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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



上井 喜彦 著
 『労働組合の職場規制――日本自動車産業の事例研究』



評者:平井 陽一


  塩路会長が自動車労連を追放されたとき,塩路をどう評価するかは10年たたないと定まらないのではないかと言ったひとがいた。 10年たったいま上井喜彦氏がひとつの結論を出したので紹介したい。
 本は2部構成になっている。「対抗的職場規制」と題する第I部で,全自日産分会(本書ではA分会)の職場規制の内容(第1章)と1953年争議でA分会が崩壊していく過程(第2章)をあつかっている。「協調的職場規制」と題する第II部は,A分会に対抗して結成された日産労組(本書ではA労組)の協調的な職場規制の定着過程(第1章)と,会社の目ざす管理方式と抵触していった職場規制の実態(第2章)およびこの職場規制が崩壊する過程の分析(第3章)からなる。
 上井氏は,この2つの対照的な組合理念をもつ組合がともに行使し,いずれも失敗に終わった職場規制の実態を解明するなかから,「日本の企業別組合のあり方,その労働組合としての問題点と可能性を探る」ことを目的としている。
 内容にいますこし立ち入ろう。第I部第1章では,A分会が1949年の大量解雇をきっかけに 「労働組合らしい組合」づくりに取り組み,組合末端役員を職制から大衆活動家に転換することをこころみ,「生産の主導権を労働者がにぎる」ことを目標とした職場闘争を紹介する。日常的な職場規制は,職場委員会が実質的に職場交渉権を有する組織として機能し,残業規制や応援,配転,要員などさまざまな規制がおこなわれ,規制の程度は別にして,総じて「職場長・職場委員会をとおさずには職制は何事も決められなかった」という世界が実現されている。
 しかし,かかる経営にとっての異常事態は,経営側が「職場における経営権を制約」するA分会の職場規制を放置できないと決意すれば,「全面攻撃」を受けずにはすまなかったのである。
 第2章は,職場規制の排除を争点とする1953年争議についてである。争議の発端は53年の春季賃上げ要求であった。組合の要求額は大幅なものであったが,会社は「職場闘争の抹殺と組合組織への挑戦」を公言してはばからず,組合要求を全面的に拒否するとともに,課長の非組合員化や就業時間内の組合活動の禁止などを逆提案した。
 また会社側の行動は強引で,団交拒否,時間内組合活動の賃金カット,夜中の出荷強行,ロックアウト,第2組合結成へと突き進み,全自A分会を追いつめた。分会側は,時限・部分ストなどを打ったが,職員層(意識的批判派が核)や現場職制層(係長のほとんど全員,組長の大半)の離反がおき,組合分裂にいたり,争議敗北の結果,全自の解散にまでいたるのである。

