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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




Michae1 Lewis
Rioters and Citizens : Mass Protest in Imperial Japan
(マイケル・ルイス 著 『暴徒と市民−−帝国日本における大衆的抗議』)




評者:A.ゴードン



 1918年夏,日本全土を席巻した〈米騒動〉は,その規模の大きさ,大衆行動の激しさで,かつて例のないものであった。「暴徒と市民」はこの特異な一連の諸事件をきめ細かに描いた労作である。マイケル・ルイスは,〈米騒動〉が四つのはっきり異なったタイプの集団行動から成り立っていることを明らかにし,この四類型のそれぞれについて叙述しつつ,読者を産業化初期の日本各地へ,漁村から都市へ,都市から農村へ,さらには炭鉱地帯へと,興味ふかい歴史の旅に案内してくれる。著者は,個々の騒動のもつ独自性を犠牲にすることなく,〈米騒動〉全体の広がりを描いており,これが本書をすぐれた社会史の作品にしている。本書はまた,二つの主題を統一的にとりあげ,成果をあげている。主題の第一は,米騒動研究で広く認められてきた解釈に対する疑問の提示である。つまり通説的見解は,米騒動を「自然発生的」な事件とみるのであるが,これを批判している。第二は「1918年の一連の抗議行動に共通し,多数の騒動をひとつの事件としてつなげている特徴」は〈モラル・エコノミー〉を維持しようとする努力であった,との主張である(32頁)。
 著者は,第1章で「全国的な騒動」について概観し,つづく第2章では〈米騒動〉の口火をきり,他の騒動の起爆剤となった,富山の騒動について取り上げている。富山県下の漁村の男女は,18世紀,19世紀のフランスでおきた〈アントラーヴェ〉(妨害)にも比肩する行動によって米の県外移出を阻止し,地元産米で地域の消費を十分まかなえるようにしようとしたのである。ルイスはこの事件を生きいきと伝えているが,とりわけ漁村の女たちが〈暴動〉の際に果たした役割と,地方経済で果たしていた役割を詳しく解明している。ここで著者は日本の研究者の間で有力な見解,つまりこの騒動は「基本的には自然発生的なもので,指導者を欠き,政治的な方向性をもたない」ものであったとする解釈に異議を唱えている。ルイスは,騒動は「自然発生的な集団暴力というより,共同体がかかえる問題の解決を目的とした団体交渉に近い紛争」(48頁)であったと見るのである。あるいは,米騒動は「一般に〈暴動〉という言葉にまつわる,自然発生的で抑えようのない怒りや破壊的な暴力性」と対立するものとしての「ロール・プレイイング〔演技〕」(59頁)と見なしている。ただ評者とすれば,こうした問題を論ずるのであれば,欧米の歴史家の間ではもう30年以上も前から,このような〈一般的〉見解は捨て去られていた事実も明記しておくべきであった,と考えるのであるが。
 第3章は,名古屋での暴動についての詳細な研究をもとにして,主要都市のほとんどでおきた「都市の暴動」について論じている。ここで著者は,都市の〈暴徒〉が本書の標題にあるく市民〉としての明確な政治的志向性をもっていたことを明らかにしている。都市の住民は,明治憲法の秩序の枠内で,「民衆の利益」が尊重されるべきことを要求した(85頁)というのである。ルイスはさまざまな都市の庶民が「20世紀的な諸権利」を行使する自由を求めていたこと(91,108,110-114頁)を,一次資料を使って描いている。また当時の都市住民は,著者が「特殊なナショナリズム」と呼ぶもの,つまり我々は「明治天皇の血を受けている国民ではないか」という感情をいだいていたこと(110-111頁)を気づかせてくれる。ルイスはここでも逮捕者についての記録を効果的に使って,暴徒が,出稼ぎ・宿なし・失業者といった「ばらばらの分断された脱落者集団」の間から出たのではなく,都市生活になじんだ定住者であったことを明らかにしている(117頁)。
