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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版


法政大学大原社会問題研究所編
『証言 産別会議の誕生』

評者:兵頭 淳史



 本年1996年は,全日本産業別労働組合会議(産別会議)の結成からちょうど50年目にあたる。周知の如く,産別会議は戦後初期における激しい労働攻勢の中で日本共産党の事実上の指導下に結成され,その後数年間にわたって日本最大の労働組合ナショナル*センターとして労働運動・労資関係のみならず政治・経済一般の動向にも大きな影響を与えた組織である。そして産別会議はその後,1948年頃を境として,民同派と総称される労働運動組織内部における批判派の台頭や,占領軍・日本政府および経営者集団の対労組強硬姿勢への転換の中で分裂・弱体化が進行し,1950年における民同派の結集による日本労働組合総評議会(総評)発足と相前後して労働運動内の極少数派に転落,その後1958年には解散して歴史の舞台から姿を消したという経緯もまた,よく知られたところであろう。
 こうしてみると,産別会議が戦後日本史の中で主要なアクターとして活動した期間は意外なほどに短い。しかしその短い時期にあって産別会議がのこした巨大なインパクトは,その組織・運動の実態についての解明を,日本労働運動史研究ないしは戦後史研究にとって避けて通ることのできない課題ならしめてきた。だが,産別会議に関する70年代までの研究の多くは,歴史学的考察というよりはむしろ,すぐれて実践的な問題意識と同時代体験に基づいて,何らかの価値評価を確定しようとする性格の強いものであっだ(1)。 産別会議を歴史研究の対象として客観的に分析しようとする取組みが本格化するのは,ようやく80年代に入ってからであると言ってよい。 1981年に,関連一次史料の整理とそれらを利用した研究活動を目的とした産別会議研究会が法政大学大原社会問題研究所において組織されたことは,そのような研究動向の新展開を象徴する出来事であったと言えよう。
 この産別会議研究会について特筆すべきは,前記の活動に加え,産別会議に直接・間接に関係した当時の活動家からの聞き取り調査をも活動の主要な柱の一つとして位置づけていた点である。そして同研究会は,これまで実際に30名に上る活動家を対象として聞き取り調査を重ね,その記録の一部は,1984年以来既に本誌 『大原社会問題研究所雑誌』(およびその前身 『研究資料月報』)上において数十回にわたって発表されてきた』本書は,それら一連の聞き取り調査記録の中から,主として産別会議結成前史から初期の運動にかかわる10名の証言(雑誌未発表のものを含む)が編集されたものである。
 ところで戦後日本労働運動史研究において,運動当事者からの聞き取り調査は,事実発掘のための重要な手段としてこれまでにも多くの研究者によって意識され,様々な取り組みがなされてきた。しかしそれらのほとんどは,争議研究の一環として主に職場レベルの活動家を対象として行なわれた未刊行の仕事を除けば,いくつかの有力な全国組織の著名な指導者の証言が集められたものであった。もちろん,こうした仕事もまたそれら全国組織の指導部がとっていた方針などを解明するにあたって大いに資することは言うまでもない。だがそうした組織やその運動の全体像を明らかにすることを目的とするならぼ,トップ・リーダーのみならず,中央指導部から末端に至るまで様々なレベルの活動家を網羅するような聞き取り調査が本来求められる。しかしながらこれまでそうした仕事は,公に発表されたものに限って言えばきわめて少なく(2),とくに産別会議のようなナショナル・センターを対象としたものは皆無といってよい状況であった。本書の刊行はそうした意味でも研究史を画する意義を持つものと言える。調査・編集の労をとられた大原社研産別会議研究会,および発行所である総合労働研究所には心から敬意を表したい。

 

