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日本労働年鑑 第57集 1987年版
The Labour Year Book of Japan 1987

特集 国鉄分割・民営化問題

III 分割・民営化と国鉄労働組合運動


1 国鉄問題キャンペーンと労働組合の対応

 八二年初頭からはじまった国鉄問題キャンペーンから五年余を経た今日、国鉄における労働組合の激変ぶりは驚きに値いする。かつて国鉄労組は国鉄職員の七割以上を組織した最大労組であったが、八七年二月初めの調査では三割を割った。国労から脱退した労働者は、各地に新組織をつくり、国鉄当局と「労使共同宣言」を締結することで雇用確保の展望を見い出したり、既存の鉄労、動労などに加入するなどの道を選択し、国鉄における労働組合組織の再編を進めていった。

 再編成が進行する国鉄の労働組合の運動理念は、労使が「国鉄改革の実施に向かって一致協力して尽力する」(第二次労使共同宣言)労組と、これを「屈服路線」とみなす労組に大別でき、後者が少数派におちいっているのが現状といえる。

 亀井正夫国鉄再建監理委員会委員長は、国鉄改革の目的をつぎのように述べた。「国労と動労を解体しなければダメだ。戦後の労働運動史の終焉を、国鉄分割によってめざす」(『文芸春秋』八五年九月号)と。

 八二年初頭から五年間、国鉄の各労働組合は、振幅の度合に差があったにしろ、方針上さまざまに変化してきた。国鉄における分割・民営化の浸透にともない、とりわけ労務政策の変質に応じて労働組合の対応も変化しており、また、その反映として組織の再編過程も進展したわけである。鉄労も最初から国鉄の分割・民営化に賛成していたわけではない。この方向が国労や動労に打撃を与える側面に共感をもち、協力をしたのであった。この点では必ずしも民社党・同盟と全面的に一致していたわけではなかった。

 以下こういった労働組合の変化の軌跡を客観的に跡づけ、問題を整理しておく。
1 国鉄問題キャンペーンと労働組合の対応

 「ヤミ手当」「カラ超勤」「ブラ日勤」「突発休」「時間内入浴」「時間内の食事の仕度」「助役の下位職代務」「現協の実態」……。以上は、八二年初めからの国鉄問題キャン・ぺーンで取り上げられた内容の一部である。これらの報道に加えて、飲酒運転士による列車事故その他国鉄労働者の〃タルミ〃ぶりが先を競って新聞紙上をにぎわした。国鉄および国鉄労働者への批判キャンペーンとなった一連の報道の視点ともいうべきものは、国鉄の現場管理者の弱腰・軟弱とそれを制度的に保障する現場協議制を諸悪の根源とみなし、そうした状況を黙認してきた国鉄経営者の〃無能ぶり〃に焦点をあてていた。また、こうしたマスコミ報道にたいし鉄労は、国労・動労などの職場における行動を内部告発することで豊富な事例を提供しており、労・労対立も深刻さを加えた。

 マスコミの総攻撃にさらされた労働組合は、八二年二月二二日に共闘組織を結成した。総評・新産別と国鉄関係四労組(国労、動労、全施労、全動労)の間で「国鉄改革共闘委員会」が国鉄問題を国鉄労使問題に矮小化することに反対し、広く国民全体の問題としていくことを目的にして発足した。翌二三日に国労本部は「反国労キャンペーン対策本部」を設置した。

 国鉄当局は三月五日、「職場規律の総点検および是正について」という総裁通達を出した。この通達が出された経緯については前述したが、三月四日に運輸大臣に指示された内容を翌日、直ちに総裁通達として具体化したことは、国労などの組合から一方的通達との批判をうけた。とくに国労は労使協定にもとづいて確保した労働条件などを交渉抜きに破棄する恐れがある通達だと反発した。

 こうした国鉄労働者をめぐる状況が三月九日の国鉄四組合(国労、動労、全施労、全動労)による初めての合同中央執行委員会開催と「国鉄再建問題四組合共闘会議」の発足へ向かわせた。この共闘会議は国鉄当局が問題職場と指摘した全国一七四ヵ所を独自にアンケート調査し、三月二九日にその結果を明らかにした。調査結果にもとづいて四組合共闘会議は、労働基準法や協約・協定の厳守を前提に、(1)正当な理由のない早退・遅刻・ポカ休の自粛、(2)いわゆるヤミ日勤の廃止、(3)執務態度の厳正とサービスの向上、(4)拘束時間内の飲酒の絶滅などの具体的取り組みをあげ、各支部・分会に指示した。同時に、「実態のともなわない手当は廃止し、制度化を要求していく」としていた。

 国鉄当局は五月末までにブルートレインのいわゆる「ヤミ手当」を返済するよう関係職員に返納通知書を出していた。この問題では国労と全動労は返済を拒否するわけではないが交渉で解決すべきだとして返済に応じていない。これに対し国鉄当局は、未返済の者は「居住地の各簡易裁判所に対し、支払い命令の申し立てをする」ことを決め、提訴した。動労はこの問題について国労・全動労と同一歩調をとらず返済することを決定した。全施労は関係する労働者がいないため問題はなかったが、動労の対応はのちに四組合共闘会議が崩壊する最初のきざしであり、さらにいえば「労使共同宣言」の締結や鉄労との共闘へと一八〇度の転換につながる前兆だったといえるかもしれない。もっとも、三塚博は『さらば国有鉄道』という著書で動労の変化のはじまりを「昭和五三年一〇月のダイヤ改正のとき、貨物列車についてはストライキをやらないと宣言してからである」(一六七頁)と、かなり早い時点でそれを認めている。

 鉄労は、年来「国鉄再建を進めるにあたって職場規律の確立と労使関係の改善こそ不可欠である」と主張してきたが、国鉄当局が「国労幹部と無責任な癒着を続ける態度」を改めさせるため、八一年秋の「行革特別国会」において、民社党の協力を得て、衆・参両院を通じて連続九回に及ぶ「国鉄職場規律問題」にかんする集中した質問を断行した。これは「職場規律確立と労使関係改善の大きな契機に」なったが、鉄労としては八一年に実施した「職場実態調査報告書」を臨編第四部会のヒヤリングの際に提出し、さらに同報告書を社・共を除く全国会議員、関係各省庁、民間団体等に配布した。また、自民党三塚委員会において鉄労の主張を展開するなどの活動を通じて、国鉄当局と国労幹部との癒着体制の打破と職場規律確立に努めてきたことが、八二年の鉄労大会の運動方針に述べられている。なお、この八二年の大会には、国鉄総裁の代理として八田誠常務理事と自民党国鉄問題小委員会の三塚博委員長が来賓として出席し、祝辞を述べた。鉄労の職場規律確立の取り組み方針はつぎのとおりである。

(1) 職場実態調査を継続的に実施し、さらに徹底した規律確立追及をおこなう。
(2) 当局にたいし継続的な総点検を実施するよう求めるとともに、規律確立のために不可欠な信賞必罰の徹底を求める。
(3) すべての国鉄職員に対し職場規律確立の重要性を強力に訴えていく。
(4) 職場規律を乱す集団およびこれを放置する不良管理者とは厳しく対決する。

日本労働年鑑 第57集 1987年版
発行 1987年6月25日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2001年8月1日公開開始


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