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日本労働年鑑 第58集 1988年版
The Labour Year Book of Japan 1988


序章 政治・経済の動向と労働問題の焦点

1 国際政治の動向
米ソ首脳会談とINF合意

一九八七年の国際政局で注目されたのは、一二月の米・ソ首脳会談と「中距離核ミサイル(INF)全廃条約」の調印である。INF全廃条約の骨子は、(1)中距離核ミサイルならびにこれらの発射装置などを廃棄し、今後この種の兵器システムを持たない、(2)長射程ミサイルは発効後三年以内、短射程ミサイルは一年半以内に廃棄する、(3)発効後双方は一三年間にわたって相手国ならびに基地がある国で現地査察を行う権利を持つ、(4)条約の期限は無期限だが、六ヵ月の予告で条約から脱退する権利を妨げない、などである。この条約によって、アメリカ側は八五九基、ソ連側は一七五二基のミサイルが廃棄されることになる。この条約は、たんなる軍備制限ではなく、実際に配備されている核兵器の削減を歴史上初めてとりきめたものであり、核の全面廃絶にむけて重要な第一歩をしるすものであった。また、両首脳は、一二月一〇日、会談終了にあたって共同声明を発表したが、ここでは戦略核の五〇%削減目標が具体的に数字で示され、海上(中)発射巡航ミサイル(SLCM)の制限についてもとりきめられ、レーガン大統領が八八年前半にモスクワを訪問することがうたわれた。

ロシア革命七〇周年とペレストロイカ

ー九八七年一一月七日、ソ連はロシア革命七〇局年を迎えた。これに先立つ記念式典の席上、ゴルバチョフソ連共産党書記長は、ぺレストロイカ(改革)政策を「革命の事業の継続」と位置づけ、社会主義的民主主義の拡大に向けてひきつづき改革を進める決意を明らかにした。。ペレストロイカの具体化は、一月のソ連共産党中央委員会総会でのゴルバチョフ報告「ペレストロイカと党の幹部政策」による生産現場・議会・党組織内での職場長・代議員・役員の選出方法の改革の提案、五月の個人営業を公認する「個人労働法」の施行、六月の党中央委員会総会での経済システムの抜本的改革についての書記長報告、これをうけての六月の国家企業法(統制の大幅緩和と独立採算制の採用などによって生産意欲の向上を図る)、国民討議法(重要問題の全国民的討議と国民投票の規定を具体化)、行政訴訟法(公務員ないし公的機関による市民の権利侵害にたいする提訴手続きを制定)の民主化三法の採択など、着々と進められてきている。ゴルバチョフ改革は、改革派と保守派のあやういバランスの上に立っているとする見方もあるが、スターリン批判の深化や、ブハーリン・パステルナークの復権、アフガニスタンからの撤退、第二次大戦中の東欧諸国との関係における歴史の見直し、中国との関係改善、INF全廃の受け入れなど、その範囲を拡大させ、ソ連の対外政策の「改革」にまでおよびつつある。

東欧諸国の動向

ソ連で進行中のゴルバチョフ改革は、東欧諸国にたいしても微妙な影響を与えている。ゴルバチョフ書記長は各国にペレストロイカを説明して歩き、八七年五月のルーマニア訪問で一連の訪問を終えた。これにたいして、早くから経済改革などに着手してきたハンガリー、計画経済が比較的順調に作動している東ドイツ、独特の体制をとっているルーマニアなどを除いては好意的で、積極的な反応が示された。

 ヤルゼルスキ政権下で経済の再建にとりくんでいるポーランドは、ソ連の変化を歓迎し、一一月二九日、企業の独立採算性を高めて自由主義的な競争原理を大幅にとりいれた改革案を国民投票にかけた。これまでにない自由な秘密投票の結果、投票率六七・三%、賛成は有権者の四四・三%で政府案が否決されたが、政府は物価値上げなどの改革ペースを計画よりもゆるめて実行する姿勢を示している。ソ連など五カ国軍隊の軍事介入で「プラハの春」をつぶされた経験を持つチェコスロヴァキアでは、一般国民はペレストロイカを歓迎した。一二月には、フサーク書記長が辞任し、ヤケシュ政権が誕生するなど、ゆるやかな改革に向けての体制がととのった。

