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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




京谷 栄二 著
『フレキシビリティとはなにか――現代日本の労働過程




評者:浅見 和彦




(一)

 著者は,本書を「労働過程に視座を据えて,現代日本の大企業における『支配・受容・変革』をどこまで解明できるか試みた営為の所産である」と性格づけている。内容は,既発表論文を編んだ実態分析と新たに書き下ろされた理論研究に大きく分かれ,それに序章と終章が配されるという構成をとっている。
 序章では,日本の大企業労使関係の歴史分析から現在の位置を確認し,「抵抗権力なき労働過程」が「高度経済成長期において確立」したこと,その後において見いだされるのは,経営の管理の枠内で発揮される「職場集団の自律性」であることが論点として析出される。
 第一篇の現状分析は,第一章で小集団活動の「二重性」を指摘し,第二章で高度成長終焉後における電機大企業労働者の状態の不安定性を解明しようとしている。第三章は,電子機器の開発・製造にたずさわる技術者・技能労働者の労働と意識を,また第四章は,鉄鋼・電機の企業内教育と労働者の対応を,それぞれ著者が参画された面接調査をもとに,労働能力形成への欲求とその不充足として論じている。
 第二篇の理論研究では,「支配・受容・変革」という視点が強調される。第一章で,自動車産業の労働を「日本的生産システムのフレキシビリティをめぐる国際的な議論の焦点」であり,「相当の一般性」をもつものと位置づけ,「協調的企業内労使関係」と「職場内外の全面的なかつ全人格的な管理体制」をとおして,「過酷な労働に自発的に志向し,経営の支配を受容する労働者の主体性」が形成されることを指摘すると同時に,「経営志向と異なる労働者自身の志向」,「異質な意識」を析出する。第二章は,「企業内労使関係の日常的かつ基礎的なレヴェル」の分析として,職場集団の(準)自律性や小集団活動が「経営の労働過程の支配」のもとで「労働者からの同意を調達する契機として機能」している実態や,「労働者の自生的な連帯や規模が,『未定型』なままに終始する」問題を指摘している。
 第三章と第四章は,「最近の国内の議論」の整理と,ある雑誌上などでの「国際論争の検討」である。まず,「日本的生産システムの『二重性』」では,「否定的帰結」としての「長時間で過密な過酷な労働実態」と,「肯定的特質」としての「現代の生産様式の発展段階が客観的に要請する要素」であり「労働をより人間的なものに改善していく要素」としての「構想と執行の再統合」とを分析している。ついで,日本の大企業における職場集団・自主管理活動が「経営の統制と支配を受容する労働者の同意形成の契機」となっていること,またこれに対抗して「『ハト派のQC』を昂然として主張できる権力を職場に構築すること」が変革の当面の課題になる,と指摘している。
 終章は,「労働過程論の新たな展開をめざして」と題され,ブレイヴァマンの『労働と独占資本』の議論と方法論への批判として,一つは「科学的管理法」に還元せず,「資本が労働過程を統制する多様なオールタナティヴを主張する議論」,いま一つは「労働過程における労働者の『主体性』」を強調する議論に整理し,著者の方法論を後者のうちの同意形成メカニズムに注目するものと位置づけている。

(二)

