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日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.

第五編 言論統制と文化運動

第一章 言論・出版・学問研究にたいする弾圧


第一節 情報局と文化統制法規

 戦時下における言論・出版・文化の統制と抑圧の中央機関でありマスコミ政策の決定機構であったのは情報局(一九四〇年発足、その前身は内閣情報委員会から発展した内閣情報部)である。

 一九三六年七月、二・二六事件による戒厳令下に、最初の国家的中央情報機関たる内閣情報委員会が設立された。同委員会は、情報に関する重要事務の「連絡調整」を具体的任務とするものであったが、従来のような内務省による出版警察権や逓信省による通信警察権を通じてのいわば消極的な公安保持に止まらず、より積極的な統制をねらいとしていた。それは形式としては、内閣書記官長を委員長とし、内務省警保局長・陸軍省軍務局長(新聞班の直属上部機関)・海軍省軍事普及部委員長をふくむ七人の常任委員と、各省次官級の委員で構成される委員会であるが、それにはまた、三名の軍人をふくむ一〇名の常勤事務官が配属されて実務を担当していた。日中戦争勃発後、三七年九月にこの内閣情報委員会は改組し強化されて内閣情報部となった。その職務も、[官制」化され、従来の「連絡調整」のほか、「各庁に属せざる情報蒐集、報道及啓発宣伝の実施」が加わった。内部組織においても情報部長(勅任官)以下の事務局(専任職員二三名)の比重が高まり、新たに情報官が設けられて活動の中心となった。そして一二名の常勤情報官のうち五名は軍人によって占められ、軍部の指導力の増大を示していた。三九年の官制改正では、さらに「国民精神総動員に関する一般事項」が職務に加えられるとともに職員数も約二倍に増加した。

 第二次近衛内閣は内閣情報部を一段と整備強化して、四〇年一二月に情報局を正式に発足させた。この機構改革にあたって、はじめは、「総力戦態勢を整備する」ため「挙国的世論の形成を図る」目的で、従来の外務省および陸軍省の情報部・海軍省軍事普及部・内務省警保局図書課・逓信省電務局無線課の事務をすべて新情報局に統合する方針であったが、この一元化」は失敗に終わり、軍関係は大本営報道部として残り、内務省も新聞紙法・出版法にもとづく取締りおよび処分権はついにゆずらず、総動員法第二〇条による取締り権(その発動が新聞紙等掲載制限令)も情報局と内務省警保局とのあいだに兼官制度をおくことですまされた。それにしても、新しくスタートした情報局は左のような広範な職務を担当し(官制第一条)、総裁以下一官房五部一七課に計一六〇余名の職員を擁する統制機関となった。

1 国策遂行の基礎たる事項に関する情報蒐集、報道および啓発宣伝
2 新聞紙その他の出版物に関する国家総動員法第二〇条に規定する処分(掲載の制限または禁止)
3 無線電話による放送事項に関する指導取締
4 映画・蓄音機レコード・演劇・演芸の国策遂行の基礎たる事項に関する啓発宣伝上必要なる指導および取締
 情報局の最も重要な部局は、新聞雑誌の用紙統制の実権を握り、報道一般に関する指導と取締りを担当する第二部、そのなかでも第一課と第二課であり、それは現役軍人によって完全に掌握されていた(第二部には、鈴木中佐ら二名の軍人をふくむ七名、兼任をいれれば一六名の専任情報官が配置された)。情報局の職員配置および系統は第2図の通りであった(この図表をふくめ、本節は、香内三郎「情報局の機構とその変容」、文学、一九六一年五月号、および内山芳美・香内三郎「日本ファシズム形成期のマス・メディヤ統制」、思想、一九六一年七月号によるところが大きい)。一九四三年三月の「行政簡素化」のための改正で、情報局の第四部と第五部は合体して四部制となり、新たに「基本事項の企画審議および大本営との連絡」を担当する官房審議室が新設され、翌年それは増員された。四四年一月の改正では、戦時資料室(国内動向と敵国動向の調査)が設けられ、専任情報官二九名が三八名に、専任属四一名が五一名に大幅増員され、四五年四月の改正(五月実施)によって、永年懸案の、陸軍省報道部・海軍省軍務局第四課・外務省および大東亜省の対外宣伝の仕事が情報局に移された。(情報局職員配置および系統図

