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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版






Andrew Gordon
The Evolution of Labor Relations in Japan : Heavy Industry, 1853−1955
(アンドリュー・ゴードン『日本における労使関係の進化―重工業―1853−1955年』


評者:池田 信




1 方法と対象

 日本の労使関係は,海外においても,強い関心の対象とされてきた。戦後に国際的に見てもきわめて高い高度成長をなしとげ,さらにまた2度にわたる石油危機も見事に切抜けて,今日強力な国際競争力を持ち,経済・社会の安定を保ちえている有力な要因の一つは,その労使関係にあると見られているからである。したがって,外国人研究者による研究も以前から多く見られるようになっているが,その多くは,終身雇用制,年功制,企業別組合という,いわゆる三種の神器と,それを生み,支える経営者・労働者の伝統的・心理的属性との指摘にとどまるものであり,日本人研究者にとっては,そこからある示唆を受けうるものがあるとしても,なお問題の核心に迫るものと考えることはできなかった。本書の著者アンドリュー・ゴードン氏は,これらの研究方法を厳しく批判し,現在の日本の労使関係はすぐれて歴史的な形成物であるとの見地から,その発端から1955年にいたる歴史を段階的にとらえ,その形成・発展の特質を把握しようとした。その成果である本書は,100年に及ぶその歴史の展開を一望の下におさめているという点においてだけでなく,日本の労使関係の形成・展開の真相に迫る方法を示しえている点においても画期的な労作である。
 本書の指摘によれば,かつての研究には「第2次大戦後の雇用制度を封建的,家父長的,あるいは農民的価値の近代世界への繰越しの結果として説明する傾向」があり,アベグレン氏によって賞賛されようと,日本人研究者によって非難されようと,いずれにせよそこでは「日本がさらに近代性と合理性への道を歩むと,“残滓”である生涯雇用と年功序列型賃金という伝統的慣行は,なんらかの西欧型に近い労使関係に道を譲るであろう」と考えられていた。しかし,1960年代,70年代の重要な研究は,この短絡的な見解に疑義を呈し,現代の日本労使関係を「工業組織の近代的諸問題への対応」としてとらえており,今ではもはや論議は「日本が近代社会において伝統的残存物の存続する例であるか」(4頁)どうかについてなされるのではないのである。
 このように研究史をとらえた上で,本書は,自らの二つの独自の視点を明らかにしている。第1は歴史的視点である。これまでの欧米人研究者の主たる関心は現在の分析と未来の予測(西欧型への収斂,ないしはそれからの乖離)にあり,過去はそれを補足するための材料としてのみ扱われた。収斂説に立てば過去は乖離したもので、なければならないし,乖離説に立てば過去は乖離の根源とされねばならない。しかし,「事実においては,日本の労働関係が今日よりも発足当初において,すなわち19世紀において,西欧のそれに類似していた」(5頁)。“過去から現在・未来へ”でなく,“現在・未来から過去へ”という本末転倒がこのような間違った理解に導くことになった。
 第2は,「力と衝突」という視点である。「日本的雇用制度」論に見られるように,これまでの欧米人研究者の理解は,経営者を排他的に雇用慣行を形成するものとして,労働者を受働的存在として,とらえてきた。また国家の労働政策を重要な要因として考えてこなかった。しかし,歴史的に見れば,労働者は頑強に自己を主張してきたのであるし,労働政策の果した役割にも積極的なものがある。「労働関係の歴史を,労働者,経営者,官僚の相互作用を包含し,すべてがある点で主導性を取り,また他者における動きに対応する,弁証法的過程として見なければならない」(5〜6頁)。この点では,日本人研究者による「労資関係史」としての把握に学ぶべき点があるとしている。