 第4章では,小作農と小規模自作農の抗議行動が取り上げられている(135頁)。彼らはこの頃から産米をしだいに全国的な商品市場に向けて売り,自家消費米は購入するようになっていたという。著者は,農村の暴動を,物価に関心を持つ消費者の暴動と,地代の引き下げをもとめる小作農の行動とに分けている。ルイスはどちらの事件も地主―小作関係の悪化と地主の権威の低下傾向という,歴史的な変化と関連づけて論じている。
 第5章は,北九州の炭鉱地帯における暴動の検討である。著者は炭鉱地帯の暴動も,農村における暴動と同じように,労使関係の歴史的変化の過程でおきたものと位置づけている。彼はまた炭鉱地帯の暴動を「納屋制度に対する大衆的な告発」(208頁)として描き,炭鉱夫の「経済的な不満」は,彼らの「自尊心」が無視されていることへの不満と分かちがたく結びついていたと結論している。
 この章は,他にくらべ疑問点が少なくない。たとえば,ルイスは炭鉱での抗議行動は,他の暴動とくらべ相対的に「自然発生的」だったのではないかと述べている(217,240頁)。しかしそう述べているすぐ前では,三池の炭鉱夫の要求は,同じ三井の電気化学工場の労働者の要求と共通していた事実を記しているのである。ある種の非公式ネットワークの存在がこのような要求の一致を可能にしたことは明らかであろう。さらに,著者は炭鉱夫たちは,ほかの暴動参加者にくらべ「市場の論理」によって動かされていたことを強調している。しかし他方,炭鉱夫が彼らの「自尊心」が傷つけられていることを問題にしたこと,また炭鉱の暴動はとりわけ「感情的」な性格が強かった(218頁)という見解を読むと,両者の関連はどうなっているのか,理解に苦しむのである。最後に炭鉱の経営者による共済組合や〈会社組合〉の導入の企てを,日本の「炭鉱業における近代的な企業別組合制度」と直結させようとしている(241頁)が,これもより詳細な検討が必要であろう。1950年代には,まさにこの三井三池炭鉱において,経営と対抗的で強力な企業別組合が,他にほとんど例のない労働者統制をおこなっていたのであるから。
 細かな問題ではあるが,統計が有効に用いられていないため,説得力を弱めている箇所が散見される。たとえば,著者は,米騒動では近代的な工場の労働者は,あまり大きな役割を果たさなかったと主張している。その裏付けとして掲げられている表(116頁)は,五大都市で逮捕された者の9%から26%が工場労働者であったことを示している。ただ,各都市において工場労働者が全成人人口のうち,どれほどの比率を占めていたかのデータなしには,9%〜26%という数が多いか少ないかは判断しようがない。同様に,全国554の未解放部落のうち暴動が発生したのは32箇所,6%であるから未解放部落における暴動発生率は低いと著者は主張している。だが未解放部落以外の村落における暴動発生率を知らなければ,この主張の当否は判断できない。その数値は6%をかなり下回っていたかも知れないのである。また,ルイスは米騒動後の数年間で炭鉱争議は急激に滅少したと述べている。これはおそらく事実であろうが,その論拠には不備がある。なぜなら,1918年については全ての労働争議に参加した労働者総数のうち炭鉱労働者が占めた割合(3分の1)をあげる一方で,1924年については全国の炭鉱労働者の総数のうち労働争議に参加した炭鉱労働者数の比率(4%)をあげ,相互に比較しているからである。まったく別の分母を用いて算出した数値の比較はほとんど意味をなさないであろう。
 こうした問題点があるとはいえ,全体的に評価すれば,本書は重要な作品である。著者は都市と農村,漁村それに炭鉱地帯における群衆の政治意識と組織について詳述することによって,米騒動に関する古い見解,つまり米騒動は政治的に無自覚な民衆による自然発生的な騒乱であり,資本主義の危機への未成熟な対応であった,とする理解を徹底的にやっつけている。著者はまた,異なった情況のもとでは,人びとの考えも,また組織化についての方法も,自ずから異なることを明らかにしている。とりわけ,著者が,各地の暴動はそのほとんどが民衆による〈モラル・エコノミー〉維持の努力であったとみることで,さまざまなタイプの暴動が本質的にはひとつのものであったことを明らかにして,この観点の有効性を示した点を高く評価したい。ちなみに著者は,〈モラル・エコノミー〉という言葉を,結論の章において定義し,つぎのように述べている。「経済的公正と社会的公平という価値を重視する民衆の伝統」であり,「地域住民は,その地域内で食糧や,ほかの資源の公正な分け前が,市場操作によって奪われることは許しがたいと考えていたこと」(252頁)。
