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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



高橋 祐吉 著
『企業社会と労働者』



評者:早川 征一郎


はじめに

 この本の著者である高橋祐吉氏とは長年,同じ研究会(現代労働問題研究会)で,文献研究などをつうじ,議論をかわしてきた。ここでの私の書評は,いささか仲間うちの褒め言葉になりかねない。だが,できるだけ私情を交えず,クールな書評に徹することを心がけよう。
 この書を評する場合,前書『企業社会と労働組合』との関係が問題となる。二つの本は姉妹本である。著者は本書の「はしがき」で,つぎのように述べる。「前著『企業社会と労働組合』では,労使関係と労働組合の生態に焦点をあてながら企業社会の構造を描こうと試みたつもりであるが,本書ではその焦点は労働市場と労働者の生態にあてられている」。この両書をつなぐキーワードは,「企業社会」である。このタームについては,書評の最後に言及したい。

 本書はつぎの諸章からなり,各章はさらにいくつかの節から成っている。
 第1章 日本的雇用慣行のゆくえと労働者
 [補論1]変貌する雇用構造と労働者
 第2章 労働力の高齢化をめぐる諸問題
 [補論2]定年延長と中高年労働者
 第3章 ME技術革新の展開と労働者
 第4章 パートタイム雇用の現状と課題
 第5章 サービス産業における雇用と労働
 第6章 企業社会の変貌と労働政策の構図
 終章である第6章が典型であるが,各章とも,たんに「労働市場と労働者の生態」を描くにとどまらず,ときに「職場の労使関係」(第3章),あるいは「政策課題」(第4章),そして組合の在り方にまで言及しているのであり,その意味で著者の視野はきわめて広い。
 その上,「観察」と「調査」にもとづく目配りは緻密で,よく行き届いている。どの章でも,まず「実態」ないし「事実」を明らかにし,それにもとづいて,議論を展開している点は一貫している基本姿勢である。

 第1章は,いわゆる日本的雇用慣行の現状と行方について論じている。著者の基本認識は,「終身雇用慣行はなしくずしの溶解過程にある」(8,20ページ)ことに置かれており,労働力の流動化,出向,配転の拡大などが,その基本認識との関連で論じられている。
 第2章は,労働力の高齢化のもとでの諸問題を取り扱っているが,とくに「中高年労働者の労働能力と労働生活の改革」(56ページ以下)の項は,すぐれた指摘であり,興味深かった。ただし,高齢者の雇用と労働の保障のため,「職場における『合理化』の規模とテンポを抑制すること」(58ページ)という著者の指摘に異論はないが,誰が(主体形成),そうした「抑制」=「規制」を為し得るかは,本書では明らかではない。
 第3章は,ME技術革新の展開のもとでの労働者の状態を論じている。ここでは,中高年労働者にしわよせが集中していること,そのしわよせを排除して,ME技術革新の成果を「社会革新的なものにする」(105ページ)ことや,「労働の人間化」達成への方途が追求されている。ただし,ここでも誰がそれを為すかという主体形成の問題は明らかではなく,第2章と同様,抽象的である。
 第4章は,パートタイム雇用についてであるが,ここではとくに,第2節の中の「今後の検討課題」が優れた問題提起であろう。すなわち,そもそもパートタイムの定義の国際比較上の違い,パート増大の経済的背景,労働力供給側の事情,パートの組織化問題,パート増大の社会的インパクトなどが論じられている。その上で,第4節で,政策的課題が検討されている。個々の論点では評者にも異論や意見はあるが,全体として同意できる叙述である。
 第5章は,サービス産業における雇用・労働問題であり,これはやや独立的な章といってよい。つまり「企業社会」との関係が必ずしも明らかではないまま,サービスセクターにおける労働者をめぐる問題が考察されている。
 第6章は,「『弾力化』に向かう企業社会と国家」という副題が付けられているが,本書の終章であり,また本書の中の白眉といってよい,スケール雄大な章である。しかも「終身雇用慣行の動揺・解体」といった「内部労働市場」の流動化をつうじ,企業社会もまた変貌しつつあること,その中で,企業社会に依拠する企業別組合の存立基盤の弱体化など(222ページ以下),いくつかの注目すべき指摘が行われている。この章で読者は,「企業社会と労働者」について,著者が,これまで「実態」の究明に努め,その成果を労働運動と政策の両面にわたって活かし,いわば〈状態・運動・政策〉の総体=その連関関係を解明しようと意図していることを改めて知ることができるであろう。