 本書は全体で10部構成となっており,それぞれのタイトルと証言者は次の通りである。
 証言1 労働組合促進会の活動と城南労協の結成(石村海三)
 証言2 東部労働組合促進会と城東工代会議(後藤順一郎)
 証言3 敗戦直後の日本共産党のオルグ活動(辻英太・永田明子)
 証言4 関東労協結成前後(春日正一)
 証言5 産別会議の結成と二・一スト(細谷松太)
 証言6 産別自己批判問題と民同の結成(細谷松太)
 証言7 産別会議の結成と初期の活動(長谷川浩)
 証言8 産別会議の結成と組織・指導(吉田資治)
 証言9 政治犯の釈放と日本共産党の労働運動方針(椎野悦朗)
 証言10 日本共産党のオルグ指導と全炭の結成(椎野悦朗)
 なお巻末には証言者の略歴一覧が付され,また早川征一郎執筆の「はしがき」においては大原社研産別会議研究会結成の経緯と活動内容,および本書成立までの経緯が紹介され,吉田健二執筆の「あとがき」では,産別会議に関する実証研究の今日的意義に関する見解が提示されている。
 さて,このように当時の組織と運動の直接当事者による生の証言から構成された本書の何よりの意義は,言うまでもなくその史料的価値にある。本書の中で語られたいくつもの重要な新事実を含む豊かな内容は,今後多くの研究者による様々な角度からの検証を加えられつつ,新しい産別会議史・戦後日本労働運動史として再構成されてゆくこととなろう。したがって,それぞれの聞き取り記録の内容をここで要約することは困難でもあり,また,さして意味があることとも思われない。そこで,さしあたってここではそれぞれの証言の中でも評者にとってとくに興味深かった点,および研究史上とくに重要な意義を有すると思われるいくつかの内容にしぼって,簡単に紹介するにとどめたい。ただし,それらの内容が,産別会議史にとっていかなる意味を有するのかをより明瞭にするために,本書における証言の順序には必ずしもこだわらず,基本的にクロノロジカルな流れに沿って紹介していくこととする。なお本稿では,証言者・質問者および証言中に登場する人物を含めて,全ての人名について敬称は省略する。
 まず,産別会議の歴史を考察する上で避けて通ることのできない重要な前史を構成する戦後日本共産党の再建過程に関する,辻英太・永田明子および椎野悦朗の証言から見てみよう。椎野は敗戦前後における日本共産党の獄中グループの活動と,獄中グループによる党再建へ向けた動きについて克明に証言し,また永田は,敗戦直後,45年10月10日の政治犯釈放以前に,徳田球一等の獄中グループと獄外にいた藤原春雄との間に連絡がとられ,日本共産党の再建活動が事実上開始されていた,という趣旨の発言を行っている。さらに永田によれば,藤原の他にも獄外にいた「転向組」が様々な形で徐々に日本共産党の再建準備活動を開始していたともいう。これら一連の証言は,敗戦前後からGHQによる政治犯釈放指令までの間の日本共産党の再建活動に関する貴重な記録となっており,これまで敗戦直後において大衆や運動主体が「虚脱状態」にあったことが重視される反面,やや見過ごされてきた感のある,政治犯釈放以前における運動再建へ向けた主体的な動きに関する研究を今後進展させる上で大変大きな意義を有すると思われる。なお,椎野証言の中では,戦後における徳田の戦略構想について,統一戦線的発想の欠如といったこれまでの一般的なイメージとは大きく異なる像が提示されている。これは,獄中時代から戦後にかけて徳田に最も近い位置にあった人物の証言だけに重要な意味を持つものであり,今後,党派的評価を超えた歴史的考察対象としての穂田球一像を再構築するにあたって十分な検討を加えるべき素材を提供しているものとして注目されよう。
 次に取り上げたいのは,戦後初期における事業所別労働組合の組織化活動に関する,石村海三・後藤順一郎・春日正一・長谷川浩および吉田資治の証言である。このうち石村・後藤・春日の証言では,再建直後の日本共産党が労働組合組織化のために結成したオルグ集団である労働組合促進会の活動実態が詳細に明らかにされ,他方で吉田の証言は,共産党のオルグ集団によるもの以外に,党とは直接関係しない下からの自発的な組織化活動によるものも存在したことを示唆している。したがって,これらの証言を手掛かりに今後進められるべき戦後初期労働運動史研究においては,労働組合の組織化過程における共産党のイニシアテイブとその外にあった自発的な動きという二つのモメントそれぞれの重要性と両者の関連性をどのように評価していくかが課題となろう。
