OISR.ORG へようこそ 法政大学大原社会問題研究所
 

『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



熊沢 誠 著
『日本的経営の明暗』



評者:平井 陽一


 この本が目ざしているものは,日本的経営の本質をヨーロッパおよびアジアに進出した日系企業の労務管理と日本におけるそれとを国際比較することによって明らかにするとともに,日本的経営が綻ぶ道筋を探ることにあろう。熊沢氏の日本的労務管理をみるスタンスは本著においてもこの様に定まっている。氏は言う。日本的経営は参加者に「人間尊重」を唄いあげ,昇進・昇給等への競争参加の平等を保障するとともに厳しい規律や「容赦なく異端排除」の経営論理をも同時に貫徹させている,と。
 この本は第一部が「〈日本的経営〉の明暗」,第二部が4つの小論からなる「企業社会の現在」で構成されている。ここでの紹介はおもに本のタイトルにもなっている,第一部を中心としたい。さてそこでは,精密な人事考課の運用によって支えられている日本の労務管理の「完成」事例を東芝にみる。ついでヨーロッパとアジアに進出した日系企業がその地の労働者文化に出合って日本的労務管理をどのように「適用」あるいは「適応」されるかを考える。世界をかけめぐるこの日本的経営の国際比較が読者に予測させるものは,ヨーロッパでは強固な労働者文化の抵抗にあって修正を余儀なくされる現地「適応」の姿であり,また労働者文化が「未発達」なアジアでは日本的経営がストレートに「適用」される姿である。たしかに,ヨーロッパでは予測されるとおりなのであるが,アジアでは意外な方向に事態が展開されていることが明らかにされる。
 まず,東芝府中工場におきた一従業員にたいする企業の差別的な処遇を告発した東芝府中人権裁判の分析からこの本の叙述は始まる。ここでは日本的経営の明暗の対,すなわち「明」としての人間尊重的なソフトウェアである「平等と参加」のシステム,「暗」としての「労働生活の細部にわたるきびしい規律や容赦なき異端排除」の実例を紹介し,「会社というものは同じ人間素材から,技能五輪の入賞者も,〈典型的な低能率者〉もつくりうることを学ぶ」と辛辣な皮肉で事の核心をつく。ここで示された事例は,異端者に対する東芝職制の恣意性がフルに発揮された典型例であるが,それを可能にしているのはより日常的な制度として存在する「日本的な性格をもつ人事考課」制度であるとし,つぎにこれの分析に進む。すなわち,日本的人事考課とは職制の裁量によって運用される余地がもともと広く,必ずしも職場のいじめと明白に区分される保証のないこと。またこの査定制度を支えているものは,労基法違反や不当労働行為も辞さない「非公式性」としての職制機能とセットになった会社規定の「公式性」にあるとする。氏は,このような職制機能の活用を前提としてはじめて成り立っている日本的経営の能力主義的「平等」は,しかし「企業社会の内包する絶対的な矛盾とさえいうことができる」とたたみこむ。しかし,この矛盾の克服を男子中核従業員に期待することはもはやできず,女性,非正社員,新人類,海外の日系企業で働く欧米,アジアの労働者たちをおいてないと言う。
 ここから氏の目はヨーロッパとアジアに進出した日系企業の労務管理に向けられる。ここでのテーマは,したがって明確である。すなわち外国人労働者による「なんらかの抵抗による日系企業の譲歩,日本的経営の適応の現実を知ることは,日本のサラリーマンが外国人の生きざまを通して労働生活のもうひとつのありように関するイメージを育てることに資するのである」と。この本でのべられているヨーロッパで日系企業が直面している問題点を要約すれば,以下のごとくであろう。
 すなわち工場内での「規律のきびしさを求める点において日系進出企業は「善戦」している。しかし進出企業の前に立ちはだかるのは競争制御の哲学をもつ労働者文化の確たる存在であり,労働組合であり,社会保障制度であり,ドイツにみられる法的労働者保護などである。ここには「ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代においてもなお,世界の他の地域以上に日本的経営の適用を制約し,それを適応に誘なっている」たのもしい現情が指摘されている。ところがアジアに目を転ずると様相はいささか異ったものになってくる。ここには日本的経営の「適応」はむろんのこと予期された「適用」もなく,あるのは前近代的で古びた資本家的経営の論理であった。世界に冠たる日本の大民間企業のふるまいが,アジアにおいては日本やヨーロッパと較べてこうも違うものかと驚ろかされる。タイの日系企業の実に96%で昇給,昇進に際して徹底した査定主義による人事考課が導入されており,日本的経営では当然カウントされるべき勤続への配慮がなされていない。氏はこのようなタイにみられる「慈恵的専制」による日本的経営が,いずれは「日々の労働によってタイを豊かにした者たちの発言権への欲求の高まりによって早晩〈もたなくなる〉に違いない」としている。しかし,この言葉は逆に歯止めのかからない日本的経営の行末が一体どのようなものであるか,タイの日系進出企業の労使関係を紹介することによって著者はわれわれに暗示しているようにも思われる。
 ところで以上ごく簡単に本書のメイン論文を紹介したが,ここでひとつだけ注文を述べておきたい。日本やヨーロッパの日本的経営についての分析と主張はスタンスの確かさと豊富な研究蓄積とによって説得的である。しかし,それにくらべてアジア,とくにタイについての分析は企業側の資料(就業規則など)に限られていること,したがってタイ人従業員が「慈恵的」な日本的経営をどのように受けとめているのかといった肝心な点などが不明になっている。氏のいうように「分析以前の第一次報告」であったとしてもやはり不満は残る。
 第二部の四つの論文について。ひとつ目の論文「国鉄改革」では国鉄の分割民営化の際,政界,財界,マスコミが一体となっておこなった国労いじめをとりあげ,弾圧のなかでもなお政府・当局による「組織的犯罪」にたいする国労の追及が不十分であったと国労の尻をたたき,日本ではとかく踏みにじられやすい産業民主主義を擁立することの意義を説いている。ふたつ目の論文「雇用均等法下の職場」では,均等法によって男女を問わず職場の能力主義が今後さらに純化されるが,同時にこの法律は能力主義にすがらず職場に生きるノンエリートの女と男に共苦を負わせることで「ここにはじめて共闘の条件を用意する」と説く。第三論文「組合ばなれの背景」では,組織労働者が自分たちの労働者間競争を制御できない事実こそ未組織労働者に組織化の意欲をおこさせない基本的な原因があるとする。さいごの論文「組合ばなれの民主主義」では,日本の労働者,サラリーマンたちが連帯と協同の営みを作りだす回路を地域に模索している。以上,熊沢氏の最新作を紹介した。労資関係をみる鋭い視点,読者を引き込む独特のいいまわしからなる熊沢節は健在である。





筑摩書房,1989年11月,1850円

ひらい・よういち 大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第382号(1990年9月)



先頭へ
書評一覧へ
電子図書館へ
研究所ホームページへ