 情報局の下部組織として半民間的な日本新聞会や日本出版会(その前身日本出版文化協会)があり、また外郭団体として大政翼賛会文化部・大日本言論報国会・日本編集者協会・出版報国団・文学報国会など各文化部門の多数の組織を擁していた(情報局官制の廃止は一九四五年一二月)。

 統制法規については、日中戦争勃発までは伝統的な出版法(一八九三年公布、一九三四年改正)と新聞紙法(一九〇九年公布)による納本・届出義務と「安寧秩序」に関する発売頒布禁止・差押の規定が主たるものであり、二・二六事件の厳戒令下に公布された不穏文書臨時取締法(三六年六月公布)によって、「治安を妨害すべき事項を掲載したる文書図画」の発行責任者明記と納本義務違反を処罰することになったていどであった(この法律の政府原案は右の文書を出版した者に実刑を課すものであったが、議会の猛反対に会って結局骨抜きになった)が、実際には大幅な拡張解釈がおこなわれた。

 国家総動員法の公布(一九三八年四月)は言論統制の上でも画期的な意味をもつものであった。同法は「総動員業務」を入れ、勅令によって新聞紙その他の出版物の掲載を制限禁止する権限を政府に与えること(第二〇条)とした。同条は、新聞紙法および出版法の特別規定として、従来の「軍事・外交」のみでなく,「一般治安」や「財政金融」に関しても、事前に言論統制しうるものとした。軍事上の秘密については、同じ頃、軍機保護法の改正(三七年八月)と軍用資源秘密保護法の公布(三九年三月)がおこなわれた。

 一九四〇年二月、議会における衆議院議員斎藤隆夫の質問演説中に軍を侮辱した点があったとして攻撃を受け、三月に議員を除名されるにいたったことは、明治憲法に保証されている議場内での言論の自由すら奪われたことを示していた。

 四一年に入ると、新聞・出版関係においては、先の国家総動員法第二〇条にもとづいて勅令で新聞紙等掲載制限令(一月)が公布された。同令は、総動員業務に関する官庁の機密や、軍機保護法・軍用資源秘密保護法の規定による軍事上の秘密を掲載することを禁止し、また外交に関し重大な支障を生ずるおそれある事項・外国にたいし秘匿することを要する事項・財政経済政策その他国策の遂行に重大な支障を生ずるおそれある事項などを掲載制限または禁止する権限を首相に与えた。つづいて国家総動員法が改正され、これにもとづいて、記事のみでなく事業全体の動員を可能にする新聞事業令(四一年一二月公布)が施行され、さらに一年あまりおくれて出版事業令(四三年二月公布)ができた。またこれらの全面的な背景として、治安維持法の改正(前出)、国防保安法(四一年三月)、言論出版集会結社等臨時取締法(四一年一二月)、戦時刑事特別法(四二年二月)等がつぎつぎと整備されていった。一二・八開戦直後の臨時議会で制定された「言論集会結社等臨時取締法」は、言論も結社も集会もすべて許可制にし、新聞紙法による出版物の発行も許可事項とされた。そして出版物の発売・頒布が禁止された場合は、同一人または同一社発行の他の出版物の発行停止もできるという乱暴な規定がつくられた。そして、うっかり敗戦の事実や戦局の見通しをしゃべると「時局に関し造言飛語をなしたる者」として二年以下の罰金に処せられたり(第一七条)「時局に関し人心を惑乱すべき事項を流布したる者」として一年以下の懲役もしくは禁錮または一○○○円以下の罰金に処せられる(第一八条)のである。

日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
発行 1965年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2000年2月22日公開開始


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