OISR.ORG へようこそ 法政大学大原社会問題研究所
 

『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




Mary Saso
Women in the Japanese Workplace
(メアリー・サソ 著 『日本企業で働く女性』)




評者:A.ゴードン



 本書は,英語圏の読者の間で関心が高まりつつある〈日本企業と女性〉という重要なテーマについてのたいへん綿密な考察である。メアリー・サソは,このテーマに関する重要な資料を数多くあつめ,この資料だけでも本書の読者は得るところがあろう。また,著者の資料の扱い方は全体的に緻密である。ただ,読者は時として,この厖大な資料の山に圧倒され,著者がいったい何を問題にしているのか,分からなくなるところがないとはいえない。
 著者は,管理職から事務職員さらには生産ラインで働く労働者まで,あるいは大企業の正社員からパートタイマー,自営業あるいは家族経営で働く人びとにいたるまで,さまざまなタイプの女子労働者の状態を描いている。なかでも著者の主な関心は,大工場の女子事務員と製造現場で働く女子労働者に向けられている。さらにいえば,彼女の研究関心は日本の女子労働者にあるのではなく,日本企業で働く女性にある。それをよく示しているのは,巻末の2つの章である。そこでは,彼女自身がイギリスとアイルランドの日系進出企業で働いている女子労働者におこなった詳細な面接調査の結果が収められている。日本の読者は,日本の女性とその仕事についてはよくご存知であろうから,おそらくこの2章をもっとも興味深く読まれるのではなかろうか。
 第1章と第2章では,日本国内における女子労働者の状況が概観されている。欧米の読者は(あるいは日本の読者の一部も),いかに多数の日本女性がさまざまな雇用労働に従事しているかを知って,驚かれるであろう。 1980年代では,日本の成人女性のうちで専業主婦が占める比率は,わずか30%にすぎない(p.7)のである。同時に著者は,女子の労働力化が1960年代から1970年代にいったん滅少し,そののち増加に転したことを述べている。また男女の賃金格差が1975年以降拡大したこと(p.12)も記している。著者はこの女性の労働力化の減少傾向の原因を「経済的繁栄」に帰している。すなわち,経済的な豊かさから,女性が家にあって育児に専念したり,あるいは高等教育をうけるようになったからだ(p.7)というのである。ただ別のところでは,家にとどまる女性が増えたというデータには疑問があると注記し(p.29),この間の主張はかならずしも首尾一貫していない。
 この2つの章はまた,読者に日本の女性労働をめぐるさまざまな問題点を紹介している。その問題点とは,日本の女子雇用率が製造業において相対的に高いこと,あるいは1960年代に現れはじめた女性雇用のパターンとしての〈Mカーブ〉現象(p.31),さらにはこれに関連して,戦後数十年の間におきた日本女性のライフサイクルの著しい変化(p.40)などである。このほか,ここでの重要な論点のひとつは,政策とイデオロギーに関するものである。たとえば,1986年の男女雇用機会均等法ができるまで,女性に関する日本の労働法制は,一貫して「女性が職場における男女差別から自由であるべきだというより,女性は勤労生活と家庭生活との調和をはかるべきであり,そうした調和を確保する」(p.20)上で役立つように,またそのような立法意図をもって制定されていた,というのである。
 第3章から第6章までの4つの章では,日本の女性と仕事との関わりが,より詳細に検討されている。第3章は,日本の仕事と賃金の面における,女性に対する徹底した区別と差別の類型が描かれている。ただここでの著者の結論は慎重で,熟慮のあとが見てとれる。すなわち,日本の女子労働者の大多数が労働市場の〈不安定〉就労部門に集められ搾取されている事実を認めながらも,同時に彼女らが自立的で,職場を変える可能性をもっていることも認識されている(p.84)。この論点は,本書の主要なテーマのひとつで,この章だけでなく他の箇所でも展開されている。それは,日本の男性は,正社員で出世コースにのっている者であろうと,そのおかれている状況は決して羨むべきものではない,というにある。本書のような日本の女性と労働に関する本の中で,日本の職場における男の仕事はしばしば「息が詰まる」ような状態にあると論じられているのは珍しいが,これはまことに我が意をえた思いのする点である。こうした認識から,著者は,女性にも男性と対等に上級職への道を開くよう要求するのでなく,日本の雇用慣行を根本的に変革して,男も女ももっと自由をえて,仕事と家庭を両立させうるようにならなければならない,と提唱している。
