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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



草間八十雄著・磯村英一監修・安岡憲彦解説
『近代下層民衆生活誌』(全3巻)
       I 貧民街、 II 娼婦、 III 不良児・水上労働者・寄子



評者:荒川 章二




 草間八十雄(1875〜1946)─1920年代から30年代にかけての東京の社会事業調査史では欠くことのできない人物であり,特に浮浪者に関する調査研究,および売春婦の実態調査では第一人者としてあげられるべき人物である(この点については社会福祉調査研究会編「戦前日本の社会事業調査」を参照されたい)。にもかかわらず,これまで戦前社会事業研究者や一部都市問題研究者を除けばほとんど知られることがなかったと思われる。その草間の著作集が昨年秋ようやく刊行され,彼の業績に容易に接することができるようになった。
 長野県で生まれ,和仏法律学校(現法政大学)を卒業後4年余の警視庁勤務を経て,ジャーナリズムの世界を転々とし,最後に東京市社会局に落ち着く(ただしその期間のほとんどは嘱託であった),というかなり変わった経歴を持つ草間の社会事業調査者・研究者としてのスタートは,それほど早くない。 1909年,35歳の時,東京日々新聞記者として府下新宿南町で細民調査を行ったのが最初である。以後たびたび細民地区に入っているが,当初は新聞購読者数調査が主であったとみられる。しかし,40代半ば=社会事業が注目され始めた第一次大戦後からその調査活動は本格的になり,被差別部落現状調査,第一回国勢調査時(1920)における浮浪者調査など調査の幅が大きく拡がった。その過程で記者生活に終止符をうち,1921年には内務省社会局の細民調査に嘱託として従事(同調査は翌年に社会局編『細民調査統計表』として刊行),さらに22年には東京市社会局の調査事務嘱託となり,同局の行った多くの社会事業調査に係わることになるのである。また,大正期末には中央職業紹介事務局の嘱託として寄子紹介業,芸娼妓酌婦紹介業の調査にもあたり,1933年からは東京市幼少年保護所長としても活躍した。
 さて,総頁にして2,000頁近い同書は,単行本としてまとめられた草間の著作のうち,『女給と売笑婦』(1930.2)を除いた7冊を問題別に配置したものだが,2巻所収『灯の女 闇の女』(1937.2)はその増補改訂版であり,実際には単行本すべてが網羅されている。以下,大まかではあるが内容を紹介していこう。
 まず,『I 貧民街」には1)『浮浪者と売笑婦の研究」(1928.5),2)『どん底の人達』 (1936.12),3)『都市生活の裏面考察』(1936.4)の3冊が収められている。
 1)は前半の浮浪者,後半の売笑婦に分かれる。浮浪者の部分ではその歴史的変遷,種類,人口,分布,年齢,生活方法,生活状態,健康状態,教育程度,浮浪者となつた原因,浮浪期間,浮浪状態を脱することのできない理由,公私救助経験の有無等が述べられたうえで,東京で最も浮浪者が集まる浅草公園界隈を例に社会学的観察が行われている。浮浪者のうち,一口に乞食と言われる集団を例にとっても一定の場所で現金を集めるケンタ(乞食頭―小頭に統制され貰い高から上納する),一定の貰い場所を持たず(ケンタの圈内には入れない)流しで現金や残飯を集めるツブ,乞食の中の最下層であるヒロイ(廃棄物を漁って生きている)に分化していることがわかる。売笑婦は制度の歴史的変遷,員数,生活事情,前身,年齢,出生地,教育程度,生育関係,売笑婦となった原因,前借金,稼ぎ高,遊客の種類,花柳病,廃業事情等である。
 2)は500頁余の大著であり,「草間の貧民論の集大成をなす著作」と言えよう(石塚裕道・成田龍一『東京都の百年』)。その序から貧民層発生の防止方法としては,社会変革よりも社会政策=社会事業施設の普及徹底で漸次貧乏を緩和するという考えに立っていたことがうかがえる。そのために徹底的に実証的なデータを重視したところに草間の真骨頂がある。そして,そのデータは統計的な,あるいは外側から観察して得られるものと,集団の内側に入り込み,実際に自ら観察したものが組み合わされる必要があった。また,草間のすべての作品に共通していることであるが,研究・調査対象の時代的変化を知ることにも力を注ぎ,歴史的推移のなかで問題を認識しようと努めた。草間の調査報告が単なる調査記録で終わらず,社会事業史の側面から時代像を浮き彫りにできた理由は,彼のヒューマニズムとともにこの歴史的考察の態度に求められよう。