 また,この労働組合促進会オルグの間では,労働組合は「総同盟に入った方がいい」との意見が「一般的」であった,との石村の証言にも興味を引かれる。確かに,再建直後の共産党内には労働組合政策として「総同盟一本」化すべきであるとする主張が存在していたことはこれまでの研究によっても明らかにされていたが,それはあくまで党指導部内の極少数派(具体的には神山茂夫など)あるいは一部の地方組織の見解としてであった(3)。指導部のみならず実際の組織化にあたる第一線のオルグ集団内においても同様の見解が存在し,かつそれがかなり有力であったという内容をもつこの証言は,共産党内において「総同盟一本」化構想が従来考えられていたよりも広汎に浸透していたという興味深い新事実を提示するものである。
 さらに,これらの証言,中でもとくに石村・春日の証言中で重要と思われるのは,事業所別労働組合を結集した地域別工場代表者会議をさらに発展させる形で成立した関東労協と,産別会議との組織的連続性の希薄さが強調され(4),産別会議結成の直接の引き金と.なった新聞通信放送労組(新聞単一)の呼び掛けも,党オルグの間にはむしろ唐突な印象を与えたという回想が語られていることである。この点に関しては,長谷川浩の次のような証言にも注目しうる。すなわち長谷川によれば「関東労協という名前で,じつは共産党として動くというのが実状」であった,というほど両組織の活動は渾然一体となっていたが,新聞単一のイニシアティブはこのような関東労協の活動とは全く別個にとられたものであり,しかも共産党オルグ団の指導的地位にあった長谷川自身はこの動きに反対であった,というのである。残念ながら,本書では新聞単一の関係者が調査対象となっていないが,これらの証言は産別会議そのものの結成にあたって,新聞単一,関東労協とその中心部隊であった金属機械産業労組,そして共産党の指導部やオルグ団といった諸主体がそれぞれ果たした役割が,今後あらためて検討し直されるべき課題であることを示したものと言える。
 長谷川証言の中でこのこと以外に注目されるのは,徳田球―・野坂参三・聴濤克巳・山川均そして細谷松太といった指導者連に関する人物評価である。なかでも細谷松太には「悪い意味ではなく,争議は平気で裏交渉する」という 「組合主義的な側面」があり,それが「党の中で問題となった」という回想が,評者にとってはとりわけ興味深く思われる。というのも,細谷に対するこうした評価は,本書における細谷自身の証言の中での次のような自己評価と,はからずも一致しているのである。すなわち細谷によれば,産別会議事務局次長時代における自身の運動指導のあり方には,戦前の旧総同盟的な「裏労働運動のやり口に近いもの」があり,それが「代々木の指向する方向」と異なっていたという。そして細谷証言の中には,この点にかかわって他にも,産別会議初代議長聴濤克巳や事務局書記であった小林一之と細谷との間に個人的不和が生じていたという興味深い発言が存在する。長谷川・細谷によるこうした証言は,産別会議における民同派の発生原因として,運動スタイルの相違や指導部内の個人的確執といった,従来あまり着目されてこなかった要素が存在することを示唆したものと言えるのではないだろうか。
 本書の中で同じ問題に関連すると思われる点について今一つ言及すれば,細谷が47年7月臨時大会後,産別会議事務局次長職から追われた背景について,細谷が産別会館建設の業務を「サボった」ことが理由であった,という吉田資治による証言が注目される。これは,細谷が「自己批判」問題に関して共産党指導部と対立したことがその理由である,とする従来の通説とは大きく異なる内容を持ったポレミカルな証言であり,この点については,今後,他の関係者からの聞き取りや文書史料の検討を併せ行なうことによって,慎重に事実を確定する作業が必要であると思われるが,ともあれ,こうした一連の証言からは,「自己批判」問題から民同形成までの経過には,感情的なレベルの問題も含め,これまで考えられていた党一組合関係やイデオロギーをめぐる対立よりもはるかに複雑な諸要因が絡んでいたことが看取しうるのである。

