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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




石田光男著
『賃金の社会科学――日本とイギリス




評者:橋元 秀一




 本書は,1985年に「賃金体系と労使関係―日本の条件―」と題する論考で,大胆な仮説を提起した石田氏が,その後の研究と批判を踏まえて,改めて日英比較に基づいた労使関係論,さらには現代社会論を展開した意欲作である。氏は,「勤労者の企業内でとり結ぶ諸関係を客観的に表出せざるをえない」(p. 11)とする賃金表(賃金制度)を手がかりに,「能力主義」発展史観ともいうべき社会関係の原理を探りだし,その意義と展望・課題を提示している。
 紙幅の都合もあり内容紹介は省かせていただくが,端的に言えば,石田氏は,能力主義管理思想を「日本の勤労者が無定型ではあれ懐いていた『能力』観に基づくフェアネスを徹底して倫理化したもの」(p.51),「日本の勤労者の公平観に内在的」(p.65)であるとみ,さらには,その理念が「労働能力の多寡にのみとらわれ,他の一切に『とらわれない』人間たちの企業内での社会関係」(p.49)であり,日本は「近代」を乗り越えて「社会全体としては生産現場での労使対立を原理的に解消しつつある社会」の段階に逢着している(p.17〜18)と把握している。このきわめて刺激的な問題提起は,あまりに現状肯定的すぎるとみる批判もある。しかし,実証的に日本とイギリスの現代労使関係研究を重ねてきた氏が,「歴史的な必然性を持つものかどうか,推論の域を出られない歴史的時点に私達は立」(p. 18)っていることをあえて承知の上で,「あらゆる既成の概念構成から自由に自分が重要だと思うものを,自分の眼で見,自分の耳で聞き,自分の良識だけを頼りに」(p.3〜4)して,日本の企業社会の特質を考察し,イギリスとの比較を通じて得た認識を現代社会の理論的枠組みへと昇華させようとした姿勢は賞賛されるべきであろう。現代社会を眼前にする我々にとって,究明すべきは,個別的な事実認識の問題を超えて,社会のありようであり,社会の構造と仕組み,ひいてはその編成原理に他ならないからである。その意味で,本書は,読者に日本の特質と自らがよってたつ社会関係の原理への認識を問うものであり,それだけに多くの議論を呼ばずにはおかない。
 石田氏の言葉で言えば,「平労働者の『能力』観を丁寧に発見し吟味し,そこに働くことの希望と鬱屈の相克にまで観察の眼を届かせ」たいと思いつつ,いまだ個別企業の実証研究の途上にある評者には,本書の書評は荷が重い。以下では,能力主義管理が唱える理念自体の“りっぱさ”を前提にし,「企業別組合は自らそれを企業に強要する主体とならなくてはならない」(p. 228)と思ってもなお,果たしてそれが可能であるのか,そこに残る疑問にしぼって記すことでご容赦いただきたいと思う。

 最大の疑問は,能力主義が個別企業を超えた企業間の関係原理となる内在的な契機をもっているのであろうか,という点である。この疑問は,能力主義が労務管理の原理から企業(経営)を編成する原理になることができるのか,と言い換えることもできる。能力主義は,さしあたり企業単位で成り立っているのであり,「労働能力」の多寡によって関係しあえる範囲は企業内部に限定されている。いかに高い能力を持っていても,その評価は企業の範囲を超えることはできないし,そもそも労働者の能力自体が企業の必要とする職務遂行能力の枠に制約される。企業が階層的な分業構造を編成しているとすれば,当然,各企業の必要とする職務遂行能力範囲も階層的な性格を帯びる。したがって,どの企業に入ることができるかによって,労働者の命運が決まってしまう。高い職務遂行能力の形成と発揮の条件を得ることのできる労働者は限られており,それゆえその獲得のための競争が幼い時期から行われている。同一の職務遂行能力の形成と発揮の条件(社会的にみれば一般に好条件)を獲得した労働者によってのみ構成されている企業別労働組合は,いかにして内部にとどまらない企業の枠を超えた能力主義を実現する主体となりうるのであろうか。これは日本の労働市場が,大企業においては企業別に封鎖されつつ,全体として階層構造をなしているという,周知の平凡な事実を,日本の労使関係の特質としてどのようにみるのかという問題である。
 熟練度の低いまたは熟練を要しない職務を外部化し,階層的な生産分業構造を展開することが,能力主義的な秩序を企業内部で実現する存立条件となっているとすれば,能力主義は限定された範囲での原理にしかなりえないことになる。だからこそ能力主義の社会的拡延が必要である,と石田氏は言われるに違いない。しかし,問題は,その社会的拡延の契機を,企業内の能力主義自体はもちえておらず,それどころか企業内での能力主義的秩序を保持するために,その社会的拡延を阻止する可能性さえもつ点にある。

