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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版






玉井 金五 著
『防貧の創造――近代社会政策論研究


評者:池田 信




 日本の社会政策論史において大河内理論の果たした役割,その及ぼした影響が決定的に大きいことは,だれしも認めるところであろう。この理論は,従来の社会政策論を,価値判断に基づく学問外的なものとして退けて,社会政策の源泉を資本主義経済の再生産に求め,そこから理論を展開することを科学性の論拠とした。それはこの政策の根拠を経済に求めるものであり,典型的な経済還元論であった。そしてこのことから労働力政策こそが社会政策の「本質」をなすものという原理が導出された。他方において,この理論を生産力説として批判する論者の多くも経済・階級還元論に立つものであり,方法論的に還元論に依拠し,労働政策を基本とするという点で,大河内理論と共通する立場に立っていた。
 本書の著者である玉井金五氏は,これらの理論の社会政策概念が著しく制限的であり,労働政策偏重であって,生活政策が周辺的なものとしてしか扱われていないと厳しく批判する。日本の社会政策論も,大河内理論が支配的になるまでは,「当時の社会問題に対して実に幅広く対処」(2頁)しようとしていたし,現代イギリスにおいて学問分野として確立を見ているSocia1 Policy論は「社会保障・保健・医療・福祉」など「全国民を対象とした生活保障的なもの」を研究対象としている。そこで著者は「もう一度日本社会政策史を振り返り,それをできるだけ生活政策的な視点から再構成すること」(4−5頁)を本書の主要な課題として設定している。
 著者はこのような課題に取り組むために,従来社会政策論では視野に入りにくかった都市社会政策,農村社会政策に事例を求めて,分析・検討し,また大河内理論を批判的に検討している。さらに戦後期日本の社会保障諸構想とベバリッジの社会保障構想との関連を追求している。
 本書の構成は次の通りである。
 序 章 課題と方法
 第I部 日本近代化をめぐる諸問題
  第1章 日本における防貧論の展開―小河滋次郎と方面委員制度―
  第2章 日本資本主義と〈都市〉社会政策─大阪市社会事業を中心に―
  第3章 1930年代における日本〈農村〉社会政策─国民健康保険と初期効果─
  第4章 日本資本主義論争と社会政策本質論争―1930−50年代の大河内理論をめぐって
  補論(1)近代住宅政策論の人間形成学―大正期大阪の思潮から―
  補論(2)英語版『大阪市における市営社会厚生事業』(1920年)について
  補論(3)日本社会政策の三時代