西ヨーロッパの動き

この間、西ヨーロッパではいくつかの国で総選挙が実施された。一月の西ドイツ総選挙では、コール首相の連立与党が過半数を制したものの、キリスト教民主・社会同盟は予想外の後退を示し、自由民主党と緑の党が議席を増加させた。六月のイギリス総選挙では保守党が大勝し、三選が確定したサッチャー首相はこの先さらに五年間政権を担当することになった。また、六月のイタリア上下両院の選挙ではキリスト教民主党が第一党を確保し、政党間の序列に変化はなかったものの、社会党の伸びと共産党の退潮がめだった。フランスでは八八年の大統領選挙を前にした前哨戦が展開されている。

 西ヨーロッパは、INFをめぐる軍縮交渉での重要な舞台となったが、ホーネッカー東ドイツ国家評議会議長の西ドイツ訪問や、コール西ドイツ首相のINF廃棄受け入れ発言など、東西関係の改善とINF交渉促進の動きが生じた。同時に、核戦力削減によって通常戦力でNATO側が不利になるとの観測もあって、西ドイツとフランスの間の軍事協力が緊密化するなど、西ヨーロッパの安全保障にむけての独自の動きも強まっている。

中国における改革の進展

 一月一六日、中国共産党政治局拡大会議で胡耀邦総書記が学生の民主化要求デモをめぐる混乱の責任をとって自己批判し、辞任した。後任の総書記代行には趙紫陽首相が任命された。その後五月の党政治局拡大会議で反撃に転じた改革派グループは、一〇月二五日〜一一月一日の中国共産党第一三回大会で「改革・開放路線」を定着させ、人事面での「若返り」をはかることに成功した。この後、一一月の第一回中央委員会全体会議では、正式に趙紫陽総書記が選出され、第六期全国人民代表大会第二三回常務委員会会議は、趙首相の辞任と李鵬副首相の首相代行就任を承認した。対ソ関係、対台湾関係の改善も進んだ。二月には中ソ国境交渉が九年ぶりに再開され、八月にも第二回交渉が開かれた。また、一〇月の大会には、関係が断絶した六〇年代初頭以来初めてプラウダの記者二人が取材するなどの動きもあった。

 他方、台湾では七月に三八年ぶりに戒厳令が解除され、一〇月からは大陸への渡航も一部解禁されることになるなど、中国との交流が緊密化しつつある。これに比べて、日中関係は、「光華寮問題」などをめぐって、一時的に足踏みないし悪化する局面が生じた。

民主化進む韓国

 八七年六月二九日、与党・民主正義党の盧泰愚代表委員は、特別宣言を発表して大統領直接選挙制のための憲法改正をはじめ、大幅な民主化措置を明らかにした。これをうけて、一〇月二七日、国民投票で九三・一%の賛成によって憲法が改正され、七一年以来一六年ぶりの大統領直接選挙が実施されることになった。九月には実質的な選挙戦がスタートし、金大中(平和民主党)、金泳三(統一民主党)、金鐘泌(新民主共和党)などの野党候補と盧民正党代表委員が名のりをあげた。数十万人から一〇〇万人規模の大集会を競演する激しい選挙戦の後、一二月一六日に投票が行われたが、結局、盧候補が八〇〇万余票を獲得し、「二金」に二○○万票前後の大差をつけ、韓国で六人目第一三代の大統領に選出された。