 第1の歴史的視点は,現在の労使関係を研究するものの陥りやすい落し穴を避けるのには,大変有効であると思う。たとえば,日本人労働者の勤勉性,能率の高さは伝統的なものであると考えられがちであるが,著者は,「(ジヤパン・アズ・ナンバー・ワンの時代からみれば)皮肉なことに」(83頁)として,今世紀初めに芝浦製作所の1重役がアメリカ人労働者の勤勉性,高能率性を賞賛し,これと対比して日本人労働者の技術・モラールの低さを嘆いている事実を上げている。勤勉性,高能率性などの労働者の属性は,すぐれて歴史的形成物なのである。
 現在の諸関係を歴史的に発展してきたものとして考察することはきわめて重要である。しかし,たんに“過去から現在へ”というだけでは不十分であって,“現在から過去へ”と“過去から現在へ”の矛盾的同一としてとらえることが必要であり,じじつ著者の“過去から現在へ”の叙述の背景には“現在から過去へ”の視点が貫いていると感じられるが,この点はもっと意識的に認識論・方法論として明確にしていくことが,われわれ社会科学の研究者にとって必要な課題であると思う。
 “力と衝突”,労使・官僚3者の相互対立的・相互規定的な弁証法という,第2の方法は,まさに著者の研究方法の核心をなすものである。本書の時期区分は,この方法に基づいてなされているが,1)間接的管理(1850〜),2)直接的管理(1900〜),3)体系的な,規制された労働関係(1939〜)と3期に分けられる。1)は経営者が直接的管理を十分になしえず,管理の権限の多くを親方職工に委ねていた時期である。2)は経営者が直接的管理をなすようになった時期であるが,それは最初の直接的な形態のときと,労働者の抵抗に直面して再編成された「より柔軟な」温情的制度のとき(1917〜)の2期に,3)は3者の複合的な関係が示された時期であり,(1)官僚による修正の試み,(2)労働者による改変(1945〜),(3)経営者による修正(1947/48〜)の3期に分けられている。この時期区分からも推測できるように,まず経営者が直接的管理を確立するが,労働者の抵抗に直面して彼らの価値意識,要求を断片的ながらその管理に反映させるようになり,ついで官僚たちが戦時統合の観点から労働者の価値意識・要求を包みこむ,いっそう体系的な管理の体系を指示し,第2次大戦後は,労働者が前述の経営者の労務管理や官僚の労務管理構想のうちにいっそう鮮明に映しだされるようになった自己の価値観と要求の体系を自己の立場で捉え返しながら,労働攻勢の状況のなかで諸関係の改変を迫ってある程度現実化し,さらに力を回復した経営者が経営権の奪還を計り経営者的修正を行うが,そのうちには戦前に比べればはるかに大きく,体系的に労働者の価値意識,要求が組入れられた。現在の日本の労使関係の諸特質もこの歴史的な過程のなかで成立したものである。このような理解は,部分的に見ればすでに日本人研究者によって示されているところも少なくないが,100年にわたる形成・展開の過程を一貫した論理で見事に描ききったところに――論証より推論の方がやや勝ちすぎている印象は拭えないが――本書の最大の功績があるといえよう。
 いわゆる年功制度については,その形成を間氏やドア氏のように1920年代に見る説や,孫田氏のように第2次大戦期に見る説があり,またなかには早くも初期の官営企業における一部の労働者への官吏に準じた待遇に見る説すらあるが,年功制度の萌芽,部分的・断片的現実化,さらには体系的構想が見られるようになるものの,それが現実において明確に形成されるのは第2次大戦後の労働攻勢をへてからのことである。上に示された諸現象・観念の内容とその歴史的意義とは,先にみた弁証法的展開の中に位置づけてはじめて適切に評価できることになる。この点でも従来の研究方法にたいする本書のそれの優越性が示されよう。