 第II部 日本社会政策とベヴァリッジ思想
 第5章 ベヴァリッジのイギリス社会保障像―社会保険の構想を中心に─
 第6章 イギリス社会保障改革の一断面―救貧法から国民扶助法へ―
 第7章 ナショナル・ミニマムと日本社会保障計画策定―ベヴァリッジ思想の受容を中心に―
 第8章 日本社会保障論争の史的意義
 補論(4)社会政策の日英比較再考
 補論(5)社会保障と労働者福祉
 第1章は,1918年に大阪府において採用された方面委員制度に着目して,その主唱者である小河滋次郎の思想と同制度の特質を詳しく紹介し,論じている。方面委員制度はその後各地に急速に普及し,1928年には全府県において採用されるに至った。それらは29年制定の,日本初の救貧法である救護法への道を開くものであった。この流れの事実上の端緒となった大阪の方面委員制度に着目し,その思想と制度の本質を解明したことは,著者の着眼の鋭さを示すものである。本章は,第2章―23年と29年の2時点における大阪市社会事業とその思想の紹介・検討―とともに本書の白眉をなすものである。著者の主張するように,従来の社会政策論的見地では死角となって見えなかった都市社会政策がここでクローズアップされ,見事にその姿を浮かび上がらせている。
 しかし評者にとってやや不満なのは,著者の論述が政策論的,歴史学的というよりも,どちらかといえば評論家風であることである。評者は,恤救規則→方面委員制度→救護法の流れを社会政策全体の展開と関わらせてとらえることが必要であると考える。イギリスでは救貧法は17世紀以来20世紀前半に至るまで一貫して重要な社会法であり,被救済者が多く,その過重な財政的負担がしばしば問題になるほどであった。国民保険法が制定されたのは1911年にいたってのことであり,その制定の要因の一つは救貧の財政負担を軽滅することにあった。これにたいして,日本では救貧法は怠惰を助長し,また過度の財政負担を強いるものであり,あくまでも防貧が救貧に先行すべきであるとされた。そして工場法(1911年公布,とくにその危険防止,災害扶助規定),健康保険法(1922年公布)の防貧的意義が強調されて,それが救貧法に先行することになった。日本の救貧法は1929年になってようやく公布されたのであった。その間,一般的な救貧は維新政府が臨時・応急の措置として設けた恤救規則にもとづいてなされた。それに基づく救済は周知のように極度に制限的であり,救貧法としての実態を持たないものであった。以上のことを念頭において,日本ではなぜ社会政策の展開において救貧法の占める位置がイギリスと対照的なまでに違うのか,なぜそれが可能になったのかを解明することが,日本の社会政策の特質を把握するために決定的に重要であろう。
 そのためには例えば大阪において恤救規則適用の実態がどのようなものであり,また,長期的あるいは一時的困窮者にたいする「人民相互ノ情誼」による救済の実態はどのようなものであったか,方面委員制度採用の理由はなにであり,従来の救済方法との連続面と非連続面とはなにであるか等々を,より政策論的,歴史学的に究明する必要があるように思われる。また方面委員制度のネットワークが地域にはりめぐらされ,戸籍の整理,生活の調査・指導が行われた意義は,もちろん著者によって指摘され,論じられているが,このことの持つ史的,政策的意義は,もっと深く追求され,強調される必要があるように思われる。たとえば1918年の米騒動以後,それまでしばしば見られた大規模な「街頭騒擾」が起こらなくなったことと,方面委員ネットワークによる「貧民生活」の「監視」とに関連があるのか否かを検討することも必要であろう。
 第1章の4は,大阪市社会部の実態調査報告『本市に於ける窮民』を分析しつつ「貧困と家族形成」を論じている。同報告は大阪市の公費援助者について検討したものであるが,被救助者60.2%が単身者であることについての報告作成者のコメントに依拠しつつ,著者は「家族を有する者よりも単身者の方が貧困へ転落する傾向が強い」と述べている。しかし,この時期の公費救助の中心は恤救規則であり,この規則が原則として被救済者を単身者としていることから考えれば,被救助者のうちで単身者の占める比重が大きいのは当然のことであって,このことから貧困化の理由を探ることは意味をなさないのではないか。貧困であるからこそ単身に止まり,あるいは単身化するということもいえるであろう。
 以上のコメントは「救貧」についてのものである。しかし,本書の主テーマは題名の示すように,「防貧」である。著者は小河らの考えを防貧思想としてとらえ,第2章において大阪市の社会事業を防貧対策として詳細に紹介している。ここに本書の積極的な意義があることを認めるのに吝かではないが,防貧ということが必ずしも明確に定義されてはいない。なんらかの事由により所得が停止して窮乏化し救貧の対象となることを防ぐという意味にとらえれば,防貧という意味ははっきりとする。上述のように日本の工場法も健康保険法もこの意味で防貧として強調されたし,森戸辰男が1918年の救済事業調査会設置にたいして,救済よりも防貧が先だとして労働政策を第一義にとらえるべきだと主張したのも,この意味においてであった。しかし本書で大阪市の社会事業として挙げられている数多くの事業は,防貧もあれば救貧もあり,いずれかに分けるのが困難なものもある。生活扶助とならんで公的諸設備の設置・活用によって生活(家庭)の維持・改善を計るというのであれば,救貧―防貧という二分法とは異なった概念が必要なのではないだろうか。
