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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版






高野房太郎著/大島清・二村一夫編訳
『明治日本労働通信――労働組合の誕生


評者:池田 信




 日本においても伝統的な地場産業で働く熟練労働者達の組織と運動が見られないことはなかった。同業組合から分化した船大工,石工,製樽工,製陶工等々のそれぞれの組合がそれにあたる。これらの組合は組合員の利益を守るために活動し,使用者団体との年次賃金交渉をも行なっていた。しかしそれらは比較的に少数で散在しており,地方組合の域を越えることもなく,ついに労働組合運動の主流を形成することなく終った。イギリスに見られるような,あくまでも熟練労働者たちの自主的な活動による労働組合運動の形成と成長・拡大はなかったのである。
 労働組合期成会や友愛会に見られるように,意識的・組織的な,そして全国的な視野をもった労働組合運動の形成は,有識者と呼ばれる知識人の指導によって行われた。本書に集大成された文献の執筆者である高野房太郎は,当時の日本の特殊な状況下で労働組合を組織するためには,有識者たる知識人の協力が不可欠と考えた。まず労働運動を組織化するための団体を各界の有識者の参加を得て結成し,ついでこの会の活動を通じて労働組合を組織するという方針を固め,それを実践した。その結果が1897年の労働組合期成会であり,鉄工組合である。鉄工業など近代産業の労働者たちは自主的にさまざまな共済団体を結成していたし,それらが鉄工組合成立の重要な条件であったことは疑いえないけれども,近代的な労働組合運動への踏切りは知識人たちの指導をまってはじめて可能となった。
 労働組合期成会・鉄工組合の中心的な指導者は,よく知られているように高野房太郎と片山潜であった。片山は高野とは異なった理念を持ち,また異なった役割を果たした。片山の生産主義的労資調和論の果たした役割もまた大きかった。両者の考え方を理解することによってはじめてこの時期の労働組合運動の特質は解明されるといえよう。とはいえ,職工義友会から労働組合期成会へと,日本に労働組合を組織しようと綿密に方針を検討し,計画を建て,その実現に導いたのは高野に他ならない。高野の主張を研究することによってはじめて知識人指導者の理念の特質だけでなく,日本における近代的労働組合形成の特質を理解することができるといえよう。
 高野房太郎の筆になるものの集大成の事業は,法政大学大原社会問題研究所の故大島清氏によって着手され,同研究所の二村一夫氏によって継がれて,今回ようやく完結し,その成果が『明治日本労働通信−労働組合の誕生』として岩波書店から刊行された。日本労働組合史研究にとっての本書刊行の意義はきわめて大きいといわなければならない。

 本書は,3部から構成されている。
 第1部は,23通からなる英文書簡編であり,そのほとんどはAFL会長のサミュエル・ゴンパーズに宛てたものである。そのうちの一部はハイマン・ガブリン氏や隅谷三喜男氏によってすでに紹介されているが,多くはそのご新たに発見されて今回はじめて公にされたものである。すでによく知られているように,高野はゴンパーズに労働組合運動について教えを請い,ゴンパーズはまたよくこれにこたえて彼を激励し,AFLオルガナイザーの資格を与えている。
 これらの書簡はゴンパーズとの関係を知るうえできわめて重要であるが,同時に日本の労働者状態,ストライキ,既存の熟練労働者の団体,彼の組織活動の進展などを具体的に伝えている点できわめて興味深いものとなっている。
 私がとくに関心をひかれるのは,1894年に書いた最初の手紙で「私は,日本の労働者を組織するための一時的な手段として,誰であろうと参加意思のある者は人数に関係なく加入できる単一組合,つまり労働騎士団のような組織形態を採用し,すぐに教育事業を始めるほうが良いのではないかと考えはじめています。その過程で,その組織内に別個の組合を組織できるだけの力を持つ職種があらわれれば,単独組合をつくらせて親組織に加盟させ,最終的に職業別労働組合主義の基盤にたつようにすれば良いのではないか,と考えるのです」(19頁)とはっきりと記していることである。すでに1891年に日本文で書かれた論文「日本における労働問題」(本書第3部収録)において,日本の労働者を団結させるのに必要な条件として有識者の指導と共済組合とをあげている。この理解を基礎に置いて労働組合結成のプロセスを論じたわけである。高野はゴンパーズに教えと援助とを請うたけれども,すでにみずからの考えを明確に確立しており,労働組合期成会・鉄工組合の組織にあたってもその考えは変わることはなかったのである。
 労働組合期成会と鉄工組合との形成過程と初期の活動については,本書の第3部に収められている「労働組合期成会設立及び発達の歴史」に記されている。しかしこれは年譜式の記述である。これに対して書簡では労働者対象の演説会をしばしば開催して核となるような労働者を獲得していき,労働組合期成会・鉄工組合の設立に導いていく,いわゆるオルグの過程がある程度詳しく記されている。両者を併せれば,成立過程がいっそう立体的に理解できよう。