 本書は,研究の対象としては,日本の労使関係の歴史的進化をもっとも代表的に示す重工業のそれを選び,その中でさらに京浜工業地帯に位置する五つの会社(芝浦製作所,石川島造船所,横浜船渠,浦賀船渠,日本鋼管)のそれに焦点をあてている。大企業としては,三菱造船所や川崎造船所などの巨大経営体グループ,陸・海軍工廠や八幡製鉄などの官営企業グループがあるが,巨大経営体グループの労使関係史についてはすでにかなりの研究の蓄積があり,それを利用することが可能なこと,また官営企業グループのそれとも比較論議が可能なことから,上の5社のグループヘの限定の意義が示されている。その限定のより積極的な理由を求めるなら,労働者の運動の展開が他のグループよりも時期的にいっそう広く行きわたっており,ことに1920年代全体にわたって激しい労使の対抗関係が存在したことに求められよう。このことが労働者の価値意識,要求をも積極的な要因と捉えようとする著者の前述の方法による戦間期労使関係の把握に大きく貢献している。この部分は本書のなかでも一番充実しているところである。大阪地方の重工業大規模諸企業の労使関係にも共通した性格があるように思われるので,同一方法によるそれらに対する分析がなされるなら,氏の仮説・推論の有効性がさらに確かめられるかもしれない。
 著者は,調査の対象を前期5社の労使関係に限定し,本書の叙述においてもそれへの考察を基軸としており,そして,随所に興味深い事実とその解釈とを提示しているが,それはこのグループの労使関係の独自の自己展開の歴史とはなっていない。たとえば中西洋氏が示したような経営内労使関係史の研究方法にそうものではない。この点に関する限りでは本書を読む前に抱いた期待がやや裏切られた感がしないでもない。しかし,本研究のより積極的な意義は,一方で日本の内外の研究の蓄積を可能なかぎり摂取しながら,他方において前記5社の労使関係史に関する原資料と直接の関係者からの聞取りとに接することによって事実そのものの提起する問題への感受性を研ぎすましながら,独自の立場と方法によって日本の重工業大企業全体の労使関係史に迫ったことにあったといえよう。本書が前述のようにすぐれて独自の方法に基づくものでありながら,外国人研究者がともすると感じさせがちな違和感を与えず,説得的な論述になっているのは,著者のすぐれた日本語文献読解力と精力的な文献渉猟によるだけでなく,このような感受性の研磨があったからである。

 2 内 容

 さて本書の内容そのものであるが,本文だけでも430頁に及ぶ大部の著作の全体を紹介することは困難である。ここでは,著者が最後にまとめている“結論”におもに基づきつつ,主要な論点のいくつかを紹介し,思いつくままにコメントを加えてみたい。
 まず,日本の労働関係形成に際しての歴史的背景として,1)規制されることのかなり少ない資本主義的企業制度の出現。工場生活と労働者の対応とを重要な仕方で形づくることになる,経営者の,生産性,効率性への絶えざる関心。2)中・後発者としての特殊な地位による独特な経営的諸偏倚。3)労働者のいくつかの決定的な関心事を説明する前工業的慣行・観念。
 3)については,(1)渡り職工,親方職工の移動性,独立志向性,(2)組合を工場あるいは仕事場単位に組織しようとする労働者の傾向,(3)公平な待遇と一員性への関心,の三つの持徴をあげている。このうち(2)についてみると,徳川時代の職人組織は都心に限定された狭隘なものであり,産業革命が到来したときには都市の職人たちは地方の生産者に基盤を奪われた。この点では都市間ギルド網の伝統を持ったヨーロッパ諸国とは条件が異なっている。西洋の学者は工場に基礎を置く組合を“歪み”として見がちであるが,「異例の前工業的経済成長・生産活動が孤立した都心を越える職人の職業別組織の伝統を作り出すのでなければ,工場と仕事場はたしかにどの国においても自然な出発点である」(418頁)。これはなかなか興味深い仮説であり,今後欧米諸国と日本との比較研究が進められるならば,日本的労使関係についての理解は大きく前進するに違いない。しかしながら,強力なギルド網の伝統の欠如は,工場に組合組織が置かれるようになった重要な要因であるとしても,それはあくまでも消極的な要因ではないか。むしろ資本主義的工業化の時期の産業的諸条件と労働者の“生産者”意識が積極的な要因ではないか。この消極的・積極的の両面を合せての理解が必要であるように思われる。