 本書において,こうした論点が明示的に取り上げられていないのは,賃金の決め方の企業内的性格と言う,最も基本的な日本の特徴を,石田氏が重視していないことと対応している。また,賃金の決め方における能力重視の構造――能力主義管理における賃金の決め方――の理解のしかたにも深く関連しているように思われる。
 石田氏は,賃金体系が労使関係の特質を客観的に表現することを正しく指摘しながらも,そのルールの特徴付けには疑問が残る。氏は,「能力」差を是認するところに日本の賃金の特徴をみ,しかも「日本の能力概念はそれ自体『人柄』『人格』とほとんど同義」(p.47)とする。そして,これを能力主義ルールと呼び,「労働能力の多寡にのみとらわれ,他の一切に「とらわれない」人間たちの企業内での社会関係」をみる。しかし,氏も指摘する通り,「勤続年数もしくは年齢の差異に基づく処遇の格差を是とする考え方」も同時にある。実は,これが何よりも前提となっていることが重要である。賃金の決め方に即して言えば,定期昇給制度に基づいて勤続とともに昇給する最低保障の上に,能力を重視した査定賃金となっている。日本の大企業における賃金の決まり方から言えば,企業への勤続年数が最も大きな要因であることは明瞭である。そして勤続年数こそが能力段階を枠付け,査定はそれを前提にして調整する機能を持つものとなっている。それゆえ,労働者は企業への勤続に執着し,定期昇給を不可欠の前提とし,当然視しているのである。 1979年の造船重機産業における春闘が,雇用確保にとどまらず,定期昇給の完全実施をめぐって激しい攻防をみせたのは銘記されるべきである。すなわち,賃金の決め方において,特定企業への勤続年数が決定的に重要であり,それが前提となり労働能力の形成と発揮が可能となり,しかも,特定企業が必要とする職務遂行能力を基準として能力評価がなされる,この企業内性こそ最も基本的な特徴であろう。その能力主義ルールは,企業内的な性格を前提として成立しているのであり,それゆえ企業の枠を踏み越えることは容易ではないと言わねばならない。
 このようにみてくると,理念としての能力主義が,企業を超えた関係原理となることの困難さが浮かび上がってくる。それにもかかわらず,評者もあるべき能力主義への改鋳とその拡延の重要さを感じている。石田氏が言うように,「理念としての“能力主義”を企業の内と外で,まやかしの多い実態の“能力主義”を撃つという意味で,真実に貫徹させるべき」(p.227)であるならば,理念と実態のズレとともに,企業内的性格を色濃く持つ構造を「働くことの希望と鬱屈の相克」にわけいって分析することが求められているように思われる。その分析においては,労働生活の営みのうちに,企業内的性格にとどまらない,社会的能力主義とも言うべきもの――自分たちの労働能力の形成と発揮のあり方を主体的に管理し,その評価基準を社会的に標準化しようとする志向性――を探る作業が重要となろう。





中央経済社,238頁,1990年10月,3000円

はしもと・しゅういち 國學院大学経済学部専任講師

『大原社会問題研究所雑誌』第406号(1992年9月)



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