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日本労働年鑑 第57集 1987年版
The Labour Year Book of Japan 1987

特集 国鉄分割・民営化問題

II 分割・民営化路線と国鉄当局の対応


 国鉄は八〇年一一月に成立した国鉄再建法にもとづき、八一年以降新たな「経営改善計画」を実施に移していったが、この計画にとって不幸なことは、第二臨調の活動期と計画実施時期が重なっていたことであった。しかし、当時の国鉄当局者は、この計画を後のない計画と位置づけ、強力な実施体制をつくり、その一環として八一年七月には職員局長にタカ派として知られていた太田久行を据えたのである。そして、三五万人体制をめざす同計画を九月二一日に関係組合に提示し、八一〜八四年にかけての「要員合理化」計画を提案した。すでにその頃、九月七日に設置された臨調第四部会では、国鉄の分割・民営化にむけての検討作業が開始されていたのである。

 八二年初めから本格化した国鉄問題キャンペーンは、国鉄当局と労働組合の不正常とみなされた労働慣行その他をあばき出し、国鉄当局にその是正をせまっていた。国鉄は「職場規律の総点検および是正について」という総裁通達を発し、全国五〇〇〇ヵ所近い職場を総点検し、四月二三日に運輸大臣に報告した。自民党の三塚委員会や第二臨調は連日のマスコミ報道や自らの調査によっで国鉄当局に労使関係改善をせまっていった。機関区検修係旅費手当の返還要求や現場協議協約の変更などを組合に提案することで国鉄の労務政策は転換されていったが、分割・民営化問題では抵抗をつづけた。

 八五年一月の国鉄当局の改革案「経営改革基本方策」では、民営と北海道、四国の分割を認める案を提出したが、政府や監理委員会の受け入れるところとはならず、かえって国鉄首脳陣の一新を決意させたようである。そして、監理委員会の最終答申の出る約一ヵ月前の六月二一日に仁杉国鉄総裁は辞意表明し、同時に首脳陣の分割反対派は一掃され、運輸省事務次官の杉浦喬也が新総裁に任命された。かくして、分割・民営化を実施にうつす国鉄内の体制ができあがったわけである。

1 国鉄問題キャンペーンと国鉄労務政策の転換

労務政策の転換要求

 八二年初頭からの国鉄問題キャンペーンが本格化するようになったのは「ブルートレインのヤミ手当」問題が報道されてからであった。この問題を発端に国鉄内のさまざまの慣行がマスコミを中心に明るみに出され、国鉄再建問題ともからんで国民的関心をよんだ。前述のように臨調による意図的なマスコミ操作も加わって、キャンペーンに拍車がかかったのである。

 自民党は、前述したように三塚委員会(国鉄再建小委員会)を八二年二月五日に発足させ、国鉄再建を実現する鍵は「現実に推進に携わる人的要素──すなわち国鉄職員の士気であり、働き度であり、職場秩序及び規律である」との観点から、国鉄の職場における労使関係の実態を中心に現場視察や職場管理者アンケート調査を開始した。四月一六日に三塚委員会は「管理経営権及び職場規律確立に関する提言」を運輸大臣や国鉄総裁に提出し、労使関係の問題点と是正の方策を提示した。

 また、国会においても国鉄の労使関係が取り上げられ、民社党の塚本書記長はこの問題で質問し「国鉄がこんなに悪くなったのはマル生反対の国労・動労の恫喝に管理者が屈し、人民管理的な運営になったからだ」「諸悪の根源は現場協議にある」などの発言をおこなって、労使関係改善を要求した。

職場規律の総点検と労務政策の転換

 こうした国鉄への批判の高まりに対し、運輪大臣は八二年三月四日に国鉄へつぎのような指示を出した。「いわゆるヤミ手当や突発休ヤミ休暇、現場協議の乱れ等の悪慣行などについては、誠に遺憾なことであり、これら全般について実態調査をおこなう等総点検を実施し、調査結果にもとづき厳正な措置を講じることが必要である。」 この指示を受けて国鉄では三月五日に総裁通達「職場規律の総点検及び是正について」を発し、全国四八三一ヵ所を対象に調査を開始した。点検項目は、(1)ヤミ協定・悪慣行等(勤務関係と作業執務関係その他)、(2)現場協議制の運用実態、(3)昇給、昇格、昇職問題、(4)管理者問題(下位職代務や年休消化など)である。

 「職場規律の総点検」の結果は四月二三日に運輸大臣に提出された。この三日前に国鉄は、自民党、民社党などから「職場荒廃の責任者」として労務担当常務の更迭を要求されていたこともあって、ハト派といわれた常務を更迭した。高木総裁はこの人事について「路線変更と受け取られても結構だ」と語った。そして、五月に入ると先の総点検結果からブルトレ手当の返還を労働者に求めていったのである。さらに、三月五日の総裁通達で示していた現場協議協約の改訂案を七月一九日に提案した。改訂案は、交渉単位の拡大、交渉委員の縮小、非公開などとともに協議対象事項の制限などを内容としたが、国労は現場協議制の骨抜きと見なして交渉は決裂し、八二年一一月三〇日に協約が失効することとなった。動労・鉄労・全施労は、国鉄当局案で協定を締結した。かくして、マル生以降の国鉄労使関係の基礎にあった現場協議制が消えることとなり、新たな職場の労使関係が形成される始まりとなった。

緊張する国鉄労使関係
 この間の国労と国鉄当局との関係と労務政策の内容を国労の「太田労政を糾弾する決議」(八二年七月七日)でみると、つぎのように述べられている。

 「今年に入ってから『太田労政』は国労否認を顕在化してきたが、最近の鮮明化は異常なほどである。たとえば(1)『職場問題』について国労が『正すべきは正す』という視点から、労使は話し合おうと呼びかけても、これに応えないばかりか、これは本来当局の労務管理権の問題であり、労働組合と話し合うつもりはないと一方的に実施している。(2)ブルートレイン検査旅費問題は古くからの慣行、協定にもとづくもので、国労が労使の話し合いを求めたにもかかわらず、これは労使の問題ではなく、職員個人と管理局長との関係であるとして、訴訟にふみきった。(3)近く『現協協定』の改訂と『緊急一一項目』について労働組合に提案するときく。しかも提案は期限付とし、まとまらなければ破棄または実施するといっている。まさに、労使関係は形式さえととのえればよく、実際は力でおしまくるという態度である。」

 こうした国労の批判にみられるように、国鉄内の労使関係は国鉄当局の交渉拒否または形骸化によって、緊張したものに変わったのである。

日本労働年鑑 第57集 1987年版
発行 1987年6月25日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2001年8月1日公開開始


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