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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



藤井 治枝 著『日本型企業社会と女性労働』



評者:長谷川 伸子




          

1 はじめに

 従来,女性労働問題は労働経済学や社会学の枠組みで議論されることが多かった。女性学はあらゆる学問分野でこれまでの成果を読み直すことをせまってきたが,経営学はその取り組みが遅れている分野の一つではないかと思う。
 需要がないわけでは,もちろんない。均等法施行10年を経てなお目に余る男女賃金格差や採用差別。均等法に定められている調停機能も役に立たないことがはっきりし,裁判闘争に踏み切った女性たちが各地にいる。その際,問題となる「同一(価値)労働・同一賃金」原則の実際の適用方法などにおいて,経営学が貢献する余地は大きい。ところで,マツダの下請けである(株)石崎本店を舞台にした女性差別賃金訴訟では8月,男女賃金格差が有る場合には,それが合理的な理由に基づくものであることを立証する責任が会社側にあるという画期的な判決が下った。「労働者側で……立証するのは実際上容易でないから」というのがその理由であるが,もっともである。住友メーカー各社の裁判でも会社側がデータを握り表に出さないことが障害となっている。経営学を女性学の視点で読み直す作業においても,会社側の公式見解と実態の乖離を把握し理論構築に結びつけることが必要だが,これは容易な作業ではない。
 このような現状において,経営史の分野で正面から女性と企業を取り扱った本書が生まれたことを,まず歓迎したい。本書は著者の「長年にわたる『女性労働研究』を集大成した」(はじめに)ものであり,経営学博士の学位授与論文でもある。したがって400ページ近い大部の本であるのだが,シリーズ〈女・あすに生きる〉の一冊として一般読者にも届きやすい書物として,また学生にも手が届く価格で出版されたことは非常に喜ばしい。実際,大学のテキストとしての採用が多いと聞いている。


 

 2 本書の概要

 本書は,経営史と女性労働を時系列に取り扱ったI,II,IIIと女性労働の国際比較や今後の展望を含むIVの4部で構成されている。以下,順に内容を簡単に紹介する。
 Iの「戦後占領政策下の女性労働―1945〜52」では,まず第1章「家族制度の解体と女性労働」が,戦後史への橋渡しとして明治期から占領期までの女性労働を扱っている。明治の繊維産業勃興期における製糸・紡績女工の誕生,大正リベラリズム下での職業婦人の出現,第二次世界大戦・占領政策とその転換などを通じて,家族制度と女性の地位が絶えず揺れ動いてきた様子を描いている。第2章は「女性の職場進出と女性労働対策」。戦前に労働者の中で圧倒的な比率を占めていた女性は,戦後約3分の1に減少したが,労働条件は多少向上した。ただし,この時点の女性労働者は若年,未婚,短期を原則に低賃金に抑えられていた。働く女性の意識は学歴・地域・年齢などによってすでにばらつきがみられたという。第3章の「労働組合の結成と女性労働」では,女性の労働組合組織率が1948〜1959年の間,男性のそれを常に10%近く下回っていたこと,1948年の労働次官通牒により多くの組合婦入部が解散し,女性の発言力が低下したことなどが書かれている。とはいえ,この時期の女性の組織率や組合に対する信頼感・期待は今とは比べものにならないほど大きかった。
 II「高度成長と女性労働政策の転換―1953〜73―」では,まず第4章「企業経営の復活と女性労働の推移」が,高度成長下の産業合理化の影響で女性労働者が若年未婚者のグループと中高年既婚者のグループにわけられ,異なった労務管理の対象となりながらも,ともに低賃金に抑えられていた構造を描き出している。企業は,若年未婚者は男性熟練労働者に代わる短期間の単純労働要員として,中高年既婚者は主にパートタイマーとして雇用し,同時に前者に対しては定着阻止対策,後者に対しては吸引対策をとった。第5章「性別分業の再編と女性労働」では,日本的経営における基幹的労働者をめぐる雇用労働関係の3本柱である「終身雇用制」「年功序列制」「企業内組合」に対して,女性労働の特徴を「臨時性」「縁辺性」「補助性」にあるとし,企業における性別管理の実態にふれている。女性の職業意識に関しては,「働くこと」への抵抗感は減りつつも,「家庭」を優先する意識はいまだに根強かったという。第II部の中心といえる第6章「日本的経営と新家族主義の形成」は,女性のM字型就労を促進したのは企業の女性に対する労務管理だけではないこと,すなわちマスコミ,教育,国の政策などを通じて社会全体が性別役割分業を肯定・定着叱させる役割を果たしていた様子を描き出している。この時期,サラリーマン家庭に浸透した「マイホーム主義」は,家族ぐるみで企業の成長に貢献することが結局家庭の幸せにつながるという考え方を普及させた。この点で企業の社内報が果たした役割などは非常に興味深い。
 第III部の「日本型企業社会のなかの女性労働―1974〜93年―」は本書の中心を成す。第7章「産業構造の変化と女性労働」は石油ショックの影響で女性の雇用者数が減少したこと,さらにFA化・ME化により女性パートが増加したことを指摘する一方,現在の均等法見直しの焦点となっている「保護と平等」に関する当時の議論を紹介している。この議論は国連の「婦人に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」にからんだものだが,政府はこれを批准する一方で,1979年には当時の自民党政府が「家庭基盤充実政策」と「保育基本法」を発表し,家庭役割の強化と家族の自助努力を強調した。ここで著者は「政府の家庭対策が『女は家庭』に執着するのは,性別分業の家庭像が依然として産業社会の要求に合致しているから」と主張する。ところが現実は政府の思うままには動かない。第8章は80年代に入ってますます進展するME化,経済のサービス化などにより,大卒女性を含めて女性の雇用が拡大したことを描いている。 しかし,特に拡大したのはパートタイマーや派遣労働などの不安定な縁辺労働市場であり,正規雇用の女性も「男女雇用機会均等法」によりごく一部の中核労働者と大部分のその他の労働者に二極分化するという質的変化をみせた。この時期の女性労働を一言で特徽づければ「多様化」ということになるが,企業の女性対策の方も多少なりとも多様化し,女性の活用,教育,長期勤続支援などに積極的な企業,パートタイマーの戦力化を図る企業も出ている。しかし,全体としては男女賃金格差は解消せず,既婚女性の就労継続も困難な状況が続く。ここで著者は「日本型企業社会にとって最も期待される女性の就労形態の促進剤として,保育政策が活用されている」ことを指摘する。そして80年代に保育所予算が削減される一方で育児休業制度の普及促進が行われたのは,一つには高齢化社会を控えて女性労働力の活用と確保が必要になったこと,もう一つには,しかし,その労働力は企業利潤の支えであるM字型雇用を踏襲し,性別分業や母性尊重イデオロギーをゆるがせないものである必要があったからであると分析している。第9章「日本型企業社会のゆくえと女性労働」はバブル経済の崩壊で女性のパートタイマーや派遣労働者がいち早く調整弁としての役割を果たしたのと同時に,男性中高年ホワイトカラーの雇用調整が始まったことを描いている。他にもこれまでの日本型企業社会が変化するきざしとして,過労死,ストレスと精神疾患,単身赴任の増加,離婚の増加,出生率の低下,結婚観・家庭観の変化などを挙げている。
 第IV部「女性労働の国際比較―日本とEC諸国―」では第10章が「日本の女性労働と家庭対策の特色」を明治期から今日までまとめたあと,第11章「国際フェミニズムの動向と女性労働」では,EC諸国の女性労働と,ドイツ・ヘッセン州のパートタイマーとスイスの女性管理職の例がやや詳しく紹介されている。
 終章では「『男女共同参加型社会』への展望」が語られている。その実現に必要なのは1)妊娠・出産・保育・教育などの家庭的役割を軽減ないし肩代わりする制度の確立,2)税制・年金・賃金などの諸制度を家族単位から個人単位へと改めること,3)女性の就業に関する環境整備の推進(企業内教育の充実,多様な働き方の導入など),4)男女の意識改革,であるという。