 私自身は,本書のような理論問題に強い関心を抱いていたわけではなかった。ただ,本書でもとりあげているイギリスのA.フリードマンの著作Industry and Labour―これは本書と同様,理論研究と実証研究から構成されている―を運輸・一般労組(TGWU)の歴史,とくにコヴェントリー市におけるユニオン・リーダーで,のち書記長となるJ.ジョーンズら同労組の「左派」の活動基盤,ないし戦後の経済成長期に自動車などの機械工業で,日本とは対照的に「強靭」な力をもった同労組の基盤に関する研究の一部として10年ほど前に読み,その後も部分的に読み返した経験があったというだけである。こうした一面的な関心と部分的な知識しかもっていなかったために,本書からは実態分析と理論の両面で多くのことを学ぶことができた。とはいえ,私の関心からする疑問点も少なくなかったので,そのうちのいくつかを率直にのべてみたい。
 第一は,著者の理論的アプローチについてである。「企業社会」論の方法論には,1)経済学的アプローチ,2)政治学的アプローチ,3)労使関係論的アプローチ,4)政治主義的アプローチ,5)労働組合論的アプローチなどがあることが指摘されている(木下武男「企業社会と労働組合」,田沼肇編著『労働運動と企業社会』所収)。こういう整理からすれば,本書は経済学的アプローチと重なりあうところもあるが,いわば労働過程論的アプローチをつけ加えようとしたものと位置づけられるのかも知れない。
 しかしながら,難点がある。まず本書の副題に採用され,多用されているにもかかわらず,「労働過程」というタームが厳密に定義されず,「生産過程の主体的要素としての人間に力点が置かれる時」というきわめて抽象的なレベルで使用されていることである。二つには,にもかかわらず,対象を現代日本の「大企業の労働過程」に具体的に限定(!?)していることである。著者はその理由を,日本の大企業は「官制高地」ではないとはいえ,その「常用男子労働者」の「状態と運動」は「日本社会の動向に重要な影響を及ぼす」からだとしている。三つには,しかしながら,「対抗権力なき労働過程」つまり「運動」なき労使関係が確立してしまった後に著者が見いだされたのは,いずれも「『同意形成』のメカニズム」をなすもので,「肯定的特質」をふくんだ「二重性」をもつ日本的生産システムと,「変革への可能性」もふくんだ「二重性」を有する「職場集団」の二つにすぎないことである。四つには,そこでの「変革のモメント」である労働能力形成欲求と職場集団に依拠し,その「社会的力」を「経営を規制する強靭な力に転化する」ことが当面の変革の課題だと主張されていることである。しかし「職場の個々の労働者の内面に生じる微視的なもの」でさえ,「社会運動等の労働過程外の要因」と結びつけなければ,「いやなものはいやだと言える」条件さえ築けないともいわれる。そうだとすれば,著者が絞り上げた大企業の「労働過程」に「支配・受容」の契機の一部が存在するのは紛れもない事実だが,その主要な前提条件は抜け落ちないだろうか。さらに五つには,「社会運動等」は「労働過程外の要因」なのだろうか。そうだとすれば,ずいぶんと「客観主義」にみえるが,その相互関係はどのようにかんがえるのだろうか。いずれにしても,著者のいう「労働過程」と「労使関係」や「生産システム」との異同が不分明のうえ,「二重性」の分析が平板な二分法であるため,「変革」モメントの指摘の迫力不足が目立ち,そのぶん「支配・受容」だけが鮮明になっている。
 第二は,これと関連して,ある意味では著者の意図とは裏腹に,またその「過酷な労働実態」をふくむ「二重性」の指摘にも拘わらず,日本的生産システムなどの「肯定的特質」が美しく描かれすぎていないだろうか,という疑問である。生産システムのフレキシビリティの起点としての市場という指摘がありながら,そうした理論枠組が用いられたり,日本的生産システムの「二重性」の歴史的条件が指摘されたりしていない。また私は,私の知るイギリスの断片的な史実からも,生産システムは熟練の社会的な形成のあり方,労働組合の規制のあり方をふくんだ労使関係やその歴史とも相互に規定的であり,その関係の反映でもあると考えている。したがって,「現代の生産様式の発展段階が客観的に要請する要素」や「労働をより人間的なものに改善していく要素」なるものが客観的・一義的に存在するとは思わない。
 第三は,国際論争の断面と性格にかかわることである。著者が「現代日本の生産システムを,フォーディズムに代わる新たなオールターナティヴであるかのような響きをもつ『ポスト・フォーディズム』というタームで表現するのは不敵[適]切であろう」としているのは同感であるが,「フレキシブル・フォーディズム」といいかえるなど,結局,「フォーディズム」中心の議論をしていることには賛成できない。こうした点を意識しないと,「『構想と実行の分離』を徹底した労働編成」であるフォーディズムと異なった「構想と執行の再統合」を部分的に果たしているという理由だけから,日本的フレキシブル生産システムを過大に評価することにつながっているのではないか。私には,例えばアメリカ人研究者(H.ブレイヴァマン)の「客観主義」と「熟練の解体」論を,イギリス人研究者(A.フリードマン,S.ウッド)が「主体性」の重視から「労働過程を統制する戦略の多様なオールターナティヴを主張する」という論争の断面は,イギリスの労使関係史の事実を思い浮かべたときに,「フォーディズム」・「ポスト・フォーディズム」中心の議論は一面的で還元的な性格をしめしており,比較史の視点(comparative−historical perspective)の重要性,「労働過程」・生産システムと相互に規定的な労使関係や「労働者の運動や意識」の各国別の多様性研究の重要性を示唆していると解釈できる。
 私の狭い関心からくる本書への見当違いの批判もふくんでいるにちがいないが,私自身の課題の一つであるイギリス労働組合史研究も,本書が論じているような理論動向をふまえなければならないのだと反省している。





窓社,1993年7月刊,X+310頁,定価3,600円

あさみ・かずひこ 専修大学経済学部助教授

『大原社会問題研究所雑誌』第430号(1994年9月)



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