 (3)については,著者は,最初の組織的な待遇改善運動となった日本鉄道の機関手や機械工の闘争において,賃金改善だけでなく職員,技術者など上部他階層に準じた待遇を要求したことに着目し,それ以後の全時期を通して一員性が労働者の意識を規定する重要な要因であることを指摘している。そしてこの一員性の要求は,企業内部のみにとどまらないで,社会においてもなされるものであった。かつての下層身分である商人に代った資本家は,究極的には尊敬される地位を築き,国家に奉仕することでその活動を正当化した。より高い学歴を持つ職員や技術者にはしかるべき地位が与えられたのに対して,学歴の低い工場労働者は,自らを社会から半ば放逐されたもの,“下層社会”の内に放置されたものと感じた。“人間的”待遇への,すなわち一員性へのきわめて強い欲求は,この歴史的背景において理解されなければならない,と強調される。この一員性の意識が,さまざまの段階,局面においてどのような形をとって現れ,また労務管理の中に組入れられるのかを系統的に追及して,大きな成果をあげている。この成果の上にたって,なお今後の研究方向を求めるならば,一員性と上昇志向,さらには“生産者”意識との関連,それらの構造の,労働者個人レベル,企業内労働者集団のレベル,産業ないしは社会における労働者階級のレベルでの実態と論理との解明が必要となるであろう。
 ついでながら,著者がmembershipと呼んでいるところに,評者が一員性という言葉をあてたことに一言しておきたい。“構成員であること”というのが直訳的な表現となるであろうが,かつて半ば員外であった職工が職員と並び員内とされて工員と呼ばれるようになり,さらに同一の構成員ということが強調されて職員とともに従業員と呼ばれるようになったこと,さらに国家の一員,社会の一員,会社の一員などという場合には労働者の深い思いが込められていることをあわせ考えて,一員性という言葉をあえて捻り出した。これを用語として確定することによって,この分野での議論が捗るのではないかと思う。
 資本にとって熟練労働力の確保が深刻な隘路となるという問題は,工業化における後発者としての地位によるところが大きいとされる。アメリカ合衆国では労働移動問題を費用の問題として考えることは第1次大戦までなかったが,日本では最初から費用の問題として考えられた。ここから労働者定着策が重要な課題となり,官僚の処遇策がその際のモデルとなった。他方において,資本の蓄積過程そのものが熟練労働力の確保とそれへの直接的な管理とを必要とするようになったという。
 やがて労働者が自らの価値意識に基づいて待遇改善を求めて行動するようになるが,経営者にとっては労働力確保問題と労使の対抗関係の問題とから労務管理を具体化することが求められてゆく。以後,著者は,前述の労使・官僚3者の相互対立的・相互規定的な弁証法が出発時における諸条件に限定されながら,展開してゆく過程を,賃金,賃金外諸給付,雇用,労働者組織の各項に即して具体的に解明してゆくのであるが,ここでは,1920年代以降の動きのみを紹介することとする。
 第1次大戦後の労働運動の高揚に対応するために,経営者は温情主義の協調版ともいうべき労務・管理の再編成を行い,労働者の要求をある程度受入れ,また工場委員会などによる労使討議の場を提供した。しかし,力関係はなお圧倒的に資本側が強く,経営者は必要に迫られれば,躊躇なく解雇を行い,奨励賃金,厳格な規則,無制限の権力行使を通して勤勉な労働を引きだすようにした。とはいえ,1920年代の労働組合運動の展開のなかで,実現されることはなお少なかったものの,勤続による定期昇給,奨励・出来高賃金の使用制限,仕事確保の保証,完全な一員性の承認,というように労働者の要求の基礎的な概念が確定されていった。著者は,京浜地方5社の1920年代の労働運動の分析の中で,仕事を守るために労働者が示した執拗さに注目し,それを次のように説明している。