 この結論は,それなりの説得力はあるのだが,評者は,さらに次の二点がつけ加えられるべきだったのではないかと考えている。
 そのひとつは米騒動の研究史と関連する問題である。つまり日本の研究者が,最初に米騒動を「自然発生的」なものと評価した研究史的な背景について,もうすこし論ずることができたのではないか,ということである。評者の理解するところでは,「自然発生的」という言葉は,少なくとも一部の日本の歴史家の間では,ある運動が階級意識をもった政党や労働組合によって組織されたものではない,というレーニン主義的な意味あいをもって使われており,あらゆる自然発生的な集団行動と政治的に自覚した行動とを区別するために使われてきた。こうした区分そのものに問題があることについて,異論はない。この区分法を用いたことで,読者ばかりか歴史家までもが〈暴徒〉を無知で感情的で非組織的なものであると片づけてしまったのであるから。だが,「自然発生的」という言葉をこうした狭い意味で用いれば,米騒動はまちがいなく「自然発生的」なものであった。こうしたことを指摘するのは,「自然発生的」暴動という概念に対するルイスの批判を無意味にするためではなく,彼の批判を,米騒動の研究史のうちにより正確に位置づけるためである。
 第二に,ルイスによる諸騒動の分析はみごとといってよいが,その結果として描かれている新たな歴史像はそれにふさわしい出来映えとは言い難い。伝統的な抗議形態の背景に〈モラル・エコノミー〉の思想が広範に存在したのであれば,社会・経済の変化や思想領域における変化がもたらした衝撃もまた広範に存在したにちがいない。暴徒たちは過去を見ていただけではなく,未来も見ていたのではないか。とりわけ,さまざまな権利や経済的な利益の配分を要求した都市住民や炭鉱夫の場合はそう思われる。著者によれば,富山の漁村の場合でさえ,暴動の原因は資本主義経済にあった。つまり,資本主義経済が階級関係を変化させたこと――大量の漁民が破産し,男は村外に出稼ぎに行き,女が地元経済において新たな役割をになうようになったこと――,これが暴動の背景にあったというのである(38-43頁)。同様に,米の消費者としての農民による米騒動の背景には,「工業化にともなう小作一地主関係の悪化」と地主の権威の低下が,新たな「社会的不安定」を招いたからであった(191頁)。
 こうした事例はいずれも本書からとったものであるが,著者はこうした変化の過程をみごとに描いている。ただ問題は結論にある。そこでは,ルイスは,暴動を「資本主義の危機」の兆候としての「自然発生的」な騒乱とみなす見解を論駁しようとするあまり,暴動は「地域的な紛争を解決するため,歴史的に頻発し,また有効であることが証明されている手段」(48頁)であり,「農村の伝統的な抗議形態」(192頁)であったことを強調しすぎているように思われる。こうした二分法的な議論では,暴動は自然発生的なものであったという素朴な見解を捨て去るだけでなく,暴動は社会が資本主義の影響によって変化させられつつあった過程で生じたものであるという重要な事実まで否定してしまうことになるのではないか。評者が本書から読みとったのは,暴動に参加した人びとは,新たな社会的・経済的な関係から影響をうけつつ,そうした新たな関係への異議申し立てとして,すでに有効性が証明されていた抗議の伝統を活用したということである。





Berkeley,University of California Press, 1990年,24+317頁

Andrew Gordon,法政大学社会学部客員教授、大原社会問題研究所客員研究員
          (いずれも当時,現在はハーヴァード大学教授・ライシャワー研究所所長)

訳者:二村 一夫(にむら・かずお 法政大学大原社会問題研究所専任研究員)

『大原社会問題研究所雑誌』第406号(1992年9月)



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