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日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働者状態
The Labour Year Book of Japan special ed.

第六編 農民の状態と農業労働力統制

第一章 農業労働力の流出と労務対策


第二節 農業生産統制令下の労働力流出

農業生産統制令
 一九四二年、従来の自主統制に代わる権力統制という意味でも、また流通面のみならず生産面にも統制が拡張されたという意味でも、画期的な戦時農業統制が、「農業生産統制令」の公布によって開始された。さて、この統制を実施する末端の機関として市町村農業会の権限が大いに強化された。そしてこの統制の内容は、(1)生産割当て、(2)農作業の調整、(3)役畜と農機具の統制、(4)離農統制であるが、その真のねらいは最後の「離農統制」であった。なぜなら、これまでの「労務調整」対策は主として農業問題の労働移動調査や共同作業、共同耕作等による労働力不足対策であったが、いまや農業外に流出しつづけてやまない労働力を農業内部に引きとめることを目的とする「離農統制」が実施されることになったからである。この離農統制の対象は専業の自家農業従事者に限られ、その総数は一〇八六万人と決められた。

 しかしこの離農統制にもまた抜け穴があった。すなわち、同令第九条は、軍隊への応召者や志願兵、総動員法第四条の規定による徴用者「その他命令を以て定むる場合」はすべて統制から除外されていたからである。事実、一九四二年の上半期だけで、農業従事者のなかから九万五千人を越える徴用があった。

農工労賃格差と「窮迫離農」の増加
 また一方、農業従事者が疾病その他の事故で労働不能となった場合や「生計を維持するため真にやむを得ざる場合」には、農業会長は離農を認めることになっていた。これは何を意味したか。この当時、農機具等の生産手段と労働力の不足にかかわらず「増産報国」を要求された農民は、結局彼らの肉体の酷使――労働時間の延長と労働強化によって、生産の低下を食いとめるほかなかったのであるが、その労働所得や農業労賃は農業外産業、ことに高利潤をあげつつある軍需産業における労賃に及ばず、農業従事者の「窮迫流出」はこの農工所得格差の拡大によって必然的な傾向となったのである。次に引用する山形県新庄町の一農民の談話は、こうした事情を具体的に示している。

 「‥‥農業労働以外に労賃の割合のいい仕事があるのですから、どうしてもそっちの方へ引張られがちなのです。農業労働力と事業方面の労働力とは賃銀の点で尋常な太刀討ちが出来ない。農業労働力としては現在私の部落で労賃として支払って居る高は、稲刈人夫などで女が二円、男が二円五十銭、これは部落で協定した賃金ですが、それで以て傭はれる方は面白がらない。工場とかその他の事業方面では――東北振興で現在工事をやって居るが――あそこら辺で支払ふ賃銀は女で二円十銭か二円三十銭くらゐ、男で三円内外の労賃を貰って居る。‥‥農業労働だと二円五十銭なら二円五十銭しか貰へないことになって居るのだが、工事に働きに行く人の話しですと、残業をやれば残業分だけの労賃が得られる。当り前の二円五十銭の労賃は大抵は三円ぐらゐになる。‥‥それでどうしてもそっちに引張られるので農業労働が不足する訳です」(「食糧増産研究座談会」、「中央公論」一九四三年二月号、傍点は引用者)。

 一九四二年当時の工業労働者(男子、二〇歳以上)一日当たり全産業平均労賃は三円四三銭(内閣統計局調査)であったのに対し、農業日雇男子一日当たり労賃は一円九〇銭(農林省調査)であった。しかし同じ年の秋期農業労賃の実際の支払い額(ヤミ賃金)を調査した帝国農会の報告によれば、(注1)稲刈作業一日当たり労賃は最低二円九〇銭(岩手、秋田)から最高四円一〇銭(北海道)となっている。農繁期、ことに都市近郊農村では、かなりの農業労賃騰貴がみられたことは事実である。しかし一九四三年春の農繁期を前に、農林省が離農対策上、農業労賃を引き上げる必要があると強調した事実から推しても、一般的に農業労賃が、ひいては農民の自家労働報酬が、工業部面の労賃水準に比べ低かったことは否定できないことである。

