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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版


「社会政策叢書」編集委員会編
        『今日の賃金問題』



評者:舟橋 尚道



 本書は,社会政策学会第93回大会における報告を収録したものである。これらの諸報告は,それぞれ研究者個人が関心をもった問題を取り上げているから,必ずしも体系的な内容とはなっていない。しかしわが国における賃金問題の当面の課題のかなりの部分を網羅しているといってよい。
 したがって本稿は,個々の論文を寸評するというより,むしろ提起された問題についての私の考えを積極的に呈示する方法をとることによって,わが国の現代における賃金問題の分析視角を明らかにしたいと思う。

 そこで第一に取り上げるのは,我が国の賃金問題をかなり包括的に検討したものである。代表的な論文としては,「今日の賃金決定と賃金の個別化」(横山政敏)をあげることができる。氏は,我が国の賃金問題における現代的課題を明らかにする場合「賃金決定の個別化の展開という視点を基軸に捉えることが有効」であり,「それは労働市場論,賃金決定機構論,賃金管理論の結節点に位置する分析となる」と主張される。もう少し分かりやすく言えば,最近改めて強調されている賃金の能力主義・実力主義化の展開を研究対象とする場合,それを賃金体系の問題としてだけでなく,賃金決定の個別化という視点で労働市場,労使関係,労務管理などトータルな賃金決定システムとの関連を明らかにする必要があるというのである。
 このような考え方は,労使関係の立場から賃金論を研究してきた人々にとってはいわば常識とも言えるものであるが,労務管理論の立場で賃金管理を研究している人々に対してはきわめて重要な指摘だといってよいであろう。

 それでは以上のような総合的分析をさらに具体化するためにはどういう手法が採用されるか。氏は賃金決定関係を類型化する場合,三つの基軸を考える。第一の軸は,市場決定型,交渉決定型,管理決定型などの基準である。第二の軸は,職種型,職務型,年齢型,勤続型であり,第三の軸は査定の有無とその機能度に基づく類型である。
 以上のような基準はいかにももっともに思われるが,理論的に混乱しているとともに現実性もなく,分析のトゥールとしては役にたたないといってよい。以下に具体的に指摘しておこう。
 氏は第一の基準として,市場決定型,交渉決定型,管理決定型などをあげているが,これらの型は,論理的には全く次元の異なったものであり,同一の基準として併列すべきものではない。労働市場,労使関係,労務管理は,賃金の決定についてそれぞれ異なった作用をもつものであるから,それらを同一の基準として扱うのは不適当なのである。
 さらにどこの国においても労働市場,労使関係,労務管理は,賃金決定においてなんらかの影響をもっていることは周知の事実である。たとえばアメリカの賃金決定をみると,労働市場において形成される賃金相場の影響は支配的であるが,そのような状況に基づいて特定の産業においてはパターンバーゲニングの交渉関係が発展し,そこで締結される労働協約において賃金その他の労働条件が決定され,企業における賃金決定においては,フリンジベネフィット等が加えられることになる。このような実体をもったアメリカの賃金決定を,氏のように「市場決定型」などと単純に特徴づけるわけにはいかない。
 第二の軸として氏があげるのは,職種型,職務型,年齢型,勤続型,学歴型などである。ヨーロッパの賃金は職種型,アメリカは職務型などといわれる場合が多いが,仔細にながめるとヨーロッパにおいても職務分析,職務評価にもとづくいわゆる職務給がかなり普及しているから,一概に職種型と断定することはできない。我が国の年功賃金の場合も,年齢型,勤続型などと一律に規定できるものは少ないと考えてよい。
 第三の軸は,一律決定型(集団主義的決定型)と査定型(個人分散型)があげられている。人事考課が制度的に運用されていない企業が存在するのは言うまでもないが,しかし実質的な査定は,どこの企業においても行われている。なぜならば中小企業において採用されることの多い総合決定給は,年齢,学歴,職務遂行能力などを総合的に査定して決定されているからである。したがって査定の有無を問題にすることは,わが国の賃金実態からみるとほとんど意味がない。

