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日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.

第四編 治安維持法と政治運動

第一章 治維法・特高・憲兵による弾圧


第一節 治安維持法と特高警察

治維法
 戦時下日本のいっさいの政治的諸運動抑圧の法的中核となったのは治安維持法であった。同法によって一九二八年以来検挙されたもの六万人、起訴されたもの六〇〇〇人(その九五%以上は左翼関係)と戦争直後発表されたが、「同法の近来の運用は赤化の防止という本来の目的から離れ、民衆の思想に対する強権的圧迫と人権蹂躙に悪用された傾向が極めて濃い」(朝日新聞、一九四五・一〇・一四)といわれたように、治維法はもともと天皇制と資本主義制度に反対する共産党の弾圧を直接の目的とする法律であったが、後には社会民主主義・自由主義・一切の反政府運動、さらにそれらの思想そのものに適用されていった。一九二五年に公布され、一九二八年に緊急勅令で改正された治安維持法(旧法)は、「国体を変革することを目的として結社を組織したる者または結社の役員その他指導者たる任務に従事したる者」は死刑または無期ないし五年以上の懲役ないし禁錮(以前は最高一〇年)、「情を知りて結社に加入したる者または結社の目的遂行の為にする行為をなしたる者」は二年以上の懲役または禁錮とした。同法の解釈は「最大限度に拡張して」(一九四〇・五月の全国思想実務家合同における控訴院検事の発言)使われ、「取締の対象が自から思想そのものに向けられるに至」(ジュリスト、一九五二・七・一五、伊達最高裁調査官)り、目的遂行行為と認められる範囲は勝手に拡張され、共産党の中央部が破壊されたのちには、コミンテルンの目的遂行行為として取り扱われ「国体を変革することを目的とする結社」も、最大限に類推・拡張解釈されて、朝鮮民族独立運動や「類似宗教団体」(大本教・天理本道・燈台社等)もこれによって処罰された。治維法が画期的に拡張解釈して適用されるにいたった重要な契機は、一九三五年のコミンテルン第七回大会およびそれに関連する人民戦線方針関係文書の海外からの大量流入と全面的な日中戦争の開始であった。

 この治安維持法を補充するものとして、一九三六年に思想犯保護観察法が公布施行された。保護観察とは、治安維持法の罪を犯した者に刑の執行猶予の言渡のあった場合、または訴追を必要としないため公訴を提起しない場合、さらに刑の執行を終わりまた仮出獄を許された場合、などに保護観察審査会の決議によって、「本人を保護して更に罪を犯すの危険を防止するため、その思想および行動を観察する」もので、担当者は保護観察所の保護司その他であり、本人にたいしては居住・交友・通信の制限、その他「適当な条件の遵守」を命ずることができたのである。

 その後治安維持法の改正案は、再三にわたり政府によって議会に提出されたまま実現にいたらなかったが、ついに一九四一年三月に根本的に改悪して公布され(実施は五月)るにいたった。改正治維法(新法)は実体規定としては、(1)外郭団体を直接取締りの対象とする支援結社に関する処罰規定、(2)直接に国体変革の実行を担当せず、党再建の気運醸成を主要目的とする準備結社に関する処罰規定、(3)結社の程度にいたらない集団(グループ)に関する処罰規定、(4)類似宗教団体に関する処罰規定、(5)人民戦線方策採用の結果あらわれた、結社と関係のない国体変革の目的遂行に資する一切の個人的行為を処罰する包括的規定等を設け、その刑をさらに重くし、旧法になかった特別刑事手続に関する規定および詳細な予防拘禁に関する規定を新たに設け、全部で六五条(旧法はわずか七条)の法律となった。

 予防拘禁制は、治維法違反者の将来の再犯の危険性を防止するため拘禁しておく制度であり、三・一五や四・一六で検挙された共産党指導者たちが非転向のまま刑期満了となるので、かれらを釈放して生ずる脅威を防ぎ、拘禁したまま転向を促進しようとするものであり、法文的には、治維法第一章に掲げられた罪を犯し刑に処せられた者がその執行を終わり釈放さるべき場合において釈放後にさらに同章に掲げる罪を犯すおそれのあること顕著な場合、および第一章の罪を犯し刑に処せられその執行を終わった者または刑の執行猶予の言渡を受けた者で思想犯保護観察法により保護観察に付せられた場合に保護観察によっても同章に掲げられた罪を犯す危険を防止すること困難でさらにそれを犯すおそれのあること顕著な場合などにいずれも検事の請求により裁判所の決定をもって言渡される保安処分である。この制度によって、政治的信念の変わらないかぎり終身拘禁されるわけで、このため非転向の共産党員は刑期が終わっても敗戦まで獄につながれた。なお、この予防拘禁制度を実施する施設として、予防拘禁所官制および予防拘禁委員会官制が、いずれも勅令をもって公布され、また予防拘禁手続令と予防拘禁処遇令が、いずれも司法省令として制定された。予防拘禁委員会は、予防拘禁の請求・更新・退所・執行免除などの場合に、その意見を求める諮問機関であり、全国二二個所におかれ、いずれも各地方裁判所検事局内に設置された。