 第3章は,1938年に公布された国民健康保険法を農村社会政策として注目し,その成立事情,内容,初期効果を簡潔に纏めている。
 第4章は,大河内理論が社会政策を労働(力)政策に狭く限定したために「保健衛生,医療,社会事業,住宅」など「本来社会政策との係わりで論じなければならぬ領域をかず多く切り捨て」てしまったとして(177頁),この理論をそのように導いた誘因を講座派理論に求め,それが彼をして労働関係の近代化に着目させることになり,そこから工場法を社会政策の端初,基底として位置づけ,生産要素としての労働力にたいする総体としての資本による保全培養政策として社会政策を定義させることになったという。著者はさらにこの理論における社会政策と社会事業,社会政策と社会保障との関連づけの問題点を検討する。
 大河内理論にたいする興味深い論述であるが,ここではただ一つの点だけを問題としたい。それは社会政策をより広くとらえるべきであるとする著者の主張の根拠はなにかということである。この理論における規定が狭義に過ぎる理由として上げられるのは,それでは社会保障,社会事業などの納まりが悪くなること,日本でも大河内理論以前では社会・生活問題に関する広範な政策(例えば森本厚吉の著書での規定)をいい,現代のイギリスでは先にみたように社会保障,保健医療,福祉サービスなどを主領域としていること,単純化していえば,社会政策についての一般的,国際的な見方から外れているということである。しかし,大河内氏は社会政策として理解されていることが広い範囲にわたることを十分に承知した上で,学問としての社会政策論を確立する道を求めてそこに到達したはずである。そうであれば現代において学問としての社会政策論がどのようにして成立することができるのかを積極的に示すことなくしては,有効な大河内理論批判とはならないであろう。評者としては,経済還元主義的な方法を退け,政策論としての政策論を確立することなしには問題の解決はないと考える。なお,著者は労働諸政策が自らの社会政策論の中でどのような位置を占めるのかを明示していないが,それらもやはり防貧という戦略の中に含めて考えられているのであろうか。
 第5章は,ベヴァリッジの社会保障計画のうちの社会保険の構想を検討し,第6章は,救貧法の解体に焦点を合わせてベヴァリッジ報告の改革案,国民扶助法制定を論じている。ついで第7章は,戦後日本の社会保障諸構想を挙げ,それらへのベヴァリッジ報告の影響がきわめて大きかったことを指摘している。ここで著者が取り上げている論点は多いが,この分野の専門家ではない評者としてはその評価は他に譲りたい。ただ感想だけを述べれば,日本の社会保障制度の特質を,ベヴァリッジ報告や戦後確立されたイギリスの社会保障制度と係わらせつつ究明するという作業の出発点がここに示されたということであり,より立ち入った作業は今後になお残されているということである。評者としては,戦後のイギリスにおいて社会保険における認可組合の制度が否定され,国家管理に統合されているが,日本では当初から認可組合を認めず,健康保険法において公法人に準ずるものとして規定された健康保険組合にのみ管掌を認め,イギリスでの改革にもかかわらずそれを現在に至るまで維持している理由,また労災による傷害・疾病にたいしてベヴァリッジ構想では被保険者と使用者が単一の拠出を行う統合的社会保険制度により給付がなされ,13週間は他の事由による労働不能と同一の給付がなされることになっていたのにたいして,逆に日本では180日までは労災によるものと否とにかかわらず健康保険法の適用により給付されていたのが,戦後は労災保険法の制定により使用者のみが拠出する同制度の基金から給付されるようになった理由を知りたいところである。著者の指摘するように社会保障諸構想がベヴァリッジ報告の影響を受けているにもかかわらず,実際の日本の社会保障諸制度はベヴァリッジの示した原則とはかなり異なった理由を個々の問題点にわたって究明することが,今後の課題として重要であり,そのことが著者の意図する社会政策の国際比較という課題に取り組む上で欠かすことはできないと思う。
 第8章は,戦後の華々しい社会政策本質論争の陰に隠れて注目されることの乏しかった大河内一男氏と近藤文二氏との社会保障論争に注目し,近藤氏が1938年公布の国民健康保険法制定を「社会保障の萌芽形態」と断定したことに注目している。
 本書にはなお5編の補論が加えられている。
 著者は社会政策の諸問題について,いつも新鮮な問題意識を持って取り組み,多くの成果を誇ってきた。本書はこの成果を集大成したものであり,今後の社会政策研究の発展にとって欠かすことのできない労作である。それにもかかわらず,この書評は本書の積極的な成果を紹介し,評価することにおいて少なきに失し,批判の方に多くの紙幅をあててしまい,書評としては著しくバランスを失ったものとなってしまったことを著者にお詫びしたい。これは本書が読むものの問題意識を強く刺激してやまない問題作だからであり,また評者が日頃から著者と議論しあっていて,意見の対立点のほうが頭にこびりついており,いまその相違点を述べておきたいという意識に駆られたという事情によることをご理解いただければ幸いである。





啓文社,1992年2月,371ページ,定価4,294円

いけだ・まこと 関西学院大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第408号(1992年11月)




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