 第II部第1章「労使『相互信頼』下の職場規制」では,相互信頼下の職場規制を典型的にしめす経協の実態が分析されている。上井氏は,A社の発展を支えた労使関係は,かかる経協を中心におく労使関係であり,生産協力を前提とするものとしている。 しかし,「A労組を会社の意志に従うだけの単なる『御用組合』と見ては,評価を誤る」と同時に指摘する。
 組合の主張をつらぬく考えは,あくまでも 「労使対等の原則」であり,したがって経協も 「『職能人の活用』をとおして生産性を向上していく『経営参加』の制度」として提唱されている。経協設置の目的も,「経営に関して相互に理解を深め,協力して業務の円滑な運営を図る」とあり,人事,福利,営業方針,生産秩序など労働条件以外のほとんどの項目を協議するとされた。
 このように目的化されて経協は,「QCサークル活動と見紛うばかりの課題が追求され」,「生産性向上のための活動としての経協の性格が凝縮」されている。 しかし同時に,経協の議題にはおのずと「生産体制や労働条件につながる問題」もかかわってこざるをえず,組合は「職場の生産・労働について実に広く発言」していたという。
 しかし,A労組の「職場規制の到達点」はフレキシビリティーへの対応にみられるとして,上井氏は第2章で組合の要員規制,要員水準と労働強度規制,能率管理,応援や配転などの移動の規制,労働時間の規制,新技術導入の規制のそれぞれについて一つひとつ詳細に検討する。結論として,「A労組による対経営コントロールが相当高いレベルに到達していたことは疑いない」とする。とくに職場規制の手続き的側面では「これほどの手続き規制を行使している組合は,日本の民間企業ではそう多く存在しないだろう」という。また規制の実態的側面でも「B労組(トヨタ 評者注)と対比するならば,A労組の職場規制の生産制限的性格が濃厚に浮かびあがる」という。 しかしながら「B社との比較をはなれれば,A労組の実態規制は手放しで評価できないことが判明する」ともいう。
 第3章では塩路路線の破綻を描く。A社は,トヨタとの競争を背景として77年の石原社長就任から組合対策を転換する。労使協議の軽視と「トヨタ生産方式」による経営管理スタイルの採用である。具体的には1)労使協議を「決定」からたんなる説明・協議へ,2)組合の事前了解から会社決定後の連絡へ,3)大幅な時間内組合活動の制限,4)人事に関する組合の発言権の全面否定などである。
 会社の動きと連動した組合内の動向としては,本社職員層が塩路にたいする労連会長辞任ののろしをあげ,つづいて係長会,組長会,安全主任会など現場職制層が労連会長退陣の代議員会開催を申し入れ,あっさりと会長辞任にいたる。
 上井氏は,この間組合側は「企業の論理に反するおびえ」を背景にして企業の繁栄と「人間的労働条件」の二者択一を迫られ,前者を選択したこと。またこの選択をせざるをえなかったのは,職場規制の主体であった係長や組長ら現場職制の会社帰属意識が組合帰属意識よりも優ったことにあったとする。とくに「管理からの自立」の不十分性を指摘している。
 「総括」として,上井氏は左派的な全国A分会も,右派的なA労組も有力な職場規制をおこなっていたが,しかし前者の「対抗的職場規制」は凝集力はあったが現場職制や職員層の離反をまねき争議の末に分解したこと。後者の「協調的職場規制」も「経営危機を憂慮する現場職制層の造反」によって「一般組合員の決起もなく,なし崩し的に自己倒壊」していったとし,ともに現場職制層の離反が職場規制が失敗する大きな要因であったとする。そして,このようにいずれの試みも「企業の論理から逃れられない」とするならば,「『人間的労働』を基底にすえた,生産性と企業の新しいイメージを創造していくこと以外にはありえない」とし,職場規制を実施する核となる現場職制に焦点をあて,欧米の組合活動家がこの間追求してきた運動スタイルである現場職制の選任を職場組合員の意見を反映させたシステムにかえることを提案している。

 ところで,以上の叙述を上井氏がこの本でめざした日本の企業別組合のあり方や,問題点,労働組合としての可能性を探るとした課題との関係で問題としたい。ひとつの疑問は,個別企業の労使関係での特質,ここでは経協による職場規制の試みとその挫折の分析によって得られたいくつかの論点を,どこまで日本の企業別組合の問題として一般化し得るのかという疑問である。たしかにA労組の職場規制は日本の自動車産業における企業別組合がかかえる利点も欠点もあますことなく示していた。 しかし職場規制の際に「当該労働者の合意が断固排除され」 「組合民主主義からはなれている」ことにもみられたように,日産の事例は過去日本の組合が実践した職場規制の事例とは異質である。
 いまひとつの疑問は職場規制の評価基準についてである。既述したように,上井氏はA労組の職場規制は「対経営コントロールが相当高いレベルに到達していたことは疑いな」く,このような規制をおこなった組合は「日本の民間企業ではそう多く存在しない」としながらも,他方で「B社との比較をはなれれば,A労組の実態規制は手放しで評価できない」とし,評価の軸かぶれていることである。職場規制の評価基準を経営コントロールに対する深度とするのか,労働条件への規制の程度とするのか,一般組合員もふくめた組合参加の度合とするのか,あるいはこれらすべてを満たしたものとするのか。このことは塩路評価にもかかわってくる問題である。ともあれ組合情報の制約が大きいA社の職場規制の実態をここまで詳細かつ体系的に調べた実態調査はこれまでにない。上井氏の努力に敬意を表したい。




東京大学出版会,1994年2月,251頁,定価5,974円

ひらい・よういち 法政大学講師

『大原社会問題研究所雑誌』第432号(1994年11月)



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