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日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.

第五編 言論統制と文化運動

第四章 宗教運動


第二節 プロテスタントと無教会派

 キリスト教団体にたいする直接的組織的弾圧は燈台社からはじまった。在日本燈台社(Watch Tower)は在米燈台社総本部の日本支部として一九二七年に結成されたキリスト教系の宗教結社であり信者二七〇余名、機関紙「黄金時代」の継続購読者約三〇〇〇であった。同社は一九三三年に幹部数名が不敬罪容疑で検挙され、機関紙・単行本も大量に発禁処分を受けたことがある。三九年一月、社員三名が徴兵または召集されて入営したが、かれらは上官に対し、「ヱホバ以外の被造物に礼拝することは神ヱホバの厳に禁ずる所なれば、今後宮城遙拝、御真影奉拝等の偶像礼拝は絶対に為し能わざる」むね、また、「天皇は元来宇宙の創造主ヱホバに依り造られたる被造物にして、現在は悪魔の邪導下にある地上の一機関に過ぎざるが故に、天皇を尊崇し、天皇に忠誠を誓う等の意思は毛頭なき」むね等を公言し、さらに馬術訓練は神意に反する流血行為の演練なりとしてその出場命令を抗拒し、ついには、兵営生活が神ヱホバの神意に反すとの理由で脱営し、また自己の支給兵器を神意に反する殺人器なりとして返納を申し出るなど、「不敬不遜の言辞を弄し」また軍事教練不応等の行動を重ねたものとして、それぞれ所轄憲兵隊により不敬罪ならびに軍刑違反として検挙された。これにたいし同社幹部は、ヱホバの忠信者が当然とるべき標準的態度であり、右行為は軍部に対する徹底証言となった等と賞揚し、そのむねを宣伝吹聴してとくに宣明運動の積極的展開方を指令し、各地方証者等もこれを契機とし運動はいちじるしく活発さを加え、東京・兵庫・朝鮮・台湾の各地をはじめ、全面的に顕著な教勢伸長をみた。これにあわてた内務省および警視庁当局は、司法省および憲兵隊当局とも連絡協議の上、検挙方策を考究して調査をおえ、治維法違反ならびに不敬罪をもって三九年六月下旬、北海道ほか一八府県において主幹者明石順三以下九一名、朝鮮総督府で三〇名、台湾総督府で九名、総計一三〇名を一斉検挙するに至った。押収証拠品は、単行本三〇余種・小冊子三五種・機関紙二五五点・秘密機関紙二二〇点・聖書研究一〇〇点・英独朝鮮文出版物二八〇余種・その他の物件一〇〇〇余点に上った。検察当局は同社を、「燈台社教理による世界支配体制変革の一環として我国体を変革し、いわゆる地上『神の国』を建設することを究極の目的とし、同教理に基く証言宣明行為によりて我国民の国体観念を腐蝕せしむると共に現存秩序の混乱動揺を誘発することを当面主要の任務とする結社なり」と定義して治維法違反に問うこととし、五三名が起訴され、死亡、応召各一名を除き五一名にたいして四一〜四二年に第一審判決(明石順三は懲役一二年)が下り、うち二九名が控訴した。治安警察法第八条第二項により同社は内務大臣から結社禁止を命ぜられた。また一斉検挙後、燈台社再建運動として、熊本県で五名、(うち三名起訴、一名病死)、新潟県で一名(起訴)が検挙されている。