 結論的に言って氏の型についての問題提起は,賃金問題の総合分析を目ざすものであるが,すでに指摘したようにそれぞれの型が,実体を乖離しているため,具体的な賃金問題にアプローチする場合,型の複雑な組み合せを考えざるをえなくなる。その結果,分析が混乱を余儀なくされるように思われる。
 もっとも氏の論文の中心的課題は,賃金の個別化現象の展開の分析である。この点について氏は四つの特徴点を示す。
第一は,この現象は,先進諸国で展開された労働市場の弾力化政策の一つの帰結であり,とくにわが国における能力主義の新展開は,個別管理をさらにおし進めることになった。このような賃金の個別化の条件は,わが国の賃金決定の基本が「外部賃金決定システムの欠如のもとでの特殊な内部賃金決定であり,職種や職務に基づく外部要因による制約が基本的にないため,また外部の賃金交渉圧力を実質的に受けないため」,内部において企業の恣意的な賃金決定が可能になったことにあるとされる。
 第二は,個人別賃金決定が査定を媒介としており,査定の中には態度,性格などの情意考課が重要な要素として含まれることなどによって恣意性が高まっている。
 第三は,仕事の社会的評価システムを欠き,個別企業に固有の仕事に対する評価を個別的に行うシステムのもとでは,査定が基本的に労働者の支配・統合とコスト管理に屈従するものとなっている。
第四は,賃金の個別化が企業内における賃金の個人間格差の拡大となるばかりでなく,同一ないし類似労働についての企業間賃金格差も拡大する結果をもたらす。

 以上のような分析にもとづく氏の結論は,「労務管理の横暴を有効に規制するためには,人事考課の土俵の上での対応には限度があり,第一義的に個別企業を越えた市場・全国産業別交渉のレベルでなす必要がある」ということにつきるようである。

 そこで賃金の個別化についての氏の見解の問題点を明らかにしよう。
 第一は,氏が企業の賃金管理における能力主義を全く否定的に捉えている点である。わが国の年功賃金は,資本主義の経済法則からみれば全く異質なものと考えることが能力主義評価の出発点になる。すなわち本来賃金は経済法則からいっていわゆる同一労働同一賃金の原則にもとづいて支払われるのであるが,わが国の賃金の決定要因としては,労働の質とは直接関係のない年齢・勤続の比重が高い。能力主義は,基本的には労働の質を反映した賃金の導入を意味し,この点で肯定的に評価すべきものといってよい。
 第二に,氏は企業で行われている査定が,恣意性,差別性が強く,その結果賃金の個人間の格差が拡大していると主張されている。しかし労働の質が異なっている場合,個人間の賃金格差が拡大するのは当然であり,もし格差が不当な場合は,従業員の不満が高まり,能率の低下をもたらすことになる。企業の賃金決定においては,かつて私が明らかにした「労働の価格の法則」(労働の質量に応じて賃金が決定される必然性)が作用するのであり,能力主義もその作用のあらわれの一つとみるべきである。
 第三に氏は,賃金の個別化に対しては,全国産業別交渉のレベルで対応すべきだといわれる。このような指摘を頭の中で考えるのは容易であるが,産業別統一交渉の実現は,わが国の労働市場の実態から言って簡単なことではない。むしろ個別企業における賃金交渉においてどういう点に留意すべきかが重要であろう。
 氏は論文の最後の部分において,年俸制を取り上げている。すなわち年俸制は,成果主義賃金制度の一つであり,市場要因,労使関係要因の影響が大きく弱められ,労務管理要因の作用力が格段に強められるとされる。
 年俸制についての調査をみると,それが適用されているのは大部分管理職や高級な技術者などであり,団体交渉の対象とすべき範囲からはずれている。さらに激烈な国際競争の場におかれているわが国の企業が,人件費増大の一要因となっている管理職の高賃金を見直すのはやむを得ないと言ってよい。