 治維法の発動にあたっては、逮捕・捜査・取調・留置・取締・スパイ工作・右翼の利用等において、非条理きわまる濫用や無恥な拷問がもちいられた。逮捕する場合には、身柄の保護処分としての行政検束(「泥酔者、瘋癲者、自殺を企てる者その他救護を要すと認むる者」を「翌日の日没」まで検束する制度、一九〇〇年制定の行政執行法第一条)を利用し、その時限がすぎると書類上だけで釈放して再検束し、あるいは違警罪即決処分(「一定の住居または生業なくして諸方に徘徊する者」を三〇日未満拘留。一九〇八年制度の警察犯処罰令、第一条)にあてはめて二九日間の拘留処分にし、期限がすぎると警察署を転々とタライ廻しにして留置をつづけた。

 警察官の自由認定は、治維法による取締りの実施にあたっても大幅に認められていた。そして長期間の拘束の上で、手記を書かせ、それを根拠にして、治維法を適用することが行なわれた。治維法の「目的遂行」にあてはめるために、たとえば、いわゆる企画院事件で検挙されたある被疑者の場合には、彼が某大学で経済原論の講義をした際、参考書の一つとしてあげた中に共産主義的経済学者の著書があったのをとらえて、「国体を変革することを目的とした結社の目的遂行の為にする行為」としていた(海野普吉「治安維持法運用の跡を顧みて」、ジュリスト前出)。また、「私の一友人は治安維持法違反として、懲役二年、執行猶予五年の判決を受けた。判決文中で最も主要な証拠に援用されたのは、彼が他の友人達と協同で買い込んでいた本に、『ELM会』という判こうがおされていた事実であった。ELM会とは、北海道からきた仲間の一人が、故郷のにれをしのんでつけた名前である。ところが検事および裁判所にいわせると、それはマルクス、エンゲルス、レーニンの略字だとばかり、他にこれという証拠もなかったのに、共産党の一グループ活動と認定されたわけであった」(戒能通孝「暴力――日本社会のファシズム機構」)。さらに、いわゆる新興俳句事件で検挙された人たちは治維法によるデッチアゲについて左のような思い出を語っている(雑誌「俳句研究」、一九五四年一月号)。

 ――治安維持法に抵触しそうな架空の犯罪の型を捏造しておいて、被疑者を無理やりにこれにあてはめるんですね。だから自句自解を書かせる場合でも、新興俳句作者は全部共産主義の信奉者であって、俳句を通じてマルクシズムを大衆に浸透させ、他日プロレタリア革命によって共産主義社会を打樹てようとするものだということが結論にならなければパスしないんですよ。――書いてゆくとどうしても共産主義は正しいという結論になる。またそうしなければむこうが承知しない。その上で俳句がそれとどう結びついているかということでね。ところがこっちはそんなこと常識以上に知りァせんしね。留置場へぶち込まれて参考書がないでしょう。あったところで、俳句雑誌以外は参考書を見て書いてはいけないというんだ。しかしそれがなければコミンテルンだの資本主義の発達史だのなんて書けないしね。そこでぼくはこっそり自宅から改造社の「社会科学辞典」をとりよせて、それを見ながら書いたね――手記を書いていると、おや、じぶんは共産主義者になったかな、という気がした。しかしどうも旨く書けないので、手記の見本をみせてもらったら、なかなか見事なものだった。それでわたしは共産主義者としでの自覚と認識を、そっくりそのまま借用したら、「お前はそんな偉いことをいう部類にはいらぬぞ」といわれた。ともあれ、わたしは手記の上では完全な共産主義者になり、そして結論で転向を誓った。……

 治維法は、一九四五年一〇月四日、日本帝国政府にたいする連合国最高司令官の覚書「政治、信教ならびに民権の自由に対する制限の撤廃」によって、思想犯保護観察法、同施行令、保護観察所官制、予防拘禁手続令、同処遇令等と一緒に、一切の条項を撤廃し、かつ即時その効力を停止すること、同時にこれらの法令などにより拘留・投獄ないし自由を制限されてる人びとを即時(一〇月一〇日までに)釈放することが指令された。一○月一二日の定例閣議は治維法の廃止を決定し、同法により刑に処せられた者は、「将来に向ってその刑の言渡を受けざりしものとみなす」こととなった(勅令七三〇号)。

日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
発行 1965年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2000年2月22日公開開始


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