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日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働者状態
The Labour Year Book of Japan special ed.

第一編 戦時経済の推移と労働統制

第二章 太平洋戦争の開始と労働統制


第一節 戦争突入期の戦時経済と経済統制

 一九四一年六月に行なわれたドイツのソ連侵入につづいて、日本軍の南部仏印進駐が強行され、米英蘭三国は日本人資産を凍結し、アメリカは石油その他重要軍需物資すべての対日輸出を禁止した。内閣は総辞職し、開戦を予定して東条内閣が発足した。そして一二月八日、太平洋戦争への突入となった。これに先だち、経済統制面では、財政金融基本方策が決定し、二重米価制が実施され、株価の低落を押えるための統制令が施行され、また重要産業団体令の制定によって各部門で統制会の設立が始まっていた。

 戦争開始後まもなく、労務調整令・企業許可令・物資統制令・農業生産統制令が次々と公布され、外国為替相場は廃止された。さらに一九四二年にはいって、戦時増税案や第二次生産力拡充案が発表され、衣料切符制が実施され、食糧管理法・新日本銀行法・企業整備令などがこれに統いた。ハワイ真珠湾の不意打ち襲撃とマラヤ半島上陸作戦に始まる日本軍の緒戦の戦果は、予想を越えて圧倒的なものであり、開戦後半年の間に、東南アジアの主要地域はことごとく日本軍の占領下にはいった。戦時経済の隘路をなす不足原料物資の供給地に目せられた「南方共栄圏」の建設も、一時は好調に進展するかにみえた。司政長官以下が続々現地に派遣され、また南方開発金庫が設立されて、物資獲得に使われる現地通貨の印刷に狂奔した。

 しかし緒戦期の圧倒的な軍事的優位も長くは続かず、一九四二年六月のミッドウェー島作戦の敗北によって、戦局は転換しはじめた。海運と造船の増強策が次々と取られたにもかかわらず、戦時経済の命の綱であった海上物資輸送を担当する船舶保有量は、一九四二年から歴然と激減しはじめた。戦時経済の大勢もようやく頭打ちをみせはじめたのである。政府は低物価政策と生産増強の相剋を調整するために、二重価格政策や補償金政策などを採用して生産の増強に全力をあげた。これによって利益金の絶対額は増大し、とくに大軍需会社は膨大な軍事費の撒布によって、発注をさばききれないほどの好況をほしいままにしたが、全体としての事業会社の営業成績は反対に低下していった。平和産業部門が制限され操業短縮を余儀なくされたことは別としても、原料・資材・労働力などの供給不足や配給の不円滑が生産力の全面的発揮の障害となってきたうえに、生産設備の新設拡張計画の竣工遅延にもとづく未可働資本の圧迫が重なって、業績の低下をもたらしたからである。統制はさらに次の統制の強化を不可避にした。産業構成は急速に高度化していったが、他方において、ようやく頭をもたげだしたインフレーションは、生活必需物資の不足とともに国民生活の苦難を増大させたばかりでなく、戦時経済そのものの運営が阻害されだしたのである。

 一九四三年にはいると、戦時経済は早くも決戦態勢へ本格的に移行せざるをえなくなっていた。政府は年初早々、「戦時行政職権特例」および「戦時行政特例法」を閣議決定したが、これによって、鉄鋼・石炭・軽金属・造船・航空機の五重点産業を指定し、戦力増強の非常措置をとって、産業行政の一元化、重点産業の強化、官僚統制の是正を行なおうとした。それは軍需生産の行きづまりからとらざるをえない政策であった。つづいて重点産業を強化するため、画期的な企業整備を断行することとなり、六月には、戦力増強企業整備要綱を発表したうえで、臨時議会を開き、企業整備関係の諸案を決定した。これによって従来思うように進展しなかった企業整備は、国家の強権を背景にして全面的に推し進められることになったのである。右要綱の重点は、第一種工業部門(平和産業)の工場の大部分を休廃止して、その建物・機械・装置・労働力を第二種工業部門(五重点産業等軍需産業)に転用し、第三種工業部門(雑工業)は徹底的に整理すること、第二種工業部門については企業系列の整備を行なうことにあった。これによって深刻な転失業問題が生ずることは当然であり、また企業整備に必要な資金については国家資金によってまかなうことが立法化された。

日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働者状態
発行 1964年
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 東洋経済新報社
2000年2月22日公開開始


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