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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



ブルース・E.コーフマン著
『アメリカ合衆国における労使関係論の起源と進化』


評者:萩原 進




 今年(1993年)の4月,しんどかった学生部長の任を終えて,やっと訪れた平穏な生活を,研究室でエンジョイできるようになった。大学行政に忙殺されたために生じた「空白」を早く埋めてしまわねば……と思案しつつ,洋書の出版目録に眼を通していると,コーネル大学労使関係学部の『労使関係研究叢書』の新刊案内に,畏友ブルース・E.コーフマン教授の新著が出ているのが眼に止まった。さっそく注文して,五月の連休に一気に通読した。
 コーフマン教授(以下敬称略)は,1989年にジョージィア州立大学大学院に新設された新学科―「人事雇用関係学科」―の学科長に就任し,以後同学科で労働研究領域の研究史(思想史)の講座を担当してきている。本書は,この講義ノートを素材にして出来上がった,アメリカにおける労使関係研究史に関する包括的な研究書である。私は,この本をわずか二日間で一気呵成に読了したが,それは,この本のテーマが,私もその一員である“ウィスコンシン学派”の過去・現在・未来に置かれていたからにほかならない。
 コーフマンは,ウイスコンシン大学労使関係学科出身のいわば生え抜きの「狸(バジャー)」である。狸(バジャー)は,ウィスコンシン州ならびにウィスコンシン大学のシンボルであり,森と湖の多いウィスコンシン州にはほんとに狸が多い。ウイスコンシン大学出身者は自らを「バジャー」と呼んでいる。この酪農とビールの州ウィスコンシンは,主としてドイツからの移民によって開拓されたが故に,ウイスコンシン大学にはドイツ的な雰囲気が今もただよっている。
 アメリカの経済学は,今世紀初頭にヨーロッパ経済学から独立し,個性的な「アメリカ経済学」を誕生させた。ドイツ留学をへてウィスコンシン大学で教鞭をとったリチャード・T.イーリー(アメリカ経済学会初代会長)のもとに,ヴェブレン,ミッチェル,コモンズなどによってアメリカ風の「制度学派」経済学が形成され,やがてアメリカの主要大学の経済学部を影響下に収めて,主流派の地位に就いた。「制度学派」経済学は,革新主義の時代ならびにニューディール期に,連邦と州の経済政策と行政をリードし,アメリカ合衆国の福祉国家化に際して決定的な役割を演じたのである。ウィスコンシン大学は,「制度学派」経済学の生誕の地であり,従って,制度学派はしばしば「ウィスコンシン学派」と呼ばれることもある。
 その後制度学派は,ケインズ革命を期にケインズ経済学に合流し,今日ではもはや,経済学部においては学派として生き残ってはいない。しかし,労働市場と労使関係研究の分野においては,制度学派は第二次大戦後もしたたかに生き残り,1960年代に黄金時代を迎えるに至ったのである。「制度学派は理論なきクソ実証主義」とのシカゴ筋からの厳しい批判に応えて,ダンロップの労使関係理論,カーの内部労働市場論,ピオレの労働市場分断理論,リーダーの賃金格差論などなど,次々と新しい理論を提示してきた。この輝かしい歴史を有する制度学派労働研究が,1980年代に入って突如死に向かって衰退し始めたかの如き様相を呈しだした。
 私は,1987〜88年にウイスコンシン大学経済学部に訪問研究者として滞在していたが,その時,何とも奇妙な感じを抱かざるをえなかった。労働分野のスタッフの多くが,若手のポーラ・ブースを除いて,何となく活気がなく,自信を失っているような印象を受けたのである。当時労使関係学科のディレクターであったハンセンに,最低賃金制をめぐる激しい論争に関する見解を聞いたところ,ハンセンの答えはかなり「シカゴ寄り」であった。またバーバッシュが,弟子のトム・コーハン(MIT教授)の経営参加論に賛同しているのを見て,驚かざるをえなかった。そもそも制度学派労働経済学は,思想と理論の両面で,シカゴ学派と人間関係論学派の双方に対して,一線を画するというよりはむしろ対抗してきたはずである。ところが,どういうわけか今日,制度学派の重鎮たちが,シカゴ流の規制撤廃論やコーネル流の人材管理論に転向してしまったような感じがしたのである。