 このような民主化の推進力となったのは、「護憲反対・民主憲法奪取のための国民運動本部」などを中心とした学生・市民らによる国民運動であり、七月以降高まりを示した労働運動であった。七月から九月までの三ヵ月間の労使紛争は三三〇〇件で、この夏の賃上げは平均一三%だったという。これにたいして政府が労働三法の抜本的改正を約束したことなどもあって、秋に入ってから労働争議は沈静化にむかった。

緊張つづくペルシャ湾情勢

 八七年五月、ペルシャ湾内を航行中の米ミサイル・フリゲート艦が攻撃され、乗員三七人が死亡するという事件が発生し、ペルシャ湾情勢は一挙に緊張を高めた。この事件を機にアメリカは直接介入にふみきり、イラン・イラク戦争はペルシャ湾に拡大、第三国までまきこむ事態にいたった。

 アメリカは、七月二二日からタンカー護衛作戦を開始するとともに、同盟国にも応援を依頼した。これにこたえて、英・仏・伊・オランダ・ベルギーなどが空母や掃海艇派遣を決め、日本も、ペルシャ湾の安全航行に要する米軍経費の間接負担について検討するなど、協力の姿勢を示した。

 このような緊張の高まりにたいして、国連安全保障理事会の即時停戦を求める決議、デクエヤル事務総長のイラン・イラク両国への訪問、緊急アラブ首脳会議のイラン名指し非難決議など、和平の努力がなされた。しかし、これらの和平努力や調停工作も、いまのところ功を奏せず、依然として戦火は拡大の様相をみせている。

第三世界の動向

 発足二年目に入ったフィリピンのアキノ政権は、二月に新憲法を成立させ、五月の総選挙でも圧勝したが、一月のエンリレ前国防相派の軍人による反乱、四月の陸軍司令部占拠事件にひきつづいて、八月には八〇〇人の国軍が反乱を起こすなど、依然として不安定な政情下にある。

 人種差別政策によって国際的な非難を浴びている南アフリカ共和国では、八七年五月の白人議会の選挙で保守派が圧勝し、議会を通じての改革に見切りをつけた革新派の議会外活動が活発化するなど、白人社会内部の両極化も進んできている。このようなアパルトヘイトにたいして西側諸国の反発も強く、この数年、西側先進諸国の企業は資本の撤退や貿易削減などの制裁策をとってきた。その結果、日本の貿易額が突出し、南ア貿易の輸出入総額に関する八七年統計で日本は初めてトップとなった。

 アメリカ政府の資金援助を受けた右派ゲリラ(コントラ)が、革命政権の転覆をねらう二カラグアと、左翼ゲリラ(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)が親米政権の打倒をめざすエルサルバドル―この両国で激しい内戦がつづいている中南米地域では、和平にむけての新たな動きがあった。八月七日、五カ国首脳会議(中米サミット)がグァテマラで開かれ、コスタリカのアリアス大統領が二月に提案した一〇項目を土台とした和平案が合意された。これを背景に、両国では和平交渉がはじまっているが、アメリカがグァテマラ合意に消極的なこともあって、決定的な解決にいたらないままに終わった。

 七九年一二月のソ連軍介入以来反政府ゲリラとの抗争がつづいてきたアフガニスタン問題に関しては、二〜三月に和平にむけてのアフガニスタンとパキスタンの間接交渉が再開された。この問題は、一二月の米ソ首脳会談でもとりあげられ、その後の交渉によって、八八年五月一五日からの撤退開始がとりきめられた。七八年のヘン・サムリン政権樹立以来内戦状態がつづいていたカンボジアでも、八七年一二月二〜四日、シアヌーク殿下とフン・セン首相がパリ郊外で会談して四項目の共同声明に調印するなど、平和解決にむけての動きがはじまった。また、六月に北京で開かれた社会主義国一二カ国の鉄道相会議に、関係悪化以来ベトナムが初めて現職閣僚を送るなど、中越関係の改善にむけても新しい動きがあった。

日本労働年鑑 第58集 1988年版
発行 1988年6月25日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
****年**月**日公開開始


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