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日本労働年鑑 第56集 1986年版
The Labour Year Book of Japan 1986

第三部 労働政策

IV 経営者団体の労働政策


5 その他

労組へのエール

 (1)金属労協(IMF・JC)は、一九八四年九月に結成二〇周年を祝った。日経連は、機関紙に「金属労協(IMF・JC)の二〇年」と題する論説をのせ(『日経連タイムス』一九八四年九月二〇日)、JCの「大きな足跡」をたたえた。

 日経連がJCを高く評価する根拠は、(1)「(第一次オイルショック後の)日本経済のパニック状況を労働界の中で、いち早く冷静に受けとめ」、「経済整合性の上に立った賃金決定」という新たな運動路線を編み出したこと、(2)一九七八年以来、鉄鋼、造船、電機、自動車の「主力四単産による同時決着を柱とする集中体制を展開させ(中略)、一つの春闘パターンとして定着させてきた」こと、(3)「全民労協の結成にむけて大きな原動力になった」ことである。また、議長を勇退した宮田義二氏にたいし、「わが国の労使関係の発展のために尽された功績は実に大きなものがある」とたたえ、「ご苦労さまと申し上げたい」とねぎらっている。

 (2)『日経連タイムス』一九八五年六月六日の論説は「中村(鉄鋼労連)委員長発言を評価する」と題して、鉄鋼労連の春闘総括討論集会での同委員長の発言を高く評価している。新聞によると、中村委員長は、「可処分所得は、税や社会保障費の負担増など企業外の事情でも決まるもので、こうした社会的コストの埋め合わせ分を企業の賃上げに求めるのは問題で、自戒すべきだ」と述べた。「労働組合の委員長の発言を日経連として歓迎するのもどうかという意見もあるようであるが、敢えて、この中村委員長発言を評価したいと思う」。

 (3)日経連大槻会長は、七月一八日、「日経連経営トップセミナー」の「開会あいさつ」のなかで日本の労働組合に言及し、「世界主要国に先駆けて、甘えの払拭も本物になりつつある」と評価した。大槻会長によれば、「ハンブル・ライフ」(「分」相応な生活)の視点からすると、わが国のかかわる問題は三つある。「第一は、自然環境、天然資源に対する甘え、第二は労働組合の企業、産業に対する甘え、第三は国民の政府に対する甘えであります」。これらのうち、第三の甘えを除いては、「わが国の対応は比較的良かったのではないかと自賛しておるのであります」。もちろん、最近の賃上げは必ずしも満足のゆくものとはいえない。「しかし諸先進主要国に比べますと、日本の労働組合が甘えから脱却するのは、かなり早かったことも事実でありますし、また今日も、労使がコミュニケーションを密にして企業、経済のより安定した発展を可能にする賃金決定のあり方を模索していることは事実であります」(『日経連タイムス』一九八四年七月二六日)。

単身赴任減税を労使で要求

 日経連は、九月四日、全民労協の呼びかけに応じて懇談をおこなった。席上、全民労協は単身赴任問題で、(1)転勤は家族ぐるみを基本原則とすること、(2)単身赴任のさいは、一時帰省の交通費と単身赴任手当を課税控除すべきだ、と提案した。日経連はこれにたいし、第一点には同意したものの、第二点は「単身赴任の助長にならないか」と消極的態度を示した(『日経連タイムス』一九八四年九月六日)。しかし、労働省は、労働側の要求にそって大蔵省に非課税扱いを要求し、経団連も一〇月二二日、労働省との初めての公式懇談会の席上、単身赴任減税に賛意を表明、応援を約束した(『朝日新聞』一九八四年一〇月二二日夕刊)。結局、大蔵省はこの要求を認めず、昭和六〇年度予算では実現しなかった。

退職給与引当金問題で労使合意

 大蔵省は昭和六〇年度税制改正で、退職給与引当金の非課税率(現行四〇%)を引き下げる意向を示した(『日本経済新聞』一九八四年七月二四日)。これにたいし、経団連は「企業課税の強化」であると反対し、労働団体との懇談(七月二四日に同盟、二七日に全民労協、一一月一九日に金属労協とそれぞれ開催)で、共同歩調をとることになった(『経団連週報』一七〇四、一七二〇号、一九八四年八月二日、一一月二九日)。また、日経連も、一〇月一二日、自民党退職給与引当金、単身赴任者減税問題小委員会において、引当金の損金算入率の圧縮に絶対反対する、との意見を述べた(『日経連タイムス』一九八四年一〇月一八日)。結局、大蔵省は、昭和六〇年度は圧縮を見送ることになった。

米労働界から経団連に会談申し込み

AFL―CIO、UAWなど米労働界の首脳から、七月に、経団連にたいし、「日系企業の米国進出にともなう労使関係」をテーマに懇談したい、との申し入れがあった。経団連は当初、申し入れの真意がはかりかねることや労働界の窓口は日経連であるとの理由から態度を保留していたが、九月一〇日の正・副会長会議で、「とにかく向こうの考え方を聞いてみる」ことにし、申し入れを受諾した(『日本経済新聞』一九八四年九月一一日)。会談は四月一六日におこなわれ、米国側からは、対米投資にさいしては早くから労組と話し合い、進出企業に労組が結成された場合にはその決定を尊重してほしい、との希望が表明された。また、日本側(経団連や日経連の代表が出席)からは、現地の労働慣行を尊重するという原則でやってきているので、労組が協調的な姿勢をとるかぎり、労使関係の問題は生じないだろう、との見解が示された(『日経連タイムス』一九八五年四月二五日、『経団連週報』一七四〇号、一九八五年四月二五日)。

桜田武日経連名誉会長死去

 一九四八年、日経連の創立に参画してから、一九七九年、名誉会長に退くまで約三〇年間、「日経連の実質的リーダーをつとめた」桜田武日経連名誉会長が、四月二九日死去した。享年八一歳。前年の永野重雄氏の死につづいて「財界四天王」は全員没した。「一経営者というよりも、国士的見地から物を考えられる財界人であった」(宮田義二・前金属労協議長・談)(『日経連タィムス』一九八五年五月九日)。

【参考資料】(1)日経連『日経連タイムス』、『経営者』、(2)経団連『経団連週報』、『経団連月報』、(3)経済同友会『経済同友』、(4)『週刊労働ニュース』(日本労働協会)、『日本経済新聞』、『朝日新聞』、(5)日本生産性本部『労使関係白書』、日本労働協会『年報・日本の労使関係』、『労働運動白書』

日本労働年鑑 第56集 1986年版
発行 1985年12月5日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2001年8月15日公開開始


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