(注1)この帝国農会調査による「現行農業労働者実(闇)賃金」(一九四一年一一月現在)は、山下、前掲書、四八五ページ以下に再録されている。

 「農民が低位なる農業生産力に其の背を向けて利潤高き鉱工業へ走らんとする傾向が、生計困難とか、真に已むを得ざる事情ありとかの煙幕を張り、それが随時旦随所に適用せられ、結局離農統制法規を死法と化せしむるに至ったのである」(小野武夫「統制令下の農地潰廃と離農現象」、日本学術振興会「農工問題研究」一九四七年、一九〇ページ、時点は引用者)。

 要するに、寄生地主制下の、手労働への依存性の強い小農制農業という生産関係には手を触れず、権力的統制や精神運動をもって農業労働力の流出を食いとめようとすることは初めから無理だったのである。こうして戦時経済の進展、農業の縮小再生産の進行は離農統制法を一片の死文と化せしめたのである。

労働力流出やや滅る
 第90表は一九四二年二月から一ヵ年間における農村労働力流出数を示すものであるが、総数において四八万人、これは前年同期間の五九万人に比べ約一一万人の減少である。また、農業労働力に限ってみれば、この年の流出数は二七万八千人で、前年の三三万人に対し五万人を減じている。これは、この年より実施された農業生産統制令による離農統制がその原因の一部であることは否定できないにしろ、農業労働力を他産業に「供出」する余力がしだいに減少して、いまや底をついたとみるのがむしろ妥当であろう。

 また、第90表の示すように農業従事者の他産業への流出の内容を見ると、前年に比べ、いわゆる時局産業への転出割合が増大している。またこれを男女別に見ると、二七万八千人のうち、男子一九万六千人、女子八万二千人で、女子の割合が前年に比べ高くなっている(第91表)。通勤、離村の形態別に見ると、前年に比べ離村者の比率が高くなっている。おそらくこれは、農村に進出した軍需工場の労働力吸引が限界に達し、遠隔地農村からの離村者吸引が増加したためであろう。

 一九四二年二月現在の農業従事者総数は前年とほとんど変わっていない(後掲第95表「農業従事者総数の推移」参照)。これは、青壮年労働力の大量流出が老年少年および婦人労働力によって補われたことを物語っており、前年にひきつづき農業労働力の質的低下が進行していたのである。また労働力の量的減少と質的低下を補うために労働時間が延長され、労働が強化された。

 また、この年には次に述べるような各種の労働力対策が講ぜられた。
農業労働力不足対策
共同作業と共同炊事
 農業生産統制令によって各種作業の共同化実施組合数は増加した。たとえば共同田植えは前年の三万三一八九組合に対し五万八五九九組合に、共同調整は九万八五〇六組合から一一万五八七四組合に増加した。共同炊事は前年の一万八三六四ヵ所に対し三万一一一〇ヵ所に増加した(前掲「農業年鑑」二四四〜五ページ参照)。共同托児所は二万九九〇四ヵ所で前年よりわずかに減少した。

勤労奉仕
 食糧増産勤労奉仕隊として工場鉱山労働者や一般市民が炎天下の無償労働にかりたてられたが、一九四二年におけるその総延人員は一三七万人を越えた(第92表参照)。またこの年の学徒勤労動員は、国民学校生徒だけで総延人員二五六〇万人を越え、中等学校生徒は延六〇〇万人を上回った。この学徒動員は一九四一年より本格的に実施されたが、一九四二年一〇月一日、文部・農林両次官通牒「学徒の食糧増産運動実施に関する件」によっていっそう強化されたのである。

軍人の一時帰休
 この年の秋、内地在役中の下士官を一時自家に帰休させ、稲刈り等の農作業に就労させる措置がとられた(九月二九日付農林次官通達)。その帰休人員や日数は不明であるが、いずれにせよ軍ならびに軍需産業による農業労働力の吸引が小農制農業を耐えがたい極限状況に追いやり、労働力不足がもはや「労務調整」などでは克服しがたい限度に違してきたことを示した。

日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働者状態
発行 1964年
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 東洋経済新報社
2000年2月22日公開開始


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