 本書について,もしいくつかの基本的論点を提起するとすれば,実は前書を抜きにしてはできない。そしてすでに,前書に対しては,すでに重要な基本的論点が,何人かの評者によって提起されている。しかも,それはさらに著者によって,本書の「あとがき」に要約されているのであり,きわめて用意周到といってよい。だから以下,私がふれる論点も別に目新しいものではない。それを承知で,敢えて若干の論点を提起しておこう。
 第一に,「日本的雇用慣行」の行方について,民間大企業に関し,「終身雇用慣行はなしくずしの溶解過程にある」との著者の認識には基本的に同意できる。ただ著者も留保しているが,公務などではそうではなく,「終身雇用慣行」は依然として根強い。
 そもそも「日本的雇用慣行」が,いつ,どんな形で形成されたか。この点,著者は,「終身雇用慣行は,高成長期という特殊歴史的な一時的〈期?―引用者〉に,ライフサイクル上は定年までという限定付きで,しかもなおかつ労働の場としての職場や生活の場としての地域に執着しない代償として,独占的大企業の男子本工に保証されたもの」(61ページ)と述べている。ライフサイクルや職場と地域に着目したのは優れていると思われるが,果して高成長期という特殊歴史的な一時期に,しかも独占的大企業の男子本工に限定されるかどうか。この点,これまで諸研究がすでにある(例えば藤田若雄『日本労働協約論』)。
 「観察」と「調査」にもとづき,70年代中葉以降のみずからの研究をまとめた本書に,それ以上のことを求めるのは無いものねだりではあるが,やはり一層の厳密な規定を要する点として,敢えて指摘したい。
 第二に,この書のタイトルである「企業社会と労働者」にかかわるが,著者が各章で,一体どのような労働者像を表象上,思い浮かべているかが私にはまだよく伝わらない。何も単一の労働者像である必要はないにしても,もうすこし具体的な顔をもった労働者が登場すれば,著者がいつも念頭に置いている組合運動の在り方も,「抽象的」との批判は免れることができるであろう。
 第三に,これもすでに指摘されている論点であるが,「企業社会」というタームについてである。この点では,実は氏原正治郎『日本労働問題研究』(東大出版会,1966年)における「あとがき」のつぎの一文が,私には思い起こされる。書評で引用するには,すこし長いが,社会科学における認識方法論上では,きわめて重要な問題提起なので,敢えて引用しておこう。
 「……ところで,いうところの日本的労使関係とはなにか,それは,ヨーロッパ的ではないもの,アメリカ的ではないものが,日本にあるという単純な意味なのか。あるいは近代的社会科学の論理をもってしては,理解し説明し将来の予測をすることができないという意味で,非合理的なものが,日本には存在するというのか。逆にいえば日本の労使関係を理解するためには,近代社会科学が定立してきた諸範疇では,理解することができない。したがって日本に特有な社会科学上の範疇を定立しなければならないというのか。……私が,年功賃金,終身雇用,出稼型労働,企業別組合など,日本に特有な現象をあらわす用語を,それを使って他の現象を理解し説明する用具=概念として使用することを極力さけ,こうした日本語の意味するところを吟味し純化しながら,それ自体が社会科学の概念によって理解され説明され,その変化の方向が予測されるべき対象として扱ってきたのは,こうした方法的懐疑からである。」
 氏原先生のこの方法的懐疑に,いま私が答える準備はない。ただ,ここに述べられていることは,社会科学的認識方法論上では,意味するところ極めて大きいと予てから考えている。そこには「企業社会」という用語はまだ登場しない。だが,一つの重要な示唆は含まれている。その含意について,著者・高橋氏は先刻,承知のことであろう。この点にも留意しつつ,著者の今後の一層の理論的営為を期待し,この書評を終えることにしたい。




労働科学研究所出版部,1990年11月,245頁,定価4,300円

はやかわ・せいいちろう 法政大学大原社会問題研究所教授

『大原社会問題研究所雑誌』第393号(1991年8月)



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