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日本労働年鑑 第57集 1987年版
The Labour Year Book of Japan 1987

特集 国鉄分割・民営化問題

I 分割・民営化論の台頭から具体案の作成まで


1 第二臨編の発足と国鉄分割・民営化の論議の発端

第二臨調の発足と国鉄問題の検討

 臨時行政調査会(第二臨調)は、一九八一年三月一六日に鈴木内閣によって首相の諮問機関として発足した。この時期、行政改革が必要とされたのは、一九七三年末の石油ショックを契機とする不況から低成長経済を経るなかで、政府の景気対策を国債に依存しつつ実施することで国家財政の破綻が目に見えるほど明らかとなったためである。一九七九年一〇月の総選挙で、大平内閣は国債依存からの脱却を一般消費税の導入でおこなう政策を掲げたが、自民党の敗北、与野党議席伯仲の実現により撤回せざるをえなくなった。すなわち増税路線が国民的反発にあうなかで、今度は逆に歳出削減につながる行政改革へ転換を余儀なくされたのである。

 第二臨調は、土光敏夫経団連名誉会長を会長とし、合計九名のメンバーで発足した。土光会長は会長就任の条件として、増税なき財政再建とともに三公社の民営化その他を鈴木首相に了承させた。こうして発足した第二臨調は、第一次答申へ向けて活発に活動をはじめた。八一年七月一〇日に第一次答申が提出されたが、答申は「行政改革の理念と課題」、「緊急に取り組むべき改革の方策」、「今後の検討方針」の三部から成っていた。答申では、財政支出の削減、行政の効率化をテコに「国の歩み」、行政のあり方の転換をはかるという行政改革の位置づけをおこなった。

 国鉄問題が臨調で具体的に論議されたのは、八一年九月七日に四つの部会が設置されてからであった。三公社五現業、特殊法人等のあり方を検討する第四部会において国鉄問題が審議され、基本答申に向けで活発な活動が開始された。第四部会長には加藤寛、部会長代理二名、専門委員七名、参与九名の構成でスタートした。

マスコミの国鉄批判キャンペーン
 臨調第四部会の審議はヒヤリングを中心に開始されたが、審議に並行するかのように起こったのが、マスコミによる〃国鉄問題キャンペーン〃であった。

 八一年一二月一二日付読売新聞が、国鉄本社職員局のまとめた「一九八〇年度職場管理監査結果について」と題する臨調に提出された部外秘文書をもとに「国鉄労使悪慣行の実態」「『突発休』多く支障」などの見出しをつけた記事をのせたが、これが国鉄および国鉄労働者批判キャンペーンの発端であった。その後、サンケイ新聞も加わってキャンペーンを開始したが、八二年一月二三日の朝日新聞が「赤字国鉄がヤミ手当」の見出しでブルートレインの検査係の添乗手当の支給問題を報道したことを契機にマスコミによって大々的に「ヤミ手当」「職場慣行」などの実態が「暴露」され、国鉄労使関係問題が世の注目を集めた。臨調の第四部会長の加藤寛は雑誌『現代』に「国鉄解体すべし」(八二年四月)、参与の屋山太郎は『文芸春秋』に「国鉄労使国賊論」(八二年四月)を発表し、マスコミによる国鉄キャンぺーンに一役買った(諌早忠義編著『再建へ、出発進行』参照)。

 こうしたマスコミ報道は、国鉄改革論議が盛んな時期だけに分割・民営化やむなしとする世論形成に寄与したことは間違いない。のちに臨調の参謀といわれた瀬島龍三は、つぎのように述べた。「私どもは会談の内容を意識的、無意識的に外へ漏らしていくという行き方をとった。……意識的、無意識的にできるだけ外へ出していくことによって、マスコミがこれを取り上げていろいろ書いてくれる。それがまた国民に問題意識を与え、そして一つの流れができていくと判断したのである」(八三年三月二三日、国策研究会で)。

労使関係を重点にした国鉄再建小委員会の調査報告

 自由民主党は八二年二月五日に国鉄基本問題調査会の下部機関として国鉄再建小委員会(いわゆる三塚委員会)を設置したが、ここでは主に国鉄労使関係問題を重点に調査・審議を進めた。おりから問題化していた国鉄の職場慣行などについて国鉄当局者を追及する場ともなったが、早いペースで検討が重ねられ、三月四日には「中間報告」が、四月一六日には「管理経営及び職場規律についての提言」(第一次)提出された。

 また、三塚委員長は八二年三月三日付けで、国鉄の労務監査の重点職場一七四ヵ所の全管理者三二五七名を対象にした、職場実態把握のためのアンケート調査を実施し、四月二日に調査結果を発表した。加えて、三月一八日には社会主義協会系の勢力が強い職場とされる甲府駅へ現場視察に出かけ、ついで三月二五日に小委員会のメンバーだけでなくマスコミ関係者をも同行しての視察を実施した。三塚委員長は、視察の結果「管理権を回復しない限り、いかなる施策も、絵に描いたモチでしかないということがイヤというほどわかった。今こそ、われわれは不退転の決意をもって、国鉄の管理権確立のための諸方策を推進しなければならないと痛感した」と語った。

 この小委員会は七月二日に「国鉄再建のための方策」を提出したが、それは国鉄の経営改善計画の最終年度である八五年度を目標に「現体制の下で改善努力をする」、それでも再建できない場合は、八七年度を目途に国鉄を北海道・本州・四国・九州の四つに分割・民営化するという、分割・民営化「出口論」であった。この出口論は後に見るように、国鉄首脳に合理化の徹底と職場規律の確立などを実行することで分割・民営化を逃れられる拠り所とみなされた。

日本労働年鑑 第57集 1987年版
発行 1987年6月25日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2001年8月1日公開開始


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