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日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.

第五編 言論統制と文化運動

第一章 言論・出版・学問研究にたいする弾圧


第三節 新聞・放送・映画・芸能統制(つづき)

芸能統制
 「文化統制」はさらに「能狂言」から「宝塚少女歌劇」、「浪曲」に至るまで、各種各様の部面に及んだ。以下にその主なものをあげておこう。

 「事変」直後の三七年八月、警視庁保安部は「松竹」その他興行界の代表を招致し、時局を反映した興行物について取り扱い上の注意をうながし、内務省は「事変下の娯楽機関の戦時体制の確立、国民精神総動員強化のため」、映画とレコードの製作方針の方向転換を希望した。三九年一月、警視庁は演劇台本等の事前検閲を強化し、時局にそわぬものの上演を禁止することにした。同三月、外務省は宝塚少女歌劇団がサンフランシスコで上演予定の「唐人お吉」は日米間の感情を害するとして上演中止を命じた。五月には警視庁保安課が、能狂言「大原御幸」の所作事が時局がら不敬のおそれがあるとして上演中止方を警告した。九月のロシア・オペラ、バレー団の上演は、警視庁から「事変下資金統制の建前上、外国劇団の招聘は面白くない」との理由で禁止を命ぜられ、今後もこの種の外国劇団は一切公演禁止の方針となった。一二月、文部省は演劇・映画・音楽等改善委員会を設置した。なお、「映画法」に対応する「演劇法」の制定も企図されたが、これは実現にいたらなかった。

 四〇年二月に「警視庁興行取締規則」が発令されたが、これは従来の「興行場及興行取締規則」が強化改正されたものであった。新規則によって、興行者、技芸者、演出者はそれぞれ許可申請を提出することを命ぜられ、三月から実施された。五月には「聖戦完遂」に即応するため関東在住の全浪曲家を打って一丸とする「日本浪曲協会」が結成されたが、浪曲協会ばかりでなく、東京講談組合・東京落語協会・講談落語協会の三者が合同して「講談落語協会」となり、その他東京漫談協会・帝都漫才協会その他三曲・舞踊・邦楽・奇術・大神楽などの協会があった。技芸者はこれら警視庁公認の協会に所属しない限り「技芸者の証」(一種の鑑札)が与えられず、したがって出演ができないことになった。関東の日本浪曲協会にたいして関西には浪曲親友協会があったが、内閣情報部は東西協会の幹部・浪曲作家・文壇人から構成される「浪曲向上会」を作らせた。同会は浪曲番付を廃止しその業者に利益を保証するため雑誌「浪曲」を発行するとともに、浪曲読物の大転換をはかり、文壇の大家に浪曲台本の新作を委嘱し、愛国精神の横溢した文芸的読物(「愛国浪曲」)を浪曲家に与える企画をたてた。愛国浪曲の発表大会は一一月におこなわれたが不評のため一回ぎりとなった(関西から打合せ会に出席した広沢虎吉は、政府側役人や文壇諸大家を前にして、「こういう新作台本は私は甚だ不得意で、やれといわれてもやれまへん、芸人は自分の持っている芸を大切にして、その芸でお国に御奉公すればこそ愛国であって、戦争ものを読んだからというてそれが何の愛国だっしゃろ」と述べたという――中川明徳「太平洋戦争と浪曲界」文学、一九六二年四月号による)。この年九月、帝国劇場(帝劇)が内閣情報部の本部となって閉鎖された。一〇月、警視庁は「技芸者協会」を結成させ、技芸者の許可制度を実施し、大阪では一一月演行予定の歌舞伎「河内山宗俊」が大阪府保安課によって上演を禁止された。一一月、人形劇団プークが解散を命ぜられた。

 四一年一月、情報局と大政翼賛会宣伝部は帝劇講堂に国会議員を招待して愛国浪曲を聞かせたが、政府は浪曲の大衆的影響力が大きいこと(たとえばラジオで四二年の演芸の総放送時間九六八時間のうち、浪曲は四五二時間を占めていた)から、浪曲の統制に力をいれ、五月には浪曲向上会のあっせんで「浪曲作家協会」が生誕した。この年三月には、技芸者許可制度の実施以来初の出演禁止行政処分が、喜劇俳優高屋朗・漫才東ヤジロー・キタハチの三名に言い渡された。四月、情報局は「移動演劇連盟」を結成させ、移動演劇の内容の組織的指導と配給の一元化をおこなうことになった。八月には警視庁はお盆興行に関連して、「吉良のお常」「凉風一夕噺」や劇中に歌われる「私のダイアナ」など今後一切興行を許可しないこととし、その他二、三が注意をうけた。同九月から文部省、内務省はレコードの取締りにのり出し四三年には情報局によって、一〇〇〇曲にのぼる英米楽曲の演奏が禁止され、ジャズ・レコードも禁止された。四四年三月になると、「決戦非常措置令」が発令され、その一つ「高級享楽停止に関する具体要綱」にもとづいて、東西の歌舞伎座をはじめ全国一九ヵ所の大劇場の一斉閉鎖が決定して全国約四〇〇興行場が閉鎖され(のち少数再開許可)、翌四月には第二次決戦非常措置令によって演劇興行はすべて二時間半以内、入場料五円以下に制限された。浪曲界では終戦前に東西両協会が一本化して「日本浪曲会」となった。

日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
発行 1965年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2000年2月22日公開開始


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