 「一員性に置かれた価値は,初期の争議において表現され,経営者の政策と温情主義イデオロギーの言明によって扶養され,ついには公平に処遇される権利,また『所属する』権利を持つという,労働者の間に影響力のある信念にまで発展した。このようにして,1927年から1932年にいたる不況期に大量解雇がなされたけれども,経営者は多くの場合,解雇者数と解雇の条件について組合ないし労働者代表と交渉しながら,解雇のための下地を慎重に作った。仕事確保をめぐる10年間の闘争の後には,労働者は,そしてある程度は経営者もともに,解雇とは,なんとか条件に適う態度に背くことであり,不文律の約束を破ることだと感じるようになった。」後の時代の展開を予示するこのような概念の形成が,ここに析出されている。
 賃金については,この時期に労働者はたびたび労働争議において,ほとんど実現されなかったが,定期昇給を要求した。そしてときには賃金は労働者の必要と関わらせて計算されるべきであるという考えをはっきりと述べたという。著者は,本文において1929年の横浜船渠争議における組合の要求に,また協調会の調停を介して最終的に確定された賃金体系に注目しているが,そこでは年齢,勤続年数が日給額算定の諸要素のそれぞれ一つとして組入れられている。前に触れたように一部の学者はこれらの事実からこの時期に年功賃金が形成されたようにいうのであるが,著者は,年功的要因の占める度合がなお低く,また不安定であることを指摘して,これらの説を退けている。しかし,これもまた後の時代の展開を予示する概念であることを強調している。
 京浜5社のこの時期の労働運動は,じつに多様な運動体によって遂行されている。会社組合あり,総同盟系あり,評議会系あり,アナキズム系あり,等々。しかし,上にあげた要求の基礎概念は,異なった理念に立つこれら諸組織の運動に共通に示されるものであったという。ここにこれらの概念の根深さを見るべきであろう。
 戦時体制は労働者の自主的な組織をすべて壊滅させたが,革新官僚は労働者の戦争への協力を引きだすために,自らの労務管理構想を経営者に押しつけようとした。
 「1942年に政府は,経営者の労働条件決定の権威を制限し,命令によって,出勤したすべてのものに年次のないしは半期の定期昇給を保証する,また年齢ないしは家族規模に表わされる必要を賃金計算法の必須の部分とする賃金制度を課した。それは,労働者によって期待されたが経営者によっては必ずしも提供されなかった慣習的諸給付に,法的な力を与えた。この生計賃金原理・慣行の国家による承認は初期の労働者の要求の正当性を,少なくとも適切さを再確認した。それは戦中と戦後の双方において労働者の期待と要求を刺激したのである」。(429頁)
 一方,国家の主導下に組織された産業報国会運動は,賃金政策と同様に労働者の「以前の態度と期待とを補強し,民主主義の言葉を使わないですべての従業員の間の平等という主張をふたたび説」き,また「産報イデオロギーは,工員と職員の待遇の平等の必要を,また労働者の貢献に対する尊敬の必要を強調した」。(429頁)これらはほとんど実現されなかったが,労働者の期待を明確化し,体系化するのには役立った。
 第2次大戦後は,労働者の団結権も保障され,労働攻勢が始まるが,その中ではじめて労働者がこれまで育ててきた期待の多くが実現される。生活賃金と雇用保障という世界の労働者共通の期待が,勤続年数,年齢,家族規模を算定の基礎とする賃金として,また企業における雇用保障として要求され,ある程度現実化した。この時の要求の基礎概念は,この時期の労働者組織の独自の立場から構築されたが,その際には相互反射的に展開され,明確化されてきた諸概念が重要な契機をなす。その顕著な例として,電産型賃金構造について,著者は河西宏祐氏の紹介している事実に依りながら,次のように記している。
 「それは戦時中に厚生省において考えられた生計賃金の,官僚の流産した計画の労働者による改変である。戦時構想と組合綱領とのこのつながりは直接的であった。電産型構造を設計した組合の賃金委員会は,電力会社の人事部にいる組合支持者たちの戦時経験に依拠したのである。この年齢と勤続年数に基づく賃金諸規制――彼らはそれらを会社レベルで実施するのを手伝った――の概して空であった約束に,あるいは労働者の必要カロリー摂取量についての戦時の調査に,実体を与える好機と見た。電産型賃金は,歯切れのよい,優雅な構造であり,全国で使用されていた不格好な体系とは好対照をなすものであった。それはきわめて速やかに,加盟団体やイデオロギーとはかかわりなく,日本中で組合の要求のためのモデルとなった。」(355頁)