 横山氏の論文とほぼ類似の問題を取り上げているのは「現代日本の賃金問題の諸相」(高橋祐吉),「変貌する日本の雇用と賃金」(畑隆),「『新時代の賃金システム』を考える」(津田美穂子)である。
 これらの論文における共通の問題意識は,最近わが国の企業において展開されている能力主義や賃金の個別化の負の側面を強調する旧来の分析方法を継承している点にある。しかしこのような一面的な問題意識では,必ずしも実りのある成果を期待することができないといえるであろう。
 まず指摘したいのは,多くの論者における賃金の原理論的把握が不充分だと思われることである。もともと賃金管理の分析は,あらゆる労働の価格論に位置づけて考える必要があるが,いうまでもなく労働の価格は,労働力の価値,価格の転化した形態であり,企業の賃金を分析する場合の基本的な原理である。したがって労働力の価格は,市場の需給要因によって決定されるが,より具体的な範疇である労働の価格においてはその上に企業の支払能力要因が賃金決定に作用を及ぼす。
 賃金管理論は,企業の支払能力との関連がもっとも密接な分野であり,この点の分析は欠かすことができない。より具体的に言えば,能力主義や賃金の個別化現象は,激化する国際競争にさらされている企業において生産性の引き上げや,人件費の削減のためにとっている手段の一つであるという認識がこの問題を分析する上での基本的な前提といってよい。これによって賃金管理が,日本経済が当面している大きな問題との関連において分析されることになるのである。

 以上の指摘と関連の深い論文は,「能率管理と報酬管理」(石田光男)である。石田氏は今日の賃金問題が「生産性や収益性問題との関係において論じられなくては企業政策的な意義も明瞭にならない」とされ,従来の管理論が「報酬体系を中軸にした改革論」にすぎなかったという正しい指摘から論述を始める。氏はついで「企業の人事改革は〔仕事−−人〕関係の企業内全部門にわたる業績管理の構築をこそ中心に据えなくてはならない」とし,従来の議論が従業員をより高度な仕事につけることによって生産性をあげることに力点をおいているのに対して,「単位あたりのより少ない人数でのより高度な仕事」でなければならないとされる。つまり要員管理の分析の必要性を強調するのである。
 さらに氏は,わが国の労働関係論が団体交渉や労使協議,及び労働協約,就業規則を主たる研究対象としており,「供給すべき労働」=仕事を構造的に記述する方法を欠いているとも,試論として部門業績管理を軸とした独自の労使関係論を展開される。
 従来の人事管理論は,専ら報酬管理を中心としたインセンティヴの分析にあてられてきたが,それだけでは一面的であり,サンクション(承認,制裁)を通じて人間行動を規制する部門業績管理をも分析対象とすべきだと言われるのである。
 以上のような指摘は,わが国の人事管理論や労使関係論に対するユニークな問題提起であり,今後における氏の研究の発展を期待したいと思う。もっとも氏は,労働の中味の分析にのめりこみすぎるきらいがあり,企業内の複雑な事実にふりまわされる可能性がないとは言えない。たとえば部門業績管理は,個別企業的性格が強く,それを一般化して論じるのはかなり困難な課題だといってよいのであろう。

 本書の第二部に収録されている諸論文は,いずれも賃金管理とは異なるテーマを取り上げたものである。「賃金と生涯生活保障」(孫田良平)は,わが国における生活賃金の発生と機能の変遷を歴史的に究明したものである。氏は生涯生活保障賃金が成立する条件としてつぎの三項目を指摘する。第一は豊富な若年労働力を低賃率で集め,訓練して基幹労働力に育てる条件,第二に年々新たな労働力を吸収し企業が発展し得る条件,第三に同一企業のなかで知識・熟練を高め,管理職・熟練職・専門職とする条件である。
 この三条件の変質・消滅とともに,制度はコスト上昇を生み,それを阻止しようとする経営者の対策によって制度の変更がもたらされる。この点を「呉海軍工廠」(1922年)労働科学研究所「日本的給与制度」(1944年),同盟・金属労協「働くものの生涯生活ビジョン」(1975年)等の典型例を通じて明らかにすることを意図している。
 氏は結論として,賃金の生涯生活保障が企業の管理方針となり得る環境は,物価高騰など生活が窮迫した時代であり,それなしに願望として生涯生活保障を主張する政策としては実効性に乏しいとされる。また賃金の技術的側面では,外形で生活給の維持・拡充(たとえば家族手当,通勤手当の増額),実態面では自動昇給を考課昇給に変えて月例賃金の増加を抑制する対策をとっていると述べる。
 日本の賃金問題を分析する際に,以上のような分析視角は重要であるが,生活保障賃金の負の側面の分析が充分でないのは残念だったと思われる。

