかしくなるまでに風化した」(150頁)と述べているからである。`
 また著者は,ブルーもホワイトも含むノン・エリート層に対してとくに能力主義の跋扈を制約するよう説くのであるが,しかし内部昇進制を基本とする日本の昇進構造のなかで,ノン・エリートとエリートとを厳密に区別するのはきわめてむつかしい。昇進競争に敗れた者といっても敗者は多段階に分かれ,しかも勝者と敗者は遅速の違いでしかない。敗者を敗者のままにとどめているのならば絶えざる査定の必要性と実効性は減殺されるのであって,日本企業における敗者は基本的には経過的な存在であるといってよい。長期継続的な査定が行われてきたゆえんがここにあり,著者の主張のリアリティ″が問われざるをえないゆえんでもある。

 以上,本書の主要な論点を紹介し,簡単なコメントを加えてきた。人事考課を前提とした能力主義管理についての研究は,外国はむろんのことそれが最も展開されている日本においても,いまだ緒についたばかりである。そのような現状に大胆にも鍬を入れようとした著者の努力は高く評価されなければならない。しかし,そうであるがために残されている課題もきわめて多い。何よりも人事査定というトップシークレットに属する問題に,いかに接近するかという方法上の問題がある。一つのありうべき方法は,遠藤公嗣氏が一部行ったような昇給・昇格差別についての訴訟事件の原告側の証拠書類を利用することであるが,これにはしかし経営側への接近を絶つという代償が避けられず,分析が一面的になるおそれがある。が,いまだこのような試みが,本格的にはなされていないのであるから試みるに値するといってよい。
 しかし,より本質的な問題は,そもそも査定とそれを前提とした能力主義管理そのものをいかにとらえるか,というこの問題自体が固有にはらむむつかしさにある。たとえば,日本企業の役員昇進の実態を明らかにした最近の研究(橘木俊昭・連合総研編『昇進の経済学』)によれば,いわゆる有名大学出身者の役員昇進のほうが他大学に比べ早くかつ比率も高いが,それはもし彼らの昇進が出身大学のゆえではなく,真に当該個人の能力によるものだということが立証されなければ,能力主義の建前からすればアンフェアだということになろう。 したがってここからは有能な者を出身大学に関係なく昇進させるためには,より能力主義に徹するべきだという議論が導かれることになろう。
 あるいは最終的には経営役員にまで連なる昇進階梯の,下部であれ中間であれ経営管理の一端をになう者の昇進を,欧米のブルーカラーの職務昇格に一般的な勤続一本のシニオリティに委ねることは,確かに競争を排しはするが,しかしそれでは経営の業績を左右することにはなりかねず,あまりに現実性に欠けるであろう。だとするならば,「よい査定」と「悪い査定」とを峻別しながら,できるだけフェアで客観的な査定のあり方を摸索する以外にはないのかもしれない。
 評者にとって,本書の価値は,このような査定とそれにもとづく能力主義の問題が固有にはらむむつかしさに自覚を喚起させてくれたところにある。





岩波書店,1997年,245頁,630円+税)

いのうえ・まさお 立教大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第418号(1993年9月)



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