 著者はまた,ベース・アップの総額(ないしはそれを労働者数で割った平均額)をまず決め,それから年齢などの要因にもとづいて各人への配分額を決める方式は,戦時の厚生省の考えた方式に由来すると指摘している。
 著者はまた,“企業共同体の改編”との見出しのもとに,第2次大戦後の労働組合,労使関係について興味ある考察を行っている。京浜5会社の労働者による組合結成は,いずれも工場単位を基礎ブロック材としているが,東芝をのぞいて他はすべて当初は意識的に職員とは区別された工員の組合として組織されている。著者は,これは,戦時中にうたわれていた工職一体の主張が実体を持たなかったことの反映と見ている。他方で,東芝で当初から工職混合組合を組織できたのは,戦時中に同社では例外的に職員と工員との間の差別が比較的に低かったことにあると指摘している。戦後の労働攻勢の時期には,経営協議会において労使がはじめて真に対等の立場にたち,実態的には労働側優勢のもとに経営の民主化が計られた。従業員の名の下に工職両階層の一体化が計られ,一本のヒエラルヒーのもとに置かれ,工員の待遇の職員化が計られた。この過程をへた後に,東芝以外の会社においても工員組合と職員組合の合同が計られた。労働者の一員性の要求は,戦後においてかなりの程度,実現したのである。
 労使交渉の基本が企業・事業所の経営協議会,さらに後の労使協議会に置かれたことの意味,さらにそれらの機能の動態についての究明がなお不十分であるように思われるが,著者がこの箇所で述べていることは,多くの示唆をわれわれに与えるものである。
 続くのは“経営者による修正”の段階であるが,この時期およびその後の特徴について著者は次のようにまとめている。
 「経営者は,戦後初期の組合最盛期に労働者によって獲得された成果を,恐れをなしてではなくとも,いまいましく見ていた。そして,1949年と1955年の間に,この戦後労働関係に対する重要な調整をなすことができた。両大戦間期におけるように,労働の効率的,生産的利用を求める資本の論理から,経営者は,労働関係の内に不安定という重要な要素を再挿入することを求めた。1955年には,賃金計算と仕事決定におけるかなりの程度の裁量権を取戻し,行われたどの協議においても労働者を明確に従属的な地位に置いた。しかし,組合は依然として戦間期よりはるかに強力であり,この決着は大企業の正規雇用の労働者に注目に値する成果を残したのである。それはしだいに男子の臨時工を多く包みこむものとなった。とはいえ,下請労働者とパートタイムの婦人とを制度の外に残していたので,不安定と低い地位とは依然として工場生活の中心的な特徴であるが。とはいえ,経済成長の状況において,その決着は著しく長続きすることを証明したのである。」(431頁)
 この時期についても多くの興味ある論点が提示されているが,ここでは,この上掲の文章の紹介にとどめておきたい。

3 おわりに

 以上に紹介したごとく,本書は,工業化以前の日本的な土壌の上における労使,官僚3者の相互対立的・相互規定的な展開を,経営者による直接的管理,その再編成,官僚による修正,労働者による改変,経営者による修正として,考察している。その論理はきわめて説得的であり,日本の労使関係の生成から現代に至る明確な視野を与えてくれる。それはまた,多くの面において,われわれの問題意識を強く刺激するものである。著者が提起した問題については今後,さまざまに論じられてゆくであろうが,最後に,方法について評者の感じたことを述べておきたい。