 つぎに「賃金制度の国際比較」(藤村博之)は,アメリカの日米合弁企業A社の人事管理制度を調査し,日本の企業のホワイトカラーに対する賃金制度のあり方と比較することを課題としている。
 氏はアメリカ企業のホワイトカラー管理の特徴として,「制度設計が明瞭でかつ運用が公正であること」「報酬額の市場性を常に考慮していること」「仕事を基本とした職級制度が一般的であること」「しかし仕事が変わらなくても昇給する仕組みが作られていること」などをあげている。
 これらの特徴の大部分は,多くの調査によって指摘されるが,「昇給する仕組み」(キャリアラダープログラム)がこの企業独自のものか,あるいは今日ではアメリカで一般的になっているのかは明らかにされていない。A社は87年に日本資本100%の企業として設立されたのであるから,日本の制度を部分的に導入した可能性があるのではないか。

 「非正社員化と賃金」(神谷隆之)は,女性パートタイム労働者の場合,年間収入が一定水準を超えると,夫に対するその勤務先からの配偶者手当の支給が停止されたり,厚生年金などの社会保険への加入義務が生じるため,自分の年間収入を一定水準以下に抑える作用をする問題を分析している。
 結論的に言えば,労働者にとって収入調整行動は世帯単位の可処分収入の減少を防ぐという意味で,短期的には合理的な意味をもっている。しかし中長期的には,勤続年数の増加による昇進などが与えられないから,意欲のある女性を育てる足かせとなっている点も否定することはできない。一方企業としては,女性が正規従業員となることで年間の人件費や社会保険料コストが急激に増加するのは困るという事情もあり,氏も簡単に結論を出してはいない。

 「差別賃金とコンパラブルワース」(中下裕子),「同一労働同一賃金と年功序列賃金」(川東英子)は,ともに男女同一労働同一賃金に関連した力作の論文である。
 前者においては,まずコンパラブルワースが異なる職務間においても賃金差別を是正できる手段として考案されたものであり,アファーマティブ・アクション(女性を積極的に男性職に進出させる促進策)と組み合わせて展開される必要があるとされる。その上でコンパラブルワースの実情がくわしく説明され,その適用をめぐる問題がとりあげられる。もっとも注目をひく論点は,アメリカにおいては,コンパラブルワースは経済的な概念ではないから,そのような概念を用いることは市場への介入になり適当ではないという意見が根強いと指摘している点である。
 後者は,かなり多面的な論点が提起されているが,男女同一労働同一賃金の原則の原理論的な把握が不充分だと思われるので,この点だけを簡単に指摘しておきたい。なによりも重要なのは,この原則が労働の価格の次元の問題だということである。いうまでもなく労働の価格は,労働力の価値,価格の職化形態であり,労働力の価値が抽象的なものであるのに対してより具体的な概念である。したがって現実の賃金問題に抽象的な価値理論を適用することは方法的に間違っている。
 同一労働同一賃金の基礎は,労働力の市場価格における一物一価の法則であるが,それが企業の賃金においては労働の価格法則(業種や性差にかかわりなく,労働の質量に応じて賃金が決まる)に転化するのである。





『社会政策叢書』編集委員会編『今日の賃金問題』、社会政策叢書第21集
啓文社,1997年10月,iv+267頁,定価4,190円(本体)

ふなはし・なおみち 法政大学名誉教授

『大原社会問題研究所雑誌』第473号(1998年4月)



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