 第4章では,日本には女性が職業につくのを喜ばない社会的な規範や強制力が存在しているのに,なぜ小さな子供をもつ母親までもが積極的に外で働こうとするのか,という疑問が提起されている。著者は経済学者であるから当然というべきであろうが,その主な理由はお金にあると結論づけられている。ここでは,日本の労働者の収入は,英国の労働者にくらべ,名目的には高いが購買力の点からみると著しく低いことが明らかにされている。したがって女性が働くのは,何よりもまず家計補助のためである。さらに著者は,女性が外で働こうとするのは,「社会とのつながり」を求め,「暇をつぶす」ためであることも発見している(p.102)。
 第5章では,働く女性とその家族の問題がとりあげられている。サソはここで,母親が働いている家庭でも専業主婦がいる家庭でも子供の数は変わらないという重要な事実を指摘している。このところ日本のマスコミや政府は,出生率が低下しているのは,日本の女性が母親としての義務を放棄して仕事に走った結果であるかのように大騒ぎしている。しかし,そうした非難は,この重要な事実を見逃しているといわねばなるまい。また,さして驚くにはあたらないことだが,日本の男性が家事の手伝いをほとんどしないので,女性の仕事がより困難な状況におかれていることも記されている。著者はここで,英国でも同じようなケースがあることを読者に思い出させると同時に,問題は男性(そして女性)の態度だけにあるのではなく,日本の雇用主が男子労働者に認めている自由時間が絶対的に不足しているからだということも,気づかせてくれる。
 第6章「仕事の選択」では,日本における自営業や家族経営で働く女性の状況と,女性のパートタイム労働について,かなり包括的な叙述が展開されている。サソは,日本のいわゆる 〈パートタイム労働者〉の労働条件は北欧諸国はもとより英国に比べても劣っていること,しかしそれにもかかわらず,パートタイム労働はフルタイムの仕事より自由で転職の可能性もあり,改革を推進しようとする人びとは,現実のなかでこの可能性を生かすべきではないかと結論づけている(p.170)。
 最後の2つの章は,イギリスとアイルランドにおける日本企業2社と,日本にある2社で働く女性についての比較調査という,これまでの章とはいちじるしく異なった対象についての研究である。著者は,イギリスとアイルランドにおける松下とNECの工場で働く現地の女性が自分たちの仕事に満足しており,会社から雇用の安定やチームワークを形成する可能性,そして仕事についての誇りといったものを提供されていると感じていることを指摘している(p.240)。このバラ色のイメージの正確さを,著者は2つの比較的な視点から検討を加え,確認している。そのひとつは,日本企業に働くイギリス人男性管理職がいちじるしい精神的緊張と不安を抱いていることで,これを他の研究にも依拠しながら伝えている。さらに重要なのは,著者がイギリスとアイルランドにおける調査と並行しておこなった,NEC川崎工場と松下大阪工場の調査によって明らかにした事実で,日本の工場で働く女性たちは,イギリスやアイルランドの女性にくらべ,はるかに満足度が低いことである。これにはそれだけの理由がある。すなわち進出企業では,現地の女性は少数ながら管理的あるいは監督的な職務についているのに,日本では,女性の監督者がいるかどうかをサソが問題にしたこと自体に,工場幹部が驚くといった状況なのである(p.204)。
 要するに,サソの研究はいわゆる〈日本的経営〉が,イギリスと日本とでは異なった方式をとっていることを示唆している。これは安保哲夫や熊沢誠の〈日本的経営〉の〈適応〉と〈適用〉の違いについての論議を思い起こさせる。つまり〈日本的経営〉の側が地元の要求に応して変わる〈適応〉と,現地の人びとを〈日本的経営〉に適合させようとする〈適用〉である。ただ,はなはだ残念なことに,サソはなぜこうした違いが生じたのかについてはあまり深く検討していない。彼女の結論は,海外進出工場の女性が仕事に満足しているのは次の2つの事実にあるという。そのひとつは,企業が仕事の機会が少ない〈田園地帯〉に立地しているため,女性はどんな仕事でも喜んでする状況にある,という点である。第2には,労働者が「自分の仕事を自分で管理しているという考え」と「知的創造の喜びと誇り」を感ずるような「製造管理・監督システム」をとりいれたことであるというのである(p.224)。同し企業なのに,英国ではこうしたやり方をとらざるをえず,日本ではそうではないのは何故か,という重要な問いにサソは答えていない。著者が今後の研究において,こうした問題に十分に答えてくれることを期待したい。





London, Hilary Shipmn,1990,289ページ

Andrew Gordon,デューク大学教授、法政大学社会学部客員教授、大原社会問題研究所客員研究員
          (いずれも当時,現在はハーヴァード大学教授・ライシャワー研究所所長)

訳者:二村 一夫(にむら・かずお 法政大学大原社会問題研究所専任研究員)

『大原社会問題研究所雑誌』第403号(1992年6月)



先頭へ
書評一覧へ
電子図書館へ
研究所ホームページへ