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日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.

第五編 言論統制と文化運動

第四章 宗教運動


第二節 プロテスタントと無教会派(つづき)

 日本セブンスデー・アドベンチスト教団(キリスト再臨団。内務省調によれば、教会一八、宣教者三二名(外国人四)、信徒一一〇〇名)は、四三年九月に全教師および信徒の有力者が検挙され、四四年六月に解散処分をうけた。また四一年から四二年にかけて、「耶蘇基督之新約教会」関係で、東京、愛知、高知、兵庫、静岡の各地で計四三名が治維法違反として検挙された(起訴二二名)。

 無教会派クリスチャンでは、「プレマス・プラズレン」のグループが、四一年九月に大阪で八名、四二年三月に東京関係者六名が検挙され、それぞれ起訴された。

 無教会派の東大教授矢内原忠雄は、三七年におこなわれた藤井武第七周年記念講演において、「日本の理想を生かす為めに、一先づ此の国を葬って下さい」と述べたことをとがめられて東大を辞任したあと、各地で広く研究会・講演会をひらくとともに個人雑誌「嘉信」に力をそそいで不屈な信念を守った。三九年一一月の「基督教徒大会」へ松井陸軍大将が出席して挨拶したことについては、「その陸軍大将は南京事件当時の最高指揮官であった。南京陥落の時に、アメリカのミッションで建ててゐる基督戦の女学校に対して、一つの大きな間違が犯された。若しもさういふ事実を基督教徒大会の主催者が知らなかったとするならば、之は甚しき怠慢である。知ってゐたとするならば、何という厚顔無恥であるか。その事件の責任者たる者は、手をついて基督教会の前に謝らなければならない。基督教徒大会は、日本の基督教徒の名に於いて謝罪を要求すべきではないであろうか。それを全民衆が起立して迎へるとは、之ほど逆さまの事がありますか」(「嘉信」、四〇年一月号)と述べ、また、「歴史を辿ってみれば、欧米諸国だけが支那を半植民地化する政策をとったといふやうな事は言へません。西洋だけが間違を犯したのであると考へるのは、学問的にも歴史的にも成り立たない勝手な議論であります」(同六月号)と断言し、「風はいつ迄も吹くにあらず、火はいつ迄も拡がるのではない。焼跡に残って、燦然として輝くものは基督者の信仰である。神の審判は行われ、神の経綸は遂行せられる。我らは信仰によって之を見、之に一身を托して平静である。義は必ず不義に勝ち、建設は必ず破壊に勝ち、神の国は必ず世に勝ち、キリストの栄光は必ず顕揚せられるであらう」(同四一年八月号)とした。「嘉信」にたいしては何回となく発禁・削除・注意等の処分が加えられ、四二年一二月には用紙の割当を全廃されたが、圧迫にひるまず、用紙を他から入手して刊行をつづけた。四四年六月、警視庁は「嘉信」の廃刊を命じたが、これにたいし矢内原は、名前だけ「嘉信会報」と改め、「雑誌は廃刊になっても伝道は廃すべからず。印刷の出来る間は印刷により、印刷が出来なくなれば謄写版により、謄写版も出来なくなれば筆写回覧の方法によりても、キリストの福音は宣べ伝へられねばならないのである」との決然たる態度をとり、謄写版をもって敗戦に至るまでついに一月も欠くことなしに刊行を継続した。敗戦直前の七月の「嘉信会報」には、「余が己の為めに願ふところは三つある。第一は、余の名の天に在る生命の書に録されてあらんこと之である。第二は、天に召される日まで余の信仰の純粋に保たれんこと、之である。第三は、余の言の保存せられて後世に証とならんこと、之である」としていた。

 また、矢内原忠雄が「私の最も敬愛する福音の証者」と呼んだ浅見仙作は、一八六八年新潟の農家に生まれ、単身北海道に渡って開墾に従事し、五年後に五〇町歩の墾成地地主となり村会議員や郵便局長になったが、石狩川の氾濫で無一物となって洗礼を受けてキリスト者になった。そのごカリフォルニアに出稼ぎに行って日雇や人夫となり、帰国後は浴場業を営んだりして、主に農民や床屋や郵便集配人などを対象に各地に伝道したが、かれの発行していた伝道紙「喜の音(よろこびのおとずれ)」は日中戦争にかんする筆禍事件で一九三七年一〇月に廃刊せざるをえなくなった。そのご七五才になった浅見は反戦思想の疑いで四三年七月に札幌警察に検挙され、翌年二月まで二〇〇余日のあいだ零下一五度の地下コンクリート監房に留置された。札幌地裁の公判では、「天皇統治が千年王国の建設に際して廃止せらるべきものとなす国体を否定すべき内容のものなることを知悉しながら該教理の宣布を目的とする集団を結成」といわれ、「平素反戦思想を抱き、且つ我国の国体に反するキリスト教を信じ、幾度説諭しても翻意することなく、亦自分が信ずるのみならず、集会を開き同思想を鼓吹し、剰え日本全国から満鮮地方まで巡歴して同思想を宣伝し、尚月刊雑誌や印刷物を頒布して益々その思想を昂揚せんとするものであって、治安維持法第七条及び第八条に抵触するもの」として四年を求刑され、懲役三年の判決を受けたが、直ちに大審院に上告した。(控訴は治維法第三三条で許されなかった)。大審院では三宅正太郎裁判長係りで四五年三月事実審理に附すとの言渡しがあり、その結果、第一審を誤判とし、無罪の判決が六月に下された。この裁判は「旧憲法下におけるわが国の裁判官の名誉を保持し得たものとして特筆すべきもの」(斉藤秀夫「裁判官論」)といわれ稀有の例であった。

 (前出「社会運動の状況」各年版のほか、安倍豊造「受難の記録」、日本評論、一九五〇年八月号。鈴木義男「安倍牧師の手記を読んで」、同上号。米田勇「大東亜戦争下における基督教の弾圧」、思想、一九五九年二月号。家永三郎「戦時下の個人雑誌思想、一九六四年一月号。横山貞子「キリスト教の人びと」。思想の科学研究会編「転向」、中巻。長清子「浅見仙作」、世界、一九六五年八・九月号などによる)

第44表 宗教犯罪

日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
発行 1965年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2000年2月22日公開開始


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