 第2部は英文通信編であり,高野がAFL機関紙『アメリカン・フェデレイショニスト』や他のアメリカの労働組合機関紙に載せた通信から構成されている。これらの文章では,日本における労働者の状態,ストライキ,女子労働,工場法論議などがかなり詳しく記されている。ここで私が特に興味を引かれたのは,「戦争が終わり,産業が正常な状態にたち戻ったとき,雇い主は従来とはまったく異なった人びとを相手にしていることに気づきました」というほどに日清戦争が日本の労働者の権利意識に与えたインパクトの大きさに論究していることである。戦争と,戦後のストライキ高揚・労働組合結成との関係について検討すべき重要な契機を示してくれている。

 第3部は,高野が日本の一般向けの新聞・雑誌に載せたものと労働組合期成会の準機関紙『労働世界』に載せたものとからなっている。これらはアメリカ合衆国の風俗・労働問題の紹介,日本の労働問題・労働組合運動についての論説などで構成されている。ここで特に注目されるのは,労働組合を組織するにさいして,労働組合無用論・有害論を説く日本のマンチェスター派ジャーナリストの主張を批判し,労働組合運動が労働者の社会的地位を高めるだけでなく国全体の富を増大させるということを論証しようとしていることである。片山が労働者の生産者としての側面に力点を置く生産主義的労使調和論によって労働組合運動の国家的・社会的意義を説いたのに対して,高野は組合の教育活動による労働力価値の上昇,賃金の上昇が労働者の消費水準の上昇,それにもとづく需要の増大を通じて一国の生産の増大をもたらすと主張し,労働者の消費者としての側面を力説して労働組合の積極的意義を説いている。組合による教育活動の重視,労使調和という点では共通していたにもかかわらず,組合の意義の論拠づけでは両者はきわめて対照的な立場に立っていたのである。高野の労働組合論の特徴は,この第3部所収の論文において遺憾なく示されている。

 本書に収録された高野の文章は76点に及んでいる。著書はなくすべては書簡,新聞・雑誌所載の論文である。そしてそれらは英文,和文の双方からなり,発表の場は,アメリカ合衆国,日本両国にわたっている。これらは部分的にはすでに紹介されているが,新発見のものを含めて包括的に一書にまとめられるのは今回が初めてである。高野の主張はもとより,日本の近代史,労働組合運動史,社会政策思想史などに関心をもつものにとって,これまで不可欠であった資料利用のための多大な労力を要することなく,岩波文庫というハンディな書物によって彼の全文書が手軽に読めるようになったことは,まことに有り難いことであるといわねばならない。また英文は明解な和文に訳されている。

 本書には二村一夫氏の筆になる「高野房太郎小伝」が付されている。高野の生い立ちから始まって青年時代の抱負,渡米の決意,アメリカ合衆国での生活,ガントンなどの労働組合理論の修得,ゴンパーズとの折衝,日本での労働組合組織化の構想,城常太郎など同志との職工義友会の設立,帰国と労働組合期成会・鉄工組合の結成,消費組合活動への従事,運動からの離脱とその後の消息にいたるまで,過不足なく丁寧に描かれている。そこには高野の歩みについての二村氏の精力的な資料収集と丹念な考証が存分に活かされている。
 労働運動の指導者については後世の史家のイデオロギーを反映しての毀誉褒貶著しい場合が多く,高野や片山についてもその傾向が見られてきた。この「小伝」はこのような制約からまったく自由であり,厳密に史実に基づいて描いており,彼自身の歩みと彼の指導・活動が運動において果たした役割とを解明することに成功している。
 日本近代史を学ぶ上での必読の文献として本書を繙くことをお勧めしたい。



岩波文庫,1997年7月,540頁,定価本体800円

いけだ・まこと 関西学院大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第475号(1998年5月)



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