 1980年代に,アメリカのアカデミズムに大きな思想的転換が起こったのではなかろうか。コーフマンの本書は,この思想的転換の経過を,労使関係論の分野に焦点を定めて,実に生き生きとそして詳細に明らかにしてくれた。労使関係論あるいはアメリカ史に関心を持たれる方々が,是非本書を一読されることを希望したい。本書が扱っている論点は,多岐にわたっているので,このささやかな書評ですべてをカバーすることは不可能である。そこで論点を一つに絞って,本書の一端を紹介することにしよう。
 今世紀初頭に,アメリカ経済は「労働問題」をどう解決するかという大問題に直面し,現実との悪戦苦闘を通じて,1910年代に二つの思想潮流が形成された。ILE Institutional Labor Economics(制度学派労働経済学)とPM Personnel Management (人事管理論)の二つがそれである。 ILEのバックグラウンドは経済学と法学であり,他方PMのそれは心理学と経営組織論であるが,両者の理論と方法の差異についてはここでは論じないことにする。両者の思想的対立点は以下の点にある。ILE は,産業社会では労使はアドバーサリアルな関係にあると見て,労使の利害対立を秩序ある団体交渉によって調整するというプルーラリズムの立場に立って解決策を考えている。しかるにPMは,労使はアドバーサリアルな関係にあってはならない,労使がミューチュアルな関係になるように産業と企業を改革していかねばならないという協同主義の思想に立脚している。 ILE とPMは,いわば水と油であり,双方が溶け合うことはありえない,と考えられてきた。
 1960年代までは,ILEはPMに対して優位を保ってきた。ところが前述したとおり,1980年代に両者の関係は逆転し,近々ILEは,大学から姿を消すか,古巣の経済学部にリターンする運命にある。労使関係学科は,現在続々と「人材管理」human resource management 学科に再編成されつつある。この突然の大転換を,いったい何が惹き起こしたのであろうか。原因の第一は,労働組合の急速な衰退であり,そして第二は,1970年代の「生産性停滞の10年」にあるといってよいであろう。現在民間部門の労働組合組織率は12%であり,やがて10%を切ることになろう。こうなると労使関係学科でILEを勉強し,修士号を取得しようと志す学生がいなくなるのは当然であろう。学生たちは,就職に有利なMBA(経営学修士号)をめざしてビジネス・スクールに集中する。かくてPMの人気は,ILEを圧倒することになった。
 「生産性停滞の10年」(l970年代)は,アドバーサリアルな労使関係が,アメリカ経済のパフオーマンスを悪化させた主犯であるとの社会通念を広く普及させた。経営者たちは,もはや労働組合を「良いもの」とはみておらず,一般市民もそう思う人が多い。そして,日本経済のパフォーマンスが良好で,メイド・イン・ジャパンの品質がよいのは,日本の協力的な労使関係によるのではないかという通念も広まりつつある。アメリカの産業再建の途はトヨティズムの導入以外にない,と故アバーナシィなどがかつて強調したこともあった。
 ILEからPMへの思想的転換の背景は,ざっとこんなところである。 ILE は,労働運動と運命を共有してきた。ポスト・ユニオンの時代,ILEはどんな生き方をするのであろうか。



Bruce E. Kaufman, The Origins & Evolution of the Field of lndustrial Relations in the United States,ILR Press,Ithaca,New York,1993,pp.xv+286
はぎわら・すすむ 法政大学経済学部教授
『大原社会問題研究所雑誌』第422号(1994年1月)



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