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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



『炭労』編纂委員会編
『炭労 激闘あの日あの時』



評者:平井 陽一


 炭労は,これまでの運動を記録する通史として『炭労四十年史』を1991年に刊行した。しかし,その刊行前後から「炭労の闘いは本部を中心とした通史では語り尽くせない」,「合理化につぐ合理化,閉山につぐ閉山の歴史のなかで,炭鉱労働者がいかに闘ってきたか,山元と地域の具体的事情と炭労の関わりの実態を伝えよ」との声が起こり,『炭労 激闘あの日あの時』が編纂されることになった(あとがきより)。したがって,この本は一部組合史などからの引用もあるが,ほぼ全編が全国に散在する元組合員たちが寄稿した217編の原稿をもとに編集されたもので,炭労の闘いに参加した当事者たちの生きた証言集となっている。これがこの本の第一の特徴である。
 執筆者のほとんどは,「元」が付く炭労本部や地方組織の役員,三井,三菱,住友など大手企業連の幹部,地方大手や中小炭鉱の組合長や執行委員,主婦会会長といった組合中枢の役員たちであった,あるいは後にそうなった人たちである。無名の一般組合員ではなく組合幹部や活動家たちの証言集,これが第2の特徴である。
 この本は序文で阿具根登が書いているように,「炭労の闘いに参加した組合員や活動家の生の声を伝え,きれいごとではない現場の実態と今だからいえる事実」を伝える裏面史ともなっている。これが第3の特徴である。
 ところで,炭労はかつて,国鉄,日教組とともに総評御三家といわれ,戦後日本の労働運動を牽引してきた有力組合であった。炭労がその役割を果たせたのは,当時石炭という基幹エネルギー産業を組織した大単産であったこともあるが,やはり失敗しながらも様々な運動領域に挑戦した炭労自身の努力も大きかった。マ・バ式による賃上げ闘争,企業別組合からの脱皮をめざした賃闘での対角線交渉,大衆闘争・職場闘争の提唱,部分ストや重点スト戦術の採用,政策転換闘争,石炭国有化闘争など枚挙にいとまがない。しかし,同時に炭労の歴史は,合理化と閉山にたいする苦闘の連続でもあった。この本には,敗戦直後の生産管理闘争から91年の第9次石炭政策にたいする闘いまで,40年以上にわたる炭労苦闘の歴史が証言者たちによって生き生きと綴られている。

 第1部「労使の対決」の第1章(1945〜49年は,経済的には戦後復興のために石炭の増産につぐ増産が求められ,炭鉱が春を謳歌した時期である。運動としては,戦中の抑圧から解放されて様々な闘争が一挙に花開いた。ここでは朝鮮労働者の帰国要求,あいつぐ組合結成,生産管理闘争,飢餓賃金突破闘争,民主化闘争,GHQの介入にたいする抗議闘争などが熱っぽく語られている。
 第2章(50〜52年)はレッド・パージによる反動期であるが,労闘ストを契機として停滞していた運動が息を吹き返した時期である。ここではレッド・パージや労闘ストのこと,このストで武藤委員長が辞任した舞台裏のことなどがリアルである。
 第3章は52年の六三ストにあてられている。以前はせいぜい10日から1週間のストしか打たなかった炭労が,この年の賃闘では電産とともにマ・バ方式による賃金要求をかかげて63日もストを続けた(あるいは続けさせられた)。この長期ストの苦い体験によって,炭労は有名な「幹部闘争から大衆闘争へ」を合言葉とする運動方針を採用することになった。ここでは,大衆動員や長期スト中の生活対策としておこなわれた行商や土木工事などに従事した苦労話が綴られている。
 第4章(53〜59年)では炭労全盛期の運動が語られている。「幹部闘争から大衆闘争へ」の合言葉のもとに展開された大衆運動の展開,賃闘における効果的な部分ストや重点スト実施,三鉱連の113日闘争の勝利,日鋼室蘭や王子争議の支援など多くの闘争が紹介されている。しかしこの頃は,同時に石炭から石油へのエネルギー転換が着実に進行し,大手では企業整備,中小炭鉱では閉山攻勢が盛んにおこなわれた時期でもあった。炭鉱は中小炭鉱争議支援,ワンマン炭鉱主との闘い,暴力団との対決など苦闘する。
 第5章では三池争議がとりあげられている。三鉱連委員長であった畠山義之助や三池労組副委員長であった久保田武巳のいまだから話せる三池争議の裏面が語られていて興味深い。とくに久保田は著書『いまあえてわが三池』(1985年)で,争議の当事者として既に忌たんのない三池争議批判を展開している。
 第6章「職場闘争」は,つぎの文章ではじまっている。「幹部闘争から大衆闘争への路線のなかで,職場活動・職場闘争の議論が数多く展開された。(中略)いま,運動として職場闘争は死語化しているが,職場こそ組合の存在価値が問われていることを忘れたくない」と。しかし,この章はわずか8頁しかない。この本がかつて大衆闘争を指導し,運動に参加した組合役員や活動家の回顧談であることを思うと,職場闘争に割かれた頁数はあまりに少ない。
 ここでは職場闘争のあり方に具体的に触れない原元炭労委員長(太平洋出身)や古賀元炭労委員長(三井三池)にかわって,三井田川の高垣禮一郎(元炭労中執)が,炭労中央は職場組織に三権を委譲する方式(三池労組が56年の到達闘争時に採用)を支持しなかったこと,山猫闘争を避けるため組合執行部と職場の連携は密であるべきこと,職場闘争の本来的な目的は職場の民主化,作業環境の整備,安全確保など具体的な労働条件の確保であると述べている。これが,当時の炭労の職場闘争にたいする公式見解であった。
 しかし田島幹夫(太平洋・元委員長)は,太平洋の職場闘争が充分な職場討議をつみあげて「ものとり」闘争から「労働密度をうすめるたたかい」「安全作業要綱をまもるたたかい」,ロング長の公選,休憩・作業準備時間中の組合活動の自由などに闘争の質を高めていったこと。しかし同時に「職場闘争万能論」的傾向が現れたり,あいかわらず「ものとり」があって「職場闘争は企業意識を克服するものではなかった」としている。さらに三池の花園憲一(元九炭労副委員長)は,職場諸要求をもとに,これを統一賃金協定へどう反映させるかという指導は「ほとんど系統的にはなされなかった」と,統一闘争とうまく結びつかなかった職場闘争の欠陥を指摘している。この章の頁がわずかなのは,展開された職場闘争の実態把握と職場闘争の問題点がいまだ未整理のまま残されていることに理由があるものと思われる。
 第2部「石炭政策との対決」は,吹き荒れる閉山攻撃と闘う炭労の姿,「反合闘争一本槍の闘争」への反省から取り組まれた政策転換闘争,離職者対策などがおさめられている。ここでは政府のスクラップ・アンド・ビルド政策に翻弄されながらも,闘い続ける日本の炭鉱労働者たちの姿が鮮やかに描かれている。
 原元委員長は,炭労について「その闘いは,自らの犠牲は多く,それによって得た物質的なものは多くなかったが,こんなにたくさん闘った人々の集団は外にない」と語っている。この本は,炭労で闘った人々が私たちに贈るおそらく最後の熱いメッセージであろう。





日本炭鉱労働組合,1992年,546頁,3,000円

ひらい・よういち 法政大学講師・大原社会問題研究所嘱託研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第416号(1993年7月)



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