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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



後 房雄 編著
『大転換−−イタリア共産党から左翼民主党へ



評者:福田 富夫

 周知のように,イタリア共産党(以下PCIと略記)は創立者の一人にグラムシをもち,トリアッティの構造的諸改革,ベルリンゲルの歴史的妥協,ユーロ・コミュニズム,第三の道等々の探究を続け,同じ共産党とは言ってもきわめてイタリア的な色彩を強く帯びていた。それがイタリアの土壌に深く根を張り,国政第2党の地位を占めると同時に,同党が西欧最大の共産党であり続けた理由であった。そのPCIが自らを解散して新たな左翼政党として再出発するに当たっては,レジスタンス以来の栄光の遺産が大きかっただけに党内論争は激烈を極めた。
 わが国において,東欧社会主義諸国の旧共産党が次々に党名を変更していく動きとの関連で,PCIの党名変更問題に主要な焦点が当てられて,一時ジャーナリズムの表層的な関心を引いたものの,同党の党内論争の内容が,革新政党やジャーナリズム・論壇によってまともに取り上げられる機会はほとんどなかったと言ってよい。論争をつぶさに観察してみれば,そこには少なくとも,先進資本主義国における改革や変革を考える際の参考になりうる貴重な理論的・思想的示唆が数多く含まれているのが分かるはずにもかかわらずである。そうした日本の現状に対して,PCIの党内論争を知る上で貴重な材料を提供するのがここに紹介する本書である。著者はグラムシ研究者として名高い気鋭の政治学者であり,本書は世界史的な転換を画した熱い時期におけるイタリア現代政治の格好のドキュメントになっている。
 1989年秋以降の東欧諸国の激動を受けて開催された同年11月の中央委員会−今回の転換の起点となった−から翌年3月の第19回臨時党大会を経て,91年2月の左翼民主党(PDSと以下略記)結成大会に至るまでの党内論争の経過が叙述の主要な対象である。文字どおり「筋書きのないドラマ」(68頁)と呼ぶに相応しいこの党内論争は,東欧社会主義体制の崩壊に始まる東西冷戦の終結,ポスト冷戦下における湾岸戦争の勃発という戦後世界体制の構造変化を前にして,西欧最大の共産党が自己の進路をどのように設定するかをめぐって争われたものであった。幸運にも,この論争を間近に観察する機会をえた著者の筆は臨場感に溢れている。のみならず,決してジャーナリスティックな経過報告に止まってはいない。グラムシ研究で培われた,論争の歴史的・理論的背景への言及が描写に奥行きを与えている。

 今回の「転換」が,決して東欧革命の衝撃によって突発的に提起されたものではなく,前史として「歴史的妥協」戦略の挫折(79年)以降の「約10年の大胆な自己刷新の過程」があったことが指摘され,「戦後トリアッティによって形成されたPCIの基本戦略と組織形態を根本的に問い直し刷新しようとする」ものという「転換」の基本的性格が捉えられる(26頁)。
 共産主義運動(およびPCI)の歴史の総括,共産主義の現代的意義,新党結成の可否,左翼政権の実現か社会的対抗勢力の結集か等の「転換」をめぐる論点(47頁)が抽出され,論争が主にイングラオとオッケットという二人の主役の間で闘わされたことを指摘する(56−7頁)。
この両者の対立は,「冷戦とブロックの論理の終焉」によって,「真の民主主義化の過程」を開始するチャンスが開かれたとみるか(オッケット),「社会的基盤の構築,従属諸階級の再政治化,労働の世界から生まれている要求や必要と新しい社会的矛盾によって生みだされている変革要求との出会い」を追求することこそ「最優先課題」だと考えるか(イングラオ)という,「総合的な政治判断」をめぐる対立であった(57頁)。著者は対立面だけでなく,二人の間で刷新の必要とその方向,内容について共通性がみられることを見落としてはいない(同頁)。
 「転換」を主導したオッケットの強さは,「統治」を重視するか社会的対抗勢力を重視するか,伝統的な労働運動の重視か新しい諸矛盾や諸主体の重視かという二重の対立軸を「前向きに総合」しようとする点にある,と指摘されている(115頁)。
 著者はまた,今回の「転換」をポスト・フォード主義段階における「新しい左翼」を目指すものと捉えている(iii頁)。その「新しい左翼」とは,共産主義と社会民主主義の双方を超えていくものであり(112頁),自由,平等,友愛という三つの根本的原理の「有機的ではなく漸次的で対立的な統合」に取り組むというその基本的立場が明らかにされる(91‐2頁)。「転換」によって生み出された新党PDSは,共産主義を含む左翼の諸潮流の「共同の家」たりうるような新しい政党形態(81頁)をもち,「自らの分岐と内的差異を価値として……生きる」(PDS規約前文)党であった(152頁)。

