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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



大沢 真理 著
『企業中心社会を超えて――現代日本を〈ジェンダー〉で読む』



評者:荒又 重雄




 本書を通読して,評者は,自分の次の世代に対する自身の見解を少し改めた。率直に言って,評価を高めた。
 著者は,ベルリン自由大学で日本について総合的に反省し,他国の人に講義した経験をまとめ,ここで日本の読者に語っている。生活大国5ヵ年計画の批判を軸とし,政府統計ほかの統括的なデータの緻密な吟味を通じて,女子労働を抑圧しこれから収奪する日本「企業中心社会」の構造と,それを支えはしても決してそれに対抗しない日本の社会政策(特に社会保障)とに対して,けなげにも果敢な論戦を展開している。また,「男性の諸問題を視野の外に残しがちな」研究とは違って「両性が社会的に取り結ぶ諸関係」にこそ注目しよう(5頁)とする姿勢や,描き出される総括像の歯切れの良さも,評者の好感をさそった。
 評者が自分の次の世代と言っているのは,多かれ少なかれ思いを残して,社会的労働の場から専業主婦の座へ退去した世代の女性たちを母として育った世代,および,冴えない「共稼ぎ」に婦人解放の夢を重ねることに愚かさを感じて,「ブリッ子」から「三食昼寝付」主婦に転じた世代の女性たちを,母親としている世代のことである。
 ある年代以上の日本人には消えない記憶であるが,日本で「サザエさん」がロングランを開始した時点でアメリカにあったのは,「ブロンデイ」,ダグウッドという名の亭主と男女2人の子供と共に郊外の一軒家に暮らす幸せな主婦,の4コマ漫画だった。まさにそのような幸せ一杯な主婦が,ある日,得体の知れない病気に襲われる。ウーマン・リブの総帥,ベテイ・フリーダンの第一の書物,『女らしさの神話』,はそこから始まる。そのフリーダンはその書物で,彼女らの祖母の世代が,「情熱的」に何か別の人生を追い求めたことがあったのを回顧し,母や自分の世代の人生設計は誤った選択ではなかったかと,批判的検討の俎上にのせるのである。
 評者はいつも,ウーマン・リブに励まされ影響されて展開した日本の女性学が,祖母の世代までさかのぼらずとも,直前の母の世代のもろもろの人生の中にある「情熱的人生行路」や,様々な敗北の軌跡や,長く癒せぬ手傷の数々やに学ぶものがあるのに,決してそこには近付かないことに,さらには,評者と同世代の論者までもが,自分たちの世代の闘いの総括を,若い世代に自信をもって提示しないことへの,強い不満を感じている。その点では本書も,巻末の参考文献を一覧すれば明らかなように,評者の不満を解消するものではない。だが,そのことはここでは何も言わないことにする。この世では,変な人脈と関係が無いほうが,広い読者に近付けることもあるし,評者にとっても,大切にすべきは将来に展開すべき論議であるから。さらに,本書は,ベテイ・フリーダンの場合には第二の書物,『第二幕』,の末尾になってやっとあらわれる社会政策に,正面から取り組んでいるからである。
 著者は,日本の「企業中心社会」を労働市場分析の手法だけでは分析できても説明できないのではないかと考える。そして,包括的資料の分析をとおして,「独特の『ジェンダー関係』こそが日本の企業中心社会の基軸にある」(19頁)のだ,「女性労働の種々の属性を『男子にそろえる』ことを頑強に妨げるなにかが,日本の労働関係,ジェンダー関係には存在する」(52頁)のだ,と主張する。労働市場の女性化が進行するのに男女間格差がいっそう広がる日本的特性を指摘しつつ,著者は,「技能が高まるから賃金があがるのではなく,査定=人事考課による個人差はあれ,ともかくも年齢につれて賃金をあげてやらなくてはならないからこそ,その賃金にみあう技能をつけさせようとするのだ。ただしその労働者が男であるという条件つきで。」「“妻子を養う”男の生活費にみあう賃金に,女をあずからせること自体が論外なのである。」(68頁)と判定するのである。日本では「『女』や『組合員』であるだけで査定点が低くなる」(106頁)のである。女性をそのように差別する論理は,労働市場の原理だけからは説明出来ない。日本のパートは「『身分』として把握するほかない」(82頁)ようなものである。これらを理解しようとすれば,家父長制,すなわち「女性の労働者の男性による領有」と上野千鶴子らによって定義されているものが,企業中心社会の核心の一つをなしていると見ないわけにはいかない。そのように著者は主張する。説得的である。
 とりわけオイルショック以後の女子労働の配置を年次的に分析したところで,著者は,中高年のパートタイマーが労働市場の底辺を支えている姿の総括図を示している。著者にとっては意外かもしれないが,評者はそこに,かつての嶋津千利世の女子紡績労働者研究,竹中恵美子・西口俊子の女子電気労働者研究に続く女子労働研究の流れを感じた。