 先に,著者が“過去から現在へ”という視点を強調していること,しかし,実は“現在から過去へ”の視点が背後に働いていることを指摘しておいたが,この点に関してさらにいえば,“現在から過去へ”の視点が強すぎるのではないかという問題である。たしかに日本の労使関係の歴史的転変をたどることによって現在のそれの理解に大きく貢献したことは事実である。しかし,その際に現在への収斂ということが強く意識されすぎているのではないであろうか。“現在から過去へ”と“過去から現在へ”の矛盾的自己同一という視点が必要であると前に述べたが,それは現在の場所においてだけでなく,各改革期における当事者の実践的な理念の場所においても考えられなければならない。それは後の結果からのみ反省され,切りとられて考察されるべきものでなく,それ自体として考察される必要がある。非連続の連続として,単に過程的展開をのみ追うのでなく,その過程をいったんは断ちきって未来に繋げようという改革を志すものの実践的理念が,3者いずれのものであれ,それぞれの場所においてそれ自体として把握されることが未来の在り方を展望するという観点から必要である,と考える。
 本書の叙述の対象は1955年までとなっているが,その論理を現在まで延長した場合,そこに見えてくるものは何であろうか。高度経済成長の時期において,経営者は思いのままに資本蓄積を進めることができた。“経営者による修正”はかなりのものであったことが実証された。とはいえ,労働者は失業問題から解放され,実質賃金の上昇を享受した。石油ショック後の停滞期においては,減量経営と称される人員削減に際しても,それが削減対象者をただちには路頭に迷わせない方策が3者の折衝によりとられることとなり,かつて一員性の理念に反するものとして激しい闘争の対象となった人員削減は,なんら深刻な紛争を伴うことなく遂行されることとなった。重工業大手企業労組からなる金属労協4単産は,経済整合的な賃上げという視点から共同闘争を組み,春闘全体の賃上げ額を規制するに至っている。その結果,現在では日本経済は再度の危機を切りぬけ,未曾有の国際競争力を持ち,失業率はやや増加しているものの欧米諸国の水準からみればかなり低く,物価はかなり安定してきている。雇用の安定性と生活できる賃金を求める労働者の一員性の強い志向は,もはや深刻な争議をもたらすものではなく,むしろ3者の協力関係を保証するものとなっている。“3者協力による修正”と呼ぶべきであろうか。工業化の長い時期を通しての日本の労使関係の展開は,ようやく完成の時を迎えたようである。
 この完成は,工業化の完成と時期を同じくしている。高度成長期のオートメーション化,その後のME革命によって産業革命に端を発した工業化は,その省力化の技術の面からみても,極点に達しつつある。もはや資本蓄積がその対極に労働者を集中させ,自らに対抗するように彼らを鍛える,というような状況ではない。作業場にあふれんばかりの労働者が組作業を基礎にして自らの熟練,体力を行使して働くという状況,労働者の戦闘性を支える基盤であったこのような状況は,久しく見られなくなってきている。直接に生産にあたる労働者は急速に減少しつつあり,雇用形態はますます多様になってきている。そして,そもそも労働人口全体を見ても,雇用されて働く人々の比率はますます増大しているが,工業部門で働く人々の比率は低下しつつある。工業化の過程で核心をなした重工業大企業の労使関係は,日本の労使関係を代表する地位を失いつつあるのである。
 ミネルヴァの梟は迫りくる夕闇とともに飛びはじめるというが,100年を越える長い工業化時代の日本の労使関係は,ゴードン氏の労作を通してようやく自らを総括し,その完成を予告したのであった。日本の鶏はどのように夜明けを告げるべきであろうか。
 本書は英文(米文)で書かれているが,日本においても単に研究者によってだけでなく,労使関係に関係する,あるいはそれに関心を持つ人々によっても広く読まれることを期待したい。





Cambridge, Council on Eastern Asian Studies, Harvard University, 1985.

いけだ・まこと 関西学院大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第329号(1986年4月)




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