 さて本書は,今回の論争を辿りながら同時にベルリンゲル時代以降のPCI史を,主にその戦略の変遷という観点から書きあらわしたものと見ることもできる。これによって70年代末からPDSの誕生に至るまでのPCI史の流れが一望のもとに見渡せるようになった。これが本書の最大のメリットである。その際,重要なこと,これまでわが国にほとんど紹介されることのなかったイングラオ左派が,党史の中に正当に位置づけられたことである。イタリア資本主義のフォード主義的局面をいち早く理論化し,また「運動至上主義者(movimentista)」といわれたイングラオ(派)を抜きにしてはやはり,PCIを語ることができない。この意味で本書は,わが国のPCI研究史に新たな1ページを付け加えたと言いうる。
 また,著者のオリジナルな貢献は,オッケット戦略を定式化したところにある。すなわち, 「1)(……)ポスト・フォード主義……段階(の)……『左翼政治文化』の根本的な刷新と,2)(……)新しい形での社会的対抗勢力の再構築と『統治勢力』としての成熟の結合という,ふたつの課題の同時達成」であると述べている(110頁)。さらに,80年代の「新保守主義革命」とPCIの「構造的危機」を分析する際に,グラムシの「受動的革命」概念が論争当事者たちによって理論的な下敷きとされている(111頁),という指摘は重要である。
 以上のような本書の貢献を踏まえた上で,二,三の疑問点を提出したい。
 まず第一に,89年3月の第18回大会の意義についてである。著者は,今回の「転換」が東欧社会主義体制の崩壊という外圧にのみよるのではなく,10年以上にもわたる内発的な探究の積み重ねの結果であることを意識するあまり,ベルリンゲルの末期から,「転換」が提起された89年11月の中央委員会までの連続面を強調し過ぎた嫌いがある。そのことは,「刷新の不可逆点を印した89年3月の第18回大会」(17頁)という捉え方に窺うことができる。オッケット自身によっても「非継続性の大会」と称されたように,18回大会はそれまでのPCIと決定的な断絶を画したものであった。強い改良主義の戦略の採用,民主集中制の名実ともにの破棄と党員主権の尊重等によって戦略・組織両面で刷新が極限まで押し進められ,その時点においてすでに名ばかりの「共産党」であったのである(詳しくは,拙稿「イタリア共産党から左翼民主党へ−イタリア共産党とボッビオとの“対話”−(1)」,本誌N0.403,43−6頁参照)。この大会で採択された『政治文書』には,その後の左翼民主党につながる基本的な考え方がほとんど現れており,その内容が紹介,分析されておれば,行論は更に明確になったであろう。
 第二に,著者は党内論争の論点を,共産主義運動(PCI)の歴史の総括,共産主義が現代にもつ意味,左翼政権の実現か社会的対抗勢力の強化かという諸点に見いだすが(47頁),これらの点についての意見の分岐が,のちの行論で説得力をもって記述されているようには読めなかった。
 最後に,著者の分析枠組みでは,PCIに「構造的危機」をもたらし,「転換」を必然化させたのは,ポスト・フォード主義段階の資本主義であるとされているが(iii,110,112頁等),イタリアにおけるその内実が必ずしも充分に論証されていないように思われる。
 また,この論点に関わるが,ポスト・フォード主義段階に対応する「新しい左翼」PDSは,従来の共産主義および社会民主主義の双方を越えていくものとされている。そして,このオッケットの志向は,ヨーロッパ左翼の共同の探究の一端を担うものとして位置づけられ(112頁),レギュラシオン学派のリピエッツ,SPDのラフォンテーヌの主張が引証されているが(113−4頁),「新しい左翼」の綱領内容・運動形態としてどのような共通点をもつのかについては必ずしも明らかにされていないのではないか。少なくともこの点だけは論証されないと,今回のPCIの「転換」を社会民主主義化と捉える見方に対して説得力が弱いように思われる。

 本書全体の半分以上を占める「論争資料集」の翻訳は,極めて貴重なものである。それは,世界でおそらく最も良質な左翼の一つが,時代と格闘して産みだした精神の記録である。行間から浮かび上がってくるのは,イタリア左翼の分析視点の柔軟さであり,自らをも進んで批判にさらそうとする勇気と真摯さである。巻末の「左翼民主党・規約」,「邦訳資料リスト」,「関連日本語文献リスト」も今回の党内論争およびイタリア共産党史をフォローする上で役に立つ。
 著者は,おそらく論争の(テキストの)中に自らの表現を見いだした。そのことは,著者の手になる論争資料の翻訳が証明している。イタリア語の文書が的確かつ生気溢れた日本語に,見事に移し変えられている。かくして,彼もまた党内論争に加わっていたのである。





窓社,1991年12月,393頁,定価3,960円

ふくだ・とみお 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第411号(1993年2月)



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