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日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.

第五編 言論統制と文化運動

第四章 宗教運動


第一節 宗教統制

 「満州事変」以降、多数の新興宗教結社(いわゆる「類似宗教団体」)がにわかにその勢力を拡大したが、一九三五年から三九年にかけて、「大本教」(皇道大本教団、起訴六一名)をはじめとして、「ひとのみち教」(起訴七名)、「天津教」(検挙一五名、起訴一名)、「天理本道」(検挙三七四名、起訴二三七名)、「天理神之口明場所」(検挙一四名、起訴六名)、「天理三輪講」(検挙一三名、起訴九名)、「三理三腹元」(検挙一八名、起訴一〇名)、と、それぞれ不敬事件(大本教と天理教系四派は、治安維持法違反ならびに不敬事件・結社禁止)として検挙された。一方、宗教諸団体、とくにキリスト教、仏教等において、その教理・宗義等における反国体的言説・思想が厳密な調査検討を受けるものが少なくなく、それらの団体の内外から排撃・刷新を呼ぶ声も強まり、その「自由主義」「国際主義」「現状維持的平和主義」などが攻撃を受けた。とくにプロテスタント派の多くのクリスチャンをはじめ多くの宗教者が、反戦・非戦や不敬(神社不参拝・神棚不祀・宮城遙拝拒否・その他)の言動について「要注意」となり、それらのことに関連して教団内の内紛や「棄教」・「キリスト教の日本化」(「世界に比類のない日本精神を樹立せしむるものは、基督教でなくてはならない」藤原藤男)や教会の自給独立(外国からの経済的支援離脱)などの動きも起こり、キリスト教報国会なるものも姫路に出現した。仏教においてもたとえば三九年八月には日蓮正宗関係の一雑誌が神祇の尊厳を冒涜する記事のため発禁処分を受け、同一二月に宮崎県の浄土宗の一住職が「世に善き戦争なく、悪しき平和なし」「無謀の戦は一年に於て数年の事業を毀つ」等の聖句を寺前に掲出して警察に抹消させられた。

 これより先、三八年三月には大阪憲兵隊の特高課長が、大阪のキリスト教牧師たちに、天皇とキリスト教の神との関係、勅語とバイブル、神社参拝などについて一三項目の質問状を発して回答を求めており、四月には憲兵隊から教会にたいして、「キリスト者がわが国体に対して忠良であるなら、教会に大麻を奉斎してもらいたい」と申し入れた。立教大学では、配属将校が、礼拝堂の十字架を破壊する事件もあった。

 三九年三月に成立し四〇年四月から施行された「宗教団体法」は、「宗教団体または教師のおこなう宗教の教義の宣布もしくは儀式の執行または宗教上の行事が安寧秩序を妨げ、または臣民たるの義務に背くときは主務大臣〔文部大臣〕はこれを制限しもしくは禁止し、教師の業務を停止しまたは宗教団体の設立の認可を取り消すことを得」(第一六条)ときびしく規定し、また司法省の執務資料によれば「法律の定むる各種の規定に拠るべきことはもちろんであるがその根本理念はあくまでも民族的信念たる皇道精神に基礎を求めねばならぬと確信する。右の皇道精神とは国家皇室を中心とする臣民道を指すのであって、これと相容れない宗教は必ずや皇国において発展することは出来ないであろう」とされ、事実上信教の自由は著しく拘束されるにいたった。

 さらに当時の通俗小説や映画などには、宣教師や日本人牧師などを悪意的にスパイとして扱ったものすらしばしばあらわれるようになったが、四〇年七月末には救世軍本営がスパイ容疑で憲兵隊の取り調べを受けた。救世軍はロンドンに万国本営を置いており、たまたま天津問題で国内の対英感情の悪化があふられていたことが背景になった。東京憲兵隊は救世軍司令官植村益造以下四名(うち一名イギリス人)を防諜上の容疑で引致し、一週間拘束して取り調べた上釈放し、陸軍省発表をおこなった。その後も数名の士官を不拘束のまま取り調べたが、確証なく、憲兵隊当局は文部省を通じて、自発的に万国本営から離脱し、軍隊模倣の称呼を廃止し、防諜上危険のおそれある組織を変更することなどを救世軍司令官等に誓約させた。救世軍日本本営では、二名のイギリス人幹部を帰英させ、イギリスの本営との一切の関係を絶ち、名称も「救世団」と変更して再発足することになった。同じ年九月、賀川豊彦は日本基督教会宣教師小川清澄とともに、反戦平和的講演・評論のため東京憲兵隊に検挙されたが、疑い晴れて釈放された。

 宗教団体法の施行にともなって、プロテスタント各教派は同法にもとづく教団としての認可をうる準備を進めたが、文部省側では、教会数五〇、信徒数五〇〇〇以上をもたない教派は正式に認可できないとの意向を表明し、またプロテスタント全教派の合同が「新体制」に即応するゆえんであるとの見解が政府から伝えられた。救世軍事件はこの動きを促進させた。自発的合同のためには時期尚早との内部の意見もあったが、四一年六月には三三のプロテスタント諸教派の合同体として日本基督教団が成立し、当局の公認を受けた。

これは日本聖公会(アングロ・カソリック)とセヴンスデー・アドヴェンチスト教会の二派だけを除いた大合同であった。教団に加わらなかった右二派は、以後宗教団体としてもちうる庇護の特権をもちえず、地方警察の直接監視下におかれることになったばかりでなく、「信条を有せざる基督教団との無条件合同は聖公会の拠って立つ所と相もとる事明白なり。教会にしてキリストの啓示を基とするにおいては之が信条を無視する事能はざればなり」として合同に反対した佐々木鎮次ら六人の監督は内部一信徒総代から「思想謀略戦の観点より」「敵国たる米英に対し軍事上の利益を与うるものとして」告発せられるに至った。教派の大合同は政府にとって統制を容易にし、戦争目的遂行の上意下達に役立つものであったが、信仰の自由はこれによって大きく束縛されざるをえなかった。各教会には「決戦態勢下基督教会実践要綱」「戦時布教方針」「決戦態勢宣言」等がつぎつぎと伝達され、太平洋戦争開戦にあたっては「基督者は祖国のため結束して祈祷に努むべし」の檄文が送られた。

日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
発行 1965年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2000年2月22日公開開始


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