 さて,その内容であるが,まず第一編「総説」では細民街の変遷について語られる。松原,横山,佐藤,そして自身の各種「どん底街視察記」,および官庁の調査記録が付されており,特に明治期後半の東京府下細民地区の視察記である佐藤千纏の作品抄録と草間の作品が一望できて有用である。さらに損料布団屋,教育施設,残飯屋など個別環境の歴史的変遷が具体的データをもって語られる。第二編「細民の職業及び経済一斑」では細民の職業・収支・支出・消費量がやはり時代的変遷の中で明らかにされ,公私の救護の実情に話は及ぶ。第三編「精神的生活と其事情」は細民児童の教育の実情に大半が割かれ,資料として児童の感想文・創作も紹介される。前述のように後に幼少保護所長になった草間は,当初から細民児童の教育問題に強い関心をもっていた。第四編「物資欠乏の生活に及ぼせる事象」は貧困な生活が何をもたらすかということで売笑婦,私生児,家出,自殺,犯罪などとの関係にふれる。かくして結論はこうである。「かうして貧乏となる原因を一々調べると,現在に於てこの大東京には五十万余の貧乏人がゐる。亦各地方には数百万の貧困者がゐる。此等多数の貧しい者を生み出した原因の主なるものは社会的欠陥に因るのであって,彼の個人的欠陥に因るものは割合に少ないのである。今や吾国の国費は三十億円を超えやうとしてゐる。此の巨額の所謂予算の幾何を割いて社会事業費に當てるであらう。現実の貧乏を救ふにも,更に貧乏線に落ちないやうに防貧政策を徹底するにも,其の費用を惜むでは理想の実現は出来ない。而して現下の趨勢から観れば社会的欠陥から尚ほ多くの貧乏人が生み出される。之に対応する社会政策と之に由る社会事業の発達を如何に図るべきかが大きな問題の一つである。」
 『II 娼婦』は,4)『灯の女 闇の女』(前掲),5)『闇の実話』(1937.2)から成る。4)で売笑婦は職業的売笑婦と臨機的売笑婦の2つに類別され,前者には娼妓,芸妓,酌婦,銘酒屋女,街娼などが含まれ,新しい型の売笑婦としての後者ではカフェーの女給などがあげられている。この類型分けの背景には公娼,私娼という区別はすでに実態にそぐわず,取締の観点から見て時代遅れであるという問題意識がある。同書は従来の調査・統計資料及び草間自身の調査を基にした総合的売笑婦研究であり,400頁におよぶ大作である。数量,男性人口との関係,売笑市場の具体像,売笑婦となる原因,家庭の職業との関係(特に細民地区で売笑婦が多いことにもふれられる),前職,教育程度,生育関係,多産との関係,年齢,出生地,時代的に見る娼婦制度の概要,稼業状態と労資間の所得関係,娼婦の負担と諸費と続き,最後は「廃業せる売笑婦553人の行方」でしめられる。
 5)は娼婦哀話,色街哀史を中心に構成され,これに東京市幼少保護所で係わった不良児の例も加えた実話物である。後者の実態と保護問題については後掲7)で詳しく扱われている。
 『III 不良児・水上労働者・寄子』は,6)『水上生活者と寄子の生活』(1929.5),7)『不良児』(1936.10)から成る。6)はこれまで紹介した作品とは異なり労働者生活の観察記録である。上編は「多く論ぜられずまた余り注意もされてもゐない」川船・艀生活者の調査記録であり,その数,親分・子分関係,船指―船子世話人―平人(ひら)の3階級の存在,分配率を含む収入問題,水上労働者社会特有の慣習,児童の教育問題が取り上げられている。ただしこの報告は36頁と短い。
 下編は1925年末に行われた寄子紹介業調査を基にした記録である。寄子紹介業とは手数料と引き換えに各種職人の職業紹介(人入稼業)と就業不能時(失業,疾病等)の賄い,宿泊その他共済事業(生計費立替等)を行った組織の経営者であり,それに従属する労働者が寄子である。親方・子方的な職人の統制と需給調整がそれを通じて行われた。近世に始まるこの寄子制度は近代的工業の発展と共に廃れたが,調査時点で残っていた職種としては料理人,麺類職,菓子職,理髪職,湯屋男など9種であった。寄子紹介業者は25年の時点で東京府下で114人,アタマと呼ばれる寄子の数は,最大の妓夫・妓女が4,228人,料理人3,006人,湯屋男1045人,菓子職786人と続き合計1万893人に達した。同書は特殊な寄子社会を知る貴重な資料である。
 最後になったが,同書には安岡憲彦氏(高知市民図書館,『信濃』36巻10号に「草間八十雄の生涯と思想」を発表している)の解説と同氏作成の草間の年譜が付されている。草間が諸誌に発表した論稿は解説で知ることが出来る。これを機会に草間の調査研究に関する本格的分析が期待されるところである。


* 発行年月日は安岡解説・年譜とは異なる奥付に従った。




明石書店,46,000円,分売不可

あらかわ しょうじ 大原社会問題研究所嘱託研究員,静岡大学助教授

『大原社会問題研究所雑誌』第355号(1988年6月)



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