 キリスト教信者の葬儀にたいする干渉もおこなわれた。四〇年五月から七月ころ、佐賀県では戦病死したカトリック信者の一歩兵上等兵の遺族はキリスト教合同村葬を懇請したが、村当局は時局がら仏式を妥当であるとして承認せず、仏式で執行したため遺族は別にキリスト教葬をおこない、福岡県でも、戦病死したカトリック信者の一砲兵一等兵の公葬につき遺族は村当局の決定した神式に反対してキリスト教葬を希望して紛議を生じたが、警察署の調停により神式の村葬執行前に親族間のキリスト教式私葬がおこなわれた。日米開戦から一ヵ月あまりたった四二年一月、聖教会系で当時日本基督教団(前述)の看板を掲げていた北海道函館の教会の牧師補小山宗祐の自決事件がおこった。同氏は、隣組が輪番制で毎朝ゆくことにしていた護国神社参拝を拒否したとして訴えられ、憲兵隊と警察の取調べを受けて起訴され、判決が出る前に未決監房で自殺してしまった。絞殺されたのではないかと疑う者もあったが、当局の発表では自決であった。四二年四月、名古屋の聖ペテロ教会(聖公会系)の一牧師は隣組常会において事変公債の購入割当が協議された際、「購入割当ということは町内や隣組の平和をみだす因である。われわれは公債の割当は御免こうむりたい。この公債は金のある人や事業で金をもうける人が購入するのが当然だ」と述べて割当を拒否しまた防空作業に出動せず、銃後奉公会費の拠出を拒んだ。

 右の小山牧師補の所属した旧聖教会は一九三六年まではホーリネス教会といわれており、同教会はその年末から「日本聖教会」と、「きよめ教会」(および東洋宣教会きよめ教会」=旧きよめ教会正統派)の二団体に分裂したのであるが、前者(教会一九七、宣教者二五三、信徒一万六三五〇。一九四二年七月現在内務省調)が日本基督教団第六部として、後者(教会一○七、宣教者一四○、信徒七三六一。同上)が同第九部として合同したのは四一年六月のことであった。これら元ホーリネス系の教会の牧師(信徒二万五〇〇〇人、日曜学校会徒三万人、教会一六四、巡回伝道所三〇〇、牧師・伝道師二五〇人)に対する大規模な検挙が二六府県にわたって四二年六月におこなわれた。日本基督教団第六部では会長車田秋次(神田教会)聖書学校長米田豊・財務部長小原十三司(淀橋教会)・総務部長安部豊造(杉並教会)をはじめ「聖教会」系の五六名、日本基督教団第九部では会長斉藤源八・海外伝道部長森五郎(上海教会)・大阪教会工藤玖三等の幹部をはじめ「きよめ教会」系の五五名、および「きよめ教会」の分派(尾崎派)の一二名、が全国各地で検挙された。検挙とその後の裁判の法的根拠となったのは、治安維持法第七条・治安警察法第八条・宗教団体法第一六条等であった。取調べにあたっては、「伊勢大神宮を偶像として見るか」「天皇はさばかれるか」等の質問が使われた。結局、聖教会関係では四四年一二月の公判において、禁錮二年(未決通算)二名、体刑三年(執行猶予五年)六名、同二年(執行猶予三年)四名、同一年(執行猶予二年)一名(求刑は体刑七年一名、同六年三名、同五年四名、同三年四名、同二年一名)、「きよめ教会」系では体刑三年六ヵ月(名古屋)一名、執行猶予一六名の判決があり、上告すればかえって実刑になるから損だとの意見を拒否して上告したまま終戦となり、生存者は解放された。地裁の判決は東京より重く、外地はいっそうひどかった(朝鮮では終身刑)。その間に五名が獄死し、二名は死の直前釈放されて直ぐ死亡した。小出明治は上告も却下され、病中服役延期願も許されずに実刑に処されたまま、遺族は突然死亡を知らされ、「獄衣はくれられないから全裸で死体を渡す」と告げられて裏口から引き取ったが、脳天に二ヵ所ナタでなぐりつけられたらしい傷跡があったという。また「きよめ教会」の工藤玖三は八○才をこえて牢死した。また元ホーリネス教会は、いずれも四三年四月、内務省の命令によって教会結社許可取消しの通達書が発せられ、教会は解散させられ、集会所は閉鎖された。

日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
発行 1965年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2000年2月22日公開開始


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