 そうした女子労働の地位は,労働市場の中にあって,しかし抽象的な市場の原理だけからは説明できない。評者は,やはり大切な概念は労働力の価値分割だと考えるのである。家父長制をひきずった家族世帯ではなく,あくまでも個人ベースでという理論志向は,分析手段としてはむかない。ここでは,様々な形をとった,あるいは幅のある,価値分割のありかたが分析されるべきなのである。企業組織と家族組織の内にあって,相互に呼応しあっている家父長制の標準が,個々人と個々の世帯を束縛し,企業内および企業間賃金構造になって現れる性別賃金格差を支えていると言うのが,著者自身の立場ではないか。
 著者が,日本の若い共働き夫婦の生活時間の調査を踏まえ,家事分担の決め手は時短であろうか(116頁),と疑問を呈しているところ,および,公務員に家事労働のやや公平な分担が見られることに関連して,原則として雇用上の性差別がないことが夫に柔軟な役割観をもたせることになる(雇用職業研究所)という評価のあることを紹介している(118頁)ところを読んで,評者は大いに考えさせられた。評者には,同世代の女性たちが母親として,息子の世話を焼いて内助の功なくして暮らせぬように育て上げ,娘には自分が果たせなかった夢を託して,男女相互に調和しにくい世代を作り上げてしまったのではないか,との反省があるからだ。つぎの時代の男女の団結のためには,確かに,大きな文化運動が必要なのだ。その文化運動は,企業内の職務職位の体系の改編にまで及ばなくてはならないのだ。ちょうど,戦争直後に経営民主化運動があったようにである。
 著者が発見した,「貨幣タームでの収入と消費水準でとらえるかぎりは,『夫は仕事,妻は家事(と仕事)』の性役割分担,それにもとづく『会社人間化』こそが,家庭にとっての最適の,あるいは最もリスクの小さい『戦略』となる」(120頁),という関係は,評者の世代の多数派が,まさに自覚して選択した戦略であった。それは同時に,評者の世代の文化運動が社会全般を覆うジェンダー意識に打ち勝てず,かつ,支配的社会意識を取り入れた企業中心社会の新しい原理に打ち負かされた結果だったのである。それが今や,「会社人間と内助の妻の『淋しい』共生」(120頁)に帰着したことは,著者の言うとおりである。でも闘いはあったのだ。つい昨日まで,あるいは多分今にも続いて。
 「よりいい条件の職業をもつ妻と対等の関係を築くことが――したがって家庭責任をより平等に担うことが――会社に対する夫の抵抗力を高めるといいたい」(121頁),と著者は言う。長期的展望としてはよい。だがどうであろうか,「最もリスクの小さい『戦略』」を選ばないことから発生するであろう,さらにはそこから現に発生してきた損害,犠牲に対する,痛みを分かち合う洞察なしには,現代をそれが抵抗力となる時代にはつなげられないであろう。こう書いただけで,様々な形をとった様々な夫婦の喜怒哀楽が,評者の脳裏を駆け巡る。
 著者は,日本の社会政策の中で特に社会保障の部分を改めて取り上げ,「戦後日本の社会保障制度は,家父長制的ジェンダー関係を前提とするものだった」(199頁),と指摘する。その通りである。生活保護では当初から,どこまでが扶養義務かが問われた。義務教育をやっと終えた母子家庭の娘から,幼い弟妹や母を扶養する義務を免除することさえ,この制度の事後的改正であったのだ。著者は近年の札幌市白石区における「母親餓死事件」を取り上げている。この事件は,生活保護の運用適正化のターゲットとして母子世帯が攻撃された(178頁)結果のひとつであった。著者はこれに絡んで,「妻の役割からはずれた女性の生活は,彼女が母役割を引き受け」ても(219頁)補強に値しないのであろうか,と批判している。母子家庭は以前から,むしろ以前は現在以上に,福祉的保護の対象であった。しかし,かつては死別が問題であったのに,いまは離別の問題の方が大きいのである。ここでは,家族を保護することではなく,すでに壊れた家族の,夫ではなくなったが父ではあるものとの関係で,苛酷な要求が母子家庭になされているのである。離別した男への追及は,さしあたり母子の不幸で留まってしまう。
 新国民年金に関して著者は,「基礎年金の三号被保険者の扱いは,有配偶女性にパートタイム身分での就労を奨励し,彼女たちがフルタイム就労ないしより高い賃金率をえてみずから厚生年金の被保険者となることに,一種のペナルティーを科す事になっている」(229頁),と批判している。そのとおりであるが,彼女らの配偶者にとってもそのペナルティーは同じ意味をもつ。さらには,以前からフルタイム就労していた妻とその夫である共稼ぎ夫婦は,具体的に権利を削減され処罰されたのだ。ジェンダーを両性の関係として見るなら,この側面も見て欲しい。
 男女雇用機会均等法(172頁,232頁)の歴史は浅い。その効果を批判するなら,成立時の,ついこの間の論戦も,想い出しておいて欲しいと思う。




時事通信社,1993年8月,247頁,1,770円

あらまた・しげお 北海道大学経済学部教授(当時)

『大原社会問題研究所雑誌』第424号(1994年3月)



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