 以上,本書で語られた証言内容の中から,主に評者の関心にしたがってとくに目をひかれたものを紹介しつつ,そこから導きだされる,産別会議史・戦後労働運動史研究において今後検討されるべき課題についても言及してきた。しかし繰返しになるが,それぞれの聞き取りの中ではこの他にも様々な興味深い諸事実が語られており,ここで言及しえたのはほんの一部にすぎない。そしてまた,やや印象批評の域に踏み込むことをおそれず付言すれば,本書の価値は単にそのような史料的価値にとどまるものではない。ここに収められたそれぞれの証言は,当時の運動とそれを取り巻く時代の生々しい雰囲気,さらには各証言者の労働運動・社会主義運動家としての人生の重みといったものまでも伝えるものとなっており,そうした点で本書は,まさに戦後史を語る貴重な「証言」集として大変読みごたえある読み物ともなっているのである。
 しかしながら,本書の編集・構成にかかわって若干不満に感じた点もなくはない。その一つは,先にも簡単に言及したことであるが,新聞単一関係者の証言が収録されていないことである。前述したように同労組は産別会議という組織そのものの成立過程を分析するにあたって,その検討を避けて通ることのできない主体である。もちろん,本書に所収された証言の中でも新聞単一の産別会議結成の呼び掛けについては,主にそれを受け取った側の立場からさまざまに語られてはいる。だがやはり呼び掛けた側である新聞単一関係者の証言が無いことは,『産別会議の誕生』と銘打たれた書物としては,やや画竜点晴を欠いた感は否めない。
 二つ目は形式的な問題であるが,個々の質問者名が明記されていないことについてである。本書に所収された聞き取り記録には,証言者に対する質問者の発言が,単なる質問の域を超えた質問者自身の見解や評価を打ち出すものとなって,実質的に証言者との対論が成立しているような箇所が散見される。これらは聞き取り調査としての本来的なあり方からすれば,異色な部分と言えるかもしれないが,本書について言えば,こうした部分は決してその価値を下げているものではない。例えば,質問者の一人であり,自身が産別会議事務局書記として運動当事者の一人でもあった松尾洋の発言と特定しうる部分が数ケ所存在するが,そこでは証言者と松尾とのやりとりが単なる聞き取りというより,両者の記憶の突き合わせによる,よりつっこんだ事実確認の作業となっている。すなわち,そのような対話・対論となっている部分は,本書の優れた特色をなしているのであるが,それだけに,こうしたいくつかの発言を除けば,同様に対話・対論となっている部分も含めて,独自の見解を提示する質問者自身の名前がほとんど明記されていない点に不満をおぼえるのである。本書の「はしがき」と「あとがき」によれば,現在,本書の続編『証言・産別会議の運動』の刊行が計画されているという。本書の一読者として,また産別会議研究者の一人として一刻も早い実現が待ち望まれるところであるが,もし可能であれぼ続編においては,この点が考慮されることを望みたい。



(1) 例えば、労働運動史研究会編『産別会議―その成立と運動の展開―』労働旬報社,1970年や,斎藤一郎による一連の業績が,そのような研究の典型的なものとして挙げられる。

(2) 数少ないそのような業績のひとつとして河西宏祐『聞書・電産の群像』平原社,1992年がある。

(3) 参照,山本潔『戦後危機における労働運動』御茶の水書房,1977年,213〜214頁,並びに吉田健二「産別会議の成立過程(1)」『研究資料月報』312・313号,1984年,16頁および23〜26頁。なお石村証言の初出は『大原社会問題研究所雑誌』360号,および361号,1988年である。

(4) この点については,聞き取り調査に基づく論文(吉田健二「産別会議活動家のヒアリング連載にあたって」『研究資料月報』312・313号,1984年,28頁、および同「産別会議の成立過程(2)」『大原社会問題研究所雑誌』331号,1986年,14〜15頁)でも既に言及されているので,併せて参照されたい。





法政大学大原社会問題研究所編『証言 産別会議の誕生』
総合労働研究所,1996年3月,vii+318頁,定価5,500円

ひょうどう・あつし 九州大学大学院法学研究科博士課程

大原社会問題研究所雑誌』第456号(1996年11月)



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