 

 3 本書の貢献と若干の論点

以上のように,本書では戦前から今日までの「女性労働」を経営史の中で位置づけただけでなく,政府の家庭政策や企業による家庭対策との関連で論じたところに特徴がある。
 例えば,女性の活用に積極的でない理由として「短期勤続」を挙げる企業はいまだに多いわけだが,実は企業自身が高度成長期からさまざまな方策を用いて女性の自発的早期退職を迫ってきたことが,本書を読むとはっきりわかる。
 最後に若干の論点を記したい。まずパートタイムの問題であるが,「長時間パート」「身分制パート」という非常に差別的な制度がなぜやすやすと根付いてしまったのか。これは日本だけの問題なのか。企業側にこれほど有利な雇用形態が他国で活用されていないとすれば,それはひとえに労働組合の力の差によるものなのか,もう少し分析が欲しかった。
 次に,男女共同参画型社会の実現に必要な条件について,それ自体には同感であるが,問題はどうやってこれを実現していくかであろう。著者は大企業の基幹的男性労働者に対する労務管理が変わりつつあることと,過労死・少子化・離婚の増加などの社会現象とそれに付随する意識の変化がその契機となると考えているようである。
 確かに,「会社が一生めんどうをみてくれる」と考える人は減りつつあり,それに伴って男性の働き方も変わる可能性がある。しかし,それが職場における女性の正当な活用や男女格差の是正につながる保証はない。極端なことをいえば,男性も従来の男並労働者と現在の女並不安定縁辺労働者に二極分化し,少数の男並労働者の枠に入るための男同士の競争が激化することも考えられる。賃金格差の是正も,一律に低い方に合わせた平等では意味がないだろう。また,性別よりも個々人の能力を重視するようになり女性の活用が進んだとしても,それがそれ相応の待遇に結びつくかどうかは別問題であることは,「パートの活用」の例が示している。さらに,労働時間の短縮がすすんでも,男が家庭責任をこれまで以上に負担するという保証がないことはドイツの経験でも明らかである。男はボランテ』ア,自己啓発,趣味などに走り,女性は相変わらず家事というのでは,女性の二重負担自体は変わらない。
 性差別は他の多くの問題と同じように「総論賛成,各論反対」の多い問題である。「女の時代」と言われた80年代の女性活用も,バブル経済で余裕のあった企業がつかの間に見せた気前の良さでしかなかった。男女差別はいけないといっても,企業は社会的正義のためだけには動かない。著者が主張するように,これまで日本型企業社会は女性労働を縁辺化することで利潤を得てきたのであるから,その構造を変える契機をつかむ必要がある。そのために終章で紹介されているような「家庭にやさしい企業」の例をどんどん収集・調査していくことが重要であるが,それに加えて今後は,男女差別をなくし女性の働きやすい職場をつくっていくことや能力ある女性を正当に活用し評価することが企業利益とどのようにつながるのかを示していく必要があろう。それでなければ企業に対する説得力は乏しい。
 最後になったが,著者は終章で「部分的な女性労働の改善が,国内労働市場の二極分化や女性労働における南北格差の拡大につながる危険性が十分にある」とし,その対策を今後の研究テーマとして挙げている。アジアを射程に入れたこの視点は非常に重要であり,今後の研究に期待したい。




ミネルヴァ書房,1995年11月,393頁,定価3,000円

はせがわ・のぶこ 九州大学経済学部助手


『大原社